第13話

 セロシアと一緒にヴァラスキャルヴを訪れたヘイムダルは、着いて早々集まっていた神々に呆れ果てた。


 今日の目的は『新人の歓迎会』だと回覧板にはあった。だと言うのに、主役のセロシアが着く前にすでに宴も酣という有様だ。

 北欧の神々は宴会好きで、集会とかこつけた飲み会も多々開かれている。だが、まさか歓迎会が来る前から宴会に変わっているとは思わなかった。


「うわぁ、賑やか!」


 隣にやって来たセロシアは、そんな状態の会場を気にも留めずキラキラと目を輝かせている。確かに、いつもは麦酒でしめられたテーブルの上が、色とりどりのフルーツや、繊細に皿に盛られた食事で飾ってあるので華やかだ。

 真白のテーブルクロスと、ヴァラスキャルヴの庭園を彩る花々。きっと女神達がこの日のために準備したのだろう。


「あ、何か注目を集めてますね。新人の顔って、皆さんに回ってたりするんですか?」

「お前の右隣にいるそれのせいだ」


 入り口についた途端、神々やその従者の目がこちらを向いた。一見、新しい仲間が珍しい、と取れなくもないが、その目線は微妙にセロシアからずれている。


「あたしの右隣って……騎獣しかいません」

「だから、それがおかしいんだ」


 ヘイムダルがセロシア越しにちらりと目を向けると、ピンク色の騎獣はさっと顔を逸らした。そう、ピンク色のパンサー型騎獣だ。

 最初はオーソドックスな黄色だった。間違いなくその色だった。ヘイムダル自身が選んだのだから間違えようがない。しかし彼は今やピンク色。しかも淡いピンクではなく蛍光ピンクだ。模様もしっかり色分けされている。


「何がおかしいんですか! パンサーと言えばピンクです。ね、ミッドナイトホーン!」

「ミッドナイトホーン……」


 どこに『夜中』のイメージがあって、どこに『角』がついているのだろうか。


「かっこいい名前でしょう?」


 ヘイムダルは、特別磨かれた審美眼やセンスを持っているわけではない。それでも、蛍光ピンクに塗り替えられたパンサーや、その奇天烈な名前を『かっこいい』と言われて『そうだな』と返す気にはなれなかった。


