第7話 リスクとリターンのカウンティング


 ※ ※ ※


 ブラックジャック。


 手持ちのカードの点数を21に近づけることを目的としたゲーム。


 絵札はすべて10と数え、Aは11か1と計算する。

 21を超えた場合は『バースト』と呼び、その時点で負けが確定する。

 点数が21ピッタリになった場合は『ブラックジャック』といい、これがゲームの名前の由来となっている。


 ゲームの進め方は、まずプレイヤーはチップを賭ける。

 参加者全員が賭け終わったところで、ディーラーが各プレイヤーに表向きにカードを二枚ずつ配る。それがプレイヤーのハンドとなる。

 最後に、ディーラーは自身に対して二枚のカードを配る。一枚は表、一枚は裏向きにカードを置く。


 この時点でプレイヤーが取ることのできる選択は、以下の通りである。



○ヒット

 カードを一枚引く。21を超えない限り、いくらでも選択できる。

○スタンド

 そのカードで勝負することを選択する。

○スプリット

 配られた二枚のカードが同じ数字の場合、初めに賭けたチップと同額を賭けることで、その二枚のカードを分けてプレイすることができる。

○ダブルダウン

 一枚だけヒットする代わりに、掛け金を二倍にできる。それ以上のヒットはできない。

○サレンダー

 自身の手が悪い場合に、掛け金の半額を放棄してゲームを降りることができる。



 細かいルールとして、ほかにもインシュアランスなどという特殊な選択もあるが、基本的にはこの五パターンの選択がある。


 プレイヤーが全員スタンドを選択すると、ディーラーは裏向きにしていたカードを開く。その時、ディーラーの手が17以下の場合、点数が17以上になるまで、ディーラーはカードを引く。


 最終的に、ディーラーよりもプレイヤーの方が21に近ければ、プレイヤーの勝ちだ。



 ※ ※ ※



 ブラックジャックの台に、匡は座っていた。


 人だかりができている。よっぽど注目度の高いゲームなのだろうか。

 真樹は覗き込むようにして、テーブルを見た。


 その台には、七人の人間が座っていた。

 その中に、匡の姿がある。すでに長い時間座っているのか、彼の目の前には、大量のチップが並んでいる。山になっているというほどではないが、かなりの金額をチップに換えているようだ。


