第17話 不確定なポーカーハンド
※ ※ ※
真樹の目から見る匡の勝負は、よくわからないものだった。
匡は確実に、何かを指針として勝負している。
しかし、彼のハンドだけを見ると、あまりにもめちゃくちゃな戦いだった。
言ってしまえば、ハンドが入っていないときに強く出て、ハンドが強いときには賭けを少なくする、というものだ。
確かに勝利戦略の中にはそういったものもある。その流れを主流と思わせて、本当に大物手が入った時に一気に強く出たりするのは、テクニックの一つだ。
しかし、匡からはそんな様子は見られない。
彼は何か、よくわからないものを指針として、勝負している。
十九戦目が始まる前に、匡は榎本に言った。
「すまん、榎本。なんか飲み物持ってきてくれ」
「ん? ええけど、なんにする」
「柑橘系。酒はやめろよ。判断が鈍る」
匡は少しいらいらした様子を見せている。
無理もない。先の十八戦目では、トリップスという大きな手で、たったの一千二百万しか勝てなかったのだ。そこで妥協してしまった自分が許せないのだろうと真樹は思った。
そして、十九戦目と二十戦目は、何事もなかったように過ぎ去った。
戻ってきた榎本からジュースを受け取った匡は、ストローを噛みながらテーブルを恨めしそうに見つめている。
二十一戦目を前に、カードデックが交換され、新しいカードをディーラーがカットし始める。
勝負自体は盛り上がってきたものの、いまだに決定的な大勝負と言うのは行われていない。
しかし、導火線に火はついているはずである。
あとはいつ、その火が火薬に届くかを、ギャラリーは今か今かと待っている。
「じれているようだね? 近江くん」
イライラを隠せなくなってきた匡に、五十嵐が余裕綽々と言った様子で語りかける。
二十戦もゲームを行って、すでに時間は一時間経とうとしている。
彼も同様に疲れがたまっているはずだが、その片鱗すらも見せようとしない。よほど精神が強いのか、あるいはポーカーに慣れているのか。
「ポーカーに限らず、ギャンブルは焦った方が負けだよ。あの時ああすればよかった、なんていうのは、ギャンブルでは毒以上の何物でもない。負けを取り返そうと考えるなんて、それこそまさかだ」
「……何が言いたいんだよ」
五十嵐の言葉に、ねめつけるような目を向ける匡。
じりじりと火花が散るような視線の応酬に、自然と周囲の緊張も高まる。
先にその緊張を解いたのは、意外にも匡の方だった。
「はぁ。アンタにあたっても仕方ねェ。勝負は勝負だよ。さっさと続きをやろうぜ」
「まあ待ちなよ。私も少し疲れた。少し話でもして休憩しないかい?」
そんな五十嵐の提案には、疲れよりも余裕が見て取れる。それにじれたように匡は睨んだが、肩の力を抜いてその提案を飲んだ。
「ああ。いいよ。それで、話って何をするつもりだ?」
「そうだね。……君は、麻雀はやるかい?」
少し話題を考えるように目を伏せた彼は、唐突にそんなことを聞いてきた。
「麻雀? まあ、人並みにはやるけど」
「そうか。いやなに、私は最近覚えたんだけれどね、あのゲームは、なかなかどうして面白いとは思わないか。初めは分かりにくいと思ったけれど、やればやるほどにその奥深さに気が付く。麻雀を考えた人間は、天才だと私は思うよ」
「それには同感だな。あんな意地の悪いゲーム、考えた奴は相当性根がねじ曲がっていると思うよ」
何を根拠にそこまで言うのか、匡は吐き捨てるように言った。
「それで? 麻雀はポーカーに近いって話でもするつもりか? そんなもん、言われ過ぎてて今更目新しさなんてねぇよ」
「はは。君は察しがいいね。ただ、少し先走り過ぎかな。私は、ポーカーと麻雀は、決定的に違うということを言いたかったんだけれど」
隣の美女に顔を寄せながら、五十嵐は言葉を続ける。
「確かに、駆け引きと言う観点で見れば、麻雀とポーカーはとてもよく似ている。自分の手を高く見せ、相手を下ろしたり、自分の手を低く見せて、相手に振り込ませたりするという技術は、どちらにも共通する者だ。しかし――麻雀には、不慮の事故というものが、ある」
「点数、ってことか」
五十嵐の言葉を先読みしたかのように、匡が引き継ぐ。
「確かに、ポーカーが互いの同意でのみ勝負が成立するのに対して、麻雀はあがられたら負け、しかもその点数は高いか低いかわからないと来てる。低ければいいが、高い手に振り込んでしまった場合、自分の予想以上の損失を生む。つまりは、そういうことだろう?」
