三話「異国」


 パスポート持った。

 ビザも取った。

 搭乗手続きも行って、飛行機に乗り込んだ。

 そこまではよかった。

 初めて乗り込む飛行機。半ば無理やり連れてこられたとはいえ、ミコトだって少しは楽しみにしていたのだ。空港のアナウンスや外国人だらけの国際的な雰囲気、バスで搭乗口まで移動してタラップで飛行機に乗る時も興奮したし、清潔なシートに座ってシートベルトを締めた時もいよいよ空を飛ぶのかと思って感動した。

 ……が。

「なんであんたらがここにいるのよ」

「いよう、お二人さん。また会ったね」

 ミコトとリンカが取った席は窓側だったが、その隣、通路中央の席に座っていたのは――

「この間はよくも取引をブチ壊してくれたねぇ? 石も人質も総取りなんて、許されるとでも思っているのかい」

 ミコトを拉致した二人組だったのだ。

「もう一回聞くけど。なんであんたらがここにいるのよ……」

 さすがのリンカも困惑気味だ。シートベルトをキッチリと締めたミフネがシートに深くもたれかかりながら横目でニヤリと笑った。

「大変だったんだぜえ? あの後、散々お前らを探したが見失ってよ。だがこうして巡りあえたのも縁だよなあ。正直に生きてきた俺にはやっぱり神様が味方してくださるようだ」

 欲望に正直に生きても味方してくれるなんてどこの邪神だ。

 リンカの隣でミコトは体を竦めながら思った。

 ミフネの横には、例のパイナップル頭がいた。髪型が目立たないように一応ニット帽をかぶっている。シートにもたれながら、横のパネルを操作していた。

「なあアニキ。そっちのイヤホン借りていいか? 俺の席のイヤホンで音楽を聴いて、アニキの席のイヤホンで映画の音を聞くんだ。両方楽しめるぞ。俺って頭いいな」

「勝手にしろ! こっちは大事な話をしてるんだ。ガキみたいに浮かれてんじゃねえ!」

 周りの乗客を気にしてか、声を抑えて言い捨てブンタを小突く。リンカに向き直ると、再び余裕の表情を取り戻した。

「俺達がなぜここにいるか不思議そうだな? ククク、苦労が報われるぜ」

「なんでここにいんのよ? 発信機の類も全てチェックしたし、追っ手がついていないか確認した。潜伏中も隠れ家を変えたし、ミコトが学校に行く時もあたし自ら車で送迎したし、あんたらみたいな連中に行き先を掴まれるような事はしていないはず」

 ちょうどその時、離陸のためにシートベルトを着用するように促すアナウンスが入った。

 シートベルトを確認するため会話が一時中断。確認後、再開。

「いい質問だ。それを待ってたんだ。いやあ、あんたらをロストした時は焦ったぜ。ミコト君のアパートに行っても誰も居やしねえし、ミコト君の実家にもボディガードらしき奴らが張りこんでいやがった。用意周到だな、あんたも」

「そりゃどうも」

「だがそのまま手をこまねいている俺達じゃねえ。俺は考えた。この後、お前達がどう行動するか? あんたがアカシックリーディングの持ち主って事はすぐにわかったよ。こっちの業界じゃ有名らしいな。あんたなら石から情報を読み取って手がかりを掴む事が出来るはずだ。そうなると、次は石から得た手がかりを元に例のお宝を探しに行くよな? あのお宝がこの小さな島国に都合よくあるわけないし、国際線で海外へと飛び立つはずだ」

「チッ。あたしも余計な所で有名になってるものね。そうは言っても、どの国に行くかも、いつ出発するかもわからないはずでしょ?」

「フフフ……そうとも。だから俺達は、成田空港の第一ターミナルと第二ターミナルの駅で改札口をひたすら見張り続けたのさ。辛かったぜ。朝から晩までだ。成田から発つなら、必ず改札を通るはずだからな! お前らを見かけた時は狂喜したぜ……俺達の忍耐力を甘く見たようだな! お前らの後をつけて、乗り込む便を探り、キャンセル席を確保してみたらお前らの隣ときたもんだ。こりゃ間違いなく日ごろの行いが良いからだな」