 ゲームが始まる。


 匡はまず、五千円分のチップをベットした。ほかの客も、似たようなものだが、中には一万以上賭けるものもちらほらといる。


 カードが配られた後で、それぞれのプレイヤーに選択が促される。


 匡のカードを覗き込んでみる。彼の手は、4と7だった。


 合計11


 他のプレイヤーの手を見てみても、似たようなものだった。対してディーラのアップカードは9。伏せたカードによっては、かなり高い点数が期待される手だ。


「ヒット」


 匡の選択はヒットだった。

 ディーラーがカードを送ってくる。

 数字は5。

 これで、合計16だ。


 まだ足りない、と、もう一枚ヒットする。

 次に来たのは3。


 合計19。


 十分勝利が期待できる点数だ。


「スタンド」


 それ以上のヒットはせずに、大人しく匡は勝負を選択した。

 全てのプレイヤーがスタンドを選択したところで、ディーラーは伏せてあるホウルカードを開く。

 その数字は6。

 ディーラーの合計15で、17に足りないので、ディーラーはもう一枚引く。


 結果、5が出て、合計20となった。


 この手に勝てるプレイヤーはいなかった。掛け金はすべてディーラーに回収される。


 真樹は思わず、匡の顔色を見てしまった。

 離れたところから見る彼の横顔は、特に何の感慨も浮かんでいなかった。薄く微笑みすらもたたえている彼の横顔は、冷静に目の前の状況を受け入れている。


 次のゲームが始まる。


 そこから、数回のゲームの間に、真樹は奇妙なものを感じた。

 匡の賭け方が、どこかおかしいのだ。


 基本的には、彼は一ゲームに五千円を賭けていた。その時は、勝ったり負けたりといった様子だ。しかし、たまに万単位の賭けをすることがある。


 そして、万単位の賭けをした時に限って、すぐにサレンダーを選ぶのだ。


 わざと負けているとしか思えないその行為に、不信感を覚えざるを得ない。しかし、しっかりと手がいい時には勝っているため、表向きには不審な点は見当たらない。


 不信感が確信に変わったのは、それからさらに数回、ゲームが続いてからだった。

 二万円を賭けたゲームで、匡が勝ったのだ。


 しかも、5と7と9という組み合わせで、21ブラックジャックを出して。


 その勝ちに、匡はどこか驚いたように目を見開いて、そのあとに、にやりと、幸運を純粋に喜ぶように笑った。



 そこから、カードに偏りが見え始める。



 絵札や10といった、ハイカードが連続し始めたのだ。

 今回は五万円を賭けた匡の手元に、キングとジャックが配られた。


「スプリット」


 絵札はすべて10と扱う。

 同じ数字が揃ったため、スプリットを選択する。同額をベットすることで、それぞれを分けてプレイできるのだ。

 二つに分けられた匡の手に、一枚ずつカードが配られる。


 キングには、9が。


 そして、ジャックには、なんとAが届いた。


「おお、ナチュラルブラックジャックじゃねぇか。スプリットしたのがもったいねぇ」

 きひひ、と笑いながら、匡がうそぶく。


 AとJのブラックジャックは、ゲームの名前の由来ともなった組み合わせである。


 もっとも、スプリット後のブラックジャックは、通常の手として扱われるため、ブラックジャックによるボーナスはない。

 しかし、それでも最高の手役であることは確かだ。

 本来ならば、ブラックジャックがそろって、なおかつディーラーのアップカードが10やAでない場合、プレイヤーが無条件で勝利となる。

 そして、このゲームにおけるディーラーのアップカードは7だった。

 そのあと、全員の選択が終わり、ホウルカードが開かれる。ディーラーの手は、17。匡のもう一つのハンドも勝利した。


 結果的に、二つに五万ずつ賭けていた匡の配当は、合計十万となった。


 そこからも、匡は地味ながらも、ここぞというところで勝利していった。

 負けも同じようにあったが、注意していれば、トータルでは勝っているのがわかる。負けた際のリアクションの大きさと、勝ちの時の純粋な喜びようの所為で隠されているが、明らかに匡は戦略的にゲームを進めている。


(……この人、たぶんカウンティングしてる)


 もはや疑いようのない事実だった。

 ブラックジャックはバカラやポーカーと並ぶ人気ゲームであり、唯一、勝利戦略が通用するゲームとも言われている。

 真樹も一応、映画などで見たことがあるため、そのことは知っていた。


 カードカウンティング。


 簡単に言えば、すでに使われたカードの内容から、残った山札のカードを推測する、という方法である。

 これを使えば、限りなく最善に近い選択を取ることができる。とある数学者によって考案されたこの方法は、実際に戦略として有効とされ、ブラックジャックを『勝てるゲーム』という地位に押し上げた。

 方法としては、次の通りだ。


 ・ハイカード Aと10を、マイナス1点。

 ・ミドルカード 9から7を、0点。

 ・ローカード 2から6を、プラス1点。


 以上のように点数を設定し、場に出たカードをすべて計算する。


 マイナスが大きいときはミドルカードとローカードが出やすく、逆にプラスが大きい場合はハイカードが出やすい。

 そこから、次に行う選択を決定するというものだ。


 方法そのものはシンプルだが、しかし実際にやろうとすると難しいものである。

 使用されるデックが二つ程度ならば簡単だろうが、カジノで行われるブラックジャックでは、六デックのカードを使うのが通例だ。

 それに、最初から最後まで、全員に配られるカードを計算しなければならないため、ゲームをしながら計算するのは至難の業となる。


 しかし――

 ちらりと、真樹はディーラーの手元にあるカードシューを見る。

 ゲーム開始時にカットしたデックを収めるカードシューだが、その中にあるカードは、あと1.5デック程度のしか残っていない。つまり、それだけのカードが消費されているということだ。


(初めから見ていない私は分からないけど……長いことプレイしている近江さんは、たぶん全部カウントしている)


