四、ひそやかな契約

 アインズは護衛と一般メイドを下がらせ、深く椅子に腰掛ける。

 これから己が為すべき役割を思い、気が重くなる。


 どのように接すればいいのか。

 あらゆるNPCたちに対して彼が気を遣うことではあるのだが、しかしとりわけ、距離感が掴みづらいのが――


 ノックの音。

 入室の許可を求める声に、承諾を与える。


 扉が開く。

 いかにもきびきびした足取りでやって来たのは、軍服姿の卵頭。


「よく来たな、パンドラズ・アクター」

「お呼びとあらばいついかなるときも、艱難辛苦かんなんしんくを乗り越え疾風怒濤しっぷうどとうのごとく駆けつけます!」

「う、む……そ、そうか。それはまあ、頼もしいな……」

「はいっ! 我が神にとって二十四時間便利な何でも屋、このパンドラズ・アクターになんなりとご用命を! 出来ましたらレア度の高いアイテムと心温まる触れ合いのある職務であれば言うことはございません!」


 なんなりと、と言うわりには注文つけるのな。

 脱力気味になりそうになるのをしいて堪え、威厳を保つようにゆったりとした座り姿勢を維持する。


「今日呼び出したのは、他でもない。……例の『ナイトメア・カーニバル』の件だ」


 アインズはそこでわざと間を置いた。

 じっとパンドラズ・アクターを観察する。


 オーバーリアクション気味な動きは影を潜めているのだろうか。

 ぴしっと両腕をわきにつけて直立不動の姿勢を取っている。

 はにわ顔は真っ直ぐにアインズを見、そこに表情らしい表情も浮かびはしない。


「まず、あのアイテムは現在どうなっている?」

「はい。調べましたところ、完全に使用不可の状態です」

「……今度こそ本当だろうな? お前のその忠義に誓って、嘘偽り無く?」

「はっ!」


 アインズはまたしばらく間を置いた。

 しかしどれだけ観察しても、これといったものは見られない。


(無言の時間ってあれこれ余計なこと考えがちだし、特に目の前にいるのが上司ともなれば、何かやましいことがあると素振りに出てしまいそうなものなんだけどな)


 別に『やましいこと』を糾弾きゅうだんしようというのではなく。

 パンドラズ・アクターがまた何か無茶をやらかそうとしているんじゃないかと心配だった。


(まあ……俺程度の器じゃ、そこまで見抜けないのかもな……)


 パンドラズ・アクターは普段のリアクションが過剰なだけ、分かりやすそうに見えて、分かりにくい。

 オープンなものはとことんオープンにして派手にする一方で、隠したいと思うことは全てその裏にきれいに隠してしまうのだ。


「『ナイトメア・カーニバル』は、壊れているのか?」

「なんとも……。使用後の消耗品のようにも見受けられますし、かといって消滅する様子もございません」

「このナザリックにおいて再び発動することは絶対にない、と言い切れるか?」

「当該アイテムの現状、および現在私が保有するアイテムやスキル、魔法、武技といったものの知識全てに照らしましても、使用は不可能と判断いたします」


 一回限りの使用済み、ということになるのか。

 あるいは一つのギルド拠点につき一度だけ使える、という仕様になっているのかもしれない。


(この世界に別のギルド拠点が転移していた場合、それを確かめることが出来るか……? いや、『ナイトメア・カーニバル』発動時にはギルメン以外は入れない仕組みになっていたし、いずれにせよ実験は難しい、か……)


 もう一度あの悪夢を試せると言われたとしても、すぐにうべなうつもりはないが。

 それでも――完全に破壊して封印してしまえるほどに、思い切れるわけもない。


(まあ、でも……パンドラズ・アクターがまたあのアイテムを発動させる危険がない、と分かっただけでもよしとしようか)


