十三話「逆襲」


 広場は再び戻ってきた群集に埋め尽くされ、その中央でミコトは胴上げをされていた。胴上げといっても、並外れた神の力でかなりの高さまで放り投げられるのだ。地面が遠くなっていくのを見て、ミコトはもしかして殺されるんじゃないかと不安になったが、もちろんそんな事はなかった。

 神との決闘に勝利した新しい英雄は絶賛の歓呼をもって迎えられ、彼等なりの惜しみない手厚い歓待を受けた。力が有り余っているかのような乱暴で荒々しい歓待は現代の感覚でいえば過剰すぎてついていけないところがあったが、それでもミコトはありがたく受け入れる事にした。

 酒の壺を四方八方から次々と差し出され酒を注いだ杯を無理やり口に押し付けられ体中をばんばんと叩かれ髪がくしゃくしゃになるほど撫でられ力比べのような握手を求められシャツのボタンを千切られて勝手に持っていかれても、ミコトは笑顔で応じた。神々に認められ、彼等の一員となったようでなんともいえない高揚感があったのだ。

 彼等はすっかりミコトが気に入ったようで、「こいつはやる時はやる男だと思ってた」「一目見た時から只者じゃないとわかっていたね」等と都合のいい事を言い出す始末である。

 決闘に便乗するかのようなお祭り騒ぎはいつの間にか酒宴になり、陽気に歌えや踊れの馬鹿騒ぎが始まった。

 ようやく取り巻く人々から解放され、よれよれの姿になったミコトはやっと本来の目的を完遂するためにシヴァと話をする事ができた。

「たいしたもんだ! お前を見直したよ、ミコト」

 シヴァは宴から少し離れた所で、ガネーシャと何事か話し合っているところだった。シヴァに褒められて、ミコトは照れくさそうに頭を下げる。

「私も酒を煽りたいところだが、修行中の身ゆえな。一杯くらいはいいかと思ったんだが、ガネーシャの奴がうるさくてな……」

「シヴァ神は一度羽目を外すと際限がないですからね。自重してください」

「言われなくてもわかっているというに……それよりミコト。お前の頼み、聞いてやらんわけにはいかなくなったな」

 シヴァは陽に焼けた顔に精悍な笑みを見せた。

「ありがとうございます! それで、方法はあるんですか? スーリヤを救う事はできるのでしょうか……」

「まあそう焦るな。方法は無くもない。だがうまくいくかどうかはスーリヤ次第だ……とりあえず、落ち着いたら聖地へ向かうとしようか」

「そうだ、聖地の場所なんですけど、ここから近いんですか? それと、この街の名前を教えてほしいんですけど……」

「いいだろう、なんでも答えてあげよう。聖地なら、ここから南東に七ヨージャナほど行った所にある。この街の名は、アムシュマットプラスタだ。満足したかね?」

「はい! 大変助かります。ありがとうございます」

――アムシュマットプラスタから南東に七ヨージャナね。これはかなり聖地の場所が絞れ込めたんじゃないの! ミコト、あんたは一度現実世界に戻っておいで。

 リンカの声にミコトは軽く頷き、あらためてシヴァを見上げる。

「それでは……聖地へと赴いていただけるのですね。スーリヤも喜ぶと思います」

「うむ。私は今機嫌がいいのでな。機嫌が変らないうちに行くとしようか。君も同行するかね?」

「僕は……別のルートから向かいます」

「そうか。それでは聖地で再会するとしよう」

 シヴァはいつになく上機嫌なようだった。ミコトは丁寧に辞去して広場を後にし、人気の無い場所に隠れると、リンカに向けて話しかけた。

「では、戻ります」

――わかった。じゃ接続を切るわね。……お疲れさま。

 労うようなリンカの言葉が胸にしみる。いつにない満足感があった。ガネーシャ、そしてシヴァの説得、さらにはラーフケートゥとの決闘……よく無事に終われたものだ。

 聖地の場所も絞り込めた。シヴァ達も聖地に向かってくれるらしい。

 もう少しだ、スーリヤ……



  