 カードカウンティングは、やり過ぎるとあまりにも勝ちすぎるため、酷い人間は出禁になることもある。

 しかし、実際に頭の中だけで計算ができる人間は少なく、また絶対的な必勝法というわけでもないため、どんなにカウンティングをしようとも、勝ったり負けたりを繰り返すことになる。

 それこそ計算機などを持ち込めば話は別だが、その時は問答無用で追放される。


 その点、匡はうまく隠している。

 露骨な人間は、賭け方に不自然さが出るが、匡は大金をかけた時でも負けるときは負けている。そのバランス調整が難しいもので、欲に駆られれば、すぐにカウンティングは露見する。


「ノーモアベット」

 ディーラーがベットの受付を終了する。

 今回、匡は十万円賭けていた。

 先ほどの勝ち金をすべて上乗せしている。


 配られたカードは、6と5で合計11だった。

 きわどいところである。


 しかし、匡は強気に押していく。

「ダブルダウン」

 あと一枚だけ引く代わりに、掛け金を二倍にできる選択。


 来るわけがない、と誰もが思った。

 ハイカードは、ついさっきのゲームで随分な数を放出している。六デックの中にハイカードは96枚あるが、真樹が見始めた中でも、十枚以上は出ているはずだ。

 ある程度ゲームが進んだ中で、それが出てくるとは思えない。


 実際、配られたカードはよくなかった。


 8と3の上に、4が乗せられる。

 これで匡の手は合計15だが、ダブルダウンをしたため強制ステイとなる。


 絶対に勝ちが見えない状況だが――結果として、匡の選択は正しかった。


 問題はディーラーの方にあった。

 ディーラーのアップカードが9。そして、開かれたホウルカードは7だった。

 合計値が17以下なので、さらに一枚引かなければいけない。

 続けてディーラーが引いたのは、7だった。



 合計23で、バースト。



 ディーラーがバーストした場合、スタンドを選択したすべてのプレイヤーが勝利となる。

 もちろん、ダブルダウンを選択した匡も。




 ――二十万の勝ちだ。




 周囲が熱狂に包まれ始める。

 無理もない、二十万という大金だ。昨日の真樹が出したジャックポットは五十万円だったが、その半額近くの金額を、たった一ゲームでたたき出したのだ。盛り上がらない方がおかしい。


