第二章 破壊神と神殺し

第五節 月の下の密やかなる誓い


 夜は更け、空には淡い輝きを灯した月が上る。

 星の光と混ざって、夜闇に漂う銀の欠片。月の周りで踊るように揺れている。

 それは地に堕ちた狂い神、その亡骸。元は銀の月だった幾つかの断片。

 月と星、月の亡骸の光に照らし出される《廃棄都市》。

 虫の一匹すらすまない廃墟は、常ならば死と変わらない静寂に包まれている。

 だが、その夜は違っていた。


「   」


 歌。美しく響く歌声は、鎮魂と呼ぶにはあまりに楽しげで。

 淡い天の光に照らされて、影と影の間を跳ねるように舞う小さな姿。

 銀色の少女。空に浮かぶ欠片と同じ色を持つ、地に落ちた破壊神たる少女。

 歌い、踊る。白いドレスの端をひらめかせ、くるりくるりと舞い踊る。

 その度に、彼女が纏う虹色のヴェールも揺れる。伸ばす手にその極光を纏い、指先が廃墟の壁をなぞる。

 音も立てずに光が触れた場所が燃え尽きた。白い灰になって、力無く地面に落ちる。

 少女はその様を見て、無邪気に笑った。彼女にとっては、何もかもが脆い砂細工に等しい。

 故に少女は楽しげに踊る。歌いながら壊し、灰の中で微笑む。

 ――それを遮る、大きな黒い影があった。


「…………」


 アルディオスだ。目の前に立たれたことに気付かず、少女は頭から突っ込んでしまう。


「!」


 腰の辺りに額を強打して、少女はその場でひっくり返りそうになった。

 伸ばした手が、それを支える。虹色のヴェールに触れても、その腕は灰にはならなかった。

 驚きに目を白黒させながら、破壊の神は目の前の相手を見上げる。

 昼間に出会った時とは違い、今のアルディオスは鎧を身に着けていなかった。

 上半身は獣の皮で出来た上衣を羽織っているぐらいで、殆ど半裸の状態だ。

 浅黒く焼けた肌と、無数に刻まれた戦傷。筋肉は鋼と同じ強度に鍛えられ、並の刃では皮も裂けない。

 兜だけは外しておらず、赤黒い角は不気味に夜空を突いている。

 月明かりに照らされたその姿は、控えめに言っても怪物の類にしか見えない。

 しかしこの場にもう一人いる少女もまた、アルディオスよりも遥かに恐ろしい怪物だった。

 故に彼女は何も恐れることなく、アルディオスのことを見上げている。


「……街のものを、みだりに壊すな」

「?」


 アルディオスは先ほどまでの少女の行いを軽く咎める。

 言われた方はよく理解できていない様子で、自分の肩に触れている男の手をペタペタと触っている。


「…………」


 難しい。男は喉の奥で唸る。

 目の前の神の在り方に、自分は如何なる言葉を伝えるべきなのか。


「こわれ、ない」


 それが不思議でたまらないと言うように、少女は首を傾げる。

 相変わらず少女の周りを破滅の極光はヴェールとなって揺れているのだが、それはアルディオスに害を与えていないようだった。

 何故だか分からずに、少女の姿をした破壊の神は無邪気にアルディオスの腕に触れている。

 見た目の上では微笑ましい光景だが、その実態は「壊せないかの実験」なので笑うに笑えない。


「………壊れないわけじゃない」

「! そう、なの?」

「あぁ」


 少女の反応は実に顕著だった。理解できない事柄への、強い好奇心。

 純粋だ。本当に、人間の幼子と何も変わらない。

 ある程度の予想はつく。神というものの性質と自身の経験則からの推測だが、そう外れてはいないだろう。

 壊れないのではなく、「壊せない」のだ。昼間の戦いの結果が、その認識を少女に与えた。

 あの時、破壊の権能である極光を打ち破ったのは、他ならぬアルディオスの実力によるものだ。

 しかしその事実は、アルディオスを「壊せなかった」という概念を少女の中に植え付けた。

 破壊の神である彼女自身も分かっていないのだろう。

 自分はアルディオスを壊せないのではなく、意識せず壊そうとしていないだけだという事を。


「…………」


 それを伝えるのは容易い。

 理解できるかは兎も角として、ただ事実をありのままに言葉にするだけで良い。

 だが、それでは意味がない。少女は今、自分の意志で未知である事柄を理解しようとしている。

 神であるはずの彼女が、まるで人間であるかのように。


「……俺は、壊れないわけじゃない。俺だって、いずれ必ず壊れる」

「うん」

「それは、俺だけじゃない。他のものもそうだ」


 永遠不変なものなど、この世には存在しない。

 万物が壊れる運命にあるからこそ、目の前の神威が存在するのだ。

 彼女は壊すことしか知らない。壊そうとすることでしか、世界と触れ合えない。

 ならば、与えるべきはきっかけだ。


「壊れないものがあるんじゃない。壊してはいけないものが、世の中にはあるんだ」

「こわしては……いけない、もの?」

「そうだ」

「あなた、は、こわしちゃだめ?」

「できれば、壊して欲しくはないな」

「ん。そ、っか」


 アルディオスの言葉を、少女は頷きながら素直に聞いている。


「よく、わからない」

「何がだ」

「こわしては、いけないもの」


 それが何であるのか分からないと、少女は改めてアルディオスへと問いかけた。

 納得を見つけようとしている。疑問を覚え、興味を持ち、それを自分の中に落とし込むための答えを。

 小さな一歩だが、アルディオスはその言葉に確かな手応えを感じた。


「………それは簡単には、分からないものだ」

「そう、なの?」

「あぁ。何事も焦ったところで、良い結果は出せない」


