第20話旅立ち





「……ねえ、ほんとにチェスター行っちゃうの?」



本来は一泊して帰る予定の領主一行が事件の後始末もあって更にもう一泊し、俺の復調にわざわざ合わせてくれたというのは感謝すべきだろう。

まだ完全に快復したわけではないが、体調はかなりマシになった。

だが、俺の傍に付き添っている間はなぜかずっと無言だったノエルとは結局碌な会話もないままに今日を迎えた。



その時になってようやく、ノエルが駆け寄ってぽつりと心を零す。

両手を体の前に持ってきてぎゅっと握りしめている。

普段の快活さは嘘のようになりを潜め、潤んだ瞳がただただ縋りつくように上目遣いで見つめている。

やっぱりやめにしないか。今にもそう言いだしそうなほど、ノエルは躊躇いがちにも口を開きかけ、閉じる。



俺の背後には街道と領主の一行がいて、ノエルの背後には村と俺の家族や村長を始めとする村人達がいる。


それが俺とノエルの関係を表す全てだった。



村人達は出世頭になるであろう、俺の栄達を祝ってくれている。そして、微笑ましいものを見る様子で、しかし同情をしながらノエルを見ていた。

実際、毎年数人、村を出る人間はいるのだ。それが少々時期外れで、幼いだけで、それを除けば特別珍しいものではない。

家族との別れは昨日済ませたし、村人とは顔見知りとはいえ、特別深い思い入れはないのだから、元気でな、といった類の言葉以外は特に話す事はなかった。



「俺が前から決めていた事で、決まった事だ。行くに決まってる」

「っ!」



だけどノエルのそんな縋りつくような視線も、否定してほしいという想いが多分に含まれた言葉も、それら全てを理解しながら切って捨てる。



「なんで……! なんでチェスターはいつもあたしをのけものにしたり、あたしを置いてどこかへ行っちゃうの!?」

「…………」



別にノエルだからと言うわけではない。

俺は誰が近づこうとそうしただろう。

それが、譲れない優先順位なのだ。

俺は未来を感じられないこの村になんかに長くいたくはないし、ここを出てやりたいことはいっぱいある。自分の人生を他人任せになんかしたくないし、自由を謳歌したいし、この世界を楽しみたい。

親からの束縛だってない方がいい。

肉体的には子供でも、精神的には大人なのだ。

自己の責任と義務を果たしさえすれば、ある程度の自由を求めるのは当然の権利だろう。


これは他の誰でもない俺の人生なのだ。


不便な事なんて数え切れないほどあるが、魔法を使える事は楽しい。

年に一度の祭りで食べた魔物の肉は、前世でさえ経験がないほど旨かった。

前世では当たり前だった事を、たとえそれが今の世では贅沢に分類される事だろうとそう過ごしていたい。

この世界の広さを体験してみたい。

それが何より大事で最も優先すべき事だと理解している。だと言うのに、簡単にはノエルを突き離せない。

心の抵抗が、まったくないわけではないのだ。



「チェスター、歩くの速すぎるよ。一緒にいたいのに、追いつけないよ……」



なんの価値もなければ、なんの強制力もない子供の戯言。

そう切り捨てられるはずの言葉が、だけど一切の打算のない純粋すぎるその言葉が俺の心を縛り、傷つける。


「もうちょっとでいいから、待ってよ……」

「…………待てるわけがないだろ」

「っ!」


だけどそれでも突き放す。時間は有限で、ただでさえ十五には成人と見做される。常に危険が隣り合わせのこの世界で、生き急がなければ何も出来ずに終わってしまう。そのちょっとを認めてしまえば、ズルズルと足を引かれる事になるだろう。

だから迷ってしまうことはあっても、決断だけは間違えない。……少なくとも、俺はそのつもりだ。



「ねえ、なんで……? あたし、頑張ったよ? チェスター、すごすぎて何も出来なかったけど、あたしも頑張ったよ! なのに、ねえ、なんであたしじゃ駄目なの? あたしじゃチェスターの力になれないの? 傍にいる資格が……ないの……?」



いつもいつも俺を振りまわして、でも必死に俺の後を追って、バカの一つ覚えみたいに俺の真似をしてくれていたのも気付いてる。子供ながらに追いつこうと必死になっていたのも知ってる。だけど、そもそもスタートラインが違うのだ。