「さて、パンドラズ・アクター。ここからが本題といってもいい」

「はっ!」

「私は……お前に謝らなければならない」


 パンドラズ・アクターががばっと身を乗り出す。

 両腕はぴしりと脇につけたまま、背筋もぴんと伸びたままであったから、さながらバネ仕掛けのびっくり箱のおもむきである。


「アインズ様が謝られることなど、何一つございません! 今回の一件は全て私の不徳のいたすところ!」

「いいや、それは違う。お前は私の望みを、……私が長く願い続けてきたことを、知っていた。だからこそ、『ナイトメア・カーニバル』を発動させたのだろう」


 パンドラズ・アクターは何か言いたげにアインズを見るも、言葉を見つけられなかったか、見つけても口にするのを躊躇ためらうものだったのか、黙したままでいる。


「私に創られたNPCであるお前が、私に対して嘘を吐き、隠し事をし、ナザリックを危険にさらし、そして己が陥るであろう絶対の孤独をも認め受け入れた……それがどれほど苦しいことだったか、察するに余りある」

「……お言葉ですがアインズ様、我が神のためとあらばどのようなことも苦役くえきたり得ません。アインズ様の御心にかなう働きが出来るならば、私は満ち足りたでしょう」

「たった独りで、このナザリックを守り続けるとしても、か?」

「ええ、もちろん。私は――」

「いいか、パンドラズ・アクター」


 アインズはあえてさえぎった。

 パンドラズ・アクターは萎縮いしゅくしたように身を縮める。


 アインズは垣間見せた激情をすぐさま押し殺し、というか強制的に抑圧され、わずかに浮かしかけた腰を下ろし、椅子に深く座り直す。


「一人で全てを抱え込もうとするな。私は、その……教育方針としてやや放任主義であるという自覚はある。しかしそれは、なにもお前を突き放しているわけではなくて、だな……黒歴……ごほん、まあ、あれだ、嬉し恥ずかし……でもないか……と、ともかくだ! 私はお前を大切に思っているし、そのお前に重荷を背負わせたくないのだ」


 パンドラズ・アクターが感極まって跪く。


 なにやら賛美歌でも歌い出しかねない気配を感じ、慌ててアインズは立ち上がった。


 その行動が、パンドラズ・アクターの目には、自分の行動をすべて予測し織り込み済みであればこそと映った。


 あの瞬間にアインズが席を立たなければ。

 パンドラズ・アクターはかくあれと望まれたとおりの、ぱっと目を引く身振り手振りで口舌を放ち、どうにかアインズに自分を駒と――捨て駒と認めて利用してもらいたいと、そんなことを訴えるつもりだった。


 全て見抜いた上で封じられた。

 などというのは、むろんパンドラズ・アクターの勘違いである。


 偶然は偶然だ。

 しかしまあ、創造主と被造物である。

 ここぞ、というタイミングの見極めが似たような地点になる、というのも、思考パターンに近いものがあるのかもしれない。お互いに無自覚、無意識にせよ。


 アインズはパンドラズ・アクターの前にまで、歩を進める。

 立ち止まり、優しく語りかける。


「私の幸福を望んでくれるなら、まずお前たちが幸せになるんだ。どれだけの富や権力、レアアイテムに戦力があろうとも、NPCの誰か一人でも不幸に沈んでいるのなら、私の幸福は十全になり得ない。分かるな?」


 短い逡巡しゅんじゅんのあと、パンドラズ・アクターは小さく頷いた。


 アインズはそれを見て、しかしこれだけでは不安だと考える。

 というか、不安だとあらかじめ感じていたから、やるべきことは決めていた。


 決めていたのだが。


 いざとなると、恥ずかしい。

 非常に恥ずかしい。

 何か誤解を生みそうな気もする。

 だがしかし。


(子ども、なんだよな)


 よし。

 アウラとのスキンシップを思えば大したことはない。

 抵抗はあるが、NPCたちは言葉だけでは妙に勘違いして暴走しがちである。


 大切に想っている、と。

 口で告げても、やっぱり無理をしかねないのなら。


 跪くパンドラズ・アクターの前に、アインズは屈み込み、おずおずとその両肩に手を回す。


(……最後にこうしてもらったのって、いつだっけな……)


