第六章 サンピエトロ就航

   1


 浮遊要塞プロセルピーナは木星軌道上にある。太陽と木星のラグランジュL4、すなわち木星軌道を、太陽から見て木星より六〇度先行して公転しているのだ。ここには、元々トロヤ群と呼ばれる小惑星群があり、そこに築かれた基地が発展して浮遊要塞になったと言われている。

 フランツ・リライト・イワシュー准将は、二年ぶりにこの大要塞へ帰還する。体制軍第二、第三主力艦隊の母港であり、一〇億人の生活空間でもある。彼も、彼の部下のほとんども、ここで生まれ育ったのだ。

「目測を誤るなよ」

 プロセルピーナまで距離二〇万キロの位置で、ドロッター一流のジョークが飛んだ。

「速度調整は、手動だって間違えませんよ」

 操舵士も笑って答えた。

 これほど遠いのに、岩石を無秩序に組み合わせた造形が肉眼で確認できる。オルフェウスより一回り小さいとはいえ、現代ではこのような非球体はもう造れない。要塞からのリモートは効いているが、あまりの大きさに距離感を失う。

「帰って早々、お楽しみの尋問だな。本部へ呼び出しとは、大事らしい」

 イワシューは二つの可能性を考え、即座に一方を切り捨てた。マルオ・モリノ大佐によって、オルフェウス反乱の一件がガズミクに知られたところで実害は小さい。だから、厄介ごとはもう一つの方だろう。

 第二次移民がプロパガンダではなく事実だったと知られたのだ。第一次移民が旅立った時代には知られていなかった惑星・潤いの大地に、シリンという国家が築かれたこと。それを知られれば、バランスシートの不確定要素が埋まる。連中が余力を残して戦う理由も無くなるわけだ。シリンの実情を知れば、必ず。

 プロセルピーナまで距離三万キロ。視界いっぱいに岩塊が広がる。相手は惑星ほどの大きさがあるのだ。

 巨大な岩が右舷から迫る。激突寸前と錯覚するが、距離は二〇〇〇キロある。

 微粒子層に太陽光が反射し、虹が現れた。通常装甲のみで突破してもダメージは無いが、これより内側へワープアウトすることは出来ない。奇襲対策が、風流な景観を生んでいる。

「サテライトG、八〇七番宇宙港Cレーンへ入港します」

 オペレータが言い終わらぬうちに、操舵士は非常時に備えてスロットルを握った。

「呼び出しを掛けておいて、本部の裏側へ入港させるとはな」

 イワシューとしては、要塞内のリニアを乗り継いで六〇〇〇キロもの移動を強いられる不条理を訴えたいところである。しかし、いつも不満ばかりの副官にはなんでもないらしい。

「プラネット・ゼロ周辺は警戒態勢ですから、こっちの方が早道ですよ。サンピエトロ就航問題がどう転んだものか」

 ルーブル・タイプの二番艦が竣工して二〇日余り。テスト航海も終了間近とあっては、どこに配属されて誰が指揮するのか話題も尽きまい。

 想定外の事態により、わが軍は旗艦ルーブルを失った。それだけでも予定が狂っているのに、乗員たるジェイス・エイメルス中将以下一万名は、その大半が生き残って帰路を急いでいるところなのだ。

