第3巻

第1話 ナンパ

 3月。春の気配があちらこちらに見られ、南の方から桜の開花宣言ニュースがちらほらと聞こえてくる季節。冬を越え、春へ向けて生物の営みが活発になる時節。

 それはモチロン人間も例外じゃない。少しずつ重たくも分厚い冬服から脱皮して、軽やかで華やかな春服へと変わっていく。


 春休みとゆー事実も相まって若者の心が浮かれるこの季節は、燦々と太陽の降り注ぐ真夏のバケイションに次ぐナンパの季節シーズンだ。


 そんな訳で、この所少ーしココロのストレスが蓄積してきている僕は、可愛くて優しい女の子とぱーっと遊んでリフレッシュすべく、ナンパでもするべと街へ繰り出した。



 試験前だとゆーのに盛大に迷惑をかけてくれやがったマセガキ、梗平君による僕のささやかな仕返しへの多大なる報復のお陰で、魔術訓練は過酷さを増した。

 眞琴さんは何だかご機嫌斜めな様子でビシバシと魔術を鍛え上げてくれるし知識も叩き込んでくれるし、遠縁と言う名の同類である梗平君まで召喚してくれちゃったのだ。


 梗平君が加わった事で何が変わったかって? ……あのマセガキ、無駄に頭良いのよ。


 今まで眞琴さんは僕に片っ端から魔術書読ませて、知識を雑多に放り込ませてたんだけど、梗平君は思想や参考文献別に魔術書を細かく分類し、カテゴライズして整理する事でより知識の理解が深めるべし、なーんて眞琴さんに提案してくれちゃったのである。

 お陰様で確かに分かりやすくなったし、頭の中が整理されたんだけど——いわば教科書丸暗記したものを表にして書き出すよーなものだからね——その分覚える量が増えたというか増やされたというか。とにかく、細かい部分は覚えなくていいやーという誤魔化しがきかなくなっちゃったのである。ごっしゅ。


 ……しかも梗平君てば、魔術の事になると、とーっても饒舌なのでした。


 いや、この間お店番を3日間代理でやってもらっていた時に、うすうす勘付いてはいたんだけどね? まさか、なにげなーく漏らした疑問に対してまる1時間講義されるとは思わなかったよ。しかも眞琴さんに止められてなければ、まだ続ける気だったという。


 人はアレを、マッド臭のする魔術オタクと呼ぶ。ぶっちゃけ関わりたくない人種だね。


 けど、自分から全力で首を突っ込んだ結果がこれだったりするので、僕としては溜息付きながらも受け入れるしかない訳で。



 ……誰かこのどーしよーもない変人を受け止めてくれるココロの広ーいお嬢さんが、彼を改心させてくれちゃったり…………なんて事はあり得ないですね、ハイ。



 とまあ、そんな風に世の無常を悟った僕は、最近愉快な星回りの下にいるとしか思えないアレコレからの現実逃避も兼ねて、ナンパに勤しもうって算段を立てたのさ。



(さーて、と)


 わざとらしくない程度のオシャレ服——要するにナンパ服——を身に纏った僕は、バイクにまたがったまま、じっくりとお相手してくれそうな女の子の品定めを始めた。


 この品定めがオアソビの正否を決めるんだよね。真面目に恋愛にしちゃいそーな初心な子はアウト、男をヤリ捨てのオモチャだと思ってる子もアウト、アソビに慣れすぎて刺激を求めちゃう危ない子もアウト。

 アソビをアソビと正しく理解してその上で恋愛の駆け引きを楽しむ、出来れば見た目も良い女の子が僕のターゲットだ。


 クラスメイトなら久慈さんが候補だけど、同じ大学の子に手を出すと後々厄介な事になりかねないのでパス。意外と難しいのよ、遊ぶのもさ。


 そうしてしばらく探していたものの、本日は僕のアンテナに引っかかる子はなかなか現れず。後日また出直すかなと思い始めたその時、よーやく発見。


(おおー、働くオネーサマって感じ。色っぽいなあ)


