8 -1 お気に召していただけたかしら?

この国の絶対的存在。神に選ばれた存在。ひとにして人にあらざる巫女ー神子ーであるサロメは、リンゴを見ると嬉しそうに笑った。


会食場にはイヨ大統領と、そのほか閣僚たち、アルケ側はパルバティ、リンゴ、シヴァ、そして会食には参加はしないが護衛としてアシュランがいた。

会食内容はいたってふつうのものであり、豪華な料理と遠回しのふつうの会話を利用した政治駆け引き。通常の国の重鎮たちの会食である。もっぱら政治ごとを話すのはパルヴァティなので、リンゴはただたんにボロが出ないように微笑んだり好ましい受け答えをすればいい。

しかし、異常だったのはサロメがはいってきてからであった。

メイン料理もほぼすみ、次は最後のデザート、というところでガラァン、と扉の方から鐘の音がした。

その音を聞いた瞬間にイヨをはじめとする閣僚が食事の手を止め立ち上がった。アルケ側は一瞬どうしたのかと身体をとめ、アシュランだけがかばうように一歩だけリンゴの近くに近寄った。


「巫女様のおはいりです」


扉近くの侍従が声を発し、真面目な面持ちで二人がかりで両開きの扉をゆっくりと開けていく。

扉の向こうにいたのは、昨日見事な舞踏をした、この国の巫女、サロメだった。

サロメは髪の色と同じ黒いドレスに身を包み、悠然と立っていた。

イヨたち閣僚が一斉に頭をたれる。リンゴたちアルケ側も遅れて立ち上がり、あわせて頭を下げた。

そうされることが当然のようにサロメは気にもとめず、会食机の横を通り過ぎ、部屋の奥にあったたった一つのテーブルに向かう。それは大理石に彫刻がほどこされたもので、まるで祭壇のようだったため、それがサロメの席だったのだとリンゴは今の今まで気づかなかった。

好奇心が抑えられず、頭を下げたままリンゴは目線だけサロメを追う。彼女はリンゴと反対側の席側ーーパレスティ側の重鎮たちの横を通り過ぎながら自分の座るべき場所へと向かっている。

やはり、異質だ。

彼女が美しいから、とか、そうした理由ではない。まとう空気そのものが俗世の人間とは違うとしか思えない。

ふと、サロメがリンゴのほうを見た。たまたまであったろうが、それにリンゴはドキリとする。まずい、不敬にあたるかもしれない−−−そう思ったが、サロメはリンゴを見ると嬉しそうに笑った。

え、とリンゴが虚をつかれてる間もなくすぐにサロメは視線を戻し、その祭壇のごときテーブルにつく。そして相変わらず、歌声のような声音を響かせた。


「どうぞ、皆様、楽になさって」


その声でパレスティ側もアルケ側も頭をあげ、席に座る。

イヨ達は明らかにさきほどパルバティやリンゴと話していたときとは違う緊張感を持っている。なるほど、会食にサロメが同席するはずなのになぜいないのかと不思議だったものだが、サロメがきてからでは「会食」どころではない、というところか。


「みなさま、お食事とお話はお済みかしら?アルケの皆様は明日お発ちになるとか。その前に、私の葡萄酒を味わってくださいませ」


あらかじめ用意されていたのだろう、後ろに控えていた侍従達がひとりひとりの前に新しいグラスを起き、葡萄酒を注ぎ入れる。

それはとてもとても、濃い紫色で、グラスの底が見えないようなものだった。


「こちらはサロメ様のためだけに作られた、葡萄酒です。土や水に気を配るのは勿論、一つの木に数房しか実をつけないようにして、その身に味が凝縮されるように工夫されております。これはサロメ様のためだけにつくられ、私どもも許された時にしか飲むことは出来ません。特別なものです」


イヨが感嘆としながら語る。確かに、その特別さは確かにその普通のワインでは見たことのない濃さだけではなく、グラスから離れているのにただよってくる芳香さからうかがえる。


「私としては毎日飲んでいるので、飲み慣れたものですが。ですが味は私が保証いたしますわ。お近づきの印にどうぞ手に取って」


それでは、とパルヴァティとシヴァが手に取った。リンゴも目の前のグラスを持ち口に近づける。

とたん、大輪の花のような香りが微香をくすぐる。

リンゴも王女の身。高級なワインはいくらも飲んだことがあったが、ここまでの芳香をもちあわせたものには出会ったことがない。おそるおそる一口飲む。


「これは…」


思わず、といったようにパルバティが呟く。それはリンゴも同じだった。

蠱惑的なまでの凝縮された味。一口だけで食道から内蔵へいたるその際に身体が作り替えられるような。

美味。という言葉では足りない。いっそ官能的な感覚すらもたらすそれは、まるで悪魔の血を飲んでいるようだ。


「お気に召していただけたかしら?ねえ、リンゴ王女殿下?」

「え、ええ…このような素晴らしく、貴重なものを頂けて、光栄の限りです、サロメ様」

「そんなかしこまったことを聞きたい訳ではないわ…ねえリンゴ様、どうぞこちらにきてくださらない?」


そうして巫女は微笑み、リンゴのほうへ手を差し伸べた。

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