「どんだけヒマ人なのよ……」

「わはは! こいつ、ブンタはな、バカだが忍耐力だけはあるんだよ。頭がカラッポのおかげで一日中見張り続ける事も苦じゃないんだ。こういう時は役に立つ」

「ビザはどうしたのよ」

「俺達はこう見えても仕事で世界中を飛びまわっているんだ。主要国のビザはたいがい取ってある。インドビザもまだ期限が残っているのさ」

 男は手荷物からパスポートを取り出すと、各国のビザが貼ってあるページを自慢げにペラペラとめくって見せた。小学生がコレクションしたシールを見せびらかす様なものか。

「でもさ、確かに電車で来たから見つかったけど……車で空港に来てたらどうしたの? 駅は通らないでしょ」

「ん? …………ん?」

「考えてなかったのね……そりゃ、こんな穴だらけの計画は予測できないわ。こんな馬鹿に見つかるとは。ヤキがまわったもんね、あたしも」

 リンカが大きくため息をついてシートに体を預けた。

 ちょうど飛行機が滑走を始める。ミコトはリンカ達の会話を気にしつつ、ちらちらと窓の外を見てしまう。滑走路を飛行機は加速しながら走り、席に細かい振動が伝わってくる。いよいよ、人生初フライトだ。しかも因縁の悪党と同席状態で。

 色々な意味でドキドキしながら見守っていると、車輪が地面を離れた。ふわっと体が浮いたような感覚があり、すぐに窓から見える地面が遠ざかっていく。なんとなく不安定な気持ちになり、つい足に力を入れて踏ん張ってしまう。

「やばい、アニキ……俺、トイレ行きたくなってきた」

「バカ! なんで最初に行っておかないんだよ!」

「だって、あいつらがいるからじっとしてろって……」

 悪党達が隣にいるのはさておき、窓から見える街が小さくなっていく光景には軽い感動を覚えた。間違いなく今、空を飛んでいるのだ。

 飛行機がガクンと揺れるたびに落下しそうな浮遊感に襲われ少し怖かったものの、興奮がそれに勝っている。

「アニキ……耳がキーンてしてきた。やばい」

「知らねえよ! お前、何回飛行機に乗ってると思ってんだ。いい加減慣れろ!」

 高度が上がるにつれ、ミコトも耳に圧迫感を覚えていた。気を紛らわせるために読書でもしたいところだがすぐ近くに悪党が座っている状態では集中できそうにない。

 もぞもぞしているミコトに、ミフネが身を乗り出して声をかけた。

「よぉ、ミコト君。また会ったなぁ。どうだ? 今の気持ちは。逃げのびてホッとしてたか? お前にはとっておきのプレゼントを用意してあるよ。なんだと思う? ヒントは、『上は大水、下は大火事』これな~んだ?」

「ご、拷問……ですか……?」

「当たりだ……俺の思考パターンがわかってきたようじゃないか」

 正解しても全然うれしくなかった。男もさすがに飛行機の中で無茶な事はしないだろうが、空港についてもべったり張り付かれていては逃げる事もできそうにない。

「インドのデリーまで八時間以上かかるんだから楽にしてなよ。空の旅を楽しもうじゃないか。空港についてもおとなしくしてなよ? 逃げられるなんて思わない事だ」

 他の乗客に聞こえないように、ミフネがぼそぼそとささやく。不安になったミコトがリンカを見上げると、諦めたように落ち着いていた。

「ま、そういう事だし。じたばたしても仕方ないわね。のんびりしてましょ。ふあ~あ、あたしは疲れてるからちょっと仮眠取らせてもらうわよ。着いたら起こしてね~」

 言うなり、アイマスクを付けてシートを倒してしまった。しょうがないのでミコトも真似して同じようにしてみる。

「ククク、なかなか往生際がいいじゃないか。おとなしくしていれば痛い思いをほとんどしないで済むさ」

 おとなしくしていても少しは痛い思いをするんだ。

 しかしリンカが落ち着いているのでそれだけがミコトにとっては救いだった。情けない話だが、ミコト一人ではまた取り乱すだけだっただろう。リンカがじたばたしないと言っている以上、今はじたばたしても仕方ない時なのだ。おとなしく、音楽でも聴いて気を紛らわせる。

