第50話

 ぼうっと海を見ていたロキは、近づいてくる気配に顔を上げた。


「うおぉぉぉぉぉっ! ロキィ!」

「………………」

「って、お前無視するなよ!!」


 茂みから勢いよく出てきた大男。それは間違いなく見慣れた彼、トールだった。赤いひげに赤い髪、服装はミッドガルド用の物だが、身長は変えていないらしい。目だっただろうに。


「トール、頭に葉っぱついてるよ」

「おわっ、ったく、ヘイムダルのせいだ!」

「はぁ?」


 何がだ、と言う前に、どうしてここで彼の名前が出てくるのか、とも思う。


「あいつ、『このまま真っ直ぐだ』って言うから真っ直ぐ来たんだぜ。なのに途中に壁はあるし崖はあるし、それよけるために回ったら迷っちまってよぉ」

「いや、それは間違いなく君が悪いよ」


 相変わらずの単細胞馬鹿だ。説明しても分からない。地図を渡しても分からない。だからヘイムダルは的確に表現したのだろうが、どうやらそれでもダメだったらしい。


「で? お前はこんなとこにガキの姿で何してんだ? 観光するんじゃねぇのかよ」

「ん~……待ち合わせ」

「これからか?」

「ん~ん、夕方までにだったんだけどね」


 そう言うと、トールは空を見上げて驚いたように目を見開いた。


「って、もう夜だぞ」

「うん」

「ははぁ~ん、振られたか? 珍しいな、天下のたらし男ロキ様が……熱っ!」

「一言よけい」


 嬉々としてからかおうとしたトールのひげに、魔法一発。火をつけてやる。それを慌てて叩き消しながら、彼はまだ何か言いたそうにこちらを見てきた。


「別に確かな約束してたわけじゃないし、ただ情報収集のためだったからね。別に良いんだけど」


 言って、ロキはもう一度指を鳴らす。

 すぐに子供の姿から元の大人の姿へと戻った。


「のわりには、ずいぶん待ってたんだな」

「…………夕暮れ前から君の気配も感じてたしね。動かない方が良いかなって」

「何だそうか! そりゃ悪かったな!!」


 一応嘘ではないことを告げておく。ただ、トールは気づいていない。気配を感じていたのなら、ロキの方からトールのところへ出向く方が早かったということに。

 別にこんな時間に彼女が来ると思っていたわけではない。ただ、なぜか足がここから動かなかっただけで。


「さて、んじゃ行きますか?」

「良いのかよ」

「良いの良いの、別に僕、女の子に困ってないしね」

「はは! よく言うぜ!!」


 二人して連れ立って、小さな遺跡の側を離れていく。


「んで、どこ行こうか?」

「ここから離れようぜ。俺、長居するとハデスに殺されるかも……」

「何したのさ、君」

「いやははははっ、な、ドイツ行こうぜ、ドイツ! 麦酒がうまいんだろう!?」

「はいはい、まったく相変わらず君は……」


 そんな、自分がいつも経験しているのと同じ会話、同じ雰囲気。

 嫌なわけじゃない。楽しいと思う。ただ、昨日感じたものと比べると、やはり何かが足りないと思ってしまう。

 ロキは茂みに入る手前で、もう一度海の方を振り返った。


 もう既に闇色に塗りつぶされた海。

 会うことは二度とないだろう。ほんのちょっとした偶然がもたらした出会いだ。彼女は人間、自分は神。二度目に会う確率など低すぎる。

 もしそんなことがあったのなら――


「運命とか奇跡、っていうやつ?」

「あ? 何か言ったか?」

「いや、何でもないよ」


 二度と会うことはない。そんなことはきっと起こらない。


(あいにく、運命も奇跡も信じてないんでね)


 そう思いながら。なぜか心にある小さな痛みを振り切り、ロキはトールの後について茂みへと入っていった。

 少女がいるであろう、この国から去るために。



 そして、時は過ぎ――

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