第9話 関係性を視る占い師


 ※ ※ ※



 人生で一番幸せだった瞬間を問われたとき、近江匡は迷わず、とある一週間を思い出す。


 当時、高校生だった近江匡は世界に絶望していた。

 毎日は、代わり映えなく過ぎていく。少し変わったことがあっても、それに没頭すれば、すぐにまた、日常がやってくる。

 彼には、難題にぶつかったとしても、たやすくそれを成し遂げるだけの能力があった。


 今でこそ、できないことが多くなったが、当時の匡は、『できない』探しをするほどに、なんだってできた。

 その時点では不可能なことでも、研鑽をつめば必ず成し遂げられる。

 その『過程』が匡には見えたのだ。

 どれだけ努力すれば、目標に到達できるか。それが正確に判別できた匡にとって、生きることはただの作業でしかなかった。


 なんてことのない、子供のころの戯言である。


 とはいえ、子供の戯言で済ませないくらいに、匡には才能があった。

 出来過ぎるが故の孤独に、当時の匡はシャレで済まない無茶を何度もやった。

 不良をぶちのめして番長の様な立場に立ったり、それが理由で当時ヤクザの若頭だった森口と関わりを持ったりと、今思えば笑えないことばかりである。


 ――その果てに、匡は都市伝説にはまり込んだ。


 悪意を成敗するというふれこみの怪人に匡は喧嘩を売ったのだ。

 赤い外套を羽織った仮面の人物。夜に出没し、喧嘩の仲裁をするというイカレタ存在に、匡は毎日のように挑んだ。

 一週間、毎日のように挑戦し、そのたびに負けた。

 完全な敗北は久しぶりで、その一週間は本当に光り輝いていた。



 もう、十年も前の話である。



 その怪人――実態は、才気あふれる1つ年上の少女が行っていた、道楽のようなものだった。

 その少女、萩原明日奈は、匡のことをこう評価した。


「君は、学習能力が驚異的なのよ。常人が一つを学ぶ所で、君はそこから十は学ぶべきものを見つけ出して、身につける。経験によって得た情報の、処理と活用が、常人のそれを軽く凌駕しているの」


 萩原曰く、それこそが超能力の正体なのだと言う。


 常人が理解できないほどの結果を出す。

 そこに至るプロセスが如何に現実に根ざしたものであっても、その結果が受け入れられないほど突飛であれば、それは超能力だ。


 どんな手品にも種はある。

 しかし、その種が見えなければ、手品は魔法と変わらない。そうした『現実を騙せる』存在は、その神秘性を周りが勝手に高めてくれる。



 つまり。


 出来ない探しをすればするほど、近江匡は、自身の能力を周囲に見せつけることとなり、やがて、出来ないことなどなくなっていくのだ。


「そう、あなたが、わたしを倒しちゃったようにね」


 そう萩原が言った時、彼女との勝負において、匡の勝率は、10割となっていた。

 夢の一週間は、その時に終わりを告げたのだった。




※ ※ ※



 なんて。

 古いことを思い出した。


 できない探しをしていたかつての自分。

 今どうだろうか――と、匡は当時を振り返りながら思い悩むことがある。


 確かに、かつてに比べれば、不可能は増えた。

 一人でできることは相変わらずなんでもできるが、あまりにも人間関係が広がり過ぎた今は、それゆえの束縛に縛られてしまう。

 人は一人では生きていけない。社会生活を送る以上、周囲のしがらみは必ずついてまわる。個人で動くことができたかつてとは違い、今はしがらみから自由に動くことが難しくなった。

 一人でできることには限りがある以上、匡の全能感は、子供の頃からすると随分と薄れた気がする。

 

 昔みたいに、向こう見ずに好き勝手はできなくなったのだ。


 そんなことを言うと、後輩の牧野真樹などは、驚くかもしれない。

 彼女は、匡のことを自由な人間だと思っているだろうから、こんな俗っぽい悩みを抱いていることを知ったら、はたしてどう思うだろうか?



