第二十二節 独りじゃない



 敵意と殺意が、波濤となって押し寄せてくる。

 それは物理的な破壊を伴い、瓦礫の山を細かい砂粒にまで粉砕する。

 狂乱し、暴虐の具現となって襲いかかる怪物の大群。

 触れれば引き裂かれるその死の渦に対し、アルディオスが行った動作はたった一つだけ。

 両手で構えた剣を振り上げ、それから真っ直ぐに振り下ろす。

 ただそれだけの動作で、《巨獣》の群れの一部に空白が生じた。

 小さな山にも等しい巨体を黒鉄の肌で鎧う《単眼巨人サイクロプス》は、両足を斜めに断たれて崩れ落ちる。

 竜の中でも一際硬い装甲を持つ亀の如き《鎧甲大龍タラスク》は、その背負った装甲ごと頭を潰された。

 万物を石に変える《石眼魔獣カトブレパス》の視線を刃で防ぎながら、その首を断ち切る。

 のたうつ《大地長蟲グランドワーム》を輪切りにし、屍肉を溢れさせる《大群霊レギオン》を蹴散らす。

 一体一体が都市を容易く滅ぼす程の怪物達が、ただの一太刀で纏めて薙ぎ払われていく。

 だが、破壊の波に空白が生まれたのは一瞬。

 直ぐにそれを埋めるように、新たな怪物が次々とアルディオス目掛けて突進を続ける。

 余りにも絶望的な物量差。しかし、アルディオスはそれを恐れない。

 恐れず、男はただ剣を振るい続けた。

 ただの一太刀で怪物の群れを薙ぎ払った剣。それが二度三度と重なり、動きを寸毫たりとも緩めない。

 怪物達の巨大さ故に生まれる隙間を的確に見出し、時には地を蹴り宙を舞い、時には切り捨てた怪物の屍を盾にする。

 斬る。斬る。ひたすら斬って斬って斬り捨てる。

 それはさながら神に捧げる剣舞のように美しく、波濤を蹴散らす嵐のように猛々しい。

 ただの一人で《巨獣》の大群相手に一歩も引けを取らないアルディオス。

 常識を外れたその勇戦を目の当たりにしても―――しかし、ザルガウムの表情が揺れる事はなかった。


「成る程、素晴らしい」


 愛しき花を穢した地虫と断じながらも、暗黒の男はその戦いぶりに対しては素直に賛辞を送った。

 実際にザルガウムの長い旅路の中でも、これほどの実力を持つ剣士と遭遇した経験は殆どない。

 記憶の中を掘り起こしたとしても、精々が片手の指で数える程度だろう。

 恐るべき古竜さえも、手にした剣一つで屠り去る人外の境地。

 魔道を突き詰めたが故に人の枠から外れたザルガウムとは、ある意味では同類と呼べるかもしれない。

 ザルガウムは観察する。今も《巨獣》の群れを蹴散らす巨躯の戦士の姿を。

 怪物を薙ぎ払う剣は尋常ならざる大業物。その刃はこの世の理の外にあり、恐らくは神の御力さえ寄せ付けない。

 繰り返し鍛えられた強靭な鋼の如き肉体と、そこから繰り出される神速の剣技。

 ザルガウムの眼はその全てを見抜き、そして理解した。

 この男は“神殺し”の領域に至った者――――即ち《封神到達者》であると。

 同じく《世界移動者》という超人であるザルガウムでも、まともに戦えばその刃の前に討ち取られたかもしれない。

 それ程までにアルディオスの事を高く評価しながらも、ザルガウムの表情は光を映さぬ闇のままだ。

 確かに、仮に両者が尋常に争ったならば結果は分からなかったろう。

 しかし、勝利の天秤は始まる前からどちらに傾くかを決定してしまっている。


「      」


 響くのは歌声。まるで空を楽器としているように、人ならざる歌声は高らかに響く。

 同時に、眩い極光が《巨獣》の群れを一直線に切り裂いた。

 破壊の権能、その具現たる破滅の光を浴びたものは為すすべもなく白い灰となって燃え尽きる。

 ただ一つの例外。押し寄せる《巨獣》を相手に戦っていたアルディオスだけは、その剣で極光の一撃を防いでいた。


「っ…………!」


