奇跡の価値は

すばる

第2話  力の条件

 神倉家に向かう道で、サクヤ姫こと神倉佐久耶は一人暮らしだという事実を知った。

「両親はどこにいるの?」

「天界」

 天使らしい答えが返ってきた。

「天界と天国は違うの?」

「天国は死んだ人が行く場所よ。しっかり区別して」

 軽く怒らせてしまった。

 それ以降会話らしい会話はなく、黙々と姫の後ろを歩くだけになっている。

 姫の家は、学校から歩いて10分の場所にあるらしい。そろそろ、その10分が経とうとしたとき、姫がある家の門へ入っていった。

「ここよ。ちょっと狭いけど」

 その家は欧州風の一戸建てで、正面からでも、6つの部屋が確認できた。一人暮らしだから、アパートを想像していた俺は、自分の家より広いことに腰を抜かしそうになった。

「・・・いや、充分広いよ。こんな家を1人で使うなんて、贅沢だって」

「そうなの?天界じゃ、一人でこんな狭い家に住む人はいないわよ。というより、こんな狭い家は存在しないわ。狭く建てる意味がないじゃない」

「・・・へぇ~」

 天界と人間界じゃ、価値観が違うんだな。

『キョウモイチニチオツカレサマデシタ。サクヤサマ』

 機械っぽい女性の声が響いた。

「な、なんだ!?」

 隣に並んでいた姫が、玄関の一箇所を指差し、呆れたように肩をおろす。

 指さした先には、監視カメラ。

「そんなに慌てないで。ただのセキュリティーよ。私を認識して、反応しただけ。 天使の私より、人間に近いあなたのほうが、こういうことには詳しいんじゃないの?」

 確かに、こういうセキュリティーの存在は知っていたけど、実物を見ると、どうしてもびっくりしてしまった。

 姫は、俺を置き去りにして、玄関まで進んで、ドア横にある四角い箱を操作している。

「なに?その四角い箱は?」

「これもセキュリティーらしいわ。なんでも、指紋照合をする機械って説明を受けたわ。あとは、こっちので網膜照合もやらないと玄関が開かないの。面倒だわ」

 鍵はないのか?

 と、見た玄関には、鍵穴が1つも無かった。どこまでも最新だ。

「・・・この家、俺にくれないかな?」

 冗談のつもりだけど、内心は本気だ。

「考えとくわ」

 機械に眼を確認させているために表情が見えない。しかも、口調も変わらないから、答えが冗談か本気かの判断ができなかった。

『・・・ニンショウカンリョウ。オカエリナサイマセ。サクヤサマ』

 玄関が横にスライドする。自動ドアですか。すごいなぁ。もう感心するしかない。

「さあ、入って。狭いけど」

「だから、狭くないって」

 玄関はホテルみたいに豪華だった。

 頭の上から降り注ぐ眩しすぎる光に、光源はなんだろう、と見上げる。日本の家では見ることができないものが、そこにあった。

「シャンデリア!?」

 だから、家も欧州風だったわけだ。そういや、天使に関する文献が生まれたのは欧州だったはず。だから、家もその影響を受けていているのか。いや、逆に欧州が天使文化の影響を受けているんだ。

 しかし、ここまで装備しているとは!

「・・・うるさいわよ」

「うっ・・・ごめん」

 注意された声にイラつきを感じて、即行で謝る。

 でも、床からの照り返しも凄く、気になって仕方が無い。我慢できずに視線だけを床に向けた瞬間、思考が止まった。

 この黒さ、艶・・・この石はまさか・・・

「大理石!?」

 足元に敷き詰められた石を見て、もう驚くまいと決めていた心が、一瞬で打ち砕かれた。

 姫が、ぎろっと鋭く睨んでくる。

「大声出さないで。この距離だと頭に響くわ。それに、その大理石って、どこにでもある石を綺麗に加工しただけでしょう?」

 ・・・どこにでもある石って。大理石の価値を知らないわけじゃあるまいし。いや、天使なら知らなくても仕方ないか。

 視線を姫に戻すと、すでに革靴を脱いで家の中へ進んでいた。慌てて追いかけて、横に並ぶと、姫が階段を指さした。

「とりあえず、私の部屋に行ってて。2階の一番奥よ。行けば分かるから」

 着替えでもするためか、リビングらしき部屋へと向かっていった。

 はっきりとリビングと分からなかったのは、テーブル以外のものが何も無かったから。テレビやソファーすら無い。

 その部屋の様子に、理解できない悲しい気持ちを覚えてしまった。他の部屋は意識して見ないで、2階にある部屋に向かう。

 ・・・ここだよな?

 入った部屋には、ベッド、机、椅子、ハンガーが1つ、そして一枚の写真が壁に貼ってあるだけ。女の子の部屋にありそうな人形、雑誌、化粧台、他の小物が一切無い。

 行けば分かるから、と言われたけど、姫の部屋なのかどうか自信が無い。殺風景で、女の子の部屋とは、とても考えられない。

 けど、写真が、姫の部屋だと物語っている。

 写真は、高校の校門前で撮られた姫と男子生徒のツーショット。日付けは4月2日だから、入学式に撮られたものだ。

 2人とも仏頂面で楽しそうには見えないけど、別に嫌いとかそういうのは伝わってこないから、もともとこういう顔なんだろう。

 それにしても、男子生徒の顔に見覚えがある。一体、どこで・・・

「塔矢よ。死んだパートナー」

 写真に見入っていると、背中から姫の声が響いた。着替えておらず、制服のままだった。

「あっ。ごめん。勝手に・・・」

 去年の夏に自殺とされた天使の男子生徒。だから、見覚えがあったんだ。

 俺の横に並んで写真を眺める姿からは、何の感情も伝わってこない。ただ、その眼が悲しげな色を宿してる気がした。

 姫は、俺に見つめられていることなど気づかずに、しばらく無言のままで写真を眺めると、身を翻して机の椅子に腰掛けた。

「謝らなくていいわ。悪いことしたわけじゃないんだから。とりあえず、ベッドにでも適当に座って」

 言われたとおり、ベッドに腰掛ける。

「屋上の続きからでいいわね。なぜ、あなたが鏡魔に殴られたのか? それは、あなたが天使だから。でも、これだと答えになりきってないわね。もう少し詳しくすると、エーテルという物質が関係しているからなの。エーテルは、天界では実体を持たない霊体である天使が、人間界で実体化するために必要なものよ。もちろん、今の私は、エーテルで構成されているわ」