「左舷後方一万六〇〇〇キロにワープアウト反応。全長二〇〇〇メートルを超えます」

「敵のビショップ級か?」

「確認急げ!」

 オペレータ、イワシュー、ドロッターの声が連続した。ガズミクがどう出てくるか、予断を許さない状況である。

「識別コード確認。わが軍の未就航艦です。開発コード・サンピエトロと思われます」

 メインパネルの映像は、深い紫色であることと艦橋の形が異なるのを除けばルーブルそのものであった。

「急速接近。凄まじいスピードです。二〇秒で警戒距離まで達します!」

「本艦が優先のはずだ。直前に電磁シールドでも張ってやれ」

 まさか体当たりする気はないだろうが、あちらは試験段階で正規の乗員ではない。我々が見えていない可能性はある。このままでは一〇〇メートル未満のニアミスを起こす。

「サンピエトロは、真上の八〇八番宇宙港へ入るようです」

「速力低下。艦体が下へ流れています」

 オペレータと操舵士の報告に、ドロッターは声を荒げた。

「サンピエトロが優先して誘導されているのか? 本艦の挙動は港からのリモートによるものか? 再度報告しろ」

 宇宙港まで一五〇キロ。紫の巨艦の最接近まで四秒。

「時空曲率プラス二四。重力シールドが掛けられています!」

「電磁シールド始動!」

 虚しい抵抗であった。艦橋の中ではみな体が浮き上がり、次の瞬間座席に叩きつけられた。

 イワシューが顔を上げた時には、メインパネルの中でそれは紫の光点と化していた。


   2


 イワシューとドロッターが体制軍本部のあるバイアダム特別区へ到着したのは、入港から四〇時間後であった。通常でも一〇時間を要する距離だが、警戒態勢は予想以上に厳しい。お陰で、軍港の街セイレマーとディアギレフ・ターミナルで二泊したが、それで疲れが取れるものでもない。

 本部庁舎の会議場でイワシューを出迎えたのは、何度かモニタ越しに会話した人物であった。堂々とした立ち居振る舞いから、ジェイス・エイメルス中将だと気づくのに数秒を要したほどだ。

 オルフェウスでの戦闘が終わったとはいえ、麾下の艦隊を置いて自分だけ我々の提供した高速艦で帰還するとは、呆れ果てる。

「今回は、協力を感謝する。悪いようにはしないよ」

 若い提督の不快さなど察する様子もなく、熟練の名将は握手を交わすや上機嫌で去っていった。会議の開始日時は過ぎているが、みなどこかで足止めを食っているのだろう。部屋のあちこちで雑談が続いている。ダークグレーの軍服ばかり、よく二〇人以上集まったものだ。

 品のいい貴婦人が見えるが、ナスターシャ・ニジンスカヤ=コルサコワ中将か。第一主力艦隊の提督が、なぜこんなところにいるのか。あそこの旗艦デルゲパルカンは、デルハーゲン・タイプの六番艦であった。

 第二主力艦隊第一遊動艦隊旗艦デルベレシス(二番艦)が新造のビショップ級に撃破され、同主力艦隊第二遊動艦隊旗艦デルハーゲン(一番艦)が中破で大改修に入り、第三主力艦隊機動部隊旗艦グラン・ディマージュ(七番艦)と第一要塞防衛艦隊旗艦アクトランド(三番艦)は子供たちに奪われたきりだ。

 こう短期間で四隻の超大型空母を失っては、デルゲパルカンの配置転換もやむなしか。六年前のレーモン(四番艦)の事件を今さら持ち出す気はないが、この艦型が呪われていると思いたくなる。

 長身で髪の薄い男はエド・ジェグナン大将か。プロジェクトの一環とはいえ、システィーナ・ハーネイの養父だった。ここ数年の心労が報われるどころか、最悪の結果を見た。当事者として挨拶を避けたいイワシューである。

 タイミングよく、浅黒い肌の男が黒い長髪をなびかせて駆け寄ってきた。高級士官学校で同期だったランディ・ムーク少将だ。昇進が早いといっても、年齢は四つも上。飛び級していないエセ・エリートと評判だった。

「この前は、お前に似合わぬ無様さだったな」

「二番艦はキサマの指揮か。セコい嫌がらせだな」

 ムークは、わざとらしく笑った。

「テスト航行中だろ。高速進入は交戦を避けるための安全策だ。重力シールドもな。その甲斐あって、万事順調に任務終了した。俺の手を放れたってことだ」

「就航が近いのだな。ルーブルが無くなった今、二番艦がスライドして旗艦になるか」

 こちらへ来いと手招きされ、イワシューは同期の悪友に貴婦人の方へ導かれた。見間違いではない。第一主力艦隊提督だった。木星以遠の配属が続いているので、内惑星の事情には疎くなる。

