高く舞い上がったソレはスタンドに突き刺さる

 澄人には相変わらずの生意気な態度をとられ少しばかり憮然な俺は染白小学校の階段を上っている。俺は染白小学校に何の関係のない身分であるので、教員に見つかって不法侵入者扱いされたときのための弁明を考えながら玄関で靴を脱いだのだが夏休みの日曜日ということもあり休日出勤をしている教師はおらず徒労に終わった。

 もちろん染白小学校は母校ではないので校舎の構造は分からない。サユにどの会談を登ればよいのか聞いてくるべきだったと後悔する。とりあえず近くにあった階段を登ったのだが3階で階段は終わっていた。

 もう一度1階まで降り、今登った階段の一つ奥の階段を登る。玄関でチラ見した校舎図を見るに今上っている階段は3つある階段のうちの校舎の真ん中に位置する階段だろう。

 染白小学校が今の校舎になったのは20年前と聞いているので、綺麗でもなければオンボロではないといったところだ。このくらいの校舎の方が気が楽だと思う。新しければなるべく汚さないように注意を払わなきゃいけないし、オンボロならオンボロで不自由が多いことだろう。

 リノリウムなのかウレタン樹脂か俺には分からないが、一般的な床素材の階段を靴下で上がっているとついに屋上の踊り場らしきところについた。

 扉を前にしてサユが天使すぎて忘れてしまっていたが、大抵の学校の屋上には鍵がかかっている。開いているのか不安になったのだが、幸いなことに鍵はかかっていなかった。意外とこういう管理は甘い小学校らしい。

 屋上ということもあり少し重い扉を開けた。気圧差によって一気に風が俺に吹きつける。そういえば紅葉のパンツを見てしまった時もこのような突風であった。

「ほー、なかなか広いんだな……」

 鉄製の柵に囲まれたごく一般的な屋上だった。自由に行動できるエリアは広く、ソーラーパネルが南の方向へ揃ってむいていた。久しぶりに学校の屋上に来たということもあって、景色を眺めたいと柵に歩み寄った。俺には軽く身を乗り出せるほどの高さだったが小学生が乗り出せるほどの高さではなかった。やはりどこの学校も自殺対策は万全だ。

 グラウンドを見渡せば紅葉が全員を捕まえたようで、サッカーをしていた子を正座させてなにか話しているようだった。叱り方まで何まで昭和っぽい。このような表現もあと少しすれば平成っぽいという言葉に代ってしまうのだろうか、ととりとめもないことを考えているとダイヤモンドでサユと澄人が暇そうに砂いじりをしている。待たせているのを思い出し屋上にあるはずの簡易倉庫を探すことにした。

 振り返り改めて屋上を見回してみると、ソーラーパネルの向こうに木製の大きな物体が見えた。近づいてみると木製のクローゼットのようになっていた。

「これか……」

 その木製のクローゼットは俺の背丈をゆうに超え、横幅も俺が寝転ぶことができるくらいの大きなものだった。

 そのクローゼットに手を掛け、開けようとした時だった。


「……お兄さん……だれ?」

「ひっ!」

 人の気配を全く感じず突然後ろから声をかけられたので思わず飛び上がった。腕には鳥肌が立っている。

「あ……びっくりさせたらごめんなさい……」

 声をかけてきた子は染白JSCのユニホームを着た男の子であった。俺をびっくりさせたことを申し訳なく思っているようで、持っていたバットをその場に置き手を膝にあて深々とおじぎをした。なんとも律儀だ。

「いや!いいんだ!びっくりした俺も悪かった!」

「……本当にごめんなさい…… ところでお兄さんはここで何を……?」

 少年は顔を上げ尋ねた。

 帽子から覗く髪は少し長く、艶のある黒色をしているため中性的な印象。目は少し細くジト目をしているように見えるがこれが通常なんだろう。

「あぁ、紅葉の奴にこのチームのコーチを頼まれたんだ。それで道具を取りに来た次第だ。俺は成宮柊、よろしくな」

「……!コーチですか……!柊さん、これからよろしくお願いします……」

 口調は変わらないが目をまん丸にして言うので驚いているのが伺える。よく見れば口元は少し上がり喜んでくれているようだ。サユや澄人もそうだが彼も俺を歓迎してくれているようで安心する。