 自然と真樹のことを思い出し、匡は苦笑を浮かべた。

「何はともあれ、あとでお詫びくらいはしといた方がいいだろうなぁ」

 ぼやきながら、匡はカウンター席からカジノの風景を眺めていた。



 サングローリー号五階。

 一等客室の乗客が集う、高レートカジノ。


 船の名前にちなんで、その階は『ファイブグローリー』などと呼ばれている。


 例の黄色いカード、そのまんまゴールドカードというネーミングらしいが、そのカードを使うことによって入室できるカジノルームである。

 メダルゲームの類はなく、その代わりに、一ゲームのミニマムベットが十万からという、とんでもないギャンブルがいくつもそろっている。そのレートに似合うだけの人間が集まっているだけに、一階下とは比べものにならないくらいに、上品な空気が流れている。


 カジノルームの意匠からして高尚の一言であり、また利用客も、私服姿よりもドレスや正装が多く、どことなく社交界然とした雰囲気であった。

 ただし、それは仮面舞踏会ともいうべき情景であり、利用客の半数以上が、顔の目元が隠れるような仮面をつけている。


 理由としては、やはり客層の問題だろう。

 三階と四階のカジノとは違い、ここに集うのはほとんどが一定の地位の者たちだ。それゆえに、身元を知られると危うい人間も多い。故に、仮面をつけるのが礼儀とでもいう様子であった。


 そんな場違いな空気を感じながら、匡は端の方に用意されているカクテルバーに腰を下ろし、一息つきながら次の行動について考えているところだった。


 いくつか案はあるが、できることなら出費は最低限に抑えたいところだった。

 とりあえずはこのカジノルームを起点にしようと思い、匡は周囲を観察しながら、タイミングを図っていた。



 匡の視界に入っているのは、ポーカー台だ。




 ポーカーと言えば、日本人にはドローポーカーが有名だろうが、カジノにおいて主流なのは、テキサスホールデムである。


 プレイヤーに配られた手札二枚と、場に出された共有カード五枚の中から、ハンドを作り出していくというルールのポーカーである。


 ドローポーカーが五枚の手札で役を作るのに対して、テキサスホールデムは合計七枚の中から役を作るのと、コミュニティカードがわかっているので相手の狙いを読むことができるという点で、かなり戦略性が必要となるゲームである。



 そんな、ポーカー台。



 そこで、一人の女性が何やら騒いでいた。


「あーもう、まったく勝てへん! なんやねん、あんはんら。うちの手が見えてるんやないん!? イカサマしてるんじゃないんやろうな!」


 見事なまでの似非関西弁だった。


 藍色のドレスに赤いリボン。肩口までの髪の毛は綺麗に結わえられ、外見だけで言えばどこぞの令嬢とでも言われても通じそうな様子。

 しかし、口から飛び出る似非関西弁が全てを台無しにしていた。


「よっしゃ、次こそ勝負や! レイズ二十! ……って、なんでそこで降りるんや! いいところやんか! お、そこの兄ちゃんは受けてくれるんな? よし、コール! ってぎゃあああ! なんでフラッシュなんて持っとるんねん、あんはん!」


