第24話

「ヘイムダル!」


 二人の状況を見るや否や、ロキとヘイムダルは一瞬で元の姿に戻り駆け出した。同時にヘイムダルは腰の剣を抜き、二人を囲んでいる靄に向かって一閃する。


『ギィッ!?』


 剣戟に当たった靄は一瞬で消滅した。だがそれ以外が神の存在を認知し、散り散りに逃れようと宙に舞い上がる。逃がすわけがない。

 ロキは指を鳴らし、いつもよりも遥かに大きい熱量の炎で全てを消滅させる。しかし足は止めない。倒れこむ双子が地面と接触する前に、何とか受け止めた。


「セルリア!」

「セロシア!」


 お互い従者の名を呼ぶが反応はない。体が冷たくなり、死ぬ直前のように身体機能が低下している。闇に染まった死霊に、死のイメージを体験させられたのだ。


(しかも、おそらく自分達の死の体験をもう一度味合わされたんだっ)


 ロキは舌打ちした。

 セルリア達は一度死を体験している。他者の死を見せられるよりも、衝撃も影響も強い。

 ロキはセルリアを抱え直すと、その額に『ウィン』というルーン文字を描いた。


 ルーン文字とはかつて北欧の民族が使っていたものだ。そして、オーディンが編み出した神秘の文字でもある。

 その一つ一つに意味と魔力があり、北欧の神々はこの文字を使ったルーン魔法を使う。

 ロキは別形態の魔法も使えるので普段は使用しないが、北欧神界に体を慣らしつつあるセルリアには、こちらの方がいいと思った。


 『ウィン』の意味は『喜び』。死と絶望を味わって意識が戻らないと言うなら、まったく逆のそれを与えてやればいい。

 ちらりと横に目をやれば、ヘイムダルもセロシアに同じことをしていた。

 しばらくして、小さくセルリアの体が動く。


「セルリア?」


 答えはない。だが、冷たかった体が徐々に体温を取り戻し、呼吸が安定した。

 ホッと息を吐いたその時、後ろに知った気配が生まれる。


「さすが、お見事。対処が早い。やはりすごいな。お前達の力は」


 パチパチパチとわざとらしい拍手の音。その音に顔を向けたヘイムダルが目を見開いた。


「ハデス神……?」

「お前とはずいぶん久しぶりになるのかな? ヘイムダル。相変わらず黒一色か」


 ロキは突然の闖入者に正面から目を向けた。

 子供の姿をした、けれど子供には有り得ないぐらい、冷たい顔をした男。


「どういうつもりなんだい? ハデス」

「何がだ?」

「とぼけないでよ。死霊を集めたのは君だね」


 気配は感じていた。ヘイムダルは気づかなくても、彼の気配などロキにはすぐに分かった。いつものとおり傍観して楽しんでいるのだろう、と思っていたのだが。


「何を言ってる? 今の時間、この国では霊や異形の者が騒ぎやすいんだろう? 傍にいたからといって俺を疑うな」


 確かに、彼らが出没しやすい時間というものはある。だが、それが双子の周りにだけ、しかも、突然襲いかかるようなことなど起こるわけがない。

 この、冥界の王の命令がなければ。


「ハデス、貴様……っ」


 珍しく怒りを顕にしたヘイムダルが、剣に手をかけようとした。だがロキはそれを阻む。


「ヘイムダル。君は先に帰ってくれ」

「しかしっ」

「大丈夫だ。僕もセルリアを連れてすぐに帰る」


 安静にさせなきゃいけないから寄り道はしないよ、と笑えば、どこか納得していない表情を見せるものの、彼はセロシアを抱えその場から消えた。彼女の体を優先させたのだ。


 ヘイムダルが消えるのを認めて、ロキはあらためてハデスに向き直る。

 冥界の王という立場にいるからか、それとも性格か。相変わらず喰った笑みを浮かべているハデス。自分もよくそういった表情をするのに、今はその笑みが癪に障った。


「酷いんじゃないかい? 友の従者を驚かすにもほどがある」

「ふぅ~ん。前情報どおり、大切にしてるんだな。珍しいじゃないか。まあ、それはヘイムダルにも言えることだろうけど」