「エーテル?」

 得体の知れない要素で構成されている姫の体を上から下まで余すことなくチェックする。

 でも、どう見ても人間の体そのものだ。

「そして、天使の力を持つあなたの体にもエーテルが存在しているの。私達と比べれば、ごく少量だけど、それゆえに、鏡魔はあなたのような存在を狙うのよ。屋上でも言ったけど、このエーテルを手に入れた鏡魔や悪魔は、実体化が可能になったり、さらに強くなれるのよ。とりあえず、さっきの続きはこれで終わりよ。ここまでは分かったでしょう?」

「・・・ああ。たぶん」

「たぶん、ね・・・まぁいいわ。これは、あまり重要なことではないから。あなたの体にそういう物質があることだけは覚えといて。それより、天使がどういう存在なのか知ってもらう必要があるわ。あなたは、どのくらい知ってるかしら?」

 天使のことなんて詳しく知らない。姫が現れるまでは、御伽話ぐらいでしか・・・

「ミカエル、ガブリエルぐらいしか知らないな。4大天使ってやつだっけ?それ以外は全然・・・あいたたたっ!」

 喋っている途中で、両方のほっぺたを思いっきり横に引っ張られた。

「様をつけなさい。様を、ね。ミカエル様、ガブリエル様よ。分かったかしら?」

「・・・ふぁい」

 抓られたままだったから、まともに返事ができない。

「分かればいいの。今度からは、気をつけてね」

 にこっと微笑んで、その手を離してくれた。

「でも、神を信じてない人間じゃ、それぐらいの知識しかないわね。 いいわ。私が、詳しく教えてあげるから、1回で理解しなさい。天使としての力の源と、これからの命に関わることだから、しっかり聞いて。これを理解しないと、いつか遅れをとって死ぬわ。時間もあまり無いから2回も同じこと言わない。絶対に1回で。いいわね?」

「・・・はい」

 力と命に関わる、と厳しい口調で言われてしまっては、素直に返事するしかない。

「まずは、私とあなたの力の源である4大天使のことを説明するわ。なぜ、説明するかは分かるわね?鏡の力を使いこなすには、4大天使についての理解が絶対に必要だからよ。じゃあ、始めるわよ。よく聞いてね」

 じとっと睨まれるような視線を感じる。

「ミカエル様は、火をエレメントとされるお方で、『神に似た者』の称号をお持ちでいられて、知っての通り、最強の天使よ。 ガブリエル様は、水をエレメントとされておられて、『神は我が力なり』という称号をお持ちよ。予知夢を司られて、イエス・キリストの生誕を告知なされたり、イスラム聖典コーランを伝えたお方でも在らせられるの。ラファエル様は、風をエレメントとされておられるわ。癒しの天使とも称せられておられて、『神の熱』の称号をお持ちなの。ウリエル様は、地をエレメントにされておられて、『神の炎』の称号をお持ちなの。かの有名なノアの方舟には、この御方の力が大いに関係しているわ。これで、4大天使の説明は終わりよ。これぐらいならすぐに頭に入るでしょう?」

「・・・うん。だいたいは」

 実際は4大天使の名しか覚えてない。他は、エレメントが水とか火とか、微妙にかっこいい称号があったぐらい。それに、全体的に似たような内容が多くすぎる。まるで、歴史の授業だ。

 そんな俺に訝しげな視線を遠慮なく向けている姫がいた。

「・・・次にいくわね。天使は、9つの階級が3つずつに分類されていて、上級三隊、中級三隊、下級三隊と呼ばれているの。この中で、私とあなたの力に直接関係があるのは、中級三隊に属する力天使と能天使よ。力天使は、ミカエル様が指揮していらっしゃるわ。役目は、神の力を引き出して地上に奇跡を起こすこと。つまり、この奇跡が、私の弓やあなたの鏡の力に値するものよ。能天使は、ラファエル様の指揮下にあるわ。神が最初に創られた存在で、最前線で悪魔と戦う役目を担ってるの。学校の廊下での私みたいに鏡魔と戦う役目を、ね。もう分かったでしょう? 私とあなたは、階級的には力天使でもあり能天使でもあるのよ。ここまで理解した?」

「今度は、よく分かったよ」

 4大天使の説明と比べると似たような内容が無くて理解しやすかった。力天使なんて、なんかかっこいい。

 と、ぎろっと思いっきり睨まれた。

「今度、は?」

 ・・・まずい。この言い方じゃ、4大天使のことを理解してないように聞こえてしまう。まぁ実際に理解してないわけだけど。

「・・・いや、べつに深い意味はなくて、ただの言い間違いというか・・・」

「黙って。それは、私が判断するから」

 厳しい口調で、黙れ、と告げられてしまい、素直に黙るしかなかった

「私の力は、弓。ここまでは、あなたも知っている能力よね。でも、矢についてはまだ何も知らない。あれは、ただの輝く矢じゃないわ。周囲の風や熱で歪められる大気の影響を受けずに、狙った相手まで真っ直ぐに飛んでいくだけの力が付与されているの。じゃあ、この矢の力を司る4大天使は?そして、そのエレメントも答えて」

「・・・ミカエル様で風」

 俺の答えを聞いた姫の肩が震えだしたけど、どう考えても、泣くのを堪えるために震えているのではないことは明らかだ。

 と、震える手で、ばんっ!と机を叩いて、睨んできた。

「ふざけないで!説明する前に言ったでしょう!ちゃんと理解してくれないと、死ぬことになるって! 自覚してるの!?状況を理解してるの!? あなたの存在は鏡魔に見つかってしまって、今も命を狙われてるのよ! ゲームでもなんでもなく現実として! 今日は、たまたま私が近くにいたから助けられたけど・・・ 次は塔矢みたいに死ぬかもしれないのよ! 今すぐ心に刻み込んで!あなたの日常は、今日の朝、あの瞬間で終わったの! だから、今日中に鏡の力を理解して、私をサポートできるぐらいまでは使いこなせるようにならないといけないのに・・・! なのに、あなたは全然・・・私の説明は、そのために必要なものなのよ!」