 簡単な挨拶のみで、二番艦の艦名の話題となった。通常、ダークグレー同士は敬礼を交わさない。高級将校のみの空間は、さしずめサロンである。

「オルセーはボツになったそうね。なんでも、シリンに同名の戦艦があるらしいわ。性能ではこちらが上だけど、万一の時はメンツが立たないといってね」

「開発コードそのままで行くという話もあるぞ」

 ムークが情報通を気取った。視線の先はエド・ジェグナン大将である。察しないイワシューではない。

 サンピエトロの名は、六年前のルーブル就航時からすでに出されていた。地球上の文化遺跡サンピエトロ大聖堂が由来で、隣接するシスティーナ礼拝堂にその真意がある。

 システィーナ・ハーネイの信奉者は多い。システィーナという名が偽名だと言っても、そういう人たちに効果はないのだ。当時一四歳だった少女に、いずれ、という条件つきながら全軍の指揮を取らせることを目論んだ人々がいた。

 もっとも、彼女は二〇世紀から二一世紀にかけて九〇年も生きたわけで、実年齢に大した意味はない。長年冷凍保存されていた脳や遺伝子コードから旧世代の天才を甦らせる。「ハデス計画」などと大仰な名前だが、再生されたのはまだ二人だけ。それも予想外に早く終了した。

「あなたも幹部候補なら、そろそろ養子を考えなくてはね」

 貴婦人の助言はイワシューにとっては意外すぎ、「はぁ」と答えたきり言葉が続かなかった。数々の天才製造プロジェクトが人道的とは言い難いからこそ、軍幹部が深く関わって逃れられない立場にならなければならない。

 特殊部隊レキシコンのキャロも、本名はピエタ・ロンドルイといってヴァーツラフ・コムザーク元帥の養子だそうだ。遺伝子構築によって誕生した、親を持たない天才。頭脳だけでなく運動能力や勇敢さも桁外れで、外見も非常に美しい。ルーブル内での卓抜した動きや、決して素顔を晒さなかった理由も、ここにあったか。

「うちは、子供が三人いたせいかしら。養女のニキは浮いた存在になってしまったわ。残念だけど」

 遺伝子構築で最高の成果をあげたというニキ・バックヤールか? 高級士官学校出のエリートにとって、子育てより自分以上の天才についての興味が勝っていた。

「ご存じないようね。ニキはあなたと会っているわ。あのシスティーナ・ハーネイの前でね」

「あのソーケツが? 四つ目という噂はまさか?」

 オイオイと、イワシューは悪友に肩を叩かれ、同時に四つの情報を見分けられるだけだと教えられた。それでも常人には不可能なことだが。

「ニキは飛び抜けて美しいわけではないし、四つ目でもないわ。それでも素顔を見せたがらない訳は、ご自分で確かめてみることね」

 貴婦人は微笑んだ。好意ではなく何か含みのある笑いであった。


   3


 ルーブル・タイプ二番艦の名称をサンピエトロとする。

 二番艦の基準乗務員には、ルーブルの元基準乗務員を割り当てる。

 二番艦の基準乗務員に予定していた将兵は、失われた空母デルベレシスの後継艦、及び新造の改デルハーゲン型へ割り当てる。

 遅れに遅れた会議冒頭で、以上の決定事項が伝達された。

 各艦艇は、任務によって様々な艦隊へ配属されるものだ。基準乗務員とは、艦長を筆頭とし実際に艦艇を動かす乗員を指す。配属が変わっても、その艦艇に慣れた者が運用する方が効率的だという考え方である。

 それでは、バラバラの戦線から集まった艦艇が大艦隊を組む時、意志の疎通が問題となるが、その解決策として提督府がある。提督や作戦参謀は外から乗ってくるもの、という認識が、旗艦クラスの乗員たちにはある。

 こんな当たり前のことに、隣席のムークは異を唱える。

「ルーブルに慣れているといっても、二番艦を運用するには新たな訓練が必要になります。今一度、テスト航行の記録をご覧になってください」

 感情的になっているが、感情で熱弁を振るう男ではない。冷血漢と言われるイワシューとしては、彼の方がそう呼ばれるに相応しいと常々思っている。自分の功を宣伝する男ではないが、部下の苦労を思いやる男ではもっとない。