 こちらを見透かしたように笑い。腕の中のセルリアを面白そうに見る。久々に、頭の中が熱くなるのを感じた。

 ハデスのことは嫌いではない。むしろ気が合うことの方が多い。だからこそ『友』と呼ぶ。しかし今日ばかりは――


「いい加減にしろよ……」


 周りを震え上がらせるような殺気。地の底からするような低い声。普段のロキからは想像もできない様なその態度と口調。

 だが、冷たい眼光を受けてもハデスはニイッと笑った。


「何が可笑しい。お前が何をしたいかなんて知らないけどな、セルリアを巻き込むな。一歩間違えれば、魂まで壊れてたんだぞ!」

「これが可笑しくなくて、何だって言うんだ! お前が気にいってるというだけでも異例なのに、その娘一人で昔なつかしい口調まで出てくる始末。笑わずにいられるか?」

「ハデス!」


 激昂するロキを気にも留めず、ハデスはただ笑い続ける。お腹を押さえ、終いには涙まで流れ始めた。


「はははっ、俺はねロキ。お前と一緒で退屈なのは嫌いなんだ。逆に楽しければ何でもいい。お前の葛藤は俺を楽しませてくれる一つ。底に抱えている闇に囚われ世界を壊すか。それとも、昔出会って見つけた、優しい空気に包まれて生きるのか……てね」

「! どうして……っ」


 ハデスの台詞にロキは目を見開いた。自分しか知らない、いや、覚えていないはずのことを、なぜ彼が知っているのか。


「死者は世界中にいる。その全てが俺の情報源さ。特に、地元ギリシャのことはね」


 ロキは口をつぐみセルリアを見下ろした。

 まだ顔色が悪い。目尻に溜まった涙はあの時と同じだ。彼女にとっては記憶も朧げな昔。自分にとっては、まだ最近の出来事。


「ギリシャのエーゲ海が見える遺跡の傍。気まぐれで降りて来たお前が、偶然出会って知った優しい時間。傷だらけの少女の温もり。再び見つけた時は驚いたろう? 何せまだ神界に来るには早いその少女がいたんだから」


 ずっと同じ笑みのままこちらを見るハデスを、ロキはもう一度睨みつけた。セルリアを抱く腕にも力を込める。


「セルリアには手を出すな」


 その言葉に、彼は呆れたように息を吐いた。


「そう言われてもな。俺は楽しむためなら色々するよ。お前の動きを見るには、その娘を弄るのが一番効果的みたいだしな」

「ハデス!」

「安心しろ。そう簡単に殺したりしない。そんなことしたら楽しみがなくなる」


 ハデスはふわっと宙に浮くと、ロキとセルリアを面白そうに見下ろした。


「その娘もお前ほどとは言わないが、闇を抱えてる。そいつにお前の闇を何とかできる可能性があるなら、お前はどうだ? 一方的に与えてもらって終わりか? まあ、お前は傲慢だしな」


 言い捨てて、彼はふっと空気に溶けるように消えた。

 紅い夕陽色はすでになりを潜め、暗い闇のカーテンが空を覆い始める。

 ロキはセルリアを自身のマントで包み、その目尻にある涙を拭った。



『酷い顔してるね』

『あなたの方が、泣きそうだよ……』



 耳の奥に、子供特有の可愛らしい声が聞こえる。

 ロキはセルリアを強く抱きかかえて、その耳元に小さく囁いた。


「……ごめん」


 自分が見つけなければ、指名しなければ、傍に置かなければ、こんなことは起こらなかったかもしれない。ハデスにも、目をつけられずにすんだはずだ。

 けれどあの時、たまたま気まぐれで従者養成学校を訪れた時、同じ顔を、同じ優しい空気を見つけてしまった。


 そして、試してみたくなった。昔、一瞬とはいえ自分の闇が消えた感覚。彼女といれば、もう一度それを得られるのかどうか。


「ごめん……」


 再び囁かれたその声は、小さくて、掠れていた。破天荒で、常に人をからかうロキからは想像もできない声。

 それはまるで、子供が不安にさいなまれているかのようだった。

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