 しかし、周囲の熱狂っぷりに対して、匡の表情は冷めていた。

 表向きは喜んでいるふりをしているが、目はまったく笑っていない。ただテーブルを縫い付けるように見つめ、一つの情報も取り逃さないように必死になっている。


 近江匡は本気だった。


 そろそろ、カードシューの中のカードも少なくなってきた。おそらくあと1ゲームもすれば、カードの追加が行われるだろう。


 その最後のゲームで、またしても匡がやらかした。


 匡のベット額は十万。

 度重なるゲームにより盛り上がったこの場は、もはや金銭感覚の狂っている。その状況において、その金額は妥当なものと言えた。


「ヒット」


 匡の手は、3と4だ。

 ローカードが続いている。他の全員も同じだった。たまにハイカードが配られているが、全体的にローカードで場が固定されている。


 そんな中で、ディーラーのアップカードは、キング。

 ローカード続きの中でのハイカードは、強力だ。


 これは勝てないと、次々と降りる参加者たちの中で、匡はヒットを選んだ。

 配られたのは、6。

 合計13。


「ヒット」


 当然のような選択に、ディーラーもすぐにカードを送る。

 四枚目のカードは、この場面にはふさわしくないAだった。この場合、Aは1点と計算をする。


 合計14。


 きわどいところである。それでも匡は、続けてヒットを選択する。


「ヒット」


 周囲が固唾を飲んでその様子を見守っている。

 すでにほかのプレイヤーはゲームを降りており、匡だけが周囲のすべての視線を集めている。真樹も思わず、緊張に身体をこわばらせてしまう。


 五枚目に配られたカードは2。

 合計16。


「ヒット」


 やめておけと、ちらほら声が上がる。それでも匡は、ヒットを選択する。ディーラーですらも、表情を変えていた。


 確かに、匡が取ることのできる手段はそれしかない。

 ディーラーは最低でも17以上の手になるのだから、プレイヤーはそれより上の数値を目指すのが定石だ。

 ――しかし、現在はローカードが場を占めているが、ディーラーのアップカードのように、ハイカードも少しだけ出ているのだ。

 一度でもハイカードが出れば、即バーストとなるこの状況に、危機感が漂う。


 それでも、匡はヒットを選ぶ。

 ディーラーがカードシューに手を伸ばし、カードが配られる。


 六枚目のカードは、2。

 合計、18。


「ぐっ」


 そこで、ようやく匡は少しだけ考えるように止まる。

 舌打ちした後で、小さく何かをぼやいたのが聞こえた。心なしか、額には冷や汗が浮いているようにも見えた。

 それから彼は、じっと自身のハンドを見て、まるで何かを反芻するように、目を閉じる。


「…………」


 目を閉じたまま、匡はしばらく時間をかける。

 定石ならば、ここはステイを選ぶべきだった。18という点数は、ブラックジャックにおいて良い点数ではないが、決して弱い点数ではない。

 ここから先はバーストの危険性がこれまで以上に高くなる。自滅するくらいならば、ディーラーの自爆に賭けて、様子を見るのが吉というものだった。


 しかし、それは定石の話だ。

 沈黙は、それほど長く続かなかった。


「ヒット」


 三十秒ほどの沈黙の末、とうとう、その一言が出た。


 周囲の緊張感がさらに増す。

 絶対にありえない選択に、誰もが瞠目している。バーストの危険性はこれまでもずっと付きまとってきていたが、この状況でのヒットは、危険性が数段上なのだ。4以上のカードが出たら、その時点で終了である。


 A、2、3。


 その三種類しか受け入れることのできない、非常に狭き門。


 七枚目のカードが配られる。


 その瞬間を、周囲のすべての人間が、祈るようにして見つめていた。


 さすがにディーラーも、少しだけ手が震えていた。それでも、正確に匡の手元にある六枚にそろえるようにして、七枚目が送られた。



 カードを送ったディーラー自身が、あり得ないという顔をした。



 それは、このブラックジャック台を囲んでいるすべての人間の思いでもある。こんなことがあるなんて、誰一人予測すらもしないだろう。

 それは、単純にAとJでブラックジャックを出すよりも、はるかに分の悪い賭けなのだ。掛け金の大きい少ないは関係ない。ただ、勝利戦略として、間違った行為だと、誰もが考えた。


 だが、結果はすべてを覆す。


 ブラックジャック台の一角から自然と湧き上がった歓声は、カジノルーム全体に響いた。


 台の周りを囲んでいる客たちから驚愕の歓声が上がる。それはもはや絶叫のように、ホール中に響き渡る。プレイヤーを無視して、観客の方が盛り上がってしまうほどに、その結果はミラクルだった。