「・・・ごめん」

 命を狙われている自覚がある、と言えば嘘になる。むしろ、そんな自覚は全くない。

 だって、こんな状況はどう考えても現実離れしすぎているから。

 鏡のあいつが悪魔で、姫が天使であることや、自分が天使の力を持ってることをいきなり告げられて、力を貸してほしいなんて。

 こんなのゲームの中でしかありえない。

 でも・・・

 姫の怒りと腹の奥にまだ残っている鈍い痛みが、これはゲームではない、と気づかせた。

 だから、覚悟を決めた。

「神倉さん。俺さ、こんなの信じられなくて、ゲームみたいなもんじゃないかと思ってたんだ。でも、神倉さんの言うとおりだよね。俺は明日にでも、いや、今日にでも、死ぬかもしれない。だったら、神倉さんに力を貸すよ。こんな鏡の力なら、いくらでも貸す。だから、生き残るために、この力を使いこなす方法を教えてほしい。お願いします」

 反省と教えを受けるための証として深々と頭を下げる。頭を下げたままでいると、姫が近づいてくるのが足音で分かった。視界に、足先が見えた瞬間、後頭部に痛みが走った。

 きっと遠慮なく殴った。痛すぎる。

「私を怒らせた罰よ。これぐらいは我慢なさい・・・それと、あなたの心からの反省に免じて、2回目はないと言ったけど・・・」

 口調が途中から優しくなったことに気づいて顔を上げると、微笑んでいる姫がいた。

「もう1度だけ初めから教えてあげるわ。鏡の力を使いこなすには必要なことだから。でも、これで終わりよ。もし、あなたが理解できなければ・・・」

 言葉を切って、握った手を突き出してくる。

 本物の天使の微笑みからは、心に満たされるものを感じるのに、手からは禍禍しい死のオーラを感じ取ってしまった。

「・・・大丈夫です。理解します」

 そのオーラになぜか敬語になってしまったけど、俺の答えには満足そうに頷いてくれた。

「じゃあ、あなたの家に行って、着替えと学校で使う物をとってきましょう。力を使いこなす特訓はそれからよ」

「・・・はい?」

 突拍子のない申し入れに、間抜けな反応をしてしまった。でも、屋上でもいきなり突拍子のないことを言われたし・・・

 これが、姫の性格なのかもしれない。

「ここに泊まるにも、着替えがいるでしょう?それとも、あなたは人間なのに着替えないとでも言うの?だから、取りに行くのよ。それにあなたの親は、私がうまく誤魔化すから、心配いらないわ」

「・・・泊まる?なんでここに!?」

 一人暮らしの姫と泊まる。

 そんなことが学校の奴らにばれたら、半殺し、いや、間違いなく殺される。姫のパートナー自殺騒動以来の新聞沙汰だ。

「だから・・・状況を理解してる? あなたは命を狙われてるの。鏡魔を消せる私が一緒にいないと、護れないじゃない。それに、力を特訓するにも不便だわ。そういうことよ。分かった?分かったなら、行きましょう」

 俺の返事も聞かずに、部屋を出て行く。

 階段でその背中に追いつくと、いきなり振り向いてきた。

「・・・名前は?」

「えっ?」

 また、いきなりだ。名前?・・・俺か?

「あなたの名前よ。あなたは私の名前を知っているみたいだけど、私はあなたの名前を知らないの。名前は?」

 そう言えば、廊下で声をかけられてから、ずっと、あなた、と呼ばれ続けている。

 別に抽象的に人を呼ぶとかじゃなくて、ただ単に名前を知らなかったからか。理沙のことだって、出会ってからは理沙っぺだし。

 でも、あなた、も考え方によっては、羨ましい呼ばれ方だ。

 姫は、掛け値なしで可愛すぎる。皆が羨ましがる相手と、おまえ・・・あなた・・・悪くない。むしろ、良い。

「何をにやけているの?」

 現実に引き戻された。どうやら妄想が顔に出ていたらしい。

「ご、ごめん。なんでもないよ。え~と、名前だよね。俺の名前。 俺は神藤御剣。かみくら、じゃないから。神様の神、花の藤で、しんどう。で、下の名前は、偉い人につけたりする御と手に持つ剣で、みつるぎ。かなり珍しい名前ってよく言われるけどね。これでいい?」

 と、向けた視線の先で、金色の髪の下にある目が大きく開かれていた。

「・・・すごい!3つも」

 姫にしては珍しいほど、感情が表に出た。

「えっ?3つ?」

 ・・・何が3つ?名前?・・・分からない。まぁ分かんないなら、仕方ないか。

「えっ・・・な、なんでもないわ。気にしないで。じゃあ、あなたはこれから神藤君ね。そういうことで、早く行きましょう」

 階段を降りていく姫の足取りが心なしか軽いのは・・・ 気のせいだろうか?


「おかえり・・・って、あんた!」

 家に帰ると、母親は大いに驚き、怒ろうとした。

 だけど、それは仕方のないこと。

 まだ11時。始業式でも、帰ってくるには早すぎる。さぼりと思われても仕方のない。

 しかし、その母親も俺の背中から姿を現した姫を見ると黙ってしまった。早帰りで、17歳になろうとしている息子が女の子をお持ち帰り。しかも、トップクラスに可愛い。

「あらっ!あららっ!こんにちは!とりあえず上がって上がって!汚いところだけど、どうぞ!」

 途端に、母は舞い上がり、姫を招き入れ、遅れて靴を脱いだ俺を冷やかしてきた。

「ちょっと理由ありなんだ。話だけでも聞いてくれる?」

 と言うと、母は気の毒そうな顔をした。

 この時点で、姫の勝利は決定。

 俺の母親はありえないくらい情にもろい。

「神藤君は、今朝、私が知らない人にからまれてるのを助けてくれたんです。でも、私は一人暮らしだから、あいつらに家までばれてたら、怖くて・・・だから、神藤君をしばらく貸してくれませんか?」