「う……」

「気付いた?」

 肩から温もりが伝わってくる。リンカが体を支えてくれていたようだ。ミコトが目を開くと、リンカの顔が目の前にあった。

「おつかれさま」

 リンカの表情はいつになく優しいものだった。ミコトは照れたように笑いながら、しっかりと頷いた。

「はい」

 空はうっすらと明るみ、山々には朝もやが立ち込めていた。シヴァ神の像が収められている祠の横では、ブンタがうつらうつらと船をこいでいた。ミフネはと視線を巡らせると、車の運転席の中からこちらの様子を見ている。

 腕は縛られたままだったので、手首が少し痛い。

 ミコトは声を潜めてささやいた。

「ついに手がかりがつかめましたね。あとは聖地を探すだけですが……」

「まあね。そうだ、ラジーブさん、ちょっと確認しておきたいんだけど」

 リンカが声をかけると、少し離れた所で巨体をきゅうくつそうに丸めて座っていたラジーブが顔を上げた。いかつい髭面には元気がない。カーチェイスで捕まってしまった責任をまだ感じているのかもしれない。義理堅い男なのだろう。

「この辺りで、アムシュマットプラスタって街を聞いた事はない?」

 ラジーブの太い眉がぴくりと上がった。

「ありまス! 聞いた事ありますヨ! そこの村がそう。今は違う名前ですケド、大昔はアムシュマットプラスタと呼ばれていたそうですヨ! こんな事知っている人、それほど多くないはずですネ。ワタシ、お役に立った!」

 話を聞きながら何気なくシヴァ神像を調べていたリンカは、像の横に小さな木板がある事に気付いた。そこには木目と見間違うほど細かい文字があり、目で追っていくと、確かにアムシュマットプラスタの文字があった。どうやらラジーブの言葉に間違いは無さそうだ。役に立てて嬉しそうなラジーブには木板の事は言わず、立ち上がると、ミコトを促して車に向かう。

「よし! ミコトが仕入れた情報が正しければ、ここから南東に七ヨージャナの場所に聖地の遺跡があるはず! いよいよアカシャの眼が見えてきたわね!」

 意気込むリンカにミコトが尋ねる。

「ヨージャナって距離の単位ですよね? 七ヨージャナってどれくらいの距離なんです?」

「大体、一ヨージャナは七kmから十四kmって言われているわね。つまり七ヨージャナって事は、ここからおよそ五十kmから百kmくらいの場所って事になるね」

「かなりアバウトですね……」

「まあ、それっぽい場所があればわかるでしょ! 早いとこ向かいましょ」

 ミコトはふと、神話世界に送られてきた銃の事を思い出した。あれが送られてきたという事は、現実世界でもリンカはどこかに銃を隠し持っているはず……それなら、今がミフネ達をまくチャンスのはずだ。