「まったく。それほど察しがいいと、逆に嫌われないかい?」
面白そうにそう答える五十嵐は、匡の言葉にうなずいた。
「その通り。つまり麻雀の勝ち負けには、振れ幅があるということだ。確かに技術で補える部分はあるが、実際の勝ちと負けは未知数だ。はっきり言って運が大きく絡んでくるといえるだろう。しかし――ポーカーは、運よりも技術がものをいう」
気取った仕草でテーブルを叩き、五十嵐は言葉を続ける。
「ポーカーの勝ち負けは完全に実力の差だ。たとえいいハンドが入らなくても、勝とうとすれば勝てるし、たとえいいハンドが入ろうとも負ける人間は負ける。問題は、いかに相手との心理戦を征するか。それがポーカーの強さだ」
「そこは確かに、麻雀とは違うな。技術がものをいう、か。きひひ、なるほど。あんたが言うと確かに真実味があるよ」
匡は不機嫌を外にやり、不敵に笑いかける。
「そうやって、何人もの人間を実力で蹴落としてきたってことだろ。弱者を蹂躙するのは強者の権利だ。趣味が悪いことに変わりはないがな」
「おいおい。それは飛躍しすぎじゃないかい? 私はただ、勝った際の正当な権利を行使しているだけだ。蹴落としただとか、蹂躙するだとかいうと、私が好き好んで敗者を追い詰めているようで、なんだか嫌だな」
くふふ、と五十嵐は笑う。
「勝負するかどうかは、当人の問題だよ。例えそれで負けたとしても、その対価を払うのは当然の義務だ。これは、ギャンブルだけの話じゃない。社会における常識と言えるものじゃないかい? 負けに対する対価と言うのは、自己責任ではないだろうか」
「そーだな。自己責任っつーのには、まあ異論はないな」
見下すような視線を、匡は向ける。
「借金をいくらも重ねようと、その結果拉致されて内臓全部引き抜かれようと、自分の服を賭けようと、自分の身体を賭けようと――そんなもんは、全部自己責任だ。きひひ。まったくよぉ」
テーブルに身を乗り出しながら、皮肉気に言う。
「自己責任って言葉はうまいこと出来ててよ」
冷めた目で見下ろすようにしながら、匡は続ける。
「結局のところ、成功者が都合よく使うのにうってつけなんだよ。騙そうが何しようが、騙された方が悪いって言えるんだからな」
「騙すだなんて、随分と物騒なことを言うね」
「何ってんだ。そもそもおれたちは、物騒なことしてんだろ」
匡はテーブルを軽くトントンとたたく。
「金を賭けてる時点で遊びじゃなくて殴り合いだ。相手の命をいかに削り、自分の命をいかに守るか。そういう緊張感があるからこそ、心理戦が深まる。相手に負けないために、必死になる。卑しい卑しい人間が、本性表してぶつかり合うのが、ギャンブルだろ? だから騙しもするし、騙りもする」
じっと見つめる匡の目と、仮面越しの五十嵐の視線が交差する。
互いににらみ合った後、匡が言った。
「いい加減、本性表せよ、ハイエナ」
「そちらこそ、腹の内をいつ見せてくれるのかな、キツネくん」
互いが互いの言葉を言い交して。
そして、二十一戦目が開始する。
※ ※ ※
さて。
複数人で行うイカサマの場合、問題となるのは信頼関係である。
信頼関係がなければ、イカサマは成立しない。作業を分担することによって、一人一人の疑われるリスクを減らす複数人によるイカサマは、その性質上、相方や仲間を完全に信用しないといけない。
例えば、ブラックジャックのカウンティングを例に出そう。
カウンティングは本来、一人で行うものではない。ゲームに集中しながら計算を完璧にするというのは存外難しい。はっきりと、不可能と言っていいだろう。
プレイヤーが増えれば増えるほどに、把握しなければいけないカードが増えるため、プレイしながらの完全なカウンティングはよほどの記憶力と集中力を必要とする。
だが、これを二人組、もしくは三人組で行えば、たやすいものとなる。
プレイする人間と、観戦しながらカウンティングする役とに分ける。カウンティングに徹する人間は、カウントするための機器を使ってもよい。そうしてカウントした結果をプレイ役に伝え、プレイ役がその結果に従ってベットを決める、という流れだ。
この時大切なのは、プレイ役が、カウント役の人間の言葉をどこまで信用できるか、という点である。
そんなもの、仲間内なのだから信頼できるに決まっているだろうというかもしれないが、しかし外から見るだけの人間と、実際にプレイする人間では温度差があるのだ。勝負の流れ、とでもいうものを感じた人間は、不確かな第三者の言葉より、自分の直感を信じてしまう。
