第2話 ファーストオーダー 2/2

「もうすぐ目的地だ。準備しろ」


 ジュリアはぼんやりと見つめていた助手席の車窓から目を離す。

 このご時世に珍しい旧来のガソリンエンジンの唸りを響かせるクロスラインはとある建物の前に滑りこんで停車した。

 颯爽と車を降りるベックにならって外に出て目の前の建物を見上げる。


「ここは……、記憶省?」


 この国には他の国とは一風変わった法律がある。

 それは死後の人間の記憶が、国によって管理されるという死者記憶管理法――記憶法があるということだ。


 いまから三十年前。『科学技術の進歩によって、個人の保有する記憶が他の国家に漏れ出た場合、それが国にとって重大な機密情報に当たる可能性がある』と、ある学者が唱えた。


 当時、その発表に合わせたかのように開発中の最新鋭戦闘機の設計者が拉致され、記憶から最新鋭戦闘機の情報を対立していた他国に読み取られるという事件が起きたのもあり、その学者の意見は波となって学者から市民、市民から議会へと広がり、記憶法として法案化されて施行されたのだ。


「行くぞ」


 建物を見上げていたジュリアは有無を言わせぬベックの後ろに付き従う。


 ガラス張りのエントランスを抜けてそのまま階段で建物の地下へと降りる。

 地下二階まで来たところで、一人のスーツ姿の男と出くわした。


「よぉ、生きてたか」

「しっかりしろクロウト。さっき電話で話したばかりだろ。もうボケが始まったか?」


 軽口を叩き合いながら、固い握手を交わすベック。

 そんな挨拶も終えるとクロウトと呼ばれた男の視線がメガネ越しにこちらを向いた。


「こちらは?」

「助手だ。つい三十分前に雇ったばかりのな」

「大丈夫なのか?」

「これからそれを確かめるのさ。で、今回の仕事は?」

「あぁ、こっちだ」


 クロウトはそう言ってベックにファイリングされた書類を手渡し、先導して廊下を歩く。


「被害者はマイク・フォスター。二十八歳。ロック警察署北分署の組織犯罪捜査課に勤務する刑事で、数日前から行方不明届けが出されていた。だが約八時間前、川辺で散歩中だった市民に発見され、死亡が確認された」

「他殺なのか?」

「不明だ。しかし現場検証をした警察からはどちらの線も考えられるそうだ」


 ベックが読んでいた書類をジュリアに回す。

 それを受け取って適当にめくると、中には警察の公式文書や履歴書、複数枚の写真が挟まれていた。


 その中にはプライベートなのか、どこかの浜辺を背景にくっきりとした目を持つ短髪の若い男と儚げな笑みが特徴の女性が一緒に写った写真もある。

 おそらく、この短髪男性が被害者のマイク・フォスターなのだろう。


「どうして夫が死ななければならなかったんですか!?」


 資料見ていると叫び声が聞こえて顔を上げる。

 すると一人の女性が記憶省職員のスーツを掴んでいた。


 息荒く肩を怒らせる女性は今にも職員に噛みつかんばかりだったが、職員になにかを言われると目から大粒の涙を流して崩れ落ちる。

 よく見ると女性は被害者と一緒に写真に写っていた女性だった。


「被害者の妻であるアイーシャ・フォスターだ。彼女も元警察官で、結婚してからは専業主婦だったそうだ……可哀想に。息子さんもいるのに」


 クロウトが同情した口調で告げて彼女を避けるようにして通り抜け、検視室と書かれた奥の扉を開け放つ。


 冷たい印象を受ける無機質な部屋の中央で物言わぬ死体となったマイクが検視台に横たえられた状態でライトに照らされている。

 クロウトは検視台の側にあった黒い箱状のものをベックに差し出した。


「今回の仕事はこのマイク氏の記憶を警察に移送することだ。記憶を再生し、彼がなぜ死んだのかを究明する。それが記憶省からトランスポーターである君への仕事だ」


 死んで間もない人間の記憶はすぐさま記憶省によってデータとして取り出され、保管される。

 しかし記憶省の仕事はあくまで記憶の収集と管理だけであり、記憶に関連する事件を捜査することはできない。


 そのため、ドロップアウトした警察官や軍人といった者を特殊外部捜査官――トランスポーターとして任命し、調査や捜査を委託する権限を与えられているのだ。

 そしてトランスポーターであるベックはやれやれとばかりに箱を受け取る。


 その時、上着の隙間からホルスターに携行された鈍い銀のリボルバーが目に入る。

 先刻自分にも突き付けられたリボルバーは形状からして、大昔に作られたものだろう。


 トランスポーターは非常時を考えて武器の携行が許可されているが、護身用でも自動拳銃を持つのが常識のご時世に、わざわざ古めかしいリボルバーを使う人間は少ない。


 横たわるマイクの遺体に目を向ける。

 血の気のない白い顔にはなんの表情も浮かんでいない。いったい彼はどのような顔で、どのような気持ちで最後を迎えたのだろうか。

 そんなことを考えて遺体の顔を覗きこんでいると、いきなり首根っこを掴まれる。


「文字通りの運び屋ってわけか。喜べ、新人くん。今日は簡単な仕事になりそうだ」

「え、ちょ……引っ張らないでください! ベックさん!」


 ズルズルとベックに引きずられながらジュリアは検視室を後にした。

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