 飛行機の旅は、ブンタのいびきとミフネのプレッシャーを除いて、おおむね快調といえた。

 窓の外に雲海を見た時は素直に感動したし、機内食もインドの雰囲気を一味先に味わえてなかなかのものだった。

 何時間か経つうちに、いつのまにかそれなりにこの状況にも慣れてきて、ミコトも多少はリラックスできるようになっていた。

 男がすっと席を立つ。

「アニキぃ~、どこ行くの」

「トイレだよ! いちいち聞くな」

 寝ぼけ眼のブンタがスーツの裾を掴む手を払い、男はトイレの方へ歩いていった。

 その姿が見えなくなるやいなや、アイマスクを着けて寝ていたと思われたリンカがむくりと起き上がる。

「リ、リンカさん……寝てたんじゃなかったんですか?」

「しっ、いいから」

 リンカはすっと男の席へ移動した。寝ぼけたブンタがシートを倒したまま見上げる。

「んん? なんだ何しにきた」

「あら、そのまま寝てらして。あなたの寝顔があまりに凛々しいものだから、近くで見に来たの」

「そうか。俺、凛々しいか。あんまり褒められた事がないから嬉しいぞ」

「でしょう? さ、寝てらして」

 リンカはしなだれかかるようにシートに体を預け、ブンタの胸板に指を這わせる。ブンタはくすぐったそうに鼻をピスピスと鳴らしていたが、さすがに怪しいと思ったのかリンカを見上げて睨んだ。

「お、お前、何が目的だ。俺を味方にひきこむつもりか? 女の色香くらいで裏切ると思うなよ。言っておくが俺とアニキの絆は固いんだ。固茹でのパスタくらい固い。いや、違うな、堅焼きのグリッシーニくらい固い」

 どっちにしろ柔らかいじゃねーかと突っ込みたかったが、怖いのでミコトはがまんした。

「ふふ。あなたが裏切るなんて思っていないわ。少しお話したかっただけなの。ずっと座っているから退屈で……あっちのサクランボ坊やよりあなたみたいな逞しい人の方が大人の会話をするには相応しいでしょう?」

 誰がサクランボ坊やだ。いや、これは敵をだますため心にも無い事を言っているだけに違いない。そう思ってミコトは無理やり納得した。

「お、大人の会話ってなんだ……?」

「あなたに面白いジョークを聞かせてあげるわ。アメリカの映画関係者の間で有名なジョークなんだけどね。『ボブ、映画館が潰れそうなんだ。何かいいアイデアはない?』『ジョン、それならいいアイデアがあるんだ。祭りでカラーひよこを見て思いついた、とっておきのアイデアさ! いいかい、売店でポップコーンを売っているだろう』『ボブ、それがどうした?』『ジョン、聞いて驚くな、ポップコーンを五色のカラーに塗るのさ! カラーバリエーションが五つもあれば、売り上げは五倍だ!』『OH! ボブ、頭いいな! よし、それで行こう!』二人は実際にカラーポップコーンを作ってみたんだけど、全然売れなかった。何故だと思う?」

 リンカの問いに、ブンタは目を白黒させ、しばらく考えて答えた。

「え、みんなポップコーンよりナチョスが好きだったから?」

「ブッブー! ハズレ。うふふ、フライトのヒマ潰しに考えてみたら?」

 それだけ言い残し、リンカは再び自分の席へと戻ってきた。ブンタはまだ頭を捻っている。

 ミコトは声をひそめてリンカにだけ聞こえる声でささやいた。

「あのー、今のジョーク、オチはなんとなく想像できるんですけど、あまり面白くは……」

「いいの! うるさいわね。あたしが寝たフリしながら考えたジョークにケチつける気!」

 寝ているのかと思っていたが今のジョークを考えていたのか……

「映画関係者の間で有名なジョークってのは嘘なんですか?」

「ハッタリよ、そんなもん。内容はどうでもいいのよ。オチが想像できるって? じゃあ言ってみなさいよ!」

「映画館の中は暗かったから、五色に塗っても意味が無かったとか……」

 ミコトは当らずとも遠からずの自信があったが、リンカはふふんと鼻で笑う。

「ブブー! 外れ! 正解は、『その映画館はポルノ映画館だったのでみんな手がふさがっていた』でした!」

「シモネタかよ! 最低だ、この人……」

 そのうちミフネがトイレから戻ってきた。しきりに頭を捻るブンタに一瞬だけ不思議そうな顔をするが、ブンタがおかしいのはいつもの事だと思いなおしたのか、そのまま何も言わずに席についた。

 席を立っていたのは、約五分。

 それ以外は特に変った事もなく、無事にデリーのインディラ・ガンディー国際空港に到着した。

 飛行機が着陸する際に、街や地面が見る見るうちに迫ってくるのをミコトはドキドキしながら眺めた。着陸の瞬間に車体が大きく揺れ少し怖かったが問題なく飛行機は着陸を成功させ、空港に停まった。