 ドロッターがいればうなずくに違いないが、同じダークグレーでも佐官たちは外周席でオブザーバーに甘んじている。気楽なものだろう。薄暗い小部屋で陰湿な尋問が行われる可能性だってあったのだ。

 手元のコンソールでテスト航行の概要を見ると、なるほど外見の類似性からは想像できないほど構造が異なっている。これでは、同じ一万人でも乗務内容は大きく違う。

 奥の席からで、中年の白人男性が座ったまま「おい」と、低音を響かせた。体制軍宇宙艦隊総司令ヴァーツラフ・コムザーク元帥である。

「くだらんことで時間を潰すな。ここからは、私が直々に進行いたそう」

 サンピエトロ就航の件など早く終わらせ、本題に入ろうというわけだ。それほど歳には見えないが、大仰で古めかしい言い回しをする。

「目下、最優先すべき課題は、ガズミクが知るところとなったシリンの存在についてであろう。今、我々がなすべきは何か? 第二に、オルフェウスへの討伐軍派遣の日時と規模についてである。第一主力艦隊にて調整中だが、第二主力艦隊への要請もあり得る」

 バカな。オルフェウス討伐だと?

 しかしながら、イワシューはそれを言葉にはしなかった。元帥が続けた三つの根拠は、決して間違ってはいないのだ。

 第一に、システィーナ・ハーネイの死が未確認であること。第二に、成果物の遺伝子コード採取が未完了かつ、まだ採取可能であること。第三に、オルフェウスがルーブル以下概数一〇〇〇隻の艦艇を保有した状態で、ガズミク、シリンと遭遇した場合の危険性である。

 次に、元帥からの名指しでエド・ジェグナン大将が立ち上がった。

 一〇〇人近いダークグレーの中で、彼は厳しく叱咤された。周辺恒星系総督として、チェスキー星系惑星サンサダールの遺跡から、敵にシリンの場所を知られた責任は重い。もっとも、敵のサンサダール侵攻はマルオ・モリノ大佐の一件から間もなくであり、最短時間で手を打ったとしても防げた可能性は低い。

「サンサダールを焼き払えということですか?」

 穏和な人柄で通っている大将が怒鳴ったので、会場中がざわめきだした。

「地球全域を焦土と化すことを、想像してください。ほとんど人が住んでいないとはいえ、惑星を滅ぼすのがどういうことか、あなたは一ミリも理解していない」

 振り返ったイワシューを狙ったように、ジェグナンのタレ目が動いた。威圧感はなく敵意も感じられないが、目の奥が笑っていないのは確かのようだ。

 オルフェウスを焼き払ったのは私ではない。と、鎮圧部隊の無能な指揮官の尻ぬぐいをさせられただけの提督は、弁解したかった。いや、弁解は虚しい。あなたの養女を葬ったのは……。

 前途洋々たる若き提督は、隣席の長髪に肩を叩かれた。

「どうした、イワシュー。君らしくもない。任務に罪悪感か?」

「今回の任務で、おのれの器の小ささを思い知った。それだけのことだ」

 ハーネイ少将に対する負の感情は、彼女の桁外れの能力への嫉妬に過ぎなかった。いや、少し違う。自分より頭の良い人間がいることへの畏怖と言った方が正確だ。戦術がことごとく崩れた末の結果オーライは情けないが、名誉挽回のため討伐軍の指揮を直訴するつもりはない。

 不毛な討伐劇が成就すれば、回収された超エリートたちから養子を選ぶことになる。これまでの手法どおり記憶が残されたままなら、いい親子関係は築けそうにない。誰が里親であってもだ。本部が妙な色気を出さぬことを祈るイワシューである。


   4


 イワシューは、ムークを伴って首都ランカへ上がった。バイアダム特別区から直線距離で八〇〇キロ。リニア路線ではその三倍強になる。

 就航前だというのに、急遽サンピエトロの観艦式が行われることになったのだ。立て続けの失策から世間の目をそらす目的だろう。体裁を整えるため、手の空いているイワシューら数名のダークグレーが呼び出されたのである。ドロッターも加わるはずが、強行軍でまた脚を痛めたようで休養している。