 七枚目のカードは、3。

 合計、21。



 現在のハンドにおいて、ブラックジャックに至る唯一のカードだった。


「は、はは」


 さすがの匡も、笑うしかないようだった。

 自然とこぼれた笑い声は、しかしすぐに打ち消され、代わりに、ディーラーへの質問に変わる。


「なあ。ディーラー」

 騒がしい歓声の中で、ぽつりとつぶやくように尋ねる。

「このカジノでは確か、も認めていたと思うけど――こいつは、ありかな?」

「は、はい」


 話しかけられたディーラーが、おびえたように答える。


「七枚でのブラックジャックですので、セブンカードウィン。……配当は、5倍となります」


 カードウィンという役は、五枚以上、十一枚以下の枚数でブラックジャックを作った場合につく特殊役だった。

 それぞれ、カードの数マイナス2倍の配当が行われる。


「そっか」

 ふぅ、と。

 まるで緊張から一気に力を抜いたように、匡はテーブルに身体を預ける。


 今回のゲームで匡が賭けていた金額は、十万だった。

 つまりは――五十万の、勝ちとなる。


「ああ、真樹ちゃん」


 気の抜けた匡が、外から眺めている真樹の姿を発見して、よぉ、と力なく片手をあげる。

 それから、心底から疲れたような笑みを浮かべながら、気の抜けた声で言う。


「すげぇだろ。勝っちまったぜ」


 すごいも何も。

 あり得ないですよと、真樹は緊張の抜けてゆるみきった顔でぼやいた。




 ――ちなみに。

 この場の誰も気づいていないことだったが――六枚目のカードが2だった時の、匡が小さくぼやいた言葉を聞けば、彼の狙いを知った者は誰もが卒倒したに違いない。


 その時、匡はこう呟いたのだった。



 六枚目のあの時、5が出ていれば、それはそれでブラックジャックだった。

 しかし、七枚目でブラックジャックがそろうのと、六枚目でそろうのでは、大きな差があった。


 六枚目で5が来た場合の、匡の手はこうだ。



 A、2、3、4、5、6。


 エーストゥシックス。



 この形でブラックジャックを出した場合、特殊役が採用されるのならば、配当は、賭け金の五十倍になる。




※ ※ ※



 そのあと、切りなおされたカードを前に、二回ほどゲームを続けて、匡はブラックジャックの台から席を立った。

 その二回は、どちらも負けだった。

 それを潮時とでも言うように、匡はあっさりとテーブルから離れたのだった。



 部屋に戻った彼は、憔悴しきったようにベッドに倒れこんだ。

「やっべぇ。疲れた。マジ疲れた」

 全身から力を抜いて、だらけきっている匡の姿は、どこか新鮮だった。あまり弱みを見せることがない彼が、ここまで疲れ切っている。


 そんな無防備な匡に向けて、真樹はどうしても聞きたいことを訪ねた。


「一つ、聞いていいですか」

「うん? どうした? 真樹ちゃん」

「カウンティング、してたんですか」


 少しだけ間があった。

 観念するように、匡はうなずく。


「ああ。そりゃあね。――あんまり大きな声で言うなよ。怒られるから」

 怒られるどころか、下手したらブラックジャック台出禁もあり得るが――最後のミラクルを目撃した者ならば、誰もそれを問題とすることはないだろう。


 匡は特殊な機器など利用せず、イカサマなども利用していない。

 それは、観客たちが証明することだろう。

 それに、たとえカウンティングをしていたとしても、最後に出したブラックジャックは、これ以上ないというほどのギャンブルだった。


「……ちなみに、最後、3は何枚残っていたんです?」

「9枚」


 間髪入れずに、答えが返ってきた。


「ちなみに、七枚目の時点での残りカード枚数は、48枚だ。内訳的には、ハイカードがAを除いてあと5枚は残っていたから、正直いつバーストするか怪しかった」


 そこまで数えていたのかと、真樹はゾッとした思いを覚える。

 カウンティングなんて、目じゃない。期待値などという不確かなものではなく、すべてのカードを記憶し、山札の残りを把握する。



 パーフェクトカウンティング。



 単純な点数計算よりも確かな結果が得られるが、そんなもの、完全記憶能力でもなければできるとは思えない。


 それをやってのけたのだ。

 一時も気を抜く暇はない。プレイヤー全員に配られるカードを把握し、一度として間違えずに記録を積み重ねる。プレイしながら行うには、相当の集中力が必要となるだろう。


 そりゃあ、疲弊しきるはずだった。


「とりあえず、八十万のプラスだ。真樹ちゃんが負けた分は取り戻した形になるけど、おれも別件でちょっと負けたから、トータルでは十万くらいマイナスだな。ま、五十勝てればいいと思っていたから、上出来だ」

「あのブラックジャックは……セブンカードウィンってのは、狙ってやっていたんですか?」

「狙って? そんなわけないじゃん」


 ははっ、と。

 力ない笑い声をこぼしながら、匡はだらけきったまま、どこか優しげな微笑みをたたえて真樹に顔を向ける。


「四枚目がAだった時点で、負けてもいいやって思ったよ。ハイカード崩れの1点がきちまったんだ。いつ残りのハイカードが出てくるか分かったもんじゃない。だからまあ、あの時ヒットしたのは、何もしないで負けるよりはバーストして負けたほうがましかと思ってやっただけだ」