 シンプルな黒のスーツに身を包み、きりりと吊り上がった目元も涼しげな女性は、お昼休みにしては雰囲気にヨユーがある。時間を持て余していてどう潰すか考え中、けど物欲しそうな雰囲気は無し。漂う色気が落ち着いてるのもまた良いね。


(けどあんまし社会人な雰囲気もないから、もしか大学の研究員とかかね……ううむ)


 現在どこぞの可愛くない中坊のせいで研究者という単語に良い印象を持たない僕は、ちょっと二の足を踏んだ。


(ほら、何かにはまり込んでる人って時々周りが見えなくなるというかね? 自分の好奇心の為には手段を選ばないというかね? そーゆー、ちょいとアソビに誘ったらヤケドしちゃいそーなニオイがするというか……)


 しばし考えるも、『知識屋』を休める日にも限りがあるし、こーゆーものは機会を逃すと徹底的に逃し続けちゃうものなのだ。となれば、ちょっとばかし嫌な予感がするからって腰が引けては男が廃るとゆーものだろう。


 そう結論づけた僕は、よしと1つ頷いた。ナンパに必要なのは1に度胸2にタイミング、3,4がなくて5に如才なさである。


 バイクを転がし彼女が物色しているドーナツ屋さん側のガードレール脇に停車させると、僕はメットを外し精一杯気取って言う。


「フレンチドーナツを2つ、テイクアウト! 素敵な貴方と楽しみたいね」


 驚いた様子で彼女が振り返った。目があった瞬間に、とっておきの笑顔をこれでもかと浮かべてみせる。


「ふうん……」


 一瞬品定めするようなマナザシを向けてきた女性は、直ぐに楽しそうな笑みを浮かべた。どうやら、「ボーヤはお家にお帰りなさい」と言われない程度には合格だった模様。


「テイクアウトなんだ? ここには素敵なテラスもあるのに」


 少し少年ぽい悪戯じみた口調が、不思議と似合っていた。あえて畏まって答えてみる。


「いえいえ、僕のとっておきの場所までお連れしますよ」

「へえ、言うね。外れの丘まで連れて行くつもり?」

「それじゃご満足頂けないのは承知の上さ。僕としてはもっと刺激的な場所が良いかな」


 そう言って予備のメットを見せると、女性はややオレンジがかった赤いルージュを引いた口元を上げた。


「貴方、歳は?」

「法律的に貴女をフィアンセと言うのを憚らないでもいい歳にはなってるね」

「法律的に親からの自立は認められたかな?」

「んんん」


 女性が口元を綻ばせて白い歯を見せてくれる。


「素直なオトコノコは嫌いじゃないよ。貴方の言う刺激的な場所へ行くかは保留だけど、今時珍しいチャレンジ精神へのご褒美に、ここはフレンチドーナツ奢ってあげよう」

「素敵なお返事」


 にっこりと笑ってガードレールを越える。言葉通りドーナツを注文しようと店に向き直る女性の方へと歩み寄り、ひとまずタンデムのお誘いをしようという絶妙のタイミングで——



「あら、嘉瀨君。こんな所で何しているの?」



 ——折角の春陽気を真冬に引き戻しそうな、超絶クール声に呼び止められてしまった。



 声の方を見やった女性が顔を顰める。その表情に8割方失敗を悟りながらも、僕はゆっくりと振り返った。


「はろー、薫さん」


 眞琴さんのご友人、薫さん。記憶に誤りが無ければ今期は2月後半まで試験があるのだとぼやいてたから、まだ春休みも始まって間もないだろう。お疲れ様でございます、合掌。


 シンプルなベージュのパンツと茶の薄手のセーターに身を包んだ薫さんは、僕の「邪魔しないで」な気の乗らない挨拶に顔を顰めた。


「ハロー、じゃないでしょ。今日はグループレポート制作で13時に図書館集合って連絡していたのに、どうしてこんな所にいるの」

「へ、」

「さっきから何度電話しても出ないし。何かあったのかとみんなで心配していたのに、まさかサボって遊んでいるとは思わなかったわね」


 寝耳に水どころかそもそも貴女と僕は学部からして違うでしょ、と反論する暇こそ与えられず。流れるような薫さんの嘘に、女性がくすりと笑う声が聞こえた。


「サボりは褒められた事じゃないなあ、大学生」

「いやー……その……」

(これはもう、どう釈明しても言い訳にしかならないだろーねえ……)

