sideB 物部解理の独考察

sideB 物部解理の独考察


「ううん、どうしてこの二人だけ‥‥‥偶然ぐうぜんか、いやそれはないだろう。これまでは上手くやってる。となると、どうして殺したのかが分からないな」


 そう独り言をこぼしながら物思いにふけるのは、文芸部部長の物部解理。


 よく整理されている広々とした自室の中で、解理の座っている机の回りだけ物が散乱している。卓上たくじょうには幾重いくえにも重なった新聞紙が丘をしていおり、その傾斜を赤ペンや鉛筆、工作用ののりなどがコロコロと滑り落ちていく。床を見ると、そうして滑り落ちたペンや新聞紙が散乱している。


 また新たに床と同化しようと傾斜を転がり落ちていく赤ペンを、見向きもせずに机の瀬戸際せとぎわで捕まえるとそれを使って記事に書き込みを入れる。そうやって出来ていった書き込みで新聞紙の一面は真っ赤に染まっている。


 まるで僕が大怪我していて、その血を新聞紙にらしていっているみたいだなと思いながら、それでも、その記事にさらなる文字を書き込んでいく。


 新聞紙の一面にもなっているその記事の題には「謎の通り魔、初の死者」とある。その内容は近所で起きている通り魔事件のこと。児童養護施設を経営していた老夫婦、飛鳥井あすかいさん夫婦が夜、徒歩での帰宅途中に通り魔によってり殺されたということ。そして傷の大きさから見て、この通り魔は数ヶ月に渡り続く一連の通り魔事件の犯人と同一人物である可能性が高いということを述べている。


 その記事の中から犯行現場の位置、被害者の名前や年齢、児童養護施設の住所など重要に思える部分に赤ペンで線を引いていく。そうやっていると、この通り魔事件がいかに異質であるかを改めて感じられた。


 この事件は約二か月前、初夏の熱気が漂う七月に始まった。七月の始め、市内の河川敷かせんじきで毎年行われる花火大会の最中さなか、観客が河から打ち上げられる花火に夢中になっている背後で最初の犯行は行われた。


 その手口は突発的かつ大胆なもので、尿意をもよおした会社員男性が一人土手裏の茂みへと降りて行ったところ、背後から何者かに大振りの刃物で肩を斬りつけられたらしい。だが、傷は浅く、命にも別状は無く、男性が特に騒ぎ立てはしなかったことから初めは新聞紙にすら掲載けいさいされない程度の事件だった。


 だがそれから数日後にも似た様な事件が起こる。帰宅途中の会社員男性がまたもや大振りの刃物で斬りつけられたのだ。今度は脇腹だったがまたも男性の命に別状は無かった。この時から、 事件は通り魔事件として新聞紙に載り出す。


 それから二か月、被害者の数は昨日の老夫婦を含めると八人にも及ぶ。


 そして八人目にしてとうとうこの通り魔事件で初の人死ひとじにが出た。正確には、夫婦共々亡くなったのだから七人目と八人目にして、なのだが。


 ここに来てやっと動きの遅いマスメディアがこの事件を大々的に取り上げるようになった。そして僕も。

 

 僕にとって、この事件を調べることは趣味の延長線上に過ぎなかった。趣味でミステリー小説を読んでいたものの、その謎解きをするのに飽きてきた。だから現実は小説より奇なり、という詩人バイロンの作ったことわざしたがって現実に目を向けてみることにした。そうして初めての事件は嬉しいことに、この何とも奇怪きっかいな通り魔事件だ。


 だけど、僕は別に、高校生の分際ぶんざいで犯人を見つけてどうこうしようなんてことは考えてない。それに、その気があっても犯人を見つけるのは到底とうてい無理だろう。なにせこれは、ただの趣味なのだから。全くもって不謹慎ふきんしん極まりない、酷く歪んだ遊びに過ぎないんだ。


