水の中にある【短編】

詩乃

水の中にある

__これは、僕が体験した、変にリアルな出来事だ。


僕は、ある病気を患っており、余命は三ヶ月なんだそうだ。

それで見た一種の夢のようなものだろうと、医者は言っていた。



僕は高校生だ。そして、こんな世界が大嫌いだ。


そんな僕には、胎児のころの記憶がある。母親の腹の中で眠っていたのを覚えているのだ。


不思議な話だろう?


でも、僕は確かに覚えている。

腹の中では息はできなかったが、苦しくもなんともなかったし、安心できていたのだった。


そのせいだろうか。僕は小学校のころからいじめられていた。

「気持ち悪い」とか「変だ」とか、胎児のころの記憶を所持している僕には、


『化け物だ』


なんて意識を持たれることが多かった。



つらかった。



僕は人間であって、お前たちと違うところなんてひとつもない。


そう思ってもつらかった。


母親を恨むこともあった。


でもそれが間違いだったと気づいたのは、母親を、この手で、殺めてしまった後だった。


母親は、最期の最期まで、僕に静かに謝っていた。


「普通の子に産んでやれなくてごめんね」


そう言い続けた母親は、一粒の涙を落として、そして死んだ。


僕は自分が嫌になった。



「せっかく産んでくれたのに……。ごめん、ごめんね……」



今度は僕が母親に謝っていた。



母親が死んで、僕は一人暮らしになった。

父親は僕と母親を置いて出ていったので、どこにいるのかわからない。


親戚のおばさんに、引き取ろうか? なんて言われたが、そんなの、必要なかった。


理由は至極簡単だ。


おばさんの目が、怖かったから。

まるでクラスメートたちのそれとなにひとつ変わらない目だった。



そう、化け物を見るような目。



おばさんの目は言っていた。


「この人殺し……」


だから僕は誘いを断った。


母親への想いは募るばかりだった。

逢いたい。そう思った。


殺めたのは自分なのに。おかしな話だ。


そのとき僕は考えた。母親に逢う方法を。



『母親と同じところへ行けばいい』



これが僕なりの考えだった。つまり、死んで母親のもとへ……。



僕はかつての家の近くの湖へ来ていた。かつての家には、母親の死体はもうない。火葬してもらって、今の家に骨を置いているから。


__ここなら楽にできる。


僕は泳ぎが得意だから、この湖の深く深くまで、泳いで母親のもとへ行ける。

母親は、この湖の深いところで、まだ静かに眠っているだけなのだ。


まるで、産まれる前の胎児のように……。


僕は馬鹿だった。母親は家の中で殺めたのに、水の中にいるなんて、そんな話があるわけがない。でも、逢いたい。


__母さん……!


理性は、どこかへ飛んでいった。


僕は湖へ足をつけた。


冷たい。ひどく冷たい。体の芯から冷えていくようだ。


季節は、冬。氷は張っていなかった。


体中が冷たい。そして心が、冷たい。でもこれを乗り越えればきっとたどり着けるんだよね、母さん?



そんなときだった。



「違う、それは違うのよ」


母親の声が聞こえた気がした。


__違う? 何がどう違うのだろう? 僕の考えは正しいはずだ。


「あなたは、生きてくれたらそれでいいの」


__どうして? どうして生きなくちゃいけないの? わからない。


「あなたが笑って過ごしてくれることが」


声が少し止んで、すぐに、



「私の幸せだから」



芯から冷えていた体が、あたたかくなった。



__僕が生きることが、母さんの幸せ……。



僕は今まで、自分の幸せだけを考えて生きてきたのだと、そのとき初めて気がついた。


愚か者だな、僕って。


僕の目から、一粒、何かが零れ落ちていった……。



__ここはどこだ?



目を覚ますと、白いベッドの上だった。

長い夢を見た気がするが、どんな夢だったのかは覚えていない。


ああ、でも、ひとつ覚えていることがあった。



『笑って過ごしてくれることが、幸せ……』



こんな感じだったろうか。


誰かが僕に生きる希望を与えてくれたから目が覚めたんだ、きっと。



「せ、先生! 目を覚ましました!」


「……優太ゆうた!」


僕がむくりと体を起こすと、母さんが僕を力いっぱい抱きしめた。


僕の目から、一粒、涙が零れ落ちた。



僕には、胎児のころの記憶がある。

優しい水の中で、静かに生きていたころの記憶が。



おわり。

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