 姫って泣く演技もできたんだ。しかも、けっこううまい。見ているだけで恥ずかしい。

「ええ!どうぞどうぞ!こんな息子が、佐久耶ちゃんみたいな可愛い子の役に立つんだったら、無期限で貸してあげる!好きなだけ持っていって!」

 ・・・人を物みたいに言うな。それに、そんな言い訳を完璧に信じてしまうとは・・・

 俺もこの血を受け継いでるわけか。

 荷物を詰め終わり、家を出た俺の背中に母の元気な声が届いてくる。

「御剣!しっかりね!」

 分かってる。しっかりと特訓して力を使いこなしてみせる。

 戻ってこない日常のためにも。俺や姫が死なないためにも。


 そんな母の笑顔に見送られて、姫の家に戻っている最中に、学校帰りの達也と理沙に会ってしまった。

「御剣!姫と・・・姫となにを!?それに、その荷物はなんだ!?」

 達也がやかましく問いただしてくるのを、適当に聞き流す。仮に答えても、火に油。そんな状態では、どんな言葉も意味がない。

 その横では、理沙が鞄を漁っていて、2つに分けられた書類を取り出し、手渡してきた。

「はい、これ。ホームルームで配られたプリント。提出期限の早いやつから順番で上になってるから。必ず目を通しておいてね」

「助かったよ。さすが理沙」

 礼とともにプリントを受け取る。

 去年からの付き合いで気づいたけど、理沙は細かいところまで気が回る。ここまでしてくれるのか!?って、とこまでやってくれる。でも、それが余計なお世話になるようなことはない。皆から喜ばれる。親切とお節介をうまく見切ってる。そんな感じがする。

 なんていうか、理沙に与えられた才能だと思う。俺の鏡を見れる力みたいに、神から授けられたような。

「ありがとうね、理沙っぺ。ちょっと話とかしたいんだけど・・・

 私と神藤君、急いでるから。ごめんね。じゃあ、また明日学校で。行こう。神藤君」

 笑顔で礼を伝えて、歩き出す。促された俺も、前を歩く細い背中を追う。

「うん。また明日ね~!」

「ま、待て!御剣!その荷物は・・・」

 理沙が手を振る姿が、達也の声が、徐々に遠ざかりながら消えていった。

「やれやれ。いつも賑やか・・・」

 いきなりやってきた。

 殴られた腹の痛みが増してくる。

 今までもちょっと痛かったから、家で腹痛薬を飲んできたのに・・・

 けど、まるっきり効果が無くて、痛みも腹を下したときとは比べ物にならない。このままでは、歩けなくなってしまうかもしれない。

 それからも、しばらくは我慢しながら歩いてみたけど、全身に汗が噴出してくる感じは増す一方。もう限界だ。

「神倉さん・・・ちょっと待って。鏡魔に殴られた腹の痛みが増してきてるんだけど。やばいくらいに・・・痛い」

 状況を伝え、近くにあった家の壁にもたれかかると、すぐに駆け寄ってきて正面から俺を覗き込んできた。

「殴られた腹ですって?・・・だいぶ抉られたのね。痛むってことは、あいつが鏡から鏡へと移動して、近づいてきているからよ。おそらく、私達を探してね。考えてたより動きの速い鏡魔みたい。でも、私の家まで逃げれば、安心できるわ。まだ歩ける?」

「・・・なんとか」

 天使とはいえ女の子に変わりはないから、弱音を吐きたくない。それに原因は廊下の鏡魔が近くにいるから、らしい。なら、今は一刻も早くここから離れないといけないはずだ。

「頑張って。私には鏡の力がないから、神藤君のエーテルは見えないけど、それぐらいなら死なないわ。それに家に着けば、その痛みは消えるから。 あとは、神藤君が力をコントロールできるようになれば、今の自分がどういう状態にあるか見えるようになるわ。その痛みの解決方法はそれからよ」

 姫に荷物を持ってもらって、空いている腕の肩を貸してもらい、痛みに耐えて歩く。

 けど、一歩ごとに痛みは増す一方で、それに伴い、破裂しそうな衝撃と吐き気が容赦なく襲ってくる。

 やっとの思いで、家まで着いた。玄関近くの壁に身を預けながら、セキュリティー解除を待つ時間が長い。

 それでも我慢できているのは、姫が認証中に何回も視線を送ってきてくれたおかげ。そのたびに、痛みに耐えて笑顔を浮かべた。男たるもの痛さを見せるな、だ。

 遠のきかけた意識の中で、玄関がスライドしたのが分かった。

 姫に、投げ入れるように家へ押し込まれると、そのまま玄関先へ倒れこんでしまった。

「もう大丈夫よ」

 姫の言葉通り、痛みが嘘のように消えて、残ったのは背中にびっしょりとかいた汗だけだった。

 痛みが消えたことに安堵しつつ、靴を脱いで、そのまま玄関の段差に腰を下ろす。

「なんで・・・こんな簡単に痛みが?」

 姫は、俺の荷物を玄関先に降ろした。

「この家の外壁の少し外側には、エーテルを不可視にする結界が張ってあるの。だから、鏡魔や低位の悪魔には私や貴方の存在は見えないわ。ここに逃げれば、安心なのよ。それに、結界はこの家に対する鏡魔の侵入も防いでくれる。この結界が、神藤君の抉られたお腹の痛みも防いでくれているのよ」

 エーテルが抉られただって?じゃあ・・・ 急いで確認した腹は、何事もないように、いつもどおり。どこも抉られてなどいない。

 頭上から、くすくすと笑う声が響く。

「神藤君は人間と言い切っていいほど人間だから肉体的損傷は無いわ。ただ、痛みが出るのは鏡魔が近くにいるときだけ。もっとも、もし私が廊下で抉られていたら、お腹の部分が消し飛んでしまって、始業式なんかやってやれないほどの大騒ぎになったんだろうけどね。でも、そんなに慌てなくたって・・・」

 また、くすくすと笑い出す。そうやって笑う姫はやっぱり可愛い。無表情な姫は確かに綺麗だけど、俺はこっちのほうがいい。

「あんま笑うなよ。抉られたって言われたら、誰だって驚くって。それに、半端無い痛みに死ぬかと思ったんだから。 それより、この痛みを消す解決方法があるんだろ?教えてくれ」

 真面目に聞く態度に、姫が笑うのを止めて、真剣な面持ちになった。

「痛みを消す方法は一つだけ。奪われたエーテルを取り返すこと。つまり、廊下で襲ってきた鏡魔を倒すことよ」

「・・・もし、倒さなかったら死ぬことになるのか?」

 姫が首を横に振る。

「死にはしないわ。ただ、生きている間、ずっとその痛みに苦しみ続けるだけ。そして、常に命を狙われ続けるの。どうしたい?神藤君次第で、それでもいいなら倒さなくてもいいけど?」

 要するに、俺には選択肢が一つしかない、と遠まわしに言ってるようなもんじゃないか。

「・・・倒すしかないじゃんか」

 俺の言葉に、にっこりと頷く。

「そう。神藤君には倒す以外に道はないわ。そのためには、鏡魔を捜す力を・・・私達は、その力を索鏡って呼んでいるわ。索鏡を身につけたうえで、私への補助も扱えるようにならないといけないわ。 さぁ、今すぐ特訓の開始よ」

 気合満々の姫には悪いが、腹が空いてしまって、特訓に集中できそうにない。

「神倉さん。先に昼ご飯にしようよ。そろそろ12時過ぎのはずだから」

 ・・・時計もないのか、この部屋は。

 今の時刻を確認しようと、部屋を見回してみて、時計もないことに気づいた。一体どうやって生活しているんだろう?

