第10話おねーちゃん




今日もいつも通り、我ながら悲しい事に、村の外れにある訓練場所が事実上の待ち合わせ場所にもなった大きな木の下でノエルを待ち受けていると、さほど待つこともなくノエルが駆け寄ってくるのが見えた。


ただ、今日はその後ろにもう一人いた。


いつにもましてご機嫌そうなノエルに早く早くと急かされるように手を引っ張られながら、困ったような微笑を浮かべた、明らかに村の子供たちの中では年長者組の、十代半ばといった風貌の少女だ。

ここまでその声は距離があって届かないが、そんな声が聞こえてきそうなほどにノエルは全身でそう表現している。



「チェスター、見て見て! あたしのおねーちゃん!」



そしてここまでたどり着いた二人のうち、ノエルはどうだとばかりに自慢げに胸を逸らし、ふんすと鼻息も荒くふんぞり返る。

それとは対照的にのほほんとした表情でほんわかと挨拶したのが当の姉。



「君がノエルちゃんのお気に入りのチェスター君ね? 初めまして、私はこの子の姉のエイミーよ。いつもノエルちゃんがお世話になってるわね」



俺みたいなガキにまでわざわざしゃがみこんで目線を合わせるような気遣いを見せる辺り、ノエルと違って礼儀正しい。

ノエルと同じ色のくすんだ金髪を伸ばし、そこからノエルと同じような犬耳が覗いているが、中身はまるで正反対だ。その辺のマナーや礼儀、常識等の一割だけでもコイツに引き継げなかったのだろうか。



「ちがうの! あたしがチェスターのめんどー見てるの!」

「あらあら、そう言えばそうだったわね。お転婆な子だけど、チェスター君の事気に入ってるみたいだし、可愛い子だからよろしくしてあげてね」

「はあ……」



お転婆が過ぎるだろう。正直よろしくしたくはないのだが、現状そうなっているのだから仕方がない。

それで、一体何の用で来たのかとそれとなく探る。

ただの自己紹介のために来たと言うのであれば、今すぐにでも帰るだろう。また、ノエルに付き合って遊ぶなら、今すぐに何らかの提案、或いは俺のアクション待ちになるはずだ。

だけどエイミーはどこか探るような視線で俺を見ていた。


「それよりチェスター君、昨日は何食べたか知らないけどダメだよもう。この子、昨日はいつもより晩御飯食べる量が少なかったんだから」

「…………」


どうりで探られるわけだ。

その一言で心当たりは充分過ぎるほどにあったから、キッとノエルを睨みつける。


「ちがうの! あたし何も言ってない! ただ、いつもより食べれなかっただけで……」


しゅんと項垂れるが、何も言わなくても行動に出てしまえばそれは言ったも同然だ。こうなる事を危惧して止めたというのに、コイツの食い意地には困ったものだ。

どうせなら最後まで意地を張ってもらわないと困る。


「いつもは4杯もお代わりしてたスープが3杯しかお代わりしなかったんだから、さすがに分かるわよ」

「……え?」


その言葉で、俺は思わず四つん這いになってしまうほどに崩れ落ち、ノエルなんかとは比にならない程に絶望に打ちひしがれた。

格差社会がここにあった。

いや、確かに村長の家と一農民の家を比べれば村長の側に軍配が上がるのは当然だが、それにしたって普段からスープ5杯は羨ましい。

こちとら水とそう変わらない塩のスープ一杯だけなのだ。

お代わり? そんなものあるわけがない。それどころか年功序列で、俺のスープが一番少ない。

と言うかどこにそんな腹があるのかと思うほど小さい体だというのに、5杯も食べているのか。

なら、尚更昨日の魚を返せと言いたい。……いや言わないけど。



「そう言えば、チェスター君がノエルちゃんの弟なら私にとっても弟になるのよね? うふふ、私も弟がほしかったのよねえ~」

「俺はこいつの弟だと認めた覚えはないです」

「ダメなの! チェスターはあたしだけのおとーとなんだから、おねーちゃんはちがうの!」

「よし、とりあえずお前は俺の話を聞こうか?」

「あらあら、でも私の妹のノエルちゃんの弟なんだから、私にとっても弟じゃないとおかしいわよね? それとも、ノエルちゃんは私と姉妹の縁を切るってことかしら。お姉ちゃん悲しいわ」

「ちがうの! おねーちゃんはおねーちゃんだけど、チェスターはチェスターなの! チェスターはあたしだけのおとーとなの!」

「いや、あの、二人とも俺の話きいてくれません?」



と言うかなんだその謎理論。

これで言いたい事は分かってしまう辺り、本当に謎過ぎる。いや、そもそも弟じゃないし。


「お姉ちゃんだけ仲間はずれは悲しいわ。ほら、皆仲良く姉弟でいいじゃない」

「ダメなの! ……もうおねーちゃんなんて知らない! ばか!」


そう叫んで、ノエルはこの場から駆け足で去っていく。

……なんか気まずい。

いや、あのノエルを撃退したという点においては尊敬の念を抱くが、姉妹喧嘩を目の前で見せられればどう対応していいか分からない。どっちのフォローに入るべきか、一瞬とはいえ悩んだ。だと言うのに――



