第8話 非日常からの来客

「おい」


 いきなり声が聞こえて、文字通り飛び上がる。ああびっくりした、心臓が肋骨をスキップした気がするよ。


 慌てて振り返ると、黒で統一した服装の無表情な青年……少年? が立っていた。さっきの魔術師のオジサンより一回り下……下手したらそれ以下だろう。ていうか、僕よりちょっと上か同じ位っぽい。


 黒目黒髪の同郷人。外国人慣れしない日本人としてはほっとさせられる。あれって、言葉が通じる通じない以前の奇妙な緊張感があるよね。なのにここに来る『裏』のお客さんって結構な割合で外国人なのだから、まったく。


(……じゃなくて。今この人、いきなり湧いて出なかった?)


「ええと、いらっしゃいませ……?」

 疑問系なのは、心の声が微妙に漏れてしまったが故。ベルが鳴った覚えがないのだから仕方ない。


 心の中で言い訳しつつ、無駄に上背のある相手を見上げる。この人、福茂よりもでかい。180近くあるんじゃなかろうか。


「お前、ここの店員か?」

「ええ。何かお探しですか?」


 居丈高な口調で尋ねられてちょっとむっとしたけど、営業スマイルでそう答える。お客様は僕の生活費を支える大事な金づるだからね。


「ここの本にはさして興味が無いし、『奥』の書物も今は要らない。今日は仕事だ。先程、男が1人来店しなかったか。茶髪に青灰色の目の外国人だから、目立つと思うが」


 さらりと言われた言葉に、瞬く。


 魔力の気配を感じないこの人が『裏』の事情を知っているとは、何とも胡散臭い。しかも、書店に人捜しとは風変わりな。

 人捜しと聞いて思い付くのは刑事さんだけど、警察手帳なさげだし、そもそもこんな若い刑事さんいたら労働基準法どーなった状態だ。第一、刑事さんなら『裏』は知らない。


(変な人……って事は、この人魔術師かね。魔力感じないんだけど)


 前にも、こうして押しかけてきた人がいた。その人は魔術師じゃないのに知識を欲していたのだ。鍵の言葉を言わないからお帰り頂いたけど、何かこの人はそれとは違う気がする。僕の頼りにならない勘に過ぎないけどね。


 それに、彼が言った外見のお客さんには心当たりがある。ついさっき入っていった、新規のお客様だ。


「すみませんが、お客様の事を無闇に話すわけにはいきませんので」


 けれど、そーいうのをぺらぺらと話すのもどうかと思い、ひとまず当たり障りのない返しをする。ただでさえ昨夜へまをやらかしたばかりだというのに、うっかり資格の無い人を招き入れたりしたら後が怖い。



 けれど、その判断は失敗だったらしい。



 僕の返事を聞いた彼は、すいと片目を眇めた。と思ったら、不意に世界がぐらんと揺れる。背中に衝撃が走り、息が詰まった。



「……『魔女』に仕えるなら忘れるな。見習いであるお前が魔術師以上の立場を持つ相手に逆らう事は許されていない。俺が『奥』の事を承知していて、かつ仕事だと言っている以上、問いかけにはさっさと答えろ」



 首を掴み僕を書棚に押しつけた彼は、相変わらず無表情のまま、抑揚もなく淡々と言った。首を押さえられているという事実以上に、その言霊の重さに息が詰まる。


「それで」


 一際低くなった声に、これはヤバイと感じた。この人ヤバイ。ヤバ過ぎる。

 なんとゆーか、僕の命なぞ破れかけた紙切れと同じ扱いをしている感じがぷんぷんするのだ。まじおっかない。


(これは眞琴さんに丸投げしよう、そうしよう)


 速攻でそう結論づけて、息苦しいまま声を押し出す。


「さっき、奥に、『魔女』と入っていきました」


 この人の気迫に気圧されながらも、他人がいる時は本名を言うなという指示に忠実に従った自分に心の中で拍手。


「……『魔女』と入っていったなら、待つか」


 独りごちると、彼はようやく手を離してくれた。同時に感じていた得体の知れない怖さもふっと消えて、その場にズルズルと座り込む。


 げほげほと咳き込む僕には一瞥もくれず、彼は僕を押しつけていた書棚に背を預け、ドアに視線を固定した。待つというのは「出てくるのを待つ」という事なのね。


 普通に呼吸出来るようになるまで相当かかったけれども、すーはーと深呼吸して何とか落ち着ける。ああ怖かった。


 ひとまず落ち着いた所で、その場に座ったまま話しかける。


「……あの、あの人に何が——」

「下っ端に教えるか」

「……ハイ」


 みなまで言わせず一言で切り捨てられて、僕は素直に頷いた。2度同じ間違いをするような自殺願望は僕には無いのだ。プライド? 何それ。


「まあ、近いうちに分かる話ではあるが」

「え?」

 短く落とされた言葉に聞き返すも、それ以上は何も言ってもらえなかった。けど、一応聞こえはしたので、僕も視線をドアに向ける。


「……お前、『魔女』に仕えてどれくらいだ」


 低い、独り言のような声。顔を上げたけど、彼の視線はドアに固定されたままだ。


(ここには僕しかいないし、これ質問だよね。何か、ものすごーく身勝手な人だよなあ。眞琴さんっぽい強引さ)


 心の中だけで感想を呟きつつ、素直に答えた。

「えっと、まだ2ヶ月くらいです」


 その2ヶ月の間にこんな物騒かつ目的不明なお客様は初めてだ。さりげなくそんな批難を込めて答えてみる。


「……何だと?」

 けれど彼は、そんなささやかな反抗など歯牙にもかけなかった。代わりに、初めて声に感情が宿った気がする。戸惑ったとゆーか、予想外の事を聞かされました的な。


(え、レアなリアクション引き出したのが僕の契約歴って。何が珍しいん?)