 防いではいたが、決して無傷ではない。

 受け止めた衝撃で塞いだはずの傷口が開き、鎧の下からでも滲んだ血が滴り落ちる。

 弾き切れなかった光は肉を焼き、神経まで抉られたような激痛が総身を苛む。

 叶うならばその場に身を伏せて泣き叫びたくなる有様だが、状況は当然のようにそんな甘えを許してはくれない。

 歌声の主、ザルガウムに支配されたライアは身に纏った極光の輝きを更に強める。

 天を貫く光の翼から、立て続けに極光の矢が雨のように降り注いだ。

 触れれば燃え尽きて死ぬ。アルディオスは無心に走った。

 滅びの雨が降る中でも、邪悪な魔導師に支配された怪物達はその暴走を止めたりはしない。

 何体もの《巨獣》が極光の矢に貫かれて灰となりながらも、運良く生き残ったものはアルディオスを捕らえようと襲いかかる。

 ほんの数秒だとしても、怪物の巨体に抑えこまれれば破滅の極光はそれごとアルディオスを焼き尽くすだろう。

 狙ってくるのは極光の矢だけではない。

 白い腕。ライアの周囲から這い出してくる、触れたものを塵に変える神の御手。

 それが何十本も蛇のようにのたうち、《巨獣》達の身体を突き抜けながら迫ってくる。


「竜巻に体当たりする方がまだ気楽だな………!」


 そう毒づきながら、アルディオスは剣を振るいながらひたすら走り続けた。

 どれだけ斬り捨てても、どれだけ灰や塵に変わってもザルガウムの使役獣は途切れる様子がない。

 無限とも思われる札の山は、休むことなく《巨獣》を群れへと供給し続けている。

 アレをどうにかしない限りどうしようもない。アルディオスもそれは頭では理解していた。

 相手がライアだけならば、破壊の権能であっても対処に集中すれば切り抜けられる可能性は十分にある。

 相手があの魔導師だけならば、押し寄せる《巨獣》の大群を切り払って本体に刃を届かせる事も可能であろう。

 しかし《巨獣》達が壁となっている事でライアの権能は止められず、破壊の嵐を避け続けているせいで手にした刃は魔導師には届かない。

 文字通りの防戦一方。状況を打開したくとも、それを為す為の勝機が見い出せない。

 生きているかも死んでいるかも分からない怪物を切り裂き、降り注ぐ光の矢を弾きながら伸びてくる白い手を薙ぎ払う。

 ほんの僅かにでも対処を誤れば、その時点で全てが崩壊する。


「ッ………ライア………!」


 必死に名を呼んだところで、その声は怪物達の断末魔によってかき消されてしまう。

 最短かつ最速で剣を振りながら、生と死の境界線上をアルディオスは踊り続ける。

 渦巻き続ける破壊の向こう。かつて月が墜ちた都市の中心、其処に浮かぶ神たる少女へ一歩でも近づこうと。

 届かない、などという考えは頭の中から捨て去る。届かないのではなく、届かせるしかない。

 嘲笑う暗黒の存在も今は考えない。わざと自分の周りを手薄にしているのは、罠への誘いに過ぎないのだから。

 アルディオスは腹を括った。このまま続けても勝機が見い出せないのなら、無理やりにでもそれをこじ開けるしかない。

 相変わらず《巨獣》の群れは途切れる事を知らず、破壊神の権能も全てを蹂躙し続けている。

 紙一重のところで生命を長らえていたアルディオスは、その渦中へ飛び込む覚悟を決める。

 下手をすれば――――いや、下手をしなくとも死ぬ。

 ほんの数秒先に待つ確実な死を戦士としての経験で理解しながらも、それ以外に打つ手はない。

 そうするしかないのであれば、無理と道理をただ刃によって切り開くのみ。

 柄を握る手に己の覚悟を込めながら、アルディオスは一秒先の未来へと踏み出す。

 眼前に迫る《巨獣》の大群。その向こうで、極光と純白に彩られた破壊の権能が荒れ狂っている。

 戦士の選択したものが何であるかを悟り、黒い男はそれを嘲笑った。