強引に俺に合わせて、歪な成長を遂げるべきでもない。

それに、ノエルにはこの村が似合っている。

純朴で変化に乏しい、時間がゆっくり流れるこの村で、同じようにゆっくりと成長していくのが似合っていると。

心底、そんな風に思っていたのに――



「そもそもなんで村を出る俺にここまで構う。余計だといつも言ってるだろ」



「だって、チェスターいっつも独りじゃん!」



「…………は?」



その返答があの時と少しも変わらず、だけどそれがあまりにも予想外で見当外れとも言えるものだったから――


「チェスター、ほっといたらいっつも独りでどっか行っちゃう! そんなの駄目だよ!」


――余計な事まで思い出した。


別に独りだっていい。

特段それが苦痛に感じるわけでもないし、自分のやりたい事や考えに賛同してもらえるとも思っていない。そもそもその必要がないし何より、そっちの方が自由に動きやすかった。

だと言うのにこの目の前のバカは余計なお世話だと、邪魔なんだと何度言っても聞きやしない。


見当外れの同情でずかずかと人の心に土足で入り込んで、好き放題荒らし回った挙げ句に疲れたらその場で堂々と寝るような常識知らずのこのバカのせいで――



「俺は行くよ……。立ち止まる気はない」

「ッ、もう知らない! チェスターのばか! わからずや! どんかん! おたんこな――」

「だけど――」


色々と言い返したいことはある。が、それを抑え、勢い任せな罵詈雑言を遮った。



「――だけど、まああれだ。しばらく街にいるだろうし、ともかく金にそれほど余裕はないけど時間ならとれるだろう。だから、割と距離も近いし、気が向いたら戻ってくる事もあるかもしれない」

「…………え?」



俺の言葉に、ノエルは目を見開いて放心する。

結局、なんだかんだ言って傍にいるのが当たり前になってしまったのも否定できないのだ。



自分の野望を諦めたわけでも、恋心なんて綺麗なものでもない。だけどまあ、こんな自分を大切に思ってくれるこのおせっかいで少々お頭(つむ)の弱い間の抜けた少女の事が、そのほとんどが有難迷惑だったとしても悪くは思えない。

歳の離れた、手のかかる妹くらいには、悪く思えないのだ。

だからたまにという程度であれば、可能な範囲でなら、そのくらいの望みなら叶えてあげたいとも思っている。



「あくまで、気が向いたらだぞ。それと……ずっと街にいる保証なんてないんだ。だからもし……まあなんだ、もしお前の方に余裕が出来れば……確実性がほしいならお前から来い」

「あ……うん! ぜったい! ぜったいだよ!! ぜったいに約束だから!!」



ああ、やっぱりノエルに泣き顔なんて似合わないな。

ノエルの代名詞とも言える太陽のように温かく、花が咲いたような満面の笑みは、余計な考えなんて抱くのがバカらしく思えてくる純粋なそれ。知らず絆された自分自身を理解していながら、しかし苦笑しつつも素直に受け入れてしまっているのだから本当にどうしようもない。 



「まあ尤も、知らないらしいから関係なかったかな?」

「っ、もう、なんでそんな事ばっか言うの。チェスターのばか!」

「バカって言った方がバカって言葉を知らないのか? つーか、バカにバカって言われたくねえよ」



などと、先程の空気を完全に払拭するように憎まれ口を叩く。

ふくれっ面のノエルだがしかし、目はいつものように笑い、先程の涙は完全に止まっていた。


「そんなこと言うチェスターの方がばかだよ!」


バカバカ言ってるだけなのに、ノエルの顔からは自然と笑い声が零れる。

それに釣られるように俺も小さく笑いそうになり、しかしその直後に表情が凍りついた。


「やっぱりそうか。周囲から鈍感鈍感言われてるが、やっぱ俺は鈍感じゃなかったな!」


突然、我が意を得たりとばかりに頷き始めたパウルにチェスターは嫌な予感を覚えた。



「そんなにコイツと一緒にいたいなら俺達と一緒にくればいいじゃん」

「……………………は?」

「……………………え?」



その時、珍しくノエルと完全に同じ反応、同じ思考をするほどに間の抜けた反応を見せてしまった。

ただし、その言葉に抱いた感情は真逆。即ち――



「いや、実はそのノエルに頼みこまれてな。最初はライン達が反対したんだ。けど俺からオヤジに確認したんだが、別にじゅーしゃは二人くらいいても問題ねーらしい。最後にはあまりのしつこさに、ライン達も渋々オヤジに選択を任せるとかで諦めてたし。で、諦めきれないようにノエルもお前と一緒に来たそうにしてたからな。もしそうなら、一緒に来てもいいって、オヤジも言ってたんだ。実際、俺達はノエルに助けられたんだしな!」

「ほんと!?」

「嘘だろおい……」



歓喜と絶望。

正反対の感情を隠すことなく表した。

ずっと俺の看病をしそうなノエルが俺の傍からいなくなっていたのは、退屈からじゃなかった?