 だが、見たところそんな様子はない。不安になり、さりげなく確認しようと考えたミコトは、リンカの腕をそっとつついた。

「ん? どした?」

 さすがに声に出して確認するわけにはいかない。目線で気付かせようと、ミフネの方にさりげなく視線を遣り、すぐに戻す。

「なによ。そんなに見つめちゃって……あたしの魅力にようやく気付いたの?」

 ミコトはぶんぶんと首を振る。ミフネから見えない角度に移動し、手首を縛られたまま、リンカの背中に指で「にげよう」と書いてみた。

「あんっ」

「いや、変な声出さないで下さい……」

「何よ、さっきから。変な子ね。そんな事より、こいつらから車を奪うから準備しときなさいよ。ラジーブ、運転の準備お願いね」

 ミコトの気づかいも知らず、リンカは無造作にでかい声で言うと、いつの間に解いたのか手首を縛っていた縄をするすると落とした。素早くミコトの縄も解く。

「合点承知ですヨ!」

 状況を察したラジーブが力強く頷いた。

 異変に気付いたのか、ミフネが車の窓を開けると同時に、リンカがポケットからグロック26を取り出して突きつける。ミフネの白い顔にさっと血の気がさした。

「おおっと。動いたら迷わずブッ放すからね」

「てめえ……!」

「あんたの相棒、隙だらけよ。これ、もらっちゃった。さ、降りた降りた」

 薄く微笑むリンカ。その表情と銃を弄ぶ手つきには本気で撃ちかねない落ち着きと迫力があった。ミフネはゆっくりとドアを開け、おとなしく車を降りる。

「くそっ……いつの間に……」

「あなたが目をそらしていた十秒くらいの間にスリ取らせてもらったのよ。ふふふ……確実にあんたらを撃ち殺して行ってもいいんだけど。かわいそうだからやめとくわ」

 リンカが右手で銃口をミフネにつきつけながら、片手でラジーブの縄を解いた。縄がほどけた瞬間、リンカの意識が若干ミフネから逸れた。

 その隙を突くかのように、ミフネが勢いよくドアを開く。ドアを盾にするようにして飛び出すと、リンカが構えなおしたグロックを蹴り飛ばした。同時に懐から銃を取り出す。が、そこへラジーブが突進して体当たりを食らわせた。

「ごふっ!」

「インド人、怒る時は怒る!」

 巨漢の体重をもろに浴びて、たまらずに銃を手放す。吹っ飛んだ銃はブンタの前に転がり落ちた。

「んあ?」

 寝ぼけ眼のブンタが銃に気付く。

「ブンタ! 銃を拾えッ!」

 ミフネが叫ぶと同時にリンカが銃に向かって駆け出した。ブンタが銃に手を伸ばす。

「銃を拾うとミフネをぶん殴るわよ!」

「構うな拾えッ!」

 混乱したブンタの手が止まる。

「深呼吸して急ぎつつ焦らずに大至急その場を立ち去りなさい!」

「聞くな! 拾え! いいから!」

 大混乱中のブンタが助けを求めるようにミフネを見る。その顔面にリンカの膝が炸裂した。

 噴出した鼻血が弧を描く。ブンタが仰向けに倒れる。リンカは素早く銃を拾い上げ、倒れたブンタに突きつけた。

「くそっ! あのバカッ!」

 ミフネがラジーブを振りほどき、グロックが飛んでいった方へと駆け出した。

 が、その足が止まる。

 ミコトがグロックを構えて立っていた。銃口がまっすぐミフネに突きつけられている。

「おおっと……勇ましいねぇミコト君。でも、君に人が撃てるかなぁ?」

 ミフネは白い細面に余裕の笑みを浮かべ、視線に殺気を込めてミコトを見据える。

「危ないから返しなさい。素直に返せば命までは取らないから」

 ミコトに歩み寄ろうとする足が止まった。倉庫で銃を突きつけられて怯えていた頃のミコトとは明らかに表情が違う。銃口はぴくりとも揺るがない。

「あなたは正直がモットーだと言ってましたね。では正直に答えてください。素直に返せば僕達を傷つけずにこの場を去ってくれますか?」

「それは……」

「慎重に答えてくださいよ。あなたが信条をあっさり捨てるような人間なら僕は迷わず撃ちます。でも、本当に正直に生きてきたというのなら、僕はあなたを傷つけたくない」

 神話世界でさんざん撃ちまくった銃だ。銃の扱いに迷いはない。その自信はミコトを別人のように大きく見せていた。本当に撃つ。その覚悟はミフネにも伝わったようだった。

「……命は取らねえよ」

「つまり傷つけるかもしれないと?」

「そうだ」

 ミフネが一歩前へ踏み出す。

「どうだ? 正直に答えたぞ。これでお前は俺を撃たないんだな? そもそも、俺がお前たちを傷つけないと言ったとしても、それが嘘がどうかなんてどうやって見分けるんだ? 俺が何と答えようが、お前は俺を撃てないじゃねえか」