「愚かな。どう足掻いたところで、最早何の意味もない」


 大火に落ちた水の一滴にも劣る余りに儚い抵抗。

 ザルガウムはそれを無意味と断じ、アルディオスは不可能と知りながらも構わず剣を構える。


「馬鹿なのは、百も承知だ………!」


 耳には届いていない嘲笑に咆哮で応じながら、男は絶望に挑む。

 覆しようがない物量の差。渾身の一刀は、確かにこの壁を真っ二つに切り裂くだろう。

 だが、そこまでだ。一秒にも満たない時間、その一刀によってアルディオスは足を止めざるを得ない。

 その空白は、この状況では致命的に過ぎる。

 放たれる破壊の極光は、防ぎようのない状態のアルディオスの身体を今度こそ焼き尽くす。

 刹那に垣間見た死の予感に、時間の感覚が極限まで引き伸ばされる。

 踏み出した以上は、もう後に退く事は出来ない。今更逃げ出したところで、一秒先の未来は覆せない。

 祈る神はいない。後悔だけを残した銀色の月と、救いたいと願った少女の面影だけがある。

 音も、光も消え失せた世界で、自分が振り下ろす刃の軌跡だけがはっきりと見えた。

 怪物の群れを、神速の一撃が容易く蹴散らし――――


「―――アルディオス様ッ!」


 蹴散らす寸前に、闇と絶望を切り開く声が鋭く響き渡った。

 アルディオスの背後から飛び込む無数の光。それは先端に《雷霆光陣ライトニング》を込めた矢の雨。

 指向性を持った雷は僅かな余波も漏らす事なく、予め設定された軌道上を貫いていく。

 横薙ぎの雷撃は《巨獣》達の壁は削り取り、振り下ろされた刃は何の抵抗もなくそれを突き破った。

 ほぼ同時に、ライアの広げた翼から放たれる破壊の極光。

 力の流れを殺さぬまま、澱みない動きでアルディオスはその輝きを切り払う。

 彼らの「反撃」はそれだけでは終わらない。

 最初にそれを知覚したのは、魔道の極致に立つザルガウムだった。

 この瓦礫の都市を囲むようにして、何重にも敷かれていく強固な結界の存在に。

 不安定化した空間の構造を一時的に補強する《次元固定錨ディメンジョンアンカー》。

 都市部で使われている恒常的なものではなく、効果時間を限定した上で複数重ね合わせる事で効力を大幅に強化した特別製。

 発動した術式は、幾つもの紋様となって都市全体を光の檻で覆っていく。


「小賢しい真似を」


 頭上を塞ぐ光を見上げながら、ザルガウムは小さく悪態を吐いた。

 結界の効果は激的だった。先ほどまで暴れ狂っていた《巨獣》の大半が、目に見えてその動きを鈍らせていく。

 彼らの多くはザルガウムが別の次元から連れてきた魔獣だ。

 術式により自我を剥奪し、専用の異界に普段は封じた状態で眠らせて必要があればその都度呼び出す。

 そして本来とは異なる環境でも影響なく活動できるよう補助も行う。

 魔獣の召喚と使役はこれら複数の事象を同時に操作する極めて高等な魔術であり、それ故に結界がもたらす影響は甚大だ。

 新たな《巨獣》を供給し続けていた召喚式は阻害され、召喚済みの《巨獣》達も無理やり安定させられた空間に「溺れて」しまっている。

 小賢しい。実に小賢しい話だ。ザルガウムは自身を妨害する不快な結界に対し、即座にその手を伸ばした。

 確かに結界の力はザルガウムの術式に影響を与えているが、それならば単純に結界の方を破壊してしまえば良い。

 如何に強固に築かれた術であろうと、《世界移動者》たる彼の前では絹を引き裂くよりも容易い。

 意識を伸ばし、結界を構成する中心に触れる。

 解呪の法など必要ない。後はただ、壊す意志を向けるだけで。


「………………」


 それを実行するよりも早く、《巨獣》を薙ぎ払ったのと同じ雷の矢がザルガウムに降り注いだ。