 乾いた笑いで応じる僕に、女性はけれど愛想は尽かさずにいてくれる模様。その笑顔は悪戯じみていても呆れや冷たさはなかった。


 薫さんを再度ちらりと見やった女性はふっと大人びた笑みを浮かべ、会計を済ましてバッグからスマホを取り出した。


「やっぱり学生は課題をこなしてこそ、ってね。今日はお近づきの印って事で、ドーナツを勤勉な貴方達にプレゼントしてあげよう。スマホ出して、アドレス教えるよ」

 言われるままにスマホを出して、アドレスの交換を行った。

「平日でも休日でも構わないから、連絡して頂戴。ただし課題をこなしてから、ね」

 悪戯っぽく笑った女性は、それ以上何も言わせず僕にドーナツの入った袋を僕に押しつけ、ひらりと手を振って去った。


 何と無しにスマホに目を落とす。市ノいちのせ莉子りこという名前付きのアドレスが、僕のスマホのアドレス帳への保存を待っていた。



「あー…………」

 言葉もなく音を発して、僕はかりかりと頭をかいた。こんなオチは予想してなかったよ、いや予想してたらナンパなんかしようとも思わないけどさ。

 ひとまず、とてもとても無粋な真似をして下さった張本人への苦情くらいは許されるよねと、僕はちろりとお隣のクールレディを見やった。


 相変わらずさっぱりとしたショートカットで化粧っ気もない薫さんは、けれどその素っ気ない雰囲気とパンツにセーター姿が良くお似合い。肩にかけた大きめのバッグは今日は軽そう。試験後のお休みは良いね。


「レポートなんてないでしょーに……今春休みなんだからさ」

「試験終わった後にレポートまであったら、たまったもんじゃないわね」

 歯切れの言いお返事に、僕はびしっとツッコミを敢行する。

「嘘ついてまで人の恋路を妨害してると、馬に蹴られてしまうそうだよ」

「恋路? 煩悩を突っ走らせた愚行の間違いでしょ」


 冷凍庫もかくやの冷めきったお答え。どうやら先程の僕の行為は、余程薫さんの腹に据えかねたご様子だ。


「仮にそうだとしてもですよ、その辺りは僕とそれを受ける女の子の自由じゃないかなあと思ったりするんだけどなー……」

「あら、感謝して欲しい所だけど」

「……はい?」

 流石に半眼を薫さんに向ける。感謝しろと言われてむっとしない程には、僕も温厚じゃない。


 しかし知的クールレディにして、現在魔術レベルにコアと思われる医学知識を蓄積し続けている薫さんは、僕の予想の斜め上なお答えを宣ったのだった。



「知らないの? ああいう遊び慣れた女性複数と遊んでいると、性病にかかる確率は劇的に跳ね上がるのよ」



 ひく、と口元が引き攣る。それを見た薫さんは眞琴さんの友人に相応しいシニカルな笑顔を浮かべ、尚も追い打ちをかけて下さった。



「性病って男性はなかなか症状が現れないから、気付かず女性にもうつすしね。治療効果も時によりけりで、不妊で悩む夫婦も多くない。それに状況によっては不能になるわね、男性の性病は」



「っそーゆー事をお年頃の女性が言うのは、いかがなものかと思います!」

 今や顔中を引き攣らせながら精一杯の抵抗を試みるも、薫さんは動じない。


「普段エロい事しか考えてない、下半身に忠実な大学生男子が何を言ってるのか。それにこれは同級生の女性としてではなく、医師の卵の助言よ。個人的には嘉瀨君が自業自得で病気に罹って痛い目に遭おうが、心の底からどうでもいい。ああ、医療費削減の為には病気にならない方が良いか」