また、ブラックジャックの場合、カウンティングの結果が必ずしも勝負に直結するとは限らない。どんなにハイカードが出る確率が高くても、ローカードだらけになることもある。そんな時に、カウント役を信じ続けることができるかが、ブラックジャックにおける複数人カウンティングの重要なところだ。
この、人間同士の不完全な意思疎通による不審。
それこそが、イカサマにおけるもっとも大きな敵と言える。
二十四戦目。
匡の手は、Aのワンペアだった。
「…………」
匡は負け越している。
現在のテーブルに積まれているチップの合計額は三千四百万。Aのワンペアという強力な手を得た今は、出来るだけ勝ちに行きたいところだった。
勝負は静かな立ち上がりを見せた。
チェンジ前のベットインターバルでは、五百万でコールされ、二回目のベットインターバルも、少額のレイズが続いた。
一千三百万にまで、賭け金が上った時だった。
「ダメだ。降りる」
あっさりとそういって、匡はフォールドした。
その時に、テーブルに伏せていたカードをまとめて、中央にやるときに、ちょっとした不手際が起きた。
フォルドした際は両方のハンドは裏のまま回収されるのが通例であるのだが、匡がカードを戻す時に力を入れ過ぎたせいか、五枚のカードが表になってしまったのだ。
「あ。悪い」
素直に謝ってカードをまとめる匡だったが、その時、ギャラリーにも、五十嵐の目にも、そのハンドの内容が見られてしまった。
Aが三枚。
トリップスであることが。
「………え?」
一番驚いたのは、おそらく真樹だろう。
ギャラリーからすれば、トリップスを持っていながらためらいもなく降りてしまった匡の姿が驚きの対象だろうが、真樹からすれば違う。
(なんで? だって、近江さんの手は、ワンペアだったはず)
チェンジのカードも、ちゃんと見たのだ。むしろ匡は、後ろに控えている真樹と榎本には、カードの柄が見えるように開いている節がある。
どうして? という真樹の疑問に答えてくれる人間がいるわけもなく、勝負は続行となった。
二十五戦目。
先ほどの大人しさが不思議なくらいに過剰に攻めた匡は、あっさりと一千五百万の勝負に勝った。
その時の手はワンペアだった。
そして、再度カードの入れ替えが行われてから、二十六戦目。
とうとう、匡が動き出す。
※ ※ ※
匡は、配られたカードを一度見た後、すぐにテーブルに伏せるようにしている。
チェンジの時もそれは同じで、先に右に寄せておいた不要札をチェンジに出した後、送られてきたカードを軽く見て、すぐに自分の手札と合わせて伏せるようにしていた。
しかし、この回。
二十六戦目から、奇妙な行動をとり始めた。
「チェンジ。一枚」
この時の匡の手は、ストレートが絡みそうな手だった。
一枚だけチェンジに出して、カードが送られてくる。いつもならばそれをすぐに見るのだが、この回の匡は、裏のまま絵柄を確認しようとしない。
「ん、何をしているんだい。早く確認しないか」
その様子を不審に思った五十嵐が、急かすように言ってくる。
しかし、それに構わずに、匡はあっさりと言うのだった。
「レイズ。三百万」
これには誰もが驚きを隠せなかった。
なんと匡は、自分の最終的なハンドがどうなったかを確認もせずにゲームを続けようというのだった。
「……正気かい?」
「なんだよ。狂ってるとでも言いたいのか?」
きひひ、と。
匡はいつも通りの笑い声をあげて、堂々とゲームを続けた。
「さあ? 受けるか、うけねぇのか。どっちだ」
「…………」
これには、さすがの五十嵐もすぐには答えることができなかった。
しばしの沈黙の後、そばの美女が急かすように顔を撫でたのをきっかけとして、決断をする。
「コール。受けよう」
合計八百万の勝負だった。
それほど高いものではない。ここまでの間、たいていが一千万を超える勝負だっただけに、少しだけ物足りないものがあるのは否めない。
実際、勝負の結果も、予想通りと言えるものだった。
五十嵐の手はJのワンペア。それに対して、匡の手は8のワンペアだった。
ストレートを狙った結果、チェンジできたカードはワンペアを成立させるカードだったのだ。
結果的に負けはしたものの、伏せたままのカードでワンペアが成立していたのが分かった時には、ギャラリーがどよめいた。