 あの時点では、匡は勝利を半ば諦めていたのだ。


「ただ、その次の五枚目が問題だった。――まさか、2が来るなんて思わなかったんだ。だから、欲を出しちまった。可能性が見えちまったから、もしかしたらって、思っちまったんだ。……同じヒットでも、一度諦めた後の卑しい欲を、カミサマは認めなかったってことだな。けっ。5はあと十枚は残っていたってのに」

「カードの並びは、変えられませんよ」


 匡が何を言っているのかはよくわからなかったものの、真樹は慰めるように言ってみる。

 しかし、それに対して匡は断言するように言った。


「並びは変えられないが、並びを作るのは人間だよ。真樹ちゃん」


 力のない匡の瞳の奥に、一筋、強い意志のようなものが滞在している。


「おれは、あそこでいったん諦めるような人間だったから、並びを作れなかったんだ。本当に『持ってる』奴は、ここぞというところで引いてくる強さを持っている。引いてこれるように、周りを動かすんだ。――おれが出したセブンカードウィンは、そのおこぼれに過ぎない。確率的に得られた結果であって、ツキの強さじゃない」


 悔しいなぁ、畜生。と、匡は笑いながら言った。


 悔しがるときでも、楽しそうに笑うのが、近江匡という人間なのだ。それは強さというよりも、彼の資質のようなものだ。自身の行うすべてのことを楽しむ。万能の人間が手に入れた唯一の娯楽が、それだった。


 そんな匡が――うらやましかった。


「近江さん。一つ、お願いがあるんですが」

「うん? どしたの?」


 ゴロゴロとベッドの上で布団と一体化している匡に、真樹は意を決して伝えた。


「私の通帳から、このIDカードにお金を入金できませんか?」

「……そりゃできるけど」

 匡の瞳に疑問が浮かぶ。


「あ、銀行のカードはちゃんと持ってきていますよ」

 その疑問のありかを勘違いし、真樹は証明するようにカバンから銀行のカードを取り出す。こうした遠出をするときに、いつも持ち歩く予備資金だった。

 貯蓄の三分の一も入っていないが、それでも十数万くらいは入れている。


「あー。いや。そういう話じゃなくてだな」


 困ったように目を閉じて、匡は真樹の行動に静止をかける。


「この船では、真樹ちゃんがお金を使う必要はないよ。ほとんどの施設はタダで利用できるし、飲食も自由だ。ギャンブルはお金が必要だけど、それもやりたいなら今IDカードに残っている分は遊んでも――」

「それじゃあ、ダメなんです」


 きっぱりと、匡の言葉に真樹は反論した。

 それは、匡のことを探していた時から決めていたことだった。

 そして、彼がブラックジャックをプレイする姿を見ていて、確固たるものに変わった。


「ギャンブルは、やっぱり自分のお金でやるものだと思います」


 結局のところ、真樹は匡からもらったお金を賭けていたに過ぎない。

 それで負けても、覚える感情は、匡への申し訳なさだけだ。ギャンブルそのものの痛みは、直に感じてはいない。あの、泥の底に沈み込むような感覚も、匡に守られた上での体験だ。


 別に、痛みを知るためだけにやるわけではない。

 匡の隣に立ちたいのならば、守られるだけでなく、自分から前に進むべきだと思うのだ。


「……ふぅん」

 真樹の宣言に、匡は目を細めて見つめてくる。


 どこか試すような視線だった。真樹の言葉の真意を探り、それに対しての考察を行っている。じっくりと眺められた後で、「よし」とうなずくと、彼はベッドから体を起こした。


「カード貸しなよ。いくら入金する?」


 匡のその言葉に、真樹は思わず笑顔になる。


「そ、それじゃあ、十五万くらい」

「おいおい、そんなに散財しちゃっていいのか?」


 にやにやと楽しそうに笑いながら、彼は部屋に備えられている端末を使って、作業を始める。

 真樹の決意に対して、特に反応を返さないところが彼らしい。

 必要以上に干渉せず、見守るスタンスをとってくれることが、真樹にとっても心地よかった。


 そして、真樹のIDカードに、数字が印字される。


 150000。


 それが、真樹が賭ける自分のお金だった。




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