 仕方なく、ブレザーから携帯を取出して、液晶画面を見せる。

「あっ。本当ね。もう12時過ぎてるわ。でも、昼ご飯を食べるにも、この家に食料はないわよ」

「・・・なんだって?」

 油断した頃に驚く内容や突拍子もない内容を出してくるのは、もう慣れた。姫はそういう天使なんだろう。まぁ退屈はしない。

 でも、今の言葉には、かなり驚かされた。

「だから、食べ物がないの。水も。私の体はエーテルで実体化されているだけだから、お腹が減るなんてないの。もちろん食べることだってあるけど、それは付き合いでのことよ。水だってエーテルで構成された体には必要ないものだし。エーテルは汚れないからお風呂なんかに入ることもないのよ。それに、この家に誰かを招いたのは塔矢以来だし。食料のことなんて全然考えてなかったわ。どうしよう?」

 頭の中を、子供時代の記憶が駆け巡る。

『お姫様は、おならとかうんちなんてしないもん!』と近所の少女。

『馬鹿だなあ、お前。お姫様だって人間だぜ?するに決まってるじゃんか!』と俺。

 俺の主張は、間違いなく正論。

 でも、世界は広かった。

 人間ではありえないことが、見た目人間の天使ではありえることらしい。

 少年時代に交わしたアホらしい会話は、幻想の産物ではなく、人間界で実際に起こりえることなんだと、今初めて知らされた。

 軽いカルチャーショックを受けながらも、何とかベッドから立ち上がる。

「じゃあ、ちょっと買ってくるよ」

 財布には四千円入っている。これだけあれば、なかなかのものが買えるだろう。

 何を買うか迷いながら、コンビニへ向かうために部屋を出て行こうとした。

 が、痛いと感じるほどまでに腕を掴まれた。

「死にたいの?」

 ・・・そうだった。腹の痛みが消えてしまっているから、状況を忘れてしまっていた。

 外には、鏡魔が潜んでいる。力が使えない俺だけで外に出てしまっては、死ぬだけだ。

「じゃあ、神倉さんも一緒に・・・」

「無理よ。最低限以外で外に出ることは避けないと。鏡魔はこの家を見ることはできないけど、外に出た神藤君のエーテルを追跡することで、居場所を発見してしまうわ。べつに鏡魔に見つかること自体は問題にならないのよ。ただ、発見されたことが、鏡魔からソロイネン以上の悪魔に伝わってしまうと、厄介ごとになってしまうの」

「ソロイネン?」

 聞いたことない言葉が出てきた。響きから判断すると・・・名前だろうか?

 俺の疑問に、そうだったって感じで頷いた。

「悪魔の階級は説明してなかったわね。悪魔のことなんて知る必要もないし、索鏡には関係ないから説明しなかったのよ。それに、天使の系図みたいに明確になってるわけじゃないから・・・簡単に、ね。悪魔にも、上級、中級、下級三隊が存在するの。そして、ソロイネンは、上級三隊に分類されている呼称よ。なぜ、このソロイネンに伝わると厄介かと言うと、この家を取り巻く結界は上級悪魔には何の効果も発生することができないから。要するに、意味なし。この家の存在は丸裸になってしまうからよ」

 悪魔にも階級があったんだな。でも、それも当然なことなのかもしれない。天使と対をなす存在なら、構成だって同じようになっていてもおかしくない。

 姫が掴んでいた手を離してくれた。

「だから、神藤君が索鏡を使いこなせるようになるまでは、家からは出れないの」

 姫の言うことはもっともだけど、栄養摂取をしなければ、限りなく人間である俺はいずれ死んでしまう。

「でも、飯を食わないと餓死しちゃうよ。そりゃあ、人間は何日か食わなくても生きてはいけるけど、それも水があっての話。だから、力の特訓どころじゃないよ。どうにかならないかな?誰かに持ってきてもらうとかは?」

「それも駄目よ。天使には、人間との接触は可能な限り避ける義務があるわ。私との接触がばれると、鏡魔じゃなくて悪魔に狙われることになってしまう。それは、悪魔が彼らの体に付着した私の微量なエーテルを狙うからよ。だから、外からの援助物資も無理なの」

 なるほど。だから、学校の男子に告白されても拒否して、達也との接触も可能な限り避けていたわけか。

 でも、それと食料は関係ない。まずは、俺の空腹を満たすのが先だ。

「そんなぁ・・・じゃあ、俺は餓死?」

 あまりに情けなく肩をがっくりと落としたのだろう。姫が溜息をついた。

「仕方ないわ。私がなんとかするしかないのね。食料のために、力を使いたくはないけど・・・全能なる神なら、この状況を理解して、御力を貸していただけるでしょう。神藤君。机の書類をどかしてくれる?」

 命令されたとおり、机を綺麗にすると、机に向けて手を伸ばした姫の体が輝きだした。

 弓と翼と同じ青白い光。この光が能力発動時の証拠なんだろう。その光がどんどん輝きを増していく。部屋を飲み込みそうな勢いだ。あまりの眩しさに、目を開けていることが出来なくなってしまい、瞑ってしまった。