 匡は目元を手で覆って思わず天井を仰ぎ見る。

 なんとも破壊力のあるものを見た気がしたが、あれはもしかしなくても、知り合いの可能性がある。

 少しだけ間を置いて、再度そのテーブルを見る。

 すると、丁度その女性が席を立つ所だった。


「休憩や休憩。むぅ、別に勝てんでええって思っとったけど、負けるんは、それはそれでムカつくなぁ。次は本気出しちゃろうか」


 ぶつぶつと呟いて歩いてくるその女に、匡は声をかける。


「おい。榎本」

「なんや! 今うちは機嫌悪いんや。運勢やったら今夜にでも見てやるから……って、うん?」


 印象的なタレ目がこちらを向く。

 その目は、タレ目でありながら、どこか挑戦的にも見える。ゆるさの中にある油断のならない目つき。表現するなら、ゆるい猫目と言った印象だ。

 彼女は怪訝そうに匡を見た後、目を丸くして、嬉しそうに言った。


「なんや! 匡くんやないか、久しぃなぁ! こんなところで何しとんねん」

「そういうお前は榎本だな。お前のほうこそ、何してんだよ」


 榎本友乃恵えのもととものえ

 匡の高校時代からの友人。

 もっと言うならば、戦友とでも呼ぶべき間柄だった。


 旧知の相手を見つけて嬉しいのか、彼女は駆け寄るようにしながらまくし立てる。


「うわぁ、ほんま久しぶりやな! なんや『つながり』のえらい多い男がおるなぁとは思うとったけど、まさかあんはんやったとはなぁ! どやどや? 元気やったか? 確か、柊さんの葬式でおうたのが最後やったから、三年ぶりか? そりゃあ年も取るはずやわ。もう最近はうちのこと、おばはんなんて呼ぶ身の程知らずもおるほど何やで? それに比べて、匡くんはまだまだ若々しいなぁ。なんや、あんはんのことやから、まだ『できない探し』とか続けとるんとちゃうか? んん?」

「……相変わらずテンション高いな」


 勢い良く言い募る榎本の口調に苦笑しながらも、匡も自然と気持ちが高揚するのを感じた。

 旧知の相手と意外なところで出会えた喜びは、匡の方も同じだった。張りつめていた緊張がわずかに緩むのも仕方なかった。


「久しぶりなのは確かだ。しかし、一体全体、こんな船の中で何してんだよ。またあくどい商売でもしてんのか?」

「聞き捨てならんなぁ。うちは取るところからは取るけど、無いところではほぼ無償で働くくらい、気前がええんやで? そんな守銭奴みたいな言い方せんといてな」


 かっかっか、と気持ちよさそうに笑いながら、匡の隣のカウンター席に座った。


 匡の記憶にある榎本は、豪快と言うか大らかな人間だった。

 だからこそ、今目の前でドレスに身を包み、上品な仕草で淑女然とした姿を見せていることに少しだけ驚いてしまう。

 匡の二つ年上なので、今年で二十八になるはずだが、年齢に似合うだけの色気と品位を携えている。


 しかし、そんな印象も、口を開けば台無しになってしまうのが、榎本友乃恵だった。

 彼女はバーテンに注文を入れると、ニコニコと笑いながら匡の方を見る。


「しっかしほんま人生はおもろいなぁ。たまたま実入りのいい仕事やと思って来てみたら、こんなところで匡くんと会えるやなんて。なんや? あんはんの方は面倒事のようやな? うん?」