「僕は三好 順といいます……ポジションはサードです……」

「お、サードか!俺もサード守ってたんだ、仲間だな」

 やはりこうやって同じポジションだと親近感が湧く。同業者って感じで。

「そうなのですか……!サードのこといっぱい教えてくれると嬉しいです……しかしなんでこのチームのコーチに?」

「えっ、あ……それはだな……」

 うーむ。なんて説明しようか。まさか紅葉のパンツを見てしまった償いとなんて言えない…… 。何度も言うが第一見たくて見たわけじゃないんだ。 そう、見たくて見たわけではない(復唱)

 まぁここは適当にでっち上げるとするか。

「実は俺と紅葉は友達でな!夏休みに俺が暇してることを知った紅葉が『コーチをやってくれ~』って泣いて頼まれたんだ。断る理由もなかったし受けてやったんだよ」

 少しばかり脚色したが概ねこんな感じだろう。多分。世界の歴史もきっとこんな感じで伝わってきたはずだ、と自らを根拠のない俗説で正当化する。そう、これが成宮柊である。

「そうなのですか……。紅葉さん……僕たちのこと考えてくださってたんだ……」

「……んで気になってたんだが順はなんでここにいるんだ?」

 特に呼び方は言われてないので呼び捨てで呼ぶことにした。

「あぁ……実は最近染白JSCの道具が盗まれちゃって……多分、この学校の子が遊びに使ったんでしょうけど……。そんなわけで監視してたんです」

「そ、そうなのか……」

「最初、柊さんも泥棒かと思ってびっくりしたんですよ。てっきり犯人は小学生だと思っていたので……もしもに備えて素振りしていたバットをそのまま持ってきたんです……」

「おい……もし俺が泥棒だったらどうするつもりだったんだ……?」

「逃げようとしたらぶん殴ってましたね……」

 表情ひとつ変えずにとんでもないことを言い出す順だった。

「バットでぶん殴るのはやめろ……お前が捕まる……」

 こめかみを抑えて訴える俺を見て順はキョトンとした顔をした。

「……?近所の中学生が言ってました。高校生まではどんなことしても警察には捕まらないって……」

「確かに捕まらないけども!!でもだめだ!お前のこの先の人生が少し不安だ!!」

 誰だ!そんなこという中学生は!

 というか順も少しズレてるような気がする。どんなことしてもっていうのは万引きとかそういうことを指してるんだと思うんだが……。いや万引きとかももちろんだめだけどね?

「わかりました…… バットでぶん殴るのはこの先しないようにします…… せめて頭にこのボールを……」

「それもダメだ!!平和的解決をしよう!いいな!?」

 必死の説得するも、いまいち順は理解できないようでボールを片手に首を傾げていた。

「よし、これから澄人とサユにノックをするんだ。順、お前も来い」

 ノックという単語を聞いたところで、順はまた目を見開き、ずっと変わらなかった表情を崩して言った。

「よろしくお願いします……!柊さん……!」

 その崩した表情はどこまでも純粋な笑顔だった。

 …まあこの笑顔のためにひと肌脱ぐのも悪くない。


木製の大きなクローゼットからペール缶に入ったボールとバットを取り出し、俺と順はそれらを携えて屋上を出発した。

 順は屋上の鍵の管理を任されているらしく、屋上をあとにするときに鍵をかけていた。

 理由を聞けば紅葉はすぐに物を失くしてしまうらしく、順自らが鍵の管理に名乗りあげたらしい。紅葉も紅葉だが、こういうところに順の責任感の強さを感じる。ちょっと抜けているところもあるが。