「俺は副官を置かなくなって三年になるが、気楽でいいぞ。お前もこの機会に試してみろよ。雑用はどのみち下の連中がやってくれる」

 ムークは強引な性格丸出しに、ガハハと笑った。

 何百層にも及ぶ構造プレートの狭間に、ライトアップされた紫の巨体が見えている。ランカは要塞外縁部の都市とはいえ、外壁面から七〇キロは奥にある。市街地まで宇宙船が入ってくる構造は、緊急脱出を想定したのだろう。この不沈の大要塞に、そんな事態は起こり得ないのだが……。

 全長二七〇〇メートル、全高、全幅ともに六〇〇メートル。というあたりが、内部の基幹通路を移動する限界である。それ以上の超巨大艦に対しては、専用の宇宙港を設置することは出来ても、その場所から出入りするしかない。

 地球で例えると、カザフスタン・バイコヌール宇宙港へ降りた艦が、バイコヌールからしか離陸できないのに等しい。それより、地球の内部を通って、フロリダ・ケープカナベラル、中国甘粛省酒泉、ブラジル・マラニョン・アルカンタラ、モルジブ・リトバルステイン、ガラパゴス・ロドニーと、どの宇宙港からでも離陸できた方が都合がいい。だから、ルーブル・タイプはわが軍の限界サイズなのだ。パナマ運河の幅によって艦艇の全幅が制限された前近代の海上戦争を思わせる。

「俺の見るところ、コムザーク元帥はこいつを出したくないのさ。政府は是が非でもオルフェウスで成果を出したい。だが、俺たちにとってはリスクばかりでうまみが無い」

「それで、基準乗務員を入れ替えてまで就航を遅らせて……」

 イワシューは、ようやく討伐軍の全貌を察した。

「お前が帰途についた時、こっちでは艦載機をかき集めて輸送艦隊が出航した。お前は結局エイメルス中将を助けただけで、作戦自体はまだ続行していたのさ。エイメルス中将は艦隊を放棄して帰ってきたんじゃなくて、更迭されたってわけだ」

 満員の艦隊は、基準乗務員以外の乗員をルアールジュで降ろし、オルフェウスからワープ一回の宙域へ引き返した。そして、艦載機を捨ててしまった空母は、ルアールジュで地球圏から送られた艦載機を補充して同じくオルフェウスへ。

 さらに、サンピエトロを駆ってニジンスカヤ=コルサコワ中将が現地へ向かって指揮をとる。いや、実際はそうならない。ルーブルの基準乗務員が戻ってきて再びテスト航海となれば、時間があきすぎる。

 要は、第二主力艦隊旗艦グレイブルか、第三主力艦隊旗艦ザイドリッツ。どちらを出すかの調整だけである。いずれも一〇〇〇万トン級ながら、外惑星艦隊に相応しく大火力を誇る巨大戦艦だ。ルーブル・タイプより低出力だが一門の二・九次元震動砲を装備する。

 あの貴婦人が、二・九次元震動砲の一撃でオルフェウスを粉砕する。それが、政府をペテンにかけたシナリオだ。


   5


 紫の巨体は、透過金属で囲まれたドームの中空にあった。テートベッシュ(上下対称)ゆえの措置だ。デルハーゲンやルーブルのように、地上への降下を想定しない巨大艦に見られる構造である。全体が上下対称だったり、甲板一枚一枚が両面使えるように人工重力がかけられているのだ。重力下では大いに災いするが、ここにはご丁寧に無重力のドームが用意されていた。

 ドームを取り囲むスタジアムには、すでに数万の観客がひしめき、歓声が聞こえる。何が楽しいのか。我々が一九世紀や二〇世紀の文化水準にあれば、観艦式など疎らな人出だろう。二一世紀中盤からの陰り、第一次移民後の冬の時代と、文化は滅び去った。演劇やコンサートの類を復活させればいいのだが、そういう趣向は第二次移民の専売特許というものか。