 空間を転移して避けようと考えたが、《次元固定錨》で安定化させられた結界内では発動までに時間差が生じてしまう。

 故に軽く手をかざし、先ずは矢の先端に込められた術式を粉砕した。

 この程度ならば集中を向ける必要さえない。後に残るただの矢は、仮に当たっても僅かな痛痒にもなるまい。

 そんなザルガウムの思考は、鋭い痛みによって破られる事になる。


「………何?」


 ただの矢だと思っていたものの先端が、闇を固めた男の身体を確かに貫いていた。

 そして気付く。術の存在に気を取られて見落としていたが、その鏃が竜の牙を鍛えて造ったものであると。

 成る程、原初の生命たる竜の一部を使った武器であるなら、この身に傷を付ける事も可能であろう。

 ザルガウムは納得を得て、続く矢の雨は大気を操る事で軌道を逸らす。


「成る程―――思ったより、厄介であるようだな。この世界は」


 暗黒の具現たる男は、此処に至ってようやくその事実を受け入れる。

 ―――対して、アルディオスは目の前の事実を驚きと共に受け止めていた。

 王国騎士団。見慣れた甲冑の騎士達が、見事な連携によって結界に囚われた《巨獣》達を掃討していく。

 先ほどまでは間近に感じていた死の予感が、今は遠い。


「………呆けていては危ないですよ」


 極光や破壊神の手を切り払うアルディオスの背に、彼の騎士の声が降ってくる。

 フェリミア=アーサタイル。背後に迫っていた魔獣を一刀で斬り伏せて、その大きすぎる背に軽く手を触れさせた。


「来たのか。………いや、来てくれたのか」

「ええ、来ました。お叱りを受ける覚悟は出来ています」


 馬鹿な事をしたと、そう思いながらも後悔の薄暗さは一片たりとて存在しない。

 未だに続く極限の状況で、多くは語れない。だから伝えるべき言葉を短く口にする。


「もう、貴方を置き去りにしたりはしません」


 そのために、この死地へと飛び込んだ。

 フェリミアの想いと覚悟、それは鋭く男の胸を打った。


「………すまない。いや、ありがとう」

「その言葉は、終わった後で面と向かって聞かせて貰いたいですね」

「照れ臭いだろう、それは」

「私達を置いて一人で行ってしまった罰という事で」


 そう言われてしまっては反論の余地がない。アルディオスは小さく苦笑いを浮かべた。

 フェリミアも、まるで子供の言い分だと自分で笑ってしまう。

 笑って、両者は互いの戦場へと目を向ける。


「俺はライアを止めに行く」

「では私は、あの《世界移動者》を抑えます」

「出来るか?」

「やってみせましょう」

「なら、任せた」


 男が口にしたその一言。偽りのない、全幅の信頼を込めた言葉。

 十年前の無力さを払拭する喜びに、フェリミアはその身を打ち震わせた。


「アルディオス様も、ライアの事を宜しくお願いします。………私はあの子に、謝らなくては」

「本人は気にしてないだろうがな。………だが俺も、ちゃんと守ってやれなかった事を謝らないとな」

「なら、二人一緒にですね」


 幼い少女を相手に二人で揃って頭を下げる未来を想像し、もう一度だけ笑い合う。

 そんな他愛もない光景も、今は戦う事でしか勝ち取る事は出来ない。

 アルディオスは、世界を破壊する極光を翼のように広げるライアへと視線を向けた。

 フェリミアは、騎士達の攻勢を嘲笑うようにいなす暗黒の男へと向き直った。

 戦うべき相手と、求めている未来。それを刻みつけた胸の奥にあるのは、もう後悔などではない。

 あの暖かな日々で結んだ絆の強さと、前へ進もうとする意志。

 その二つだけを握り締めた刃の光に変えて。

 人と神が心を交わした月の墜ちた街で、二人の騎士は駆け出した。

 

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