「嘘って言うなら今の内だぞ? これ以上時間が経つと取り返しがつかないぞ?」

そうだ、今なら笑って許してやる。だから嘘と言え。

「ははは……」



ほら、今なら笑うための準備も出来てる。

口から零れたのは渇いた笑いで、本来なら欠片も笑えないブラックジョークの類ではあるが、ちゃんと笑える準備は出来てるんだ。

と言うかなんでこんなにコイツ空気読めないんだ。



「どうだ、驚いただろ?」



……ああ、バカだからか。バカだから空気さえ読めないのか。

ニカッと笑う快活な笑みは、いたずらが成功した子供のそれ。

驚いた、ああ、驚いたさ。知っていれば絶対に反対したのに。

悪気はない。そう表情で語る程に無邪気なそれだが、到底許せるものではない。

なんかこう、ノエルとは別種のバカのお付きになるとはいえ、ようやく今のバカから解放され、晴れて自由の身とか思ってたのに、コイツついてきたら色々台無しじゃん。つーか邪魔だよおい。残っても行ってもバカ一人いる事決定してたのに二人とか絶対俺の手に負えないし。

先程ノエルに多少甘くしたのは、あくまで里帰りする時くらいならいいかという年に一度あるかないかの温情みたいなものだ。

たしかに可愛らしいのは認めよう。

いつだって何事にも全力にまっすぐ向き合うノエルは、あどけなさや純真さが顔に出ている。

今くらいは、いじらしいのも認めよう。

今にも姉が飛び出して抱きしめたそうにしているのも、まあ分からないでもない。

だが、それは今だけ。

毎日一緒にいるとなると事情が変わる。



「よ、よーし、いい加減、そろそろタネ明かししようか? ノエルなんか期待しすぎちゃってるから、これ以上上げて落とされるとショックデカイぞ~?」



見ろよ、あの大ごちそうを前にしたかのようなノエルの満面の笑みを。

冗談だと言ってくれ。俺のライフがそろそろヤバいから。自分への言い訳もこれ以上思いつかないから。



「バランス的にも最低もう一人は前衛がほしいんだ。何よりお前の姉貴だって言ってたし、歓迎するぞ」

「俺は歓迎しないぞ! つーか誰が姉だ、誰が」


妹どころか娘くらいに離れてるのに、なんでこんな馬鹿が姉になるんだ。


「お、なんだ。それがお前の言ってたツンデレってやつか?」

「違うわバカ!」

「つん、でれ……?」



なんでこいつはこんな余計な事ばかり覚えてるんだ。しかも覚えてた俺凄いみたいなドヤ顔がムカつく。領主の息子で俺の主で今ここに領主がいなけりゃ殴り倒してた所だ。

確かにアニマルセラピーとかあるけど! コイツの能天気具合は稀に愛玩動物のように可愛がりたくなる時もあるけど!

でも違うんだよ。基本的に毎日振りまわされてしまうから、それ以上にストレスが凄いから、コイツと一緒なんて御免被る。



「バカって言うなバカ!」

「ねえ、つんでれってなに? つんでれってなに!」

「うっせーバカ! ノエルももう黙ってろ!」



ノエルは興味を引かれたのか、繰り返し問いながらせがむ。

どこぞのバカはバカ扱いされた事がお気に召さないらしい。

こうなってしまえば、これからは騒がしくてうるさくて煩わしくて、予測不可能な本当に面倒な毎日が続くのだと断言出来る。けど、前世と違い平穏なだけの日常との差は、退屈しないという一点においてはそれも悪くはないのだと思えてしまうのだから我ながら現金なものだ。

もう自分の力ではどうしようもない事は分かり切っていて、こうなればなるようになれと自棄になって思考を放棄した。

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