 バッサリと身も蓋も無く切り捨てて下さった薫さんは、僕の手からドーナツの袋を奪って覗き込んだ。


「大体、あの人も私の嘘はあっさり見破っていたみたいよ。グループ研究と言ったのに、ドーナツ2個しかないし。大方、私が水を差してへそを曲げたという所か。その割には妙なライバル心燃やしてくれたみたいだけど、馬鹿馬鹿しい。……何が楽しいの? 嘉瀨君の事をゲーム相手としか思ってない人と遊んで」


 薫さんの素朴な疑問と思われるそれには、薫さんに合わせて身も蓋も無く答えた。


「一夜の火遊びや女性のやらかい体に心癒されるのが男とゆーイキモノなのです」


「くだらない」

「まあばっさり」

 言い切った言葉には心の底からの蔑みが込められていて、聞いてるだけで辛いね。


「そんなつまらない理由で女を鬱憤晴らしに使うような最低男なんて、全員去勢されれば良いのよ。いない方が社会の為だわ」


 くっきりと嫌悪を浮かべて吐き捨てる薫さんから1歩離れる。何だかホントーに実行されそうで超怖い。


「……えぇと、じゃあ僕はこれで」


 何だかマジで薫さんの触れてはいけない部分をがっつり抉ってしまった模様なので、僕は素早く撤退を選んだ。本気でお怒りの女性に何を言っても火にガソリン。特に薫さんのよーな真面目な優等生は尚更だもの、これは逃避じゃなくて戦略的撤退で正しい。薫さんの発言に恐れをなして逃げを打つ訳じゃない。ないったらないのだ。


 が、薫さんはそんな僕のチキン、もとい戦況を読んでの避難を許してはくれなかった。


「駄目」

「ぐえっ」


 きっぱりとした宣言と共に襟首を力一杯引かれた。その細腕のどこにそんなお力があるんだろうね、蛙が潰れたみたいな声が出たよ。


「まず、ドーナツ食べてない。頂き物はありがたくいただくべきです。次に、眞琴が本を1度も虫干ししていない事が判明したから、今から作業する為に書店に行くわよ」

「僕今日はお休み……」

「今まで書店の店員として最低限の義務を果たしてこなかった嘉瀨君の自業自得ね」

「えええ、そんなご無体な……」


 思わず呻くも、薫さんは譲る気配も見せない。


「嫌なら眞琴に今見た光景ごと、嘉瀨君が来られない理由を説明するけど——」

「すみませんごめんなさい、喜んで虫干しを務めさせていただきますので、それだけはどうぞご勘弁をば」


 直ぐにへこへこと頭を下げつつ懇願する。そんな事をばらされては、最近ただでさえ鬼のよーな魔術訓練が死地になるじゃないか。嫌だよ僕は、この若さで魔術訓練中に死にましたーなんて他人様にはっきり言えない死に方するのは。


「……嘉瀨君ってほんっとうに……駄目ね」

「あはは……仰る通りです」



(自分のヘタレ度合いなら十分に認識しているので、その虫けらを見るよな目は勘弁して下さいお願いします。そろそろ僕の強化ガラス製のココロも砕け散りそうなんです)



 低姿勢で謝り倒して何とかナンパの事を黙っておいてもらう約束をしてもらった僕は、アソビ相手になって下さる予定だった市ノ瀬莉子嬢の代わりに薫さんとドーナツを食べ、デートスポットへのタンデムの代わりに『知識屋』整頓アルバイターな薫さんと共に休日出勤すべく、『知識屋』へとタンデムする羽目になったのだった。


(……虚しい)


 知的な印象ばりばりの事実偏差値ぶっちぎり、近寄る男は今の僕を見るよな冷めたマナザシで撥ね除けるだろう薫さんは、遊ぶ暇があったら将来の資金を貯めるのが建設的と言い切る現実主義でもあるのだからして、さっき無意識に対象外扱いしていたナンパに向かない女性ナンバーワンである事間違い無しなのだ。


 とほほだよ、全く。

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