 大方の者は同じ意見なのだろう。目はこちらに向いているが誰も口を開かない。こういった状況で物事をハッキリ言う者など、ヘイムダルは一人しか知らなかった。


「あはははは! すっご、ピンクだピンク! しかも名前がミッドナイトホーン。ぶふっ、ナイスセンス、最っ高!」

「だ、誰?」


 突然、騎獣を指差しながら、腹を抱えて笑い転げる男が現れた。金髪に青い目の美形だが、その顔と笑い方のギャップが激しい。

 ヘイムダルはこの男を嫌になるほど知っている。ロキだ。


「ロ、ロキ様。笑ったら悪いですよ!」


 さらに後ろから少女が出てきて、触らないものの、ロキを大人しくさせようとしている。目は騎獣から逸れているけれど。

 彼女を見た瞬間、セロシアの顔が輝いた。


「セルリア!」

「わっ!」


 セロシアが助走をつけて飛びついた。受け止め損ねたセルリアは倒れこんでしまうが、セロシアはおかまいなしに彼女に擦り寄る。


「うわぁん、セルリア会いたかったよぉ。一週間ぶりの生セルリアだ~」

「う、うん、うん。久しぶりだね、セロシア。とっても元気そうで良かった」


 打ちつけた部分が痛いだろうに、セルリアは気丈にも妹を宥める方を優先していた。

 その間も彼の男は笑い続けている。


「いい加減、馬鹿笑いを止めたらどうだ」

「だってピンク。しかも蛍光色。模様もちゃんと色分けされて、名前があれって……ぶっ、ふふっ」


 ツボに嵌ってしまったのか、ロキの発作は治まりそうになかった。双子はというと、セロシアが謝りながら立ち上がっている。


「ご、ごめんねセルリア。突進しちゃって」

「いいよ。私も会えて嬉しかったから」

「あー、もうだからセルリア大好き!」


 そう言って再び抱きつく。苦笑するセルリアは妹の頭をなでつつ、こちらを向いた。


「お久しぶりです、ヘイムダル様。妹がお世話になっています」


 セロシアをへばりつけた格好で彼女はお辞儀をする。ヘイムダルが真正面からセルリアを見ていると、彼女はにっこりと笑った。


「大丈夫です。怪我はありませんよ」

「……そうか」


 その簡単なやり取りに、なぜか引っ付いてセロシアが顔を上げ、隣にいたロキの発作が治まった。


「ちょっとセルリア。君、何でヘイムダルの言いたいことが分かったの?」

「そ、そうよ。ヘイムダル様、怪我のことなんて一言も言ってないじゃない」

「え? だって顔を見たら気にしてらっしゃったようだから。違いました?」

「……あっている」


 気負いなく言われたことに、セロシア達は絶句していた。


「そういえばセルリアって、昔から赤ん坊の考えてることよく分かってたもんね」

「つまり、ヘイムダルが赤ん坊と同じ精神年齢ってことだね」


 楽しそうに言うロキを睨みつけるが、効果がないことは知っている。これぐらいでこの男が大人しくなれば誰も苦労はしていない。

 と、改めてロキに気づいたセロシアが首を傾げた。


「えっと、貴方は?」

「ああ、そう言えば自己紹介がまだだったね。僕はロキ。君のお姉さん、セルリアの主だ。よろしくね、セロシア」


 傍目には綺麗な笑みを浮かべて手を差し出したロキ。しかし、セロシアは微かに眉をひそめた。背後にセルリアを庇うようにしながら、出された手を握り返す。


「よろしく……お願いします」


 彼女の表情に、ヘイムダルは目をすがめた。

 この一週間でセロシアから受けた印象は、明朗快活。積極的で気さく。多少うるさいところはあるが、好印象を受ける性格だ。

 しかし、今一瞬見せた表情、そして手を握る動作は真逆のイメージを抱かせる。

 ロキも何か感じたのだろう。青い目の奥に探るような光が灯った。


「セルリアちゃん、セロシアちゃん。こっちにいらっしゃいな。ケーキがあるのよ!」


 こちらが口を開くより早く、フッラが人混みの中から声をかけてきた。ロキの手を放し、振り向いたその瞬間に、セロシアの顔は笑顔に戻っている。


「は~い! セルリア、行こ!」

「え? あ……」

「行っておいで、セルリア」


 セロシアに手を引かれ戸惑ったセルリアに、ロキが笑って送り出す。彼の顔にも、ヘイムダルは少し驚いた。ロキの持つ笑顔の中でも、めったに見ない部類だ。

 小走りで巨大なケーキに向かう双子。その背を見送ったロキが、興味深そうに呟く。


「ずいぶんと、対照的な双子だよね」

「……そうだな」

「何か聞きたそうだね」


 双子を見たままロキは話す。ヘイムダルも彼に視線を向けることはない。


「なぜ、セルリアを選んだ?」

「君はなぜセロシアなんだい?」


 問いを問いで返されて、ヘイムダルは息をついた。


「俺に選択の余地はなかったはずだが?」


 一年前を思い出す。ロキに引っ張られて、従者養成学校を見学しに行った日のことだ。

 その時、すでにロキはセルリアを指差して『あの子を従者にする』とキッパリ言ったのだ。しかも一年で従者にしろ、とフッラに無茶を頼んでいた。


「お前の選んだセルリアの隣にセロシアがいた。だから……」

「たまたま生身の従者がいなくて、たまたま大勢いる中でセロシアを選んだ? そして、たまたま僕が指名した人間に近かった?」

「…………あえて言うなら、目に力があった。それだけだ」


 あの候補生の中で、セロシアは一番強い意志を瞳に持っていると思った。それが気になったから、ヘイムダルは彼女を選んだのだ。その意志が何かは、まだ分かっていないけれど。

 ならばロキは、一体何に惹かれてセルリアを選んだのか。今まで従者を邪魔者としてしか考えていなかった彼が。なぜあの気の弱そうな少女を選んだのだろう。


「気まぐれ、か?」

「それも正解。あとちょっとしたなつかしさ」


 要領を得ない言葉に、ヘイムダルは眉を寄せた。その顔を見てロキは苦笑する。


「そんな顔だと、なついてもらえないよ」

「お前は避けられているように見えたが?」

「仕方ないよ。彼女は男性恐怖症だからね」

「…………」


 話が別の方向にはぐらかされ始めている。

 ヘイムダルの怒気に気づいたのか、ロキはお手上げのポーズをとった。そのまま、まるで自嘲するかのように笑う。


「君には何回か言ったことがあるよね。『僕は退屈が嫌いだ』」


 それは、彼がよく言う言葉だった。その時必ず、ロキは自嘲したような笑みを浮かべる。


「退屈は嫌いだ。長引けば長引くほど、僕の闇を深くする」


 少し虚ろな目で、彼は空を見上げた。


「僕の闇が爆発した時、誰が僕を止めるんだろうね。君か、トールか、それともフレイか」

「オーディン様ではないのか?」


 闇の爆発する時。それが何を指しているかぐらいはヘイムダルも知っている。

 人間が作った神話の中の産物。けれど、現実化しないとは言い切れない『神々の終焉劇』


「彼には無理だ。確かにオーディンは大切な義兄弟だ。感謝もしている。でも、彼のために踏み止まってもいいと僕は思えない」

「それは、他の者であっても同じじゃないのか?」


 ロキとの付き合いは長い。トールは彼の親友ともいえるし、フレイは気の合う語り手だ。そして自分は、あえて言うなら腐れ縁の好敵手だろう。

 だがそのどれもに、ロキを止めることはできないと思った。


「……そうだね」


 信用されていないだとか、蔑ろにされているわけではない。それでも彼の中で、自分を犠牲にしてもいい唯一無二の者と、ヘイムダル達は違うのだろう。

 端から、上る土俵が異なっていると言ってもいい。


「彼女……セルリアならお前を止められると?」

「分からないよ。でも、それがどうか分かるまでの間は、退屈しないですみそうだからね」

「ロキ……」

「あ、二人が見てるよ。僕達も行こう」


 一瞬でいつもの笑顔に戻る。確かに双子はこちらを見ていた。ロキもセルリアを迎えに行くつもりなのか歩き出す。


「ねえ、ヘイムダル。僕は退屈が嫌いだ。でも……優しい時間は嫌いじゃない」


 後ろにいるため、前にいる彼がどういった表情かは分からなかった。しかし、次いで肩越しに見せた表情は、とても柔らかくて温かい。セルリアに向けた笑顔と同じだ。


『だから、〈絶対〉を導く可能性があるなら探したいんだよ』


 そう、言われた気がした。

 ヘイムダルは知らず肩に入っていた力を抜く。双子に手を振るロキを見ながら思った。


(難儀な奴だ)

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