 ぼうっと、アインズはそんなことを考えながら。

 不器用な手つきで、パンドラズ・アクターをぎゅっと抱く。


 遠い遠い、記憶。

 こうやって抱き締めてくれたのは、親だったように思う。

 でももしかしたら、親戚の誰かかもしれない。

 学校の先生とかいう線もあり得る。


 鈴木悟の、幼い日々は色褪せている。

 壊れてしまった、短い間の幸福な日々は、もう思い出すことも出来ない。

 思い出したくないのかもしれない。


 なのにときどき、断片的に場面が浮かぶ。

 いつどこで誰と、もはっきりしないまま、ランダムに。


 それはたぶん、ウルベルトと話すようになってからだ。


 ウルベルトがあれほど執拗しつように、己の失ったもの、失いたくなかったものを語り、社会への憎悪を語るのを、

 漫然まんぜんと聞き、なんとなく相づちを打っていただけの、はずだったのに。


 気付くとなくしたものを思い出すことが増えていた。

 ウルベルトから感染したみたいに、

 ――いや。

 意識の奥のほこりまみれの箱に放り込んでいたものが、

 何気なくつと、取り出されるみたいに。


 パンドラズ・アクターは硬直している。

 アインズは気恥ずかしさを堪えてさらに二秒そのままでいて、離れた。


 わけもなく咳払いしてみる。


「あー……私の気持ちは伝わったかな?」


 パンドラズ・アクターはぶるぶると感動に身を震わせ、声にもビブラートを効かせて、


「つまり! 我が神はこの私に添い寝の権利をお与えになると!」

「全っっっっっっ然違うぞ、パンドラズ・アクターよ! これは創造主と被造物の間にある自然な親愛の情だと知れ!」


 言葉にするよりもっとひどい勘違いが生まれた。













 パンドラズ・アクターは指輪の力で宝物殿へと転移する。

 主より与えられた居住空間でもあるこの場所、足を踏み入れれば普段と異なることにすぐさま気付いた。


 しかし驚きも不快も表に出すことはなく、パンドラズ・アクターはくるっと華麗に回転しながら跳び上がり、その者、、、の前にて着地、一礼する。


「これは守護者統括殿、美しい女性が私の帰りを待ってくださっているとはつゆ知らず、お待たせした非礼をお許しください」

「あら、気にすることはないわ、パンドラズ・アクター。私もついさっき来たばかりなの」


 悠然と微笑むアルベドは、実際ついさっき宝物殿に来たのだ。

 アインズとパンドラズ・アクターの話し合いが終わる頃を見計らっての転移であったから、当然といえば当然だった。


「それで? 私に何かご用ですかな?」

「ええ。ちょっとした打ち合わせをしておこうかと思って。ほら、私たちはアインズ様から、至高の御方々をおさがしする任を与えられているでしょう?」

「……はい。守護者統括殿がその大役に私を推薦すいせんしてくださったと聞いております」

「嬉しくないの?」

「むろん、このような大役を与えられたことは無上の喜び! 不敬な言い方かもしれませんが、アインズ様のもとに御友人方が戻られ、再会を祝い旧交を温めてくださるならば、これほど望ましいことはありません」

「でも、再会を祝ってくださらなかったら?」


 パンドラズ・アクターは沈黙する。

 それこそが彼の恐れること。


 至高の御方々がアインズの敵になること、……いやそこまでいかずとも、否定的感情を示すようであれば、それだけでもアインズは深く傷つくだろう。


 そんなことは許せない。

 アインズを傷つけないためならば――どんなことをしてでも。


 アルベドの笑みに妖艶ようえんさが加わる。

 豊満な胸の下で両腕を組む。


「ねえ、パンドラズ・アクター。あの『ナイトメア・カーニバル』を引き起こすアイテムは、どうなってしまったのかしら?」


 パンドラズ・アクターは、アインズにした説明を繰り返す。


 アルベドはぺろりと舌で唇を舐める。

 慈愛深き笑みを浮かべたままで。


「そのアイテムが現在使用出来ないのは……すでに夢の中のナザリックが召喚されてしまっているから、とは考えられないかしら?」

「と、おっしゃいますと?」

「つまりね、私たちはまだそこに行けないし、触れることも叶わないけれど、夢の中のナザリック――うつろのナザリックは消え去ることなく、いわば次元の相を異にして、存在しているとは考えられないかしら。だから新たな悪夢を呼び出すことは出来ない」