 そして、その光が収まると、芳しい香りが鼻をついてきた。

 その方向に目を開けると・・・

「おおっ!?」

 机の上には、肉や魚の料理やパンやスープ。有名な店のフランス料理みたいに豪華だ。

 幻かと思い、手を伸ばしてみると、肉の温かさが伝わってくる。魚の身を口に放ると、今まで食べたどの魚よりもおいしかった。

「おおっ!?」

 姫が偉そうに腕を組んでいる。

「神の奇跡よ」

 まさに奇跡だ。味も見た目も半端ない。

 豪華な昼飯をがっつきながら、そう思った。


「違うわ!もっとイメージして!集中するの!姿を思い浮かべるの!」

 奇跡のような昼飯後には、現実の特訓が待っていた。少しだけ休憩をしてから、満腹感からくる眠気と戦いながら、索鏡の力を使いこなすためのレクチャーを受けた。

 その教え通りに、眼を瞑り、仁王立ちになって、胸の前で腕を交差させて突き出す。

 けど、どうもうまくいかない。

 同じ内容の罵声を、何回浴びせられてることか。耳が痛くなってきた。

「何回も言わせないで!イメージよ!大切なのはイメージ! ミカエル様のシンボルは鞘から抜かれた剣と秤よ。エレメントは覚えてるわね!?それをイメージで融合させるの!そうすれば、ミカエル様が御力を分けてくださって、奇跡を使えるの!体に入り込んでくる感じよ!」

 叫ぶ声に邪魔されて、なかなか集中できない。天使の教え方はけっこうスパルタらしい。全然、慈悲に溢れてなんかいない。

「早く力天使をマスターしないと、ラファエル様の能天使が特訓できないのに!頑張って!神藤君!」

 そりゃあ、姫に頑張って!と応援されれば、どうにかして早くマスターしたいとは思うけど、こればっかりは才能の違いで、仕方のないことだと思う。

 それに俺は限りなく人間なんだから、見たことがないミカエル様の姿を思いうかべるにはどうすればいいのか、それも教えてほしい。

 ・・・いっそのこと、キリスト教徒にでもなろうかな。イエス・キリストに生誕を告げたのは、4大天使のガブリエル様だ。だから、きっとキリスト教徒になれば・・・

「奇跡の訓練に集中しなさい!」

 まるで心を見透かされたように怒鳴られてしまった。

「・・・すいません」

 これでは、まるっきり先生と生徒の関係でしかない。でも、先生なら質問しても何ら差し支えないはず。怒鳴りまくって息継ぎをしている隙をついて、ゆっくりと質問する。

「神倉さん。俺、ミカエル様の姿って見たことないから、イメージするの無理な気がするんですけど。翼とか、普通の天使と枚数違ったりするんじゃないの?だから、どうにかしてミカエル様の姿を知る方法ない?」

 あっ!と小さな声をあげ、机の引き出しから1冊の分厚い本を取り出して、それを渡してきた。

「ごめん・・・レクチャーし忘れてた。姿を知らなきゃ、奇跡は使えないのに」

 綺麗な顔立ちで隠れてしまってるけど、天然系要素があるみたいだ。しっかりしてるようでしてない。今のように、いきなり驚くことを言われることも多い。

 ・・・ってか、怒鳴られ損?今までのイメージは無駄な努力ですか?それでも、早い段階で確認しておいて良かった。確認しなければ、夜まで怒鳴られていただろう。 受け取った本に目を落とす。天使が持ってきた本なんだから、天界の物に違いない。

 違う世界の物質を手に取るという未知の体験に、少しうきうきしながら本を開くと、タイトルが書かれていた。

「・・・天使大辞典?」

 しかも、日本語で。図書館の隅で、ホコリをかぶっていてもおかしくないほどに古そうで、表紙を含め、全体的に黄ばんでいる。

 なにより、裏表紙には出版社の名前と住所が書かれている。

 ・・・市販?

「13ページ」

 ページだけ指示されて、そこを開く。

 6枚の翼を背に生やした荘厳な天使。剣と秤を手に持ち、顔まで繊細に描かれている。

 どこかで見たことあるような・・・きっと有名な画家が描いたものか、昔の壁画だろう。

「この方が、ミカエル様よ。姿が分からなければ、イメージしようがないものね。ごめんなさい。でも、これでもう問題ないわ」

「いや・・・でも、これって市販の本だよね。こんなのでいいの?売られてるものが、本当にミカエル様の姿とは思えないんだけど。だから天界のものとかないの?」

 手で開いていた本を取り上げられる。

 そのまま角で頭を叩かれた。またかなり痛かった。天使は加減を知らないらしい。

「市販もなにも関係ないわよ。伝えられている内容は全て真実。そう前にも言ったでしょう?だから、これでイメージして。これでも、奇跡が使えないようなら、神藤君はただの馬鹿ね」

 まるで挑発するように微笑んでいる。なるほど。俺を焚きつけようってわけか。

「任せておけ。人間の底力を甘く見ないほうがいい。青い翼の天使さん」

「・・・ふふっ。そうね」

 冷やかしたことに怒り出すかと思いきや、そうではなく、何か思いあたることでもあるのか、少し楽しそうに笑って同意してきた。

 でも、すぐに真顔に戻る。

「けど、真面目な話、奇跡を使いこなせるようにならないと、神藤君は生きている限りこの家から、なかなか出れないわ。私には分からないけど、道での様子から判断する限り、抉られたエーテルはかなりの量になるわ。鏡魔が近くにいる限り、まともに学校生活も送れないはず。だから、絶対に使いこなせるようになってくれないと、生きていけないわ」

「・・・分かっている」

 索鏡も使いこなすことは、姫の援護のためだけじゃなくて、抉られたエーテル分の痛みを取り除くためにも必要なものだ。

 だからこそ、絶対に奇跡を使えるようにならなければいけない。

 レクチャーされた姿勢で、再度立つ。

 眼を瞑り、神経を集中させた頭の中に、ミカエル様を思い浮かべる。

 右手に持った剣、左手に持った秤、精悍な顔立ち、そして、エレメントである炎。

 それをイメージとして頭に焼き付ける。

 と、ミカエル様が光りだした。

 こんなのはイメージしていない。

 これは・・・

 いきなり、全身が熱くなった。微熱とかそんなもんじゃない。実際に燃えるような熱さ。

 でも、眼が自分の力以外で閉められてるみたいで開けられない。天使を思い浮かべながら、全身が燃えるような熱さ。まるで悪夢だ。

「心配しないで。実際に燃えてるわけじゃないから。神藤君のエーテルが初めての奇跡に反応しきれないで、コントロールがきかないだけよ。だから、もうちょっとだけ我慢して。暖かいぐらいまでになるから」

 怒鳴っていない姫の声に従って、熱さを我慢しながら、経過を待つことにした。

 すると、ゆっくりではあるけれど、熱さが下がってきて、春の午後って感じになった。

「そろそろ眼を開けられるわよ。自分の体を確認して。そしたら、どんな感じか教えて。私には神藤君の輝きが見えないから」

 赤白い輝き。

 眼を開けると、驚いたことに全身が赤白く輝いていた。手が、足が、体のいたる箇所が輝いている。姫の青白い輝きと正反対だ。

 ・・・あれ?なんでここだけ?