「さて、いよいよ着いたわけだが、逃げるなよ。俺達の前を歩け。大声出したり助けを求める素振りをしたらすぐさま掻っさらうからな」

「わーかったわよ! おとなしくしてるって」

 スチュワーデスに搭乗券の半券を渡し飛行機から空港の発着口へと降りる。人の波に紛れて歩いていくと、日本と少し違う匂いがした。風景も少し黄色く見える。夕方にもかかわらず気温が高い。徐々に他所の国へ来たという実感が湧いてきた。

 空港内の案内板にも見慣れた日本語はなく、ほとんどが英語だ。

 周りを見回しても、太った白人のおじさんや白い礼拝服を着た褐色の肌の人、頭にターバンを巻いた人など、様々な国籍の人達が歩いている。日本からの便なので、当然日本人も大勢いる。

 これで、後ろにぴったりと悪党どもがくっついていなければもう少し観光気分を味わえたのだろうが……

 ブンタはまだリンカの言ったジョークのオチを考えているらしく、やたらと話しかけてきた。

「わかった! もともとマズかったから売れなかったんだ!」

「違うわよ」

 適当にブンタをあしらいつつ、人波に紛れて進む。

 入国チェックの場所まで来ると、リンカは入国カードとパスポートを提示した。ミコトもそれに倣う。リンカとミコトはすんなり通ったのだが、後ろの悪党二人が係員に呼び止められた。

 なにやらパスポートを見て揉めているようだ。

「さ、あいつらが捕まっているうちにさっさと行きましょ」

 リンカがにやりと笑いながら男達を振り向いた。

 ミフネがリンカを睨んで叫ぶ。

「お前、まさか……」

 リンカがポケットから紙切れのようなものをチラリと出してすぐに仕舞った。

「あはは! パスポートのビザが貼ってあるページ、破ってやった」

 おそらく、機内でブンタと話していた時に、どさくさに紛れて二人のパスポートを探り、ビザのページを破っていたのだろう。よくわからないジョークで気を引いている隙に作業を実行していたのだ。ミコトも全然気付かなかった。

 トラブルを察知し、濃緑の制服にベレー帽を被った警備員と思われる男が近寄ってきた。褐色の肌に濃い髭がいかつい。しかも、腰に提げているのは銃だろうか。

「おい待て! いつのまに……! ブンタ、何か知ってるのか?」

「えっ、まったく心当たりがねえよ!」

 警備員に囲まれて押し問答している二人を置き去りにして、リンカとミコトは足早にその場を後にした。

「いやあ、他人が捕まっているのを見るのは気分爽快ね!」

「ひどい……いや、おかげで助かりましたけど。でもどうせならパスポートごと盗んでおけばよかったのでは」

「パスポートが無いのに手前で気付かれたら、あたしらごと足止めされるかもしれないじゃん。下手に警備員に助けを求めても色々と事情を聞かれて面倒だし。第三者があたしらとあいつ達を分断してくれるような状況がベストなわけよ。いやーうまくいったわ」

「パスポートって公文書ですよね……公用文書等毀棄罪になるんじゃないでしょうか」

「あたしみたいなか弱い女性が捕まって殺されるかもしれない瀬戸際だったのよ! 緊急避難で許されるんじゃないかな。そもそも悪党は自分たちに後ろ暗いところがあるから訴えたりしないでしょうし。やり放題よ」

「この人は敵に回さないほうがよさそうだ……」

 荷物を受け取り、国内線に乗り換えるためにいったん空港を出る。

 入り口にはタクシーの客引きと思われる人達が大勢いたが、リンカは全てそっけなくあしらっていた。タクシーといっても普通の乗用車とそう違わない車も混じっており、かなりうさんくさい。おそらくミコト一人で来ていれば口車に乗ってついていったかもしれない。

「ほら、離れないで。とりあえずインドの言葉を二つだけ教えておこうかな。『いりませんナイチャーイェ』と『あっちいけチャレイジョー』これだけ覚えておけばなんとかなるでしょ」

「はあ……言えるかな」

 しかしミコトが何も言わなくても、寄ってくる客引きをリンカが勝手に追い払ってくれるので楽だった。

 ほとんど休む暇もなく、国内線でブバネシュワルへと飛ぶ。

 所要時間は約二時間。

 悪党から解放された安心からか、ミコトは少し眠った。

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