 怪訝に思ってもう1度答えを繰り返そうとしたその時、ドアがバン! と開いた。眞琴さんの無遠慮……もとい思い切りの良さとは違う、荒々しい開き方だ。

 飛び出てきたのは、怒りに顔を赤くしたさっきの魔術師。後から出てきた眞琴さんは涼しい顔だ。


 ああ、この修羅場は見た事ある。眞琴さんが売るのを突っぱねたのだ。眞琴さん、その時だけはお客さん相手でも滅茶苦茶えらそーだもんなあ。


 以前『身の程も弁えずに手に負えないものを取り扱おうとする馬鹿なんかに払う敬意はないね』と堂々と仰っていた眞琴さんは、涼しい顔のまま宣った。

「またのお越しはご遠慮下さいませ」

「小娘が……!」

 慇懃無礼の見本のような挨拶に噛み付く魔術師。さっき僕を嘲って見せた時の余裕ぶりなんて、どこにも残っていない。


(てか、怒ってるのもだけど、何か焦ってない?)


 顔が赤いけど、視線は微妙に彷徨いている。何より、どことなく落ち着きがない。まるで、ここを追い出されると拙い事になると予感しているかのように。


 で、その焦っている理由なんて、僕には1つしか思い付かなかったりして。



「——マニピュラン・フォンデュト」



 今まで黙っていた黒一色な彼が奇妙な言語をいきなり口にした瞬間、魔術師が凍り付いた。ぎぎぎ、と音が聞こえそうな強張った動きでこっちを見る。


「……おや」


 意外そうな声を小さく落とした眞琴さんには一瞥もくれず、黒ずくめな彼は淡々と続けた。


「罪状については今更述べるまでもないだろう。大人しく連行される事を勧める」


 罪状。どうやら彼は犯罪者だったらしい。僕なら速攻従いそうな投降勧告を告げられた魔術師——フォンデュトは、みるみるうちに顔を青醒めさせた。まあ器用。


「スブラン・ノワール!? 何故お前がここに……」

(この人も外国人でした!?)


 黒目黒髪東洋顔なのに、という驚愕と共に、スブラン・ノワールと呼ばれた青年を見上げる。何故か微かに顔を顰めていた彼は、けど抑揚のない口調のまま淡々と答えた。


「この面倒な場所に逃げ込んだ上、最初にしょっ引こうとした時に盛大に魔術を行使したらしいな。その際に比較的大きな被害が出た為、俺にお鉢が回ってきた。お前如きにこれ以上時間を割く気もなければ、いちいち手間をかける気も無い。とっとと来い」


 外国人とか絶対嘘でしょと言い切れる程に流暢な日本語で滔々と宣うノワールは、やっぱり眞琴さんと同類なご様子。何かさらっと物凄いえらそーな事言ってるのに、何も違和感がないってどーゆー事よ。


「……くそっ! 謀ったな『魔女』よ!」

「人聞きの悪い。私は君のような半端者に売る物は何も無いと言っただけだよ。彼が来ている事なんて、気付く筈無いじゃないか」


 しゃあしゃあと嘯く——この店には眞琴さんの魔術が張り巡らされているわけで、誰か店に入ってきたら速攻分かる——眞琴さんのマイペースっぷりに感嘆しつつ、いい加減立ち上がる。けど、そーやって動きを見せた事が拙かったみたい。


「お前か! 見習いの分際で!」


 何故か鬼の形相で怒鳴られてしまった。


「え、ちょいそれ、ものっそい八つ当たりよ?」

 ひらっと手を振りつつ、じりじりと後ずさりする。だってこの人の周り、魔力渦巻いてんだもん。怖い、超怖い。魔術使う気満タンじゃん。


 どのタイミングで走って逃げようかな、なんて割とマジで考えていると、ノワールが寄りかかっていた本棚から身を起こす。



 次の瞬間、僕はその場に縫い止められた。



(……え)


 彼は、何もしていない。ただ身を起こしただけで、フォンデュトのように魔術を使おうとしているわけでも、さっき僕にやって見せたみたいに首根っこ掴もうとしている素振りがあるわけでもない。


 それなのに、指1本動かせない。息をするのすら、躊躇われてしまう。


(……嘘でしょ、これ)


 彼がやったのは、ただ、身の内に隠していたらしき魔力を解放しただけ。どうやったら魔力を隠せるのかすら僕には分からないけど、そういう問題じゃない。



「大人しく連行されろと言った筈だが」



 相変わらず冷めた口調でそれだけを言う彼の——その、魔力量が。


 普段お店に来る魔術師達10人を凌ぐ——だなんて。



(この人、人間……?)


 冷や汗が首筋を伝うのを感じながら、僕は率直な疑問を抱いた。今まで、こんな魔力を持っていた人なんて見た事無い。


 見れば、彼我の実力差が分かるらしいフォンデュトが蒼白になっていた。ノワールの視線に真っ直ぐ射貫かれ、身動ぎさえも出来ない様子。


 1歩。ノワールが、足を踏み出した。

 ただそれだけで、フォンデュトは腰を抜かす。と、その体が不自然に硬直した。



「——捕獲完了」



 最後まで冷静な口調でノワールが呟くと、ふっと魔力の気配が跡形もなく消える。まるで、今まであったそれが幻だったかのように。

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