 胸から腹に渡る部分だけが、黒い。いや、黒じゃなくて、闇に近い気がする。それに、ブラックホールみたいに渦を巻いている。

 恐る恐るながらもそこを触ってみる。

「うわっ!?な、なんなんだ!?」

 手が腹に吸い込まれるようにして消えた。

 痛みもなく、ただ消えた。引っ張り出してみると、手に異常は見当たらない。握力にも支障はなかった。

「驚くのはいいけど・・・どんな状態?」

 赤白く発光してるのを伝える。そして、腹の暗闇のことも。

「とりあえず力天使としての奇跡はマスターね。それに赤白い輝きがかなり強そうね。なら、神藤君は炎が属性よ。私は風属性だから、神藤君との相性は最高ね。けど、お腹のエーテルはかなり広範囲で奪われてるわ。あの鏡魔が実体化するほどではないけど、それでもかなりの量よ。だから、急いで能天使の力を使えるようにならないと。この力がないと、結界無しで、神藤君の痛みを防げないから。でも、今はとりあえず、ちょっと休む?能天使の力をマスターするのは、力天使より難しいから、かなり疲れるわよ」

「いや。平気だよ。能天使をやろう」

 疲労感より達成感のほうが勝っていて、頭も気分も冴え渡っている。今なら、難しいと言われた能天使もすぐにマスターできそうだ。

「そう。なら、この方がラファエル様よ」

 手渡れた本で、姿を確認する。

 エレメントが風なのに、炎の剣を持っていているのには、変な印象を受ける。

 けど、4大天使は、称号にも炎系の言葉が入っていたりするから、納得はできた。

 力天使と同様の姿勢をとって、炎の剣と風をイメージとして思い浮かべる。

 すぐに、ラファエル様が光りだした。

 もちろん、俺の意思とは無関係に、だ。

 全身に突き刺すような冷たい風が襲ってきて、それも少しずつ収まっていく。

 そよ風程度になった段階で、眼を開ける。

 今度は、体が輝いてるのを予想していたから、それほど驚きはなかった。

 ただ、今回は青白く輝いている。でも、力天使ほど強い光を発してはいない。

 さらに、腹も青白く光っている。そこに手を突っ込んでみようとしたけど、板みたいになっていて防がれてしまった。

 たぶん、これが能天使の力で、痛みを防ぐためのものなんだろう。

 今の状態を伝えようと、姫に向き直る。

 すると、心ここにあらすって感じで、呆然と呟いていた。

「・・・もう能天使の奇跡を?すごい。さすが3つも所持してるだけのことはあるわ。でも、死んだ塔矢のように・・・」

 ・・・3つも所持?姫の様子よりも、『3つ』が心に引っかかった。

 確か、自己紹介したときにも、同じ事を言って、かなり驚いて興奮していた。俺と『3つ』はかなり密接な関係があるのかもしれない。さすがに、聞いてみる必要がありそうだ。

 細い肩を出来るだけ優しく揺する。

「神倉さん?大丈夫?」

 全身でびくっと反応した。

「う、うん!平気よ。で、どんな感じ?」

 姫に、能天使の感じを伝えた。

「そう。それはマスターした証拠よ。神藤君は、かなりの才能を持っているみたいね。人間なのにすごいよ」

 微笑みながら、褒めてくれる。心の底から嬉しかったけど、なんか隠されてるような気がして妙な気分になった。

「・・・3つってなに?」

 これまで以上に小さな体を強張らせて、俺を見上げてきた。

「な、なんのこと?」

「自己紹介したときもそうだった。3つって驚いて興奮してたよね。それに、さっきも、3つだからマスターしたのが早かった、みたいな言い方をしてた。これって俺と3つは密接な関係にあるってことなの?」

 責め立てるような口調に、俯いてしまう。

「・・・私がうっかりしていて変なこと口走っちゃったみたいで、嫌な思いさせて、ごめんね。でも、本当になんでもないの。だから、もう聞かないでほしい」

 それでも俺は食い下がらなかった。

「・・・やっぱり俺の命に関わるんだね」

「な、なんでそんなことを!?」

 即答した姫が、すぐに口を手で覆った。

 ・・・図星か。

「隠すの下手だね」

 一度あげた顔を、また俯かせてしまった。

「全部は言えないけど・・・これだけは。神藤君は、人間にして天使以上の奇跡を扱えるだけの可能性を間違いなく秘めてるの。時間をかければ確実に強くなれる。でも、才能がある者の奇跡は、強くなればなるほど、暴走と死の危険性を伴った諸刃の刃になってしまうの。だから、無理は禁物。私も、神藤君には奇跡をあまり使わせないようにして鏡魔や悪魔を倒すから、神藤君も自分から使うことはしないで。約束よ」

「分かった。約束する」

 命に関わるなら、無理には使うことはしない、と心に決めた。俺だって死にたくない。

 それに、俺が約束したことに、姫が大きく息を吐き出したからには、かなりの心配ごとだったんだろう。

「それで、これからどうするの?もう、あの鏡魔を倒しに行くの?」

「ううん。まだよ。本当は、今からでも倒しに行きたいのだけれど。太陽の光は、悪魔の能力を低下させるからね。でも、神藤君は、基礎奇跡をマスターしただけで、戦闘で使う拡大的な奇跡は全然だから、その練習時間も必要よ。それに、神藤君の役目は、戦闘補助だけじゃないの。私が鏡魔を見ることが出来ないのは教えたわね。だから、鏡魔を見えるようにするのも、役目の1つよ。これは応用奇跡の初歩に属するから、一番最初に覚えてもらうわ。最悪、これさえあれば戦えるから。そして、今日の夜、鏡魔を誰もいない学校で倒す。そのために、これから教える応用奇跡で、私にも鏡魔の姿を見れるようにしてもらうのよ」