 少女の肩に触れていた手を、ゆっくりと上げる。

 太く無骨な指が、絹糸のような少女の髪に触れた。ぎこちなく、何かを伝えるように撫でる。

 されるがままにしながら、少女は不思議そうにアルディオスを見つめる。

 少女を撫でる英雄の表情は、兜に隠れて伺うことはできない。


「少しずつ、学んでいけば良い」

「まな、ぶ?」

「あぁ。教えられることは、俺も教える」

「おしえてくれる」

「そうだ」


 頷く。自らの胸の内に期待を膨らませながら、アルディオスは力強く肯定した。

 同じ過ちを犯さずに済む。今度は、あの時と違う答えを出せるのではないか。

 そんな期待が英雄の胸を焼く。それを恥だと、浅ましいと感じながらも、抑えることはできない。


「少しずつで良い。壊せないものがあることを、お前は知るべきだ」

「…………」


 その言葉を、少女の姿をした神はどのように受け止めたか。

 紅い瞳でじっとアルディオスを見つめてから、やがて小さく頷いた。


「しり、たい。おしえて」

「! ……あぁ」


 アルディオスもまた頷き返す。

 少女は月のように微笑みながら、アルディオスの腕に触れる。

 そしてまだ拙い言葉遣いで、その思いを口にした。


「ありが、とう」

「………いや」


 僅かな沈黙。それから、アルディオスは小さく首を横に振った。


「礼を言われるような、ことじゃない」

「?」


 よく分からないと、また少女は首を傾げる。


「俺は、アルディオスだ」

「? ある、でぃおす?」

「あぁ、俺の名前だ」


 やや強引に話題を変えるように、アルディオスは自分の名前を名乗った。

 まだ言葉を上手く扱えない少女には言いづらいようだ。


「短く縮めて、アル、でも構わない」

「ある?」

「そう、アルだ」

「ある、ある、あ、ル……アル」


 何度か発音を変えながら、少女はその呼び名を自らの内に刻む。

 心なしか喜んでいるように見えるのは、果たして月の見せる幻の類だろうか。


「お前の名前は?」

「? なまえ?」

「あぁ、名前だ。あるだろう?」

「アル!」

「違う、それは俺の名前だ」


 む、と。少女は難しい顔をして押し黙った。

 何事かと、今度はアルディオスの方が首を傾げてしまう。


「………なまえ、ない」

「なに?」

「なまえ、ない。だから、こたえられない」

「そうか………それは、少し不便だな」


 予想外の答えだった。だが言われてみると、神話や伝説の中で神自身の名が記されているというケースは少ない。

 大抵が「○○の神」など、その神格が司るものと関連づけた呼び名で書かれているだけだ。

 神に名前はない。そのことの意味を、アルディオスは知らない。

 知らないから、単に呼び合う名前がないのは不便だと、その程度の事として考える。


「………ライア」

「?」

「ライア。楽器の名前なんだがな」


 思い浮かんだのは、あの空全体を楽器にしたかのような美しい歌声。

 そのイメージから、美しい音色を奏でる楽器の名前を連想した。


「呼ぶ名前がないというのは、この先やってく上で不便だからな。だから、勝手に考えたんだが………」


 嫌だろうか、と。アルディオスは少女の表情を窺った。

 少女はまた難しい顔で考え込んでいるようだった。幾ら幼子に似てるとはいえ、相手は神。

 いきなり勝手に名前を付けるなど、犬猫でもあるまいし。流石に不敬が過ぎたか。

 内心で猛烈に自分の浅はかさを呪うアルディオスだったが、そぐにその不安は払拭された。


「らいあ、らい、あ、ラ、いあ………ライア!」


 少女――いや、ライアは微笑みながら、その名前を高らかに歌い上げた。


「………良いのか?」

「? いい?」

「ライアって、名前で。正直、その場の思いつきで言っただけなんだが………」

「いい。ライア、なまえでいい」


 どうやら神罰は落とされずに済んだようだ。アルディオスはそっと胸を撫で下ろす。

 何度も確かめるように自分の名を口ずさむライアの姿は、とても破壊をもたらす恐ろしい神には見えない。

 だが、事実として彼女は破壊を司る神格。決して気は抜けない。

 殺すという、最も容易い解決策を選ばなかった以上、アルディオスには責任がある。

 破壊神に、壊すこと以外を学ばせる。果たして、上手く行くのだろうか。


「………? アル?」

「………いや、大丈夫だ」


 悩んでいる余裕はない。一度そうすると決めたのならば、必ず成し遂げねばならない。

 アルディオスは、背伸びをして顔を覗き込んでいるライアを見た。

 焦ったところで、良い結果が出せるわけではない。

 少しずつ、前に進んでいけば良いのだ。


「色々と、迷惑をかけると思うが………宜しく頼む。ライア」

「? よろし、く?」

「あぁ」


 頷いて、アルディオスはなるべく目線を合わせようとその場に膝をつく。

 そして右手を自分の胸に当てて、誓いの形を取った。

 その仕草を不思議そうに見ていたライアも、見よう見まねで右手を自分の胸に当てた。

 胸に抱いた誇りに懸けて、決して破られぬ誓いを立てる契約の儀式。

 アルディオスは、それを真似るライアの姿に笑った。

 ライアもまた、それに釣られるように微笑んだ。

 月と星、月の亡骸の光に照らし出される《廃棄都市》。

 密かに結ばれた契約の意味を、有角の英雄も破壊の神も、どちらも理解していなかった。

 その時は、まだ。


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