「そうですね。実は、あなたが答えてくれればどちらにせよ撃つつもりはなかったんです」

 ミフネの体に背後から縄がかけられた。ラジーブだ。ミフネは脱出しようともがくが、ラジーブの万力のような力からは逃げられそうにない。

「ラジーブさんが縄を拾ってあなたの背後から忍び寄る間、足止めできればよかったんです」

「おまかせアレ! インド人、縛るの得意」

 ラジーブは熟練の動作でミフネを亀甲縛りの形に縛り上げた。

「なんでこんな縛り方なんだ!」

「ダイジョーブですネ。痛くない。安心ネー。インド人嘘つかない」

 足首もぎっちりと縛り上げられて転がるミフネを見下ろし、ミコトは緊張を解いた。

「でも、本当に正直に答えてくれたんですね。安心しました……あなた達は父の死に係わっていないと言ってましたけど、それも信じられます」

「ケッ! 俺は確かに悪人だがな、正直に生きるっていう最後の一線だけは踏みはずさねえ。それだけが誇りよ」

 ミフネはふいっとそっぽを向き、思い出したように尋ねた。

「……こっちこそ聞くが、俺が答えずに踏み込んでいたらお前は撃ったのか?」

「まさか。生身の人間なんて撃てませんよ」

 ミコトはにっこりと爽やかに微笑んだ。白い歯がまぶしい。

「嘘だ……俺が踏み込んでいたらお前は撃ってたよ。間違いねえ。まったく……いつのまにこんな末恐ろしいガキになっちまったんだ」

 その間に、ラジーブはリンカに踏みつけられていたブンタをてきぱきと縛り上げていた。見事な手際だ。

 悪党二人がきっちりと縛られているのを確認し、リンカは車に戻ってきた。

「よし、これでもう安心ね」

「あれっ、アニキ、捕まっちゃったの」

「アホッ! この状況は元はと言えばお前のせいなんだよ! 銃なんて持たせるんじゃなかった。まったく……できる事ならコンビ解消したいぜ……」

 のんきな声を上げるブンタに、亀甲縛りで転がされたミフネが毒づく。

「前から思っていたけど、なんでこんなお馬鹿な奴とコンビ組んでるの?」

「仕方ないんだよ。こいつは師匠の忘れ形見だからな……悪党にも悪党の義理ってもんがあるんだ。お前らには関係のない事だ」

「へえ。悪党にも色々あるのね。まあ確かにあたしらには関係ないわね。じゃあ、そこで仲良く転がってなさいな」

 リンカは悪党どもに一瞥をくれると、

「ラジーブ。運転は任せるわね。さあ、ミコト。あとは聖地に向かうだけよ!」

 三人が乗り込むと、すぐさま車は発進した。山々の稜線から、昇り始めた太陽の光がこぼれ、朝露に濡れた木々が輝いている。ハンドルを握るラジーブは活き活きしている。山道に揺られながら、リンカは荷物から石碑を取り出した。

「さて、じゃあ、聖地に向かいながら神話世界にアクセスしときますか。スーリヤが気になってるんでしょ?」

「はい! よろしくお願いします!」

 ミコトにとって最大の懸念がそれだ。シヴァは聖地に向かう事を約束してくれたが、スーリヤがどうなったか、自分の目で確認するまでは落ち着かない。

「聖地の大体の方角はわかったけど、五十kmから百kmの範囲内じゃけっこう幅があるからね。もう少し絞り込めるヒントが欲しいから、その辺もできれば調べてきてよ」

「わかりました」

 ミコトは力強く頷く。

 スーリヤに会える。その一念が、ミコトの気持ちを浮き立たせ、表情にも力を与えているようだった。今度会った時は、スーリヤの喜ぶ顔が見られるはずだ。

 だが……

 そこまで考えてミコトの表情に影が差すが、気持ちを切り替えるようにリンカを見上げた。

「お願いします」

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