 まるで匡の背後を覗き見るかのように身を乗り出し、緩いネコ目を鋭く光らせる。


「やくざと金で揉めているんかね? ふぅん、この船が原因というわけやなさそうやけど、結果的にこの船で決着をつけなあかん、ってところなんか。ふぅん」

「おいおい、しょっぱなから飛ばしすぎだろ。そんなに覗いたって、お前に有益な情報はそれほどないぞ」


 見透かされるような瞳にさらされ、懐かしいやら居心地が悪いやらで苦笑する。


 榎本友乃恵。

 職業・占い師。

 聞くところによると『絶対に当たる占い師』として有名で、政界の重鎮から大企業の役員といった存在まで、様々な人間を相手に商売をしているという。

 その話がどこまで本当かは分からないが、彼女の『能力』に関しては、本物だ。


 曰く、『人の関係性を視る』能力。


 彼女は相対した人間の、現在過去未来、すべてにおいての人間関係を視ることができるのだという。

 その触れ込みは、占い師として活動をする上で彼女自身が言っているものなので、真偽のほどは分からない。しかし、匡は長い付き合いから、彼女が本物であると理解していた。


 超能力。

 種はあるかもしれないが、それが外からはわからない。

 当人だけが見えている、彼女だけの現実。

 それが的確だからこそ、彼女は『絶対に当たる』とまで言われる占い師になった。


 そんな榎本は、匡の言葉を、おかしそうに笑い飛ばす。


「あっははは! うちから勢いを取り除いたらいったい何が残るっちゅうねん」

「いや、むしろ勢いのおかげで失ってるものが多すぎるぞ、お前」

「そんなもんはなぁ、人生において大して重要や無いんよ、匡くん」


 わかったふうな口を聞きながら、榎本は届いた注文を手にとって口に含む。


 その優雅なしぐさも、匡の一言で崩壊した。


「いや、かっこつけてる所悪いけど、それただのオレンジジュースだろ?」

「……それは言わん約束やろ、匡くん」


 下戸なところも変わっていないようだった。

 そんな、色々残念な女だった。



※ ※ ※



 しばらく、旧交を温めた。


 その瞬間だけは、この船に来た目的を完全に忘却したくらいだった。匡にとって、榎本という女は、今では唯一心を許せる間柄でもある。


 できない探しをしていた過去。

 一時とはいえ、己の全てをさらけ出した相手は、数えるほどしか居ない。


「しっかし、人も変わるもんやなぁ、匡くん」

「んだよ。大して変わってない女だって、目の前にいるぞ?」

「あははは! 世辞もうまくなったなぁ。昔は、やれ似非関西弁だの、やれ悪徳みかじめ女だの、挙句には占いロリババアだのと、さんざんうちのことバカにしてくれとったんに」

「いや、そのへんの評価も含めて変わってないっていうか。特に見た目」

「なんやって!!」


 ほら、そういうところだってのと、匡は苦笑しながら返す。

 それに、榎本もケラケラと笑って返した。


 ひとしきり笑った後で、穏やかな様子で榎本は言った。


「まあ、なんや。うちは変わってないにしても、匡くんは随分変わったと思うで。昔に比べると、君から見える『つながり』は、随分と落ち着いとる」

「そうか? 相変わらずトラブル続きだぜ? 今回にしたって、発端は面倒事だしな」

「そりゃあ、巻き込まれる分はしゃあないて。でも、自分から面倒事に飛び込むのは、減ったんとちゃう? そういう意味では、落ち着いてる、ゆうてるんや」


 そう言いながら、ニヤニヤと榎本は意地の悪い笑みを浮かべる。


「そんで、今回は珍しく、我が儘のようやけど?」

「ほう。で、どこまで見えてんだよ」

「具体的なところは、靄がかかっておってなぁ。ただまあ、森口さん脅迫するんは、やり過ぎな気がするけどな。そういえば関係ないけど、セメントって最近安いらしいんよ」

「……なあ、冗談だよな?」


 少しだけ冷や汗をかく匡だった。

 そんな姿を見て、ケラケラと笑う榎本。


「それはそうと、まぁだあの小娘と一緒におるんかい」

「小娘って言うと、真樹ちゃんのことか?」

「そやそや。あんはんにしては珍しく、随分奥手やん?」


 からかいの一環かとおもいきや、榎本は意外に真剣な表情をしていた。


「最後に会った時も十分仲良かったはずやのに、長い時間を一緒に過ごしとる割には、全然新密度は上がってへんな。まったく、ひどい話やで。こんな船で、同じ部屋で過ごすような仲やのに、あと一歩を躊躇っとるんか? 向こうさんからしたら、こんなに好き好きアピールしとるんに、ひどい話やで」