この時、誰よりも怪訝な顔をしていたのは、五十嵐だった。
その表情は、『話が違う』とでも言いたげなもので、どこに向けていいかわからない文句を飲み込んでいた。
仮面越しなので目立たなかったのと、すぐにポーカーフェイスを取り戻したために注目はされなかったが、匡ははっきりとそれを見ていた。
二十七戦目。
「チェンジ。二枚」
その時の匡の手は、フラッシュがかすかに見えるかという程度のブタの手だった。このチェンジした二枚で、♢のスートがそろえば、フラッシュが完成する。
この時も匡はやらかした。
送られてきた二枚のカードを、またしても確認しようとしなかったのだ。
「……君は、馬鹿にしているのか?」
カードに触ろうともしない匡に対して、さすがに一言申したくなったのか、五十嵐は苛立った声を出した。
しかし、そんな五十嵐の抗議もどこ吹く風で、匡はいけしゃあしゃあと言う。
「真剣かふざけているかで言ったら、真剣の割合が高いな。ほら、とっととレイズしろよ。それとも、ここで降りるか?」
「……レイズ。二百万」
「レイズ。その上に三百万」
間髪入れずにさらにチップを積む匡。
いったいこの自信はどこからくるのか。自分自身にすらわからないカードの柄に、一千万近い金額を賭ける気持ちが、真樹には分からなかった。
しばらく五十嵐は考え込んだ後、あっさりと「フォルドだ」と言った。
この勝負は、一千百万の勝ちだ。
そして、二十八戦目。
※ ※ ※
もはやここまで来ると、驚きも出なかった。
「チェンジ。三枚」
一枚ずつ増えていくチェンジ枚数と、見えないカード。
しかし、匡はまるでカードの絵柄を信じているとでもいうように、堂々と賭けを続けていく。
もしかしたら彼には、裏向きのカードの絵柄が見えているのではないだろうかと疑うほどに、匡の言葉には迷いがなかった。
五十嵐からすると、匡の行動は不気味でしかなかった。
何より、恐ろしいのは二十六戦目でのワンペアである。
1枚チェンジで、ノーハンドからワンペアを成立させた。
あのときに、見えないカードを使ってハンドを成立させていたのが、一番の恐怖となっている。
ならば、それを払拭しなければならない。
この回で匡がレイズしてきたら、すぐにそれにコールしてハンドを見てやろうと意気込んでいるのに対して、匡はあっさりと言った。
「ダメだな。フォールドだ」
「な、ん」
本当にカードの裏が見えているとでもいうのだろうか。
実際、この時の匡のハンドはブタだった。
結局オープンされなかったので、誰にもわからなかったことであるが――いや、それが分かった人間が、ごく一部にいた。
その一人である五十嵐は、言い知れない恐怖を感じていた。
早めに対策をとらなければいけない。そう思った五十嵐は、二十九戦目のオープニングベットで大きく出た。
「ベット。一千万」
ギャラリーの誰もがその大胆な決断に瞠目した。
おそらく匡もだろうと、期待して対面を見た五十嵐は、逆に驚かされることになる。
「レイズ。その上に一千万」
今度こそ、五十嵐は心臓が止まるかと思った。
いったいこの自信はどこから来るのか――いや、まだチェンジが行われていないのだから、見てもいないカードに賭けているわけではない。自分の目で見たハンドに対して、二千百万の金額を賭けると言っているのだ。
じれたように、五十嵐は共犯者に確認をとる。その反応は、『分からない』というものだった。今回は仕掛けを打っていないのだという。むしろ、なぜ一千万もオープニングベットしたかと責めているようだった。
仕掛けを打ちはするが、あくまでプレイングは五十嵐に一任されているが故のミスだった。
仕方がないので、ここはチェンジタイムの後に降りようと思い、コールした後のことだった。
チェンジタイム。
「チェンジ。四枚」
近江匡は、四枚ものチェンジを行ったのだ。
「な、なんだと!」
これには思わず叫びだすことしかできなかった。
なぜなら、彼は一回目のベットインターバルで二千百万もの金額を賭けたハンドを、あっさりと捨て去ったのだ。
たった一枚で成立するハンドなどあろうはずもない。つまり、まったくまっさらなハンドに、二千百万を賭けようとしているのだ
「ふ、ふざけるのも大概にしたらどうかな……」
「ふざけちゃいねぇよ。さっきも言った通り、おれは真剣だ。……さあ、賭けな。あんたのハンドは、いくらまで積める?」
その挑発にかちんと来て、思わず一千万上乗せするところだった。