 赤ペンを持った手が五人目の被害者の記事に向かう。


 ああ、そいえばこの記事の内容は一番僕の気を惹いたものだった。この事件を趣味に決めたきっかけと言っても過言ではないかもしれない。


 これまでよりは多いもののまだ依然として人目を惹くには及ばない文量で書かれているその内容は犯人の容姿に関する情報。これまでの被害者は皆一瞬で斬られ倒されたためか、後ろで颯爽さっそうと闇に紛れていく犯人の影しか見れなかったと証言している。


 だが五人目の四五歳、会社員男性、石動乙丸いするぎおとまるさんは違った。背中を大きく斬りつけられたにも関わらず、倒れる直前に後ろを振り向き、犯人の容姿を確認していたというのだ。何という執念しゅうねんであろうか。


 その石動いするぎさんの証言により明らかになった犯人の姿は奇妙さを通り越して恐れすら抱くものだった。


 なんと犯人は、なまはげの様な格好をしていたというのだ。そうあの、なまはげである。秋田県で毎年大晦日に行われる年間行事で、「悪い子はいねか」と言いながら鬼の面を被り家々に訪れるなまはげである。


 その通り魔は、頭に大きな髪の長い鬼の面を被り、首から下はかつて旧日本軍が使っていたような足まで届く長い憲兵けんぺいマントを着ており、そして右手にはかつて武士が携えていたような日本刀を持っていたという。


 これでもかという時代錯誤のちぐはぐな容姿のせいで犯人の年齢や背の高さまでは判別出来なかったらしい。僕には、いくら身元を隠すためとはいえ、いき過ぎた変装だと思うのだが、これは何かのメッセージなのか。


 いや、そんなはずないだろう。大体、鬼の面で何を伝えるというのか。

やはり奇怪だ。


 全ての被害者の記事を見比べるも共通点は見当たらない。


 被害者に男性は、多いが三人目と夫婦

のほうは女性が被害者になっていることから男性だけを狙っているというわけではないらしい。傷のほうも被害者によってそれぞれ違い、腕を少し怪我したくらいのものから致命傷に至るまである。


 そして今に至るまで不殺ころさずを貫いてきたにも関わらずここにきての急な殺人だ。犯行周期にいたっては完全にランダム。気のおもむくまに人を斬っているとしか言い様がない。二日連続で犯行を行ったかと思えば、そこから二週間空けて次の犯行におよぶ。


 ひょっとして本当に、それこそ通り魔らしく気分だけでこれだけの人を斬っているのか。


 今日は気分が悪い。そうだ会社員を斬ろう。今日は嫌なことがあった。そうだ老夫婦を斬り殺そう。そんなふうに。だとしたら何と迷惑で最低なヤツなのだろう。それに僕も落胆する。何か衝撃的な、それこそ物語的な裏があると思ってこの事件に惹かれたのに。


 そう思い、視点を下げる。床に散らばっている新聞紙にオレンジ色のLED電球に照らされた僕の影が重なっていた。


 ふとそこてあることに気づく。自画自賛するに充分じゅうぶんあたいするその事実に。急いで全ての事実に関する全て記事を読み返す。被害者、傷、被害者の証言。そして確信に変わる。一つのことに目をつむれば共通点が見い出せる。


 その共通点とは、被害者は犯人の特徴を最小限しか証言していないということ。証言の多くにこうある。自分が斬りつけられたというショックで気が動転していてよく犯人を見ることが出来なかったと。わたしは影しか見れなかったと。それは五人目の石動乙丸いするぎおとまるさんだけを除いて、全ての被害者が言っていることだった。


 再び、石動さんの新聞記事に目を向ける。事件現場は僕の通う高校から駅一つ行ったところ。そこには有名な大学病院があった。石動さんはおそらくそこに入院していることだろう。なぜ石動さんだけは特徴を細かく証言したのか。是非ぜひとも話を聞いてみたいものだ。


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