「……どのような形であれ、あのまがい物の御方々と、そのお住まいになる虚ろのナザリックは現存している、と?」

「あくまで可能性の話よ。もちろんそんなものはないかもしれない。アインズ様のお耳にも入れるべきではないわ。可能性としては低いことで、御心を乱してはいけないもの」

「ですがどれだけ低い可能性であっても、完全に否定する材料が見つかるまでは退けるべきではありませんね」

「その通りよ、パンドラズ・アクター。そしてこのことを調査するのは、私とあなたの二人だけにしましょう」

「……何故です?」


 アルベドの笑みが深まる。


「あなたの言いたいことは分かっているのよ。ええ、たしかにこの案件の重要度をかんがみても、デミウルゴスを引き入れたいというのは自然な発想だわ」

「ええ。彼は多くの仕事を抱える身ですが、意見交換程度の時間なら取れるでしょう。我々で調査を進め、仮説を立て、討論によってそれを練り上げる際にはデミウルゴスにも参加してもらう。理想的な方式ではありませんか?」

「そう、そうね……ただ私たちには、うつろのナザリックを発見出来た場合、またそこから至高の御方々をこちらに召喚可能であった場合、……他の誰にも知られずに、やらなければならないことがある――いえ、あっては困るのだけど、あるかもしれない」


 謎かけめいた言い回しに、パンドラズ・アクターはうつむく。

 理解に困ってではなく、その答えをすでに知っていたから。


 そのことはもう、パンドラズ・アクターも考えていたことだからだ。


「……驚きました、守護者統括殿。この件はこの私だけが――アインズ様に創られ、あの御方のためにならば他の全ての至高の御方々を敵に回すことも辞さないこの私だけが、思いつき実行するであろうことだと考えておりました」

「うふふ。ではやはりあなたも考えていたのね、パンドラズ・アクター? もしもこちらの世界で、オリジナルの至高の御方々を見つけたとしても」

「御方々がアインズ様にとって望ましくない姿勢で臨まれるならば」

「ひそかに排除し、その代わりに」

うつろの世界からまがい物の御方をこのナザリックへお連れする」


 まがい物の至高たちは、ナザリックを愛している。

 そしてこのナザリックの皆が絶対の忠誠を捧げるアインズに、害を為すことを望みはしない。


 ならば好都合。

 本物か偽物かなんて、彼らが決める。


 アインズにとって望ましいであろう態度を取る相手をこそ、『本物』と呼び、

 アインズを傷つけ苦しめるであろう態度を取る相手をこそ、『偽物』と断じよう。


「ですが守護者統括殿、本当によろしいのですか?」

「ええ。私はアインズ様のために最良と思われることをするわ。私は一人のNPCである前に、ナザリックの守護者統括なのだから」

「素晴らしいお覚悟です。では、……タブラ・スマラグディナ様を排除せねばならなくなっても、あなたは躊躇ためらわずにいられますかな?」


 アルベドの目にふっと陰りが落ちる。

 口元の笑みにはどこか冷たいものが宿る。


 パンドラズ・アクターは思わず身震いする。


 アルベドはくるりと背を向ける。

 悩ましげなため息を吐く。


 パンドラズ・アクターの目に見えないところで、アルベドの顔は歪んでいる。

 憎悪とも、嫌悪とも、悲哀とも、寂寥せきりょうとも、つかない。

 激しい負の感情は、複雑に混ざり合い、どれをどれと一つひとつ分別し言い当てることを不可能にする。


「もちろんよ」


 アルベドの声は優しげだ。

 落ち着いていて、少しだけ物憂げな響きがある。

 その表情の激しさとは裏腹に。


「私はタブラ・スマラグディナ様に対してであっても、冷静に為すべきことを為すわ。むしろそうでなければ、私はあの御方の被造物として失格になってしまうと思わない?」

「……失礼いたしました。守護者統括殿とタブラ・スマラグディナ様のきずなを深く考えもせず、失言を」

「くす……くすっ、絆、絆ね……ええ、……そう。私はタブラ・スマラグディナ様に、今のこの私の姿を見ていただきたいの。私の意志を、私の願いを。あの御方が私をどのようにしたのかを。それから……」


 アルベドは口をつぐむ。

 振り返ったときには、もう慈悲深き笑みを取り戻している。


「おしゃべりが過ぎてしまったわね。さあ、この案件について少し話し合いましょうか。お互い抱えている仕事もあるけれど、うまく時間を見つけて、ね……」

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