脱走王女と菓子職人3

 どのくらいそうしていたのだろう。辺りから件の男どもの気配が消えたのを確認してアーシュはゆっくりと腕をほどいた。彼女が最初にアーシュの方に腕を回していたはずだったのにいつの間にか腕は下ろされていた。

「もう大丈夫だろう。あんたを探していたやつらはどっかにいったよ」

 ゆっくりと離れて改めて少女の顔を確認する。

 薄い青色の瞳と目が合った。まだ十代半ばであろう少女だった。髪の毛は多少縺れていたがきちんと手入れがされていてつやつやしていたし、リボンもドレスも生地からして下町ではお目にかかることはない上等なものだった。

「あ、ありがとう。助かったわ」

 ふぅ、と少女は大きくため息をついた。そうして緊張をほぐすように伸びをした。

 二人して階段を上がった。路地にはアーシュらがぶちまけた無残な姿をしたタルトがいくつか散らばっていた。

 本日アーシュが手塩を込めて作り上げたタルトたちである。それらの残骸に目をやってアーシュは眉根を寄せた。すぐにでも目の前の少女に掴みかかりたい衝動をどうにかこらえようとする。

「ほんとうにありがとう。ちょっといろいろとあって、追われていたから」

 少女は無邪気に話しかけてきた。その声の調子もアーシュの癇に障った。

「そうかい。それはどうも。こっちもちょっとあんたに言いたいことがあったから」

「何かしら?」

 少女はまったく思い当ることがないようで、小首をかしげた。

 そろそろ限界である。

 アーシュは息を吸った。

「ふざけんじゃねぇ!どうしてくれるんだっ、お前がぶつかってきたせいで台無しになったこのタルトたちを」

 アーシュの大声に反応して道を歩いていた数人が立ち止まった。つぶれた箱やぐしゃりとつぶれたタルトなどを確認して何が起こったか想像がついたのか、皆すぐに歩き始めた。

 少女の方も事態を把握したらしい。神妙な面持ちでアーシュを見上げた。

「わ、悪かったわ…。その…ごめんなさい」

 少女もバツが悪そうにそう言ったがアーシュの心はそれだけでは収まりそうもなかった。

「悪かったわ、じゃねーよっ。どうしてくれるんだ、これらのタルトを!俺が作ったんだぞ!これから得意先に納入しに行くところだったんだ」

「の、納入…?」

 意味が測りかねるのか少女は首をかしげた。

「客のところに届けに行く予定だったんだっ!」

「あなた…が?」

「そうだよ」

 アーシュは憮然としたまま答えた。

「それは…ごめんなさい。ええと、弁償すればいいのかしら。あなたはどこかのお店の使いかしら」

「使いじゃなくて、俺が店主だ。ちょっとお前店に来い」

 そう言って少女の手を掴んだとき、通りの向こうから別の少女が叫んだ。

「メ、メイリーア様に何しているんですか!」

「ルイーシャ!」

 メイリーアと呼ばれた少女は驚いた顔をして声を上げた。

 ルイーシャと呼ばれた少女は肩で息をしながらも、必死の形相でこちらを睨みつけていた。

「なにって、こいつのせいで俺の商品が台無しになったんだよ。落とし前をつけてもらうのが筋ってもんだろ。ほら見ろあれを」

 そう言って顎を引くと、ちょうど残骸の横を通りかかろうとしていたルイーシャがあっと言って足をとめた。

「…それは、その…メイリーア様が大変申し訳ないことを…」

「とりあえずお前らうちに来い」

 アーシュはメイリーアの腕を掴んだまま踵を返した。

「ええぇぇ、ちょ、ちょっとっ」

 メイリーアが困惑な様子で声を出すがアーシュは無視をしてそのまま歩きだす。

当然メイリーアもされるがままに歩きだす羽目になる。

「箱は拾ってこいよ」

 振り向かずにそう言うとルイーシャは何も言わずに辺りに散らばった箱を拾い始めて、それを目で見やってからアーシュは足を踏み出した。



カランコロン。ドアに取りつけたベルの鳴る音を聞きながら店の扉を開けた。

下町、トーリス地区はカール通りにある小さな菓子屋、『空色』それがこの店の名前だった。入口横の窓には菓子屋の綴りが入った、日持ちのする大きなクッキーが飾られている。店の中は客が四人ほど入れば満員になるような小さな店である。

メイリーアは物珍しそうな顔をして店の扉をくぐった。正直、このあたりの雰囲気とは少し一線を画したような造りの店である。

 窓のあたりの棚には日持ちのする堅焼きクッキーや大きなメレンゲ菓子が並んでいる。カウンターのガラスケースの中にはいくつもの種類のクッキーや一口で食べられる大きさのケーキが鎮座している。後ろの棚は細長い形をしたケーキが並べられていた。

「おかえりなさい、師匠」

 出迎えたのはフリッツ・ハイル。アーシュ・ストラウトのたった一人の弟子だ。

 人のいい柔和な面立ちの青年で年のころはアーシュよりも少し下である。明るい茶色の髪の毛に同じ色の瞳をしている。髪の毛を後ろで無造作にまとめたアーシュとは反対に彼はこのあたりで見かける男性と同じように短い髪をしていた。

 フリッツはおだやかな笑みを浮かべて、師であり店主でもあるアーシュを出迎えたが、アーシュの形相と腕を取られた形で店に連れてこられた見知らぬ少女、メイリーアとルイーシャを見て、目を見張った。

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