 ってことは、今から、また特訓するんだろう。本格的な夜の訪れには、あと6時間しかない。けど、能天使の基礎をマスターしたあたりから、体に疲れを感じていた。

「でも、ちょっと休憩してもいい?なんか軽く疲れちゃったから」

「やっぱり疲れていたのね。 その疲れは、お腹のエーテルの減少が原因よ。肉体的にいえば強制的に体力低下状態にさせられていることになるから。今すぐ休んで。30分で起こすわ」

「分かった。じゃあ、おやすみ」

「ええ。おやすみなさい」

 ベッドに横たわると、ふかふかした感触に、すぐに意識が沈んでいくのが実感できた。


 黒い半球で包まれた住宅街。

 そこで、馬の姿をした悪魔に、佐久耶が吹き飛ばされた。そのまま壁に激突して、崩れた瓦礫の下敷きになって、姿が消える。

 視線を悪魔に戻す。

 このままじゃやばい。負ける。この悪魔は鏡魔なんかじゃ比べ物にならない。

 傍に近づこうとするだけで斬られそうなオーラに、体の震えが止まらない。

 間違いなく上級悪魔。

 背後から、弱々しい、今にも消えてしまいそうな青白い輝き。

 佐久耶が瓦礫から這い出て、壁にもたれながら立ち上がる。けど、体がテレビの放映されてない画面みたいにぶれている。体を構成するエーテルが減ってしまっているからだ。

 ぶれた体が少しだけ強い青い輝きを発し、背中に光の粒子が集まってくる。

 翼の解放。

 佐久耶は、天使としての全能力を解放して、悪魔へと攻撃を開始するんだろう。

 でも・・・

「待つんだ!佐久耶!」

 俺の声は届いているはず。

 それでも、翼の発動を止めようとはしない。

 あの悪魔は、俺達のような下級天使が束になっても勝てる相手じゃない。たとえ、翼の力があっても。

 けど、そんなことは佐久耶も理解している。それでも、翼の発動を止めないのは、プライドか使命感か。

 でも、死んでしまったら、何の意味がない。

 佐久耶が赤い空へと舞い上がる。

 考えるのを止めた。すぐに走り出す。佐久耶を止めないと。逃げないと!

 でも、間に合うのか・・・

 空を飛ぶほうが圧倒的に速い。天使としての力を解放して走っても追いつけない。どんどん引き離されていく。

 空が光る。

 青い矢と黒い槍の激突。すでに、佐久耶と悪魔の死闘が繰り広げられている。

 と、槍のカーテンに隠れるようにしながら、悪魔の首が伸びた。佐久耶の背後に回りこむ。

 佐久耶には、それが見えていない。

「後ろだ!佐久耶!」

 驚いたように後ろを振り向く。

「佐久耶ぁぁぁ!」

 けど、遅かった。

 佐久耶は胴体を貫かれる。血は出ないけど、エーテルが流れ出ている。赤いエーテルが、まるで血のように見えてならない。

 輝きを失って落ちてくる佐久耶に駆け寄った瞬間・・・

 世界が真っ白になった。

「佐久耶!」

 自分でも驚くほどの速さで起き上がった。

「わっ!?し、神藤君!?」

 姫がベッド横に椅子を持ってきて腰掛けていて、身をひいたのが目に入った。

 ・・・夢か。良かった。

「・・・ごめん。急に大きな声出して。ちょっと窓開けてもいい?」

 気分転換のためにも、外の空気がすいたい。

 結界があるから、開けても平気なはずだけど、確認はしておこう。

「いいけど・・・夢でも見てたの?」

「えっ?」

「だって・・・かなりうなされてたから」

「あ~・・・うん。まあね」

 夢の内容は伝えなくない。姫が死んだかもしれない夢なんて言いたくない。

 それに、覚えていたくない夢に限って、こうやって全て覚えていることに腹が立つ。やけにリアルな夢だった。

「どんな夢だったか教えてくれる?」

「えっ?なんで?」

「神藤君は人間だけど、もう奇跡を使える天使になったのよ。天使が見る夢っていうのは、人間の正夢よりも遥かに起きる確率が高いの。なぜなら、将来において起こりそうな夢にはガブリエル様の奇跡が働いてるから。だから、出来るだけ詳しく教えて」

 ガブリエル様・・・確か、イエス・キリストの生誕を告げた4大天使。つまり、未来を教えてくれる天使。予知夢を司る者。

 ・・・じゃあ、今の夢も、いずれ現実に?

「別にたいした夢じゃなかったよ。達也と理沙と神倉さんと俺が学校で話してただけ。 で、達也が神倉さんを怒らせちゃって、教室を出て行こうとしたのを、俺が呼び止めたところで眼が覚めたってわけ」

 嘘をついた。

 口にすれば、現実になってしまいそうだから。天使の予言を受けたかもしれないのに嘘をつく俺は罪人だろうか?

 でも、死ぬ夢なんて伝えたくない。姫が悲しむ姿を、苦しむ姿を見たくない。

「そんな夢を見たの?なんか明日にでも現実になりそうね。藤井君は、私に何を言うのかしら?楽しみだわ」

 くすっと笑い、伝えた夢に関して、まったく疑っていない。

 それが悲しくもあり嬉しくもあった。

 姫の命を考えるなら話しておくべきなのかもしれない。でも、それが現実に起こるなら、話してどうにかできるものじゃない。姫の話を考えればそうなる。夢を伝えないでおいて、姫をいきなり死なせるような境地に追い込むのは、駄目なことなのかもしれない。

 けど、話してしまって、死ぬ恐怖と背中合わせで生きていく姫を見たくない。姫は、その恐怖を決して顔や態度に出さないだろう。それが辛い。この想いが自己満足なのは分かってる。

 ・・・だったら。自己満足で終わらないためにも・・・

 俺が強くなる。

 諸刃の刃と言われた奇跡を使いこなせてみせる。強くなってみせる。

「神倉さん。拡大奇跡の特訓を始めよう」

「そうね。時間もないし。始めましょう」

 ・・・あの夢が、仮に4大天使の予言だとしても、そんなの変えてみせるさ。

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