「では行きましょうか。澄人くんとサユちゃんが待っています」

「おう、そうだな」

 ボールを入れているために重くなっているペール缶は俺が持ち、バットは順が持ってくれた。先ほど上ってきた並んで階段を下る。

「なぁ、順。紅葉が6年生は4人いるって言ってたんだがお前と澄人とサユと誰なんだ?」

 順が6年生なのか確認する意味も込めて聞いてみた。

「……なんと……!僕が6年生であることを見抜くなんて……!さすが柊さんです……」

 順は感嘆したようで目を輝かせている。

「いや単純にお前が大人びてると思ったんだよ。澄人のガキっぷりに比べりゃ相当大人だよ」

「……照れますよ……柊さん……」

 順は顔を赤らめてもじもじと目線をそらした。

……なんか可愛いなこいつ。男なのに。

「でもサユちゃんは6年生じゃなくて5年生です……惜しかったですね……」

「えっ?そうなのか、てっきり6年生だと思ってた」

「6年生は僕と澄人くん、桃架ちゃんに樹生くんです……樹生くんはいつもサッカーばっかりしてますけど……」

「そうなのか。ってことはあのサッカーしてた奴らの中に樹生って奴はいたのか」

「はい……おそらく…… 私はいつも練習に来たら泥棒監視のために屋上で素振りなので今日は来ているかはわかりません……」

「……お前毎日あそこいたのか……」

 順が監視をはじめてから泥棒が来なくてよかったな……殺人事件が起こるところだった……

「じゃあその桃架ちゃんってのは?女の子なんだろ?」

「はい、でも桃架ちゃんは日曜日は塾なので来てないと思います……」

「おいお前!おっせーぞ!この俺をまたせるとはどういうことだ!お前ほんとにコーチなのかぁ⁉」

 まだ桃架という女の子についてあまり聞けないうちに学校の玄関につくと、俺を待ちきれなかった澄人が相変わらずの生意気口調で罵声を浴びせてきた。

「うるさい。さっさと始めるぞ」

 大人な俺は澄人を軽くあしらい、顎を使ってポジションを行くように指示した。これがなかなか気持ちいい。将来は顎で人を動かせる人間になりたいものだ。

 澄人は俺の指示を理解したらしく、舌打ちをしてショートのポジションへと駆けていった。生意気さ加減に抜かりのない澄人であった。

玄関を出るとサユも待ちきれず、澄人と待っていたようで、玄関近くの花壇を眺めていた。

「おーうサユ、待たせたな」

「あ、お兄ちゃん!」

「ん?」

 声をかけるとサユは待ってました、と言わんばかりに俺に近づいてきて無邪気に笑ったのだが、なぜか両手は手首まで土に汚れていた。

「お兄ちゃん!!がんばってくれたお礼にこれあげる!」

 天使が手に持つそれは両手で包むように隠されておりなにがあるかはわからなかった。

 ささやかなチロルチョコくらいだろうか。それとも摘み取った小さな花だろうか。

 しかし天使といえど少しは疑うべきだった。

 まずは土で手首まで汚れている点。このことから花壇で何かを掘っていたということが予想される。そしてわざわざ手で覆い隠しているという点。なにかのお礼のとしてのサプライズ性を演出するのであれば、大概は体の後ろに手を回して隠すのが普通であろう。それを覆い隠すということは、体の後ろで隠すことができない、もしくは俺に近い場所からいきなり見せることにこだわるサユの意思を察することができる。

 そこまで俺の思考が回ったのはサユの手から開放され、夏日に反射する白い体躯のそれを目で認識した時だった。

 一瞬の硬直。体だけでなく思考までもが硬直した。脳内感情は一切の無。もしかしたら心臓も一瞬止まったかもしれない。

 サユの手に転がっているうねうねと体をねじらせて蠢く白いジャバラのような体は紛れもなくカブトムシの幼虫だった。

 俺の意志による運動神経への命令はこれが最後。もう俺の意志とは関係無しに反射と自己防衛本能だけが体中の運動神経を走る。

「ッギャァァアアォォオァアエアオォアーーッ!!!!」

「きゃーっ!」

 俺の驚きと嫌悪が織り交じった魂の叫び声がグラウンドにこだました。

 その叫びは近くにいたサユだけでなく、玄関からはほぼ対角のエリアで孔子の如く長々と説教をする紅葉とそれを聞く他の連中も驚かせたようだった。

 グラウンド中の注目を一同に浴びる俺にさらに悲劇が起こる。

 俺の叫び声に驚いたサユはたまらず飛び上がり、手の中のカブトムシベイビーも成虫に成らぬ間に大空へ飛び立った。もちろん幼虫である。それは重力による自由落下で真っ逆さまに地上へと着地しようとする。

