父と子

 司にはわかっていた。

「御館様」

 仁の言葉に小さく頷くと、後に続く自警団の面々に的確に指示を出す。

「二人一組で行動するんだ。橘、すまないが私と共に」

 樹を屋敷に連れ帰ったばかりで体力を心配したが、仁は無言で頷きを返した。それを認めると、司はその場にいる全ての者に聞こえる様に声を上げる。

「皆、息子の為にすまない。だが聖域にだけは入らぬよう、重々気を付けてくれ」

 複数の同意の声。散って行く足音。ばしゃり、水溜まりに波紋を広げた。

 松明の灯りが疎らに見えた頃、司は背後に控える青年を顧みる。

「橘」

「はい。御館様」

 その表情は降りしきる雨で見えない。

「行こう……創と統の元へ」


 祠に着くと、二人は先を急ぐ。やがて、淡い灯りが辺りを朧に照らす。その先に発作を起こし、倒れている創を見つけた。

「創っ!」

 仁の叫びに、冷静に司が近付く。しかし、ぐったりと青白い顔で、血に染まった手で、創は司を拒否した。

 仁の顔が驚きと悲しみで歪む。だが司は、有無を言わせぬ力強さで創を押さえた。

「診せるんだ」

 小さい頃から触れてくれた手の温もりに、創は視線を反らす。その安らぎから逃れるように、仁に手を伸ばした。

「仁、さん……」

 名を呼ばれ、仁は創を見つめる。

「あ、きら……止め、て……し……ん……」

 はっと仁は息を呑み、司の顔も険しくなる。

「俺、行きますっ!」

 二人を残し、仁は踵を返した。

 安堵したのか大きく息を吐くと、創は視線を上げる。その先に、悲しい目をした司がいた。

「……おとう……さん……」

 僕は知ってるんだ。あなたが……

「どう言えば納得した?」

 その声は限りない痛みを含んで、創の心に刺さる。

「お前を救う術を教えてくれ」

 創は笑いたかった。僕を救う術? そんなもの……あるものか……!

 荒々しい呼吸は、言葉を形成させる事すら阻む。

「使いになんかさせない」

 司は創を抱き上げる。

「お前は私が守る。そう決めたんだ」

 遠退く意識の底で創は混乱する。司の真意がわからなくて。


 足元で跳ねる泥が、ぬかるんだ土が駆ける速度を鈍らせる。それでも仁は走っていた。嫌な予感がした。

「統……槙っ!」

 弾む息の中、感覚を研ぎ澄ます。その時、嘆きの叫びが聞こえた気がした。人より優れた五感が、仁を一定の方向に導く。

 その先に何があるか、わかっていた。それでも向かわねばならなかった。


 本当は、お父さんもお母さんも僕を望んでいなかった。

 だけど未来に生まれる後継者を守る為に、僕は必要だった。

 だから、この世に生を受けた。皇の血を絶やさぬよう、使いの担い手となる器として。

 門番たる橘家。墓守たる椿家。巫女の血筋はお母さんの血筋、桂家。

 御伽噺には別バージョンもあるんだよ?

 娘は山神様を祀る神社に生まれた。成長し、巫女となった彼女は使いと称された獣による、無益な殺生に心を痛めていた。そして、自ら望んで山に入ったんだ。

 そう。犠牲になったんじゃない。全てを捨て、受け入れたんだ。

 その後、使いは現れなくなり、山の怒りが静まったのだと人々は歓喜した。村は滅亡の危機から、解放されたのだ。

 しかし、とうとう巫女は帰って来なかった。将来を誓った男は嘆き悲しみ、だが待ち続け、一人余生を送ったという。

 何が正解なの? 誰か教えてよ! 僕はどうしたらよかったの?

 自制の利かない感情の矛先を、弟に向けてしまった。親友を利用してまで、真実を白日の元に晒そうとした。何の為に? 自分の為だけに……!

「…………」

 僕の願いは……お父さん。あなたに届きましたか?

「それが、お前の望みなら」

 大好きな手。拒まれても否定されても、それでも独占したかった。

 譲りたくなかった。統だけには……!


 限り無い沈黙の中、創を横たえさせた司は懐に入れた手拭いで丁寧に体を拭くと、最後に頼り無い灯りの元、血塗られた左手を拭いた。

 その返り具合から、相手に少なからずの深い傷を与えているとわかる。胸騒ぎは激しくなり、最悪の事態を想像した。

 あんなに優しかった兄が、弟とその友に刃を向けてしまった。

 それもこれも全て自分のせいなのだ……!

 祠を出ると歩き出す。仁の向かった先に、必ず統がいる。そして、きっと啓も。

 司は気付いてしまった。自分の血を引く者だけが出来ると思っていた禁忌を創も行えるのだと。桂の純粋な血が彼を魔物に変えてしまったのだと。

 そして正統な後継者たる統に、残酷な事実を告げねばならない日が来てしまった事を。


 闇に浮かぶ白いシャツが難破した船の帆のように、ゆらゆらと仁を引き寄せる。木立の間を抜け、慎重に項垂れる存在に近付いた。

「統?」

「橘……せんぱ……」

 惚けていた表情が、徐々に色を取り戻していく。そして、次の瞬間……!