寸でのところでそれをためらったのは、共犯者からの非難の視線だ。
そもそも、この勝負で五十嵐が使っている金は、ほとんどが自分の金ではない。パトロンから供給された資金と言う点も、五十嵐の手を止めるのに力を貸していた。
「ふ、フォールドだ」
第三者の視点からすれば、匡の無謀なブラフに怖気づいたようにしか見えないだろう。しかし、相手のハンドも分からない勝負に何千万もの金額を賭けるのは馬鹿らしいと言える。
このまま調子づかせれば、いくらまで金額があがるかわからない。
この場面ではこれが一番の行動だと、五十嵐は自分を納得させる。
――勝負は三十戦目に突入していた。
さすがに疲れを感じ始めていた。先ほど休憩のために会話を提案したのは、五十嵐も限界に近かったからだ。
いかに相手のハンドがわかるといっても、それをもとに勝負を思い通りに運ぶのには多大の精神を使う。
ましてや、敵はよくわからない存在なのだ。
近江匡と言う男について、五十嵐は空き時間の間に軽く調べさせた。
しかし、時間が足りなかったこともあっただろうが、大した情報が集まらなかったのだ。
いくつか分かったことと言えば、五十嵐のパトロンである羽柴組と知り合いだったということくらいだろうか。裏の業界では、有名なのか無名なのかよくわからない立ち位置にいるという話だけを聞いた。
そんな得体のしれない男が、ひたすら五十嵐を翻弄してくる。
「………く、ぅ」
めったにかくことのない冷や汗をかいていた。
じっとり湿る肌が気色悪い。
早くこの勝負を終わらせたいという欲求が湧き上がっていた。勝負において緊張感は常に持っているが、この近江匡との勝負においては、少し毛色の違う緊張を感じていた。
そんな疲れた精神に、その知らせは甘味のように染み渡った。
共犯者から送られたサインは、五十嵐に勝てと告げていた。この勝負、近江匡には、五十嵐よりもワンハンド低い手が入る。
そして五十嵐に送られてきたのは、♠2、♡8、♡J、♢J、♣J。
Jのトリップス。
そして、ここからフルハウスにしろと言う命令。
となると、相手はフラッシュだろう。そのことを念頭に置いて、いかに勝負の場に上げるかを考える。
先ほど、匡は難なく一千万代の勝負を受けてきた。おそらく向こうとしても、早めに勝負を付けたいのだろう。もしくは、勝負の熱自体が、一千万のレイズを当たり前のものと受け取り始めているのか。
どちらにしても、ここが勝負の正念場だ。
「ベット。一千万」
案の定、匡はあっさりとその金額を口にした。
よし、と胸のうちでガッツポーズをとって、五十嵐はすぐに言葉を続けた。
「なら、今度はこちらからも攻めよう。さらに上、一千万レイズ」
「ふぅん」
警戒するように目を細める匡。
テーブルに伏せているカードに一度視線を落とした後で、匡は「なら」と言って大胆に賭け金をあげた。
「レイズ。二千万」
外野が大きく盛り上がった。
それを五十嵐は面白がって聞いていた。
おそらく匡は、五十嵐の手が自分の手より高いとは思っていないのだろう。先ほどの意趣返しとして一千万のレイズをしてきたと思うのならば、それは大間違いだと知らせなければならない。
「コール。受けよう」
アンティ含めて四千百万。
そしてチェンジタイム。
五十嵐はもちろん一枚チェンジだ。
トリップスがきた場合、高い方の数字を残し、低い数字をチェンジに出すのが協力者の間での決まりだった。そうした結果、約束通りに五十嵐の手に♠8が入ってくる。これで、Jと8のフルハウスの完成だ。
そして、匡はフラッシュがらみの手。となれば、一枚か二枚の交換だろう。
このイカサマにおいて、おそらくはストレートフラッシュがらみのハンドが送られているはずだから、フラッシュが成立した時点で緊張を解くはずだ。
期待した役には届かずとも、十分な手役を手に入れたと安心して、勝負を続行するはずだ。
そこを刈り取る。
それはいつも通りの手段だった。勝負が三十戦もの長丁場になったのは久しぶりだが、結局段取りとしてはいつもとなんら変わらない。ここまで長く緊張を保っていたことで、少しだけ緊張を解いた、その時だった。
不意打ちを食らった。
「チェンジ」
匡がチェンジを宣言する。
「五枚だ」
あろうことか、初めに配られた五枚のハンドを、すべてチェンジに出した。
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