 フライアウェイしたそれの着地先は玄関前の舗装されたところでもなく、住処の花壇でもなく、夏日に照らされたグラウンドでもなく、高校2年16歳中肉中背の黒髪学生カットの頭、すなわち俺の頭へと落下した。

「うぎゃぁぁぁあ!!!!サユ!!てめっ!ぎゃぁあーーっ!」

「きゃーーーっ!ごめんなさいお兄ちゃん!!!」

 あまりの出来事になりふり構わず騒ぎ散らす俺。16にもなって虫ごときに取り乱され、こんな醜態を小学生に晒すなんてマイ黒歴史に確実に載りそうだが、頭の上にカブトムシの幼虫が乗っているなら話は別だ。黒歴史がなんだろうがどんな手を使っても頭からカブトムシの幼虫を除かなければならない。

 幼き日の俺であれば冷静かつ迅速に然るべき対応をしていたかもしれないな。バッタやらコオロギやらカマキリやらを捕まえては逃がして遊んでいた頃なら頭上のカブトムシの幼虫くらい鮮やかなキャッチングとトスで花壇へリリースするなんて造作もなかったはず。多分。

 しかし年を重ねていくにつれてアウトドアな趣味よりもインドアな趣味を嗜むようになり虫に触れることから遠ざかる毎日を送っていたら、ついには触れたはずの虫も触れなくなり虫そのものに嫌悪感を抱くようになってしまった。

 そんなわけで頭にカブトムシの幼虫を乗せながら右往左往している俺であった。

「柊さん……!!どっ、どうかしましたか……!?」 

 玄関で靴の履き替えをしていた順が俺の絶叫を聞きつけ慌てて出てきたようだった。

「ぎゃぁあーーっ!順!!順!!頼むぅぅこれをっっ!!」

 俺はパニックのあまり順をみるなり、頭のカブトムシの幼虫を引っ掴みそのまま順へと投げつけた。カブトムシの幼虫が手に触れてから投げるまで体感0.5秒。触れる時間さえ最小限だ。

「……え!」

 順を現状を理解しないまま出てきたらしく一体何が起こっているのかわからないようだった。

 そして俺が投げた物体は正しくカブトムシの幼虫であったが、順の野球眼が白いカブトムシの幼虫をボールと認識したらしく、順は持っていたバットを瞬時に持ち替え、打撃フォームを作り出した。

 あっ、これやばい。

 見事なテイクバックから放たれる順の美しいスイングは打点まで最短距離で弧を描き、ビームサーベルさながらの残像が見えるようだった。


 ぶじゅ。


 白球とアルミ素材のバットの快い衝突音が鳴り響くはずだったスイングは白球ではなくカブトムシの幼虫を叩きグロッキーな鈍い音を奏ながら高く舞い上がり2階の教室ベランダにスタンドインした。

 ファールボールに注意ください、と場内アナウンスしたいところではあるが、幸いスタンドには誰もいない。

 その場にいた3人は呆けてそれぞれ顔を見合う。

「……柊さん……あれボールじゃないですよね……?」

 1番先に口を開いたのは順。

「いやあれは新しい規格のボールなんだ…… 普通のボールよりも飛ばない設計になっているんだ……」

「絶対違いますよね……!?ほら、バットに変なのがついてるんですけど……!!」

 順は額に冷や汗をかきながらカブトムシの幼虫の体液をつけたバットを見せつけてくる。

「あっ、順くん……それカブトムシの幼虫の……」

 この一連の流れの元凶とも言えるサユがおそるおそるという風にボールの正体を話そうとするも言葉を濁す。

 サユは16歳の俺なら驚くこともないと思っていただろうし、元凶という言い方ならむしろ俺の方かもしれないが……


 そのあと、犠牲となったカブトムシの幼虫を埋めてやりたかったが、教室の扉に鍵が掛かっていて入れなかった。

 せめてもの弔いとして、入ってしまった4年3組の教室の扉の前で3人とも土下座をして冥福を祈った。動物虐待、ダメ、ゼッタイ。


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