「あのなぁ。真樹ちゃんはそんなんじゃねぇよ」


 榎本の浴びせるような言葉を相手にもせず、一言で切り捨てる。

 しかし、その言葉はどうしても言い訳じみて聞こえてしまう。

 それもそのはずだ。

 榎本の言うことはある種核心をついている。彼女自身が知っていたことではなく、いま彼女が『視た』ものは、真実以外の何物でもないからだ。

 それが、どんな感情であろうと。


「ふぅん。そんなんじゃない、ねぇ」


 皮肉げな表情を浮かべながら、榎本はオレンジジュースを一口含む。


「それにしては、あの子のこと気にいっとるようやんけ。なんや? もしかして初恋のあの子に似とるからか? 案外純情なんやね」

「亜紗のこと言ってんならちげぇよ。真樹ちゃんはなんつーか。……ほっとけねぇんだよ」


 釈明じみた口調になってしまったが、その言葉自体は本音だった。


 牧野真樹は、どこか危ういところがあるのだ。


 なんだかんだで彼女に構ってしまうのは、そんな危うさを見過ごすことができないからなのだが、考えてみれば成人した女性に対して抱くような気持ちではない。

 つまりは――


「君はね、匡君」


 急に。

 エセ関西弁は鳴りを潜め、流暢な標準語で、榎本が告げる。


「牧野真樹さんに、いろんなものを重ねているんだよ」


 空気が変わった。

 それは、普段のエセ関西弁をしゃべっている女ではない。

 占い師であり、また先導者である榎本友乃恵の、本当の姿であった。


「だから君は、彼女から逃げられない。だってそれは、これまで君が手に入れられなかったものだから。安息も、安寧も、達成も、悔恨も、初恋も、失恋も、普通も、異常も――君は、はっきりとしたものを手に入れられずに、どっちつかずの道しか歩めなかったからこそ――すごく当たり前な、普通で特別な、そんな女の子に、憧れているんだよ」


 ずけずけと。

 まくし立て、言いつのられた言葉は、まるで心の奥底をナイフで解体されて、その一つ一つに番号付をされているかのような感覚だった。


 久しぶりの感覚だ。

 そういえばこういう女だったと、今更ながらのように思う。


 彼女は人間の関係性を視る。

 それは、曲がりなりにも本質を視るのと同じだ。故に、彼女が語る言葉は、その本質を的確に突いてくる。


 占い師と名乗りながら、その実、心の奥を見透かし、抉るようなことをしてくるのが、この女だ。


 言いたいことを言い終わると、榎本は悪戯っぽく笑って、またおかしな関西弁に戻った。


「ま、久しぶりやからサービスや。まだ高校のころから成長できてへん、できの悪い後輩への、先輩からのおせっかいってところやね」

「……はんっ。先輩って、お前とは学校別だっただろうが」


 最初っからアクセル全開の榎本に対して、後手に回るしかないことに懐かしさを覚えながら、匡はにやりと笑った。



 ※ ※ ※



 してやられた感があって、なんとも居心地が悪い。


 だからと言うわけではないが、一つ意趣返しでもしようかと思いながら、匡は尋ねた。


「そういやさ。お前がこの船に乗ってる理由をまだ聞いてないんだが、それは何か言えないことでもあんのか?」


 質問をしながら、ある程度、会話の先を読む。

 富裕層が集まるカジノ。絶対に当たる占い師。運勢を占ってやる。

 その辺りの情報を鑑みながら、しかし別の事情も考慮に入れる。次の榎本の一言次第で、更に先の会話を予測する。


「ふぅん? なんや、匡くんってば、うちのことそんなに知りたいん?」

「ああ、知りたいね。アンタがどんな大物を相手にしてるのか」


 榎本の表情がかすかに動く。

 返答にかすかな間がある。大した差異ではないが、何かをごまかすか、隠そうとしている。その時点で、ギャンブル運の占い路線は消去する。それはついでであり、本筋の依頼は別にある。