「やーんもう、ねえ聞いた? 知らないだってばかだって! あんなに頬を膨れさせちゃって、つついてあげちゃいたかった。あ、ねえ今の見た? ちらちらとこっち見て私たちを気にしちゃってるわ! もう、なんであんなにノエルちゃんって可愛いのかしら!!」

「…………」



身をよじり、頬を染めて悶えている姿が、当初ののほほんとした雰囲気を霧散させる。

珍しく人が本気で心配していたと言うのに、俺のシリアスを返せ。


「……追わなくていいんですか?」


そんなに大切なら監禁拘束でもしてろ。

つーかこっちこさせんな。あっちいけシッシッ。


「大丈夫よ。だって、チェスター君がここにいたら、あの子絶対に戻ってくるもの」


ナニソレイヤダ。

え、なに? 俺ってノエルほいほい機能なんて常備してんの? 今すぐにそんな邪魔な機能は取り外し希望なんだが。あ、呪いのアイテムとかそんなたぐいですか? でしたら今日から欠片も信じていなかった存在に対し、敬虔な信徒になる事も吝かではございません。だからさっさと解呪してポイしたい。


「でも、ノエルはエイミーさんの事待ってるんじゃ……」


立ち回り次第でこの人はノエルを引きつけてくれる可能性もある。とういうより是非そうしてほしい。

と言うわけで、俺ではなくアイツの所へ行ってはどうかとそれとなく提案するのは、せめてもの悪あがきだ。


「ええ、きっとそうでしょうね。でも私、チェスター君ともお話したかったの」

「俺と……ですか?」


だから、そう言われて内心で首をかしげた。

この人から興味を持たれるような理由が思い当たらない。

せいぜいが妹の遊び相手が気になるといった程度のはず。そして、それは先の挨拶で解決した。

少々不審に思われても、それほど気にされるような事はしていないと思うのだが。



「だってノエルちゃん、家じゃいつもチェスター君の事ばっかり話すのよ? 今日はチェスター君とアレしたコレしたって。それもまたかわいいんだけど、お姉ちゃんちょっと嫉妬しちゃったから、どんな子か気になって今日は来てみたの。そしたらほら、チェスター君も可愛いし、チェスター君を弄ればあの子ももっと可愛い表情してくれるから、それはそれでもっと堪らないし!」

「そうですか……」



イキイキとした表情でとんでもない事を語るがこの人、間違いなく気に入ったものは構い過ぎて壊すタイプだ。

それも壊れるまで自覚しないんじゃないのか……。

今初めてノエルに同情しかけたが、しかしそれを差し引いても恵まれた生活をしているので、やはり同情はすまい。

きっとこいつの家は、幼虫など食べなくても良い程度には裕福なのだろうから。


「でもそれってどの道、アイツが近くにいないとダメなんじゃ……」

「でもほら、今もあの木の陰からちらちらとこっち見てるし」

「あのバカは……」


それこそ、この姉の思う壺だろうに。

いっそ全力で遠くへ行ってくれれば、エイミーも後を追ってくれる可能性が高いだけに色々と楽出来たのだが。


「だ~か~らっ!」

「うおっ!?」


突如ノエルなんかとは物が違う、充分に実った両胸に顔を挟まれながら強く抱きしめられる。


「なっ、い、いきなり何を!?」

「あ~んもうたまんない! チェスター君、思った以上にかわいいし何よりほら、ノエルちゃんの顔ほんとにかわいい!」


くぐもった声は形にならない。

強引に引き剥がそうにも力の差は歴然としており、当の本人は既に自分の行動を忘れているかのようにノエルに熱中しているから無駄な抵抗だった。


「チェスター! うわきしたらダメっ!」


生憎、そのかわいい顔とやらは見れないが、少なくとも怒っているのは分かる。

いや、まあ姉が構ってくれなくて怒っているのはともかく、浮気ってなんだ浮気って。

大方、覚えたての言葉を碌に意味も理解していないまま使っているのだろうが、誤解を招く事になるのだから勘弁願いたいものだ。

というかこっち来んな。だからお前、簡単に掌の上で動かされるんだ。


「それじゃあノエルちゃんもこうだ!」


などとご機嫌そうにエイミーは駆け寄ったノエルも同じように抱きすくめ、俺の隣で拘束する。


「ダメなの! おねーちゃんはなして!」

「ノエルちゃんこそダメよ。だってこれはおねーちゃんを哀しませたおしおきなんだもの」


の割には哀しんだ素振りは一切見えませんでしたけどね。

むしろ嬉しそうでしたけどね!



などという抗議は口にする事も出来ず、ただただ一方的にエイミーの横暴を許すだけとなった。

いや、別にそれなりに外面はかわいい人の胸に初めて、それもしっかりと感触を感じられるほどに触れたからといって、俺の意思が揺らいだわけではない。

うん、別にそんな事はない。

むしろアイツのせいで面倒な人に目をつけられたと、迷惑に思っているくらいだ。

ただいくら相手が女性とはいえ、三歳児の体では抗えなかったから仕方なく甘んじたにすぎない。そう、くどいようだが誤解を招かないよう入念に言わせてもらうがただそれだけで、決して他意はない事だけは言っておこう。


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