「あ、きら……啓が……あ……あああぁぁぁーーーっ!」

 弾かれたように足にしがみつき、統は絶叫した。それだけで全てを察した仁は、嘆く少年の肩に手を置く。そして今し方まで、統がいた場所に急いだ。

 爪先が蹴飛ばしてしまった小石が鳴く。あともう一歩踏み出せば、底知れぬ闇が広がっている。

「ここから……飛び降りたのか?」

 思わず呻いていた。しかし、直ぐに仁は判断した。

「お前は、ここにいるんだ」

 崩れ落ちたままの統に駆け寄リ、言い聞かせると再び駆け出そうとする。

「……俺も……俺も行きますっ!」

 ふらつきながらも、統は立ち上がろうとする。

 気持ちはわかるが、時は一刻を争う。それに……

「後を……お願いします」

 そう告げて、仁は元来た道を戻り出す。

「……父、さん……」

 青年が駆け抜けた先に、司が立っていた。瞬時に創の姿が、放った言葉が、起こした行動が甦る。それらは何故ここにいるのかと、父に問えない程に統を苦しめた。

「橘に任せるんだ」

 有無を言わせぬ眼差し。

「お前に大事な話がある」

 白々と、もうすぐ夜は明けるだろう。対峙する父が何を告げるのか、統は知りたくなかった。それよりも早く川岸に行き、闇に吸い込まれてしまった友を探したかった。激しい動揺が、自身の間近に迫っていた命の危機を忘れさせていた。

 思い出したくなかった。創が自分を殺めようとした事を……自分をいらないと言った事を……!

「18回目の誕生日を迎えた時、私は言ったな?」

 その瞳は真っ直ぐに統を宿す。その眼力に一瞬、身動きすら出来なかった。

「皇を継ぐ。それは宿命だと思ってほしい」

 選択肢はない。統は息を呑んだ。

「創に何もかも聞いたのなら、私から言える事はそれだけだ」

 足りなすぎる説明に、統は衝動的に叫んでいた。

「何もかも……?」

 感情の箍(たが)が外れる。どうしようもなく笑いたくなった。

「あっ……あに、きが……話した事が全て真実なのか? 俺に皇を継がせる為に兄貴を……実の子ではない兄貴をっ! 母さんに……生ませたのかっ!」

 かちかちと歯が震え、怒りが迸る。一気に放つも、司は眉根一つ動かさない。

「創は私の子だ。例え血が繋がっていなくとも静と生きようと決めた時、共に受け入れた」

 その言葉に嘘はないと思った。今まで目にして来た創に対する両親の愛情が、それを肯定していた。

「闇が忍び込んだんだ」

 司は悲しそうに呟いた。

「それに気付けなかった。私は……父親失格だ」

 闇。そんな曖昧なものが創の心を少しずつ蝕み、人格すらも変えてしまったというのか?

「わからない……わからない事だらけだ……」

 気付けば、直ぐ傍らに司が来ていた。余りにも自然に傷口の手当てをするから、小さな子供に戻った錯覚に陥る。

 幼い頃の思い出など無いに等しいのに。昂った感情の行き場を急速に失い、統は顔を逸らす。

「儀式について話そう」

「儀式……?」

 その単語に、言い知れぬ不安が走るのは何故だろう? 見る間に巻かれていく包帯の白さを認識出来る程、辺りは明るくなりつつあった。

「皇家には、一子相伝の秘術がある」

 それは長子たる男子にだけ受け継がれる、不思議な能力だった。

「死者の魂を新しい器に入れる」

 恐ろしい力ゆえに、時の権力者達に知られる訳にはいかなかった。だからこそ門外不出の禁忌とされ、小さな村の中でだけ行われて来た。全ては……偉大なる山を守る為に。

「その力が、お前にもある」

 司の話は現実味に乏しく、統は理解出来なかった。

「そんな……」

 受け入れられず、混乱する。

 では、この村では死者が繰り返し生き永らえているのか?

 自分も誰かの器だったのか? そもそも自分は自分なのか?

 使いとは何か? 山神様を守護する存在ではないのか?

 創は自分が使いにされてしまうと怯えていた。だから……だから、自分を殺そうとした。

「皆……遥か昔から生きているのか?」

 頭が痛い。胸が苦しい。そんな力は何の為にあるのか?

「山神様をお守りする為に選ばれた一族だけが、儀式に参加出来た。しかし例外もあれば、拒んだ者もいた」

 例外? 拒む? 確かめたい事は沢山あるのに、思考が追い付かない。

「私がお前と樹の婚姻を許せないのは、その為だ」

 司は厳しい表情で続ける。

「あの子には純粋な村の者同士の血が流れていない。樹の母はこの村で生まれ育ったが、父は村以外の場所で出会った男性だ。つまり仕来たりに当てはまらない。お前が皇の血を引く限り、交わる訳にはいかないんだ」

 余所者。何故か今、しっくりとくる。そして、どうして樹が村人達から、あんなにも疎まれていたかのかも全部理解した。

 他者を受け入れず、少数の中で育まれた仕来たり。秘密を守る為、村全体が結託していたと考えれば納得出来る部分が多々あった。

 いや、村人全員でなくとも限られた一族同士で盟約を結んでいればどうにでもなったのではないか? 止まらない考えに統は頭を抱えてしまった。冷静な判断が出来ない。

「教えて下さい……」

 どうにか紡いだ言葉は、遠く震えて聞こえた。

「俺にその資格があると言うのなら……知る権利がある筈です……」

 矛盾する思いが錯綜する。

「でも、それを知ったら……俺は愛する樹を諦めないといけないんですか……?」

 そんな息子の姿から、司は決して目を逸らさない。

「だから兄貴は樹を妻にと? 俺の代わりに守る為に?」

 どうしようもない現実に呑み込まれ、我を見失う。

「でも……俺は……」

 それでも心の一番奥に、揺らぐ事なくある思い。

「それでも俺はっ! 愛する人と生きていきたいんだっ!」

 魂からの叫びだった。

「薄情だと責められてもいい! わがままだと罵られてもいい!それでも樹がいないなら……!」

『統ちゃん』

 ふわりと風に踊る髪。自分だけを映す一途な瞳。繋いだ指先が永遠に解けないようにと、祈らずにはいられなかった。

「意味が……ないんだ……」

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