 二手、三手先の会話を予測する。

「大物は大物や。そりゃあ、この船に乗ってるのは、大物しかおらんしな」「ほう、そりゃあ、さぞ儲かってんだろ?」「そうでもあらへんよ。殆どは大したことのない、運勢占いだけやから」「だったら、それ以外の仕事もあるってことか?」「別にそんなこと言うてへんやろ。言葉の綾や」「にしては、さっき実入りの良い仕事があるだなんて言ってただろ」「まあ、そりゃあな。しかし、さすがの匡くんにもこれは言えへんよ」「なんだ、そんなに驚く程のクライアントなのか?」「ああ、そりゃあもう、匡くんでも絶対に驚くよ」「――」


 十手先。


 単純に話を回していけば、その辺り。


 なら、と。匡は三つほど手順を飛ばす。


「さっき、実入りのいい仕事があったとか言ってたし、またエセ占いでぼったくってやがんのか? まったく、人が悪いな。まあ、さすがにおれが知ってるような奴じゃないだろうが、ご愁傷様と言っておくぜ」

「エセいうなや。うちがエセなんは口調だけやっちゅうねん」


 そんな身もふたもないことを言いながらも、榎本は気取った風に言う。


「まあ、匡くんでも知ってるくらいには、すごいクライアントやで。きっと、聞いたらびっくりするくらいにはな」

「おれでも……っていうのは、別に業界に詳しくなくても、名前くらいは聞いたことがある、ってことか」

「う、うん。そやけど……えっと、匡くん? うち、さすがに自分の口からは言えへんから、あんま探らんで欲しいかなー、って思うんやけど」


 珍しく動揺し始める榎本を見て、匡は確信する。


 榎本は、匡が驚くような相手に仕事を依頼されたらしい。逆説的に、その人物は既知の人物であるということだ。この船で、匡の知る限り一番のビックネームと言えば――

 それほどの時間をかけることなく、匡は答えに至る。


「龍光寺晴孝――か」


 この船、サングローリー号の所有者にして、日本有数の大企業の一派。

 観光業やホテル業を中心とした一大グループ、龍光寺グループの現総帥である。


 もしそれが本当ならば、確かに匡が驚くに値する。

 何せ、住む世界が違う人種だ。しかし、榎本友乃恵という女は、そういった世界にも躊躇なく足を踏み入れる豪傑である。


 そんな豪傑は、匡の言葉に、図星を突かれたように顔をひきつらせている。

 榎本は、諦めたように嘆息する。


「まあ、秘守義務っつっても、匡くんやったら大丈夫やと思うからええけど。でも、さすがに詳しく話すんには、それなりの対価が必要やで」

「はん。別に、悪いようにするつもりはねぇよ。ただ、おれも龍光寺グループには、ちょっと気になってるところがあるくらいで」


 そんな風に、何でもない風に言いながらも、心の底からにじみ出る喜色を隠しきれるとは到底思えなかった。


 ――この船の中枢に食い込むためのとっかかりを見つけた!


 榎本が豪傑ならば、匡は豪胆である。

 そもそもが、榎本と再会した瞬間に、可能性は考えたのだった。

 この女だったらそれくらいのことはあるだろうと、予測したうえでの結果が目の前にある。


「なあ榎本」


 聞きたいことがある。

 しかし、このままでは、聞き出せないだろう。何か、彼女の口を軽くする理由が欲しい。


 そう思いながら、匡はちらりとカジノルームへと視線を向ける。



 対価――か。



 先ほど彼女が負けていたポーカー台。

 さすがに、榎本がプレイしていた時からすると、プレイヤーは入れ替わっている。

 現在プレイしている人間を軽く見て、匡は言った。



「簡単でいい。今の資金を教えろ。五百より多いか、少ないか」

「ん、いきなりなんや。そりゃまあ、さっき負けたけど、それくらいは持ってきとるけど」

「だったら良い」


 にやりと笑って、匡は言った。



「ポーカー、勝たせてやる」



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