 スタジアムの中央まで、イワシューはムークの後をついていった。この程度の将兵を前に演説したことはあるが、市民相手となると勝手が違う。

 派手にカールした髪型の中年女性が、反対側から早足で歩いてきた。

「ランカ行政特別区知事ブリジット・ガイエルスタインです」

「サンピエトロのテスト航行を指揮したランディ・ムーク少将です」

 彼女と握手を交わせば、仕事は半分終わりだ。

「提督のフランツ・リライト・イワシュー准将です」

「あらまあ。テスト航行の提督さんの方が階級がお高いのね」

 失笑を誘う知事の迷言は、意図的であると思われた。まあいい。艦内を一回りして、夕方にはホテルへチェックインできる。説明は艦の総務局広報部のミシェル・サイ少佐が担当してくれるというので、この先は楽になる。

 中央の大型艦載機発着口から、選ばれた市民たちがゾロゾロと艦内へ入っていった。

「通常三交代のところ、サンピエトロでは四交代制をとっています。配置につくのは六時間ですが、残り一八時間の中には睡眠、食事、入浴等のプライベートタイムの他に、概ね六時間の補助的な仕事も含まれます」

 こんな仕事滅多にあるものではないのに、彼女、滑舌もいいし声も綺麗だ。訓練ではなく、天性というものか。

 第一艦橋に入る。広さも天井高もルーブルと同じだが、コンソールは密集している。数名の乗員が、それぞれ数十名の観客に取り囲まれている。一つ間違えば、怖い光景だ。

「提督府の下には管理局、参謀局、運航局、戦闘局、総務局、技術局、通信局があります。戦闘局は砲術部、外郭部、揚陸部、防衛部、白兵戦部からなり、砲術部は次元震動砲科、主砲科、巡航ミサイル科、それぞれ第一から第一〇の攻撃部隊、戦闘部隊、迎撃部隊に分かれます」

 相変わらず、美声で案内を続けるミシェルを、イワシューはぼんやり見ていた。

「お前も、今のうちに遊んでおけよ。俺は、遺伝子構築組の怪物を育てる羽目になってな。気が重いぜ」

 ムークは陽気にガハハと笑うのだが、自分の子供を怪物と言ってしまうあたり、ナーバスになっているようだ。キャロやソーケツみたいな超人を育てるのは、オルフェウス生まれの天才たちを育てる以上に厳しいかもしれない。遺伝子コード改変や遺伝子構築の歴史は古く、オルフェウス計画だのハデス計画だのに相当する命名もされていない。無自覚なぶんだけ、そっちの人工天才は後の時代までつくられ続けるのだろう。

 ミシェルが歩いてきた。

「提督、上で確認をお願いします。観艦式の終了を一時間繰り上げるようにと、副知事から連絡が入りました」

「ああ。私か」

 イワシューは、慌てて階段を駆け上がった。見物客を動揺させないように気遣うべきだったと、後から思った。艦の運用に関する変更があれば、ハンディコンソールに連絡があるはずだが、ポケットから出してみても形跡はない。本部も正式の提督と認めていないのだろう。

「うまくやれてるか? 外部とのアクセスは」

 ゆっくり上がってきて、ムークがコンソールを操作し始めた。副官を持たないだけある。一見乱暴だが、指の動きは目に止まらぬほどである。

「新造のビショップ級が動き出したらしい。行き先がシリンだとすると、一波乱ありそうだな」

「マルオ・モリノ大佐、つまり、エスハイネル士官はヨロメーグ将軍と敵対する勢力にあるらしい。ガズミクも一枚岩ではないということだ」

 ムークは一つうなずくと黒髪をバサッとかきあげ、階段の方へ歩き出した。

「なんだ。降りる気か?」

「お前が提督だろう。俺はもう任務を解かれた。下の連中は鍛えてあるから使い物になるぜ」

 イワシューのハンディコンソールに出撃の指示が届いたのは、それから三〇秒後であった。敵のビショップ級に匹敵する航続力と火力を持つのは、わが軍ではルーブル・タイプのみ。

 新造のビショップ級が、シリンへ現れると決まったわけではない。そうであったとしても、遭遇する確率は高くない。遭遇即戦闘とも限らない。遠征先で単艦同士が戦うのは、リスクが大きい。両軍とも補給不能の状況下では、駆け引きがものを言う。はたして、ヨロメーグ将軍は、噂どおりの超人か?

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