第二章 vs.ウルベルト・アレイン・オードル&武人建御雷

一、正義と無情

 第六階層、転移門の前。

 たっち・みーは腕を組み、目を閉じて待っていた。


 風の音と匂い。眠りつく魔獣たちの健やかな寝息。

 鎧に包まれた身では、この空気を肌身に感じることも叶わないが。


 そもそも、彼はまがい物なのだから。

 冷たい金属にはばまれて、触れられぬのが至当かもしれないと。

 自嘲でもなく、諦観でもなく、淡々と思った。


 目を開ける。

 こちらに来る骸骨――黒の豪奢ごうしゃに身を包む親友の姿を、昆虫の複眼が映し出す。


 組んでいた腕をほどき、出迎える。


「ペロロンチーノさんは殺せましたか」


 問いかけに、アインズは足を止める。

 二人が向かい合って親密に言葉を交わすには、やや遠すぎる距離。

 それはまるで敵同士が向き合い、間合いに入らぬまま最後のやりとりをするかのような距離だ。


「……ええ。どうにか」


 押し殺した声に、感情はにじまない。

 そのことに、たっちは安堵する。

 思ったほどにはショックを受けなかったらしいと――安易に。


 それが淡々としすぎているとは、

 感情を殺しすぎているとは、

 そうやって殺さなければならないほどに強い感情があったはずだとは、

 まったく思いも寄らない。


 たっちには、感情の機微が分からない。

 誰も傷つけたくないと思っていながら、容易く人の心を傷つける。

 傷つけたことにさえ、気付かないのだ。

 最早もはやどうしようもなくなってしまう、その結末を目の前に示されるまで。


 だからこそ。

 たっちには、ウルベルトという存在が必要だったのかもしれない。

 ひときわ強く反応し、たっちにさえ分かるほどあからさまに不快を示し、彼の何が人を傷つけるかを逐一ちくいちあげつらうあの男は。

 嫌い、ではあった――好きになれるはずもない。

 だが、それでも。

 そんなウルベルトがいたからこそ、

 たっちの不用意な発言に周りが傷つく前に、その無心のとげが周囲に刺さる前に、よりあからさまな意図的棘がたっちに刺し込まれるからこそ、

 彼らはうまくやっていられたのかもしれない。


 むろんそんな危険な、綱渡りのような関係は――優れた調整役なしには、長くもたず瓦解がかいするに違いなくて。


 だからこそ、たっちとウルベルトと、そしてモモンガと。この三人が、いわばギルドの顔として、そこに君臨していることは重要だったのかもしれない。


 二つの最強がぶつかり合う中を、うまく溶け合わせて車輪を回していくモモンガ。


 悪くとれば三すくみとさえ見えかねないこのバランス。

 それでも、うまくやっていたのだ。


 けれどもう、そのバランスは崩れた。

 ウルベルト・アレイン・オードルとたっち・みーが、決定的に敵対した以上は。


「アウラとマーレ、シャルティアはどうしましたか」

「マーレは世界級ワールドアイテムを放棄しました。いまは眠りについているようです。シャルティアは精神的なショックが激しく、アウラに傍についているよう命じました」

「なるほど。彼女たちが戦線に加わる見込みは?」

「まず期待出来ないでしょう」


 たっちは考え込む。

 というか質問をしたときにはすでに考え込む体勢に入っていて、

 だからアインズが返答のときわずかに身を震わせたのを見ていない。


 わずかに、けれども決定的にあふれ出た怒りや苛立ちに、気付いていない。


 ここにウルベルトがいたならば、辛辣しんらつにたっちの言動をなじっただろう。

 そうすればたっちの続く言動も、もう少しましなものになっていたかもしれない。


 シモベのことを思いやらないではなかったのに、……大切に想っているのは確かだったのに、

 かえって誤解を深めるような、そんな発言をしなくて済んだかもしれない。


 だがすべては――起こらなかったことだ。


 たっちは何の気なしに、当然のように、むしろ名案のように、言った。


「今からでも遅くありません。シャルティアの世界級ワールドアイテムを回収し、アウラを従えて行きましょう」

「……なんですって?」

「たしかにシャルティアは戦列に復帰出来ないでしょうが、アウラはあくまで傍についているだけなのでしょう? ならばシャルティアは眠らせておき、アウラを連れて行けばいい。彼女は戦力としては頼りになりませんが、スキルなどで後方支援をさせることは可能です」


 そうしましょう、と勝手に頷き、さっさと闘技場に向かおうとしたたっちの前に。

 通せんぼするように、アインズが立ちふさがる。


「どうしましたか、モモンガさん」

「……やめてください」

「? 私はなにか間違いましたか」

「ええ。ものすごく」


 たっちはじっとアインズを見つめる。

 説明を待ち受けて。


 アインズはうつむき、ぼそぼそと口にする。


「理由は……いくつかあります。ありますが私としては、一つだけで理解していただきたい」

「どうぞ。私も可能な限り理解を示したいと思います」

「……シャルティアは、世界級ワールドアイテムを放棄すれば夢の世界に入れることを、そこでペロロンチーノさんとも再会出来ることを知っています。知っていて、そうしないで堪えている。ペロロンチーノさんが託したものを自分なりに消化して、受け止めようと歯を食いしばっているんです。それを支える者が、誰か一人でも傍についていてやるべきではありませんか。シャルティアにはこの試練を乗り越えてほしいし、乗り越えるための機会を与えてやりたいんです。たとえそれで俺たちが不利になるのだとしても」


 たっちはしばし黙考し、やがてくるりと背を向ける。

 躊躇ちゅうちょもなく、無防備な背をさらす。


「分かりました。ああいえ、モモンガさんの言いたいことは正直全く分かりませんし意図も読み取れませんから、理解はしかねますが……了承はしました」

「なんか微妙な感じですね」

「ええ、微妙です。でもまあ、モモンガさんにはすでに多大な迷惑をかけています。あなたの意向には出来るだけ添いたい」

「出来るだけって、どこまでですか」

「そうですね。とりあえずこの『ナイトメア・カーニバル』を無事にクリア出来るならば、その他はなんでも構いません」


 そこでたっちは、己の弱体化についての情報を提供する。

 ワールドチャンピオンならではのスキルが使えなくなっていること、

 全体的にパラメータが低下していること、

 しかし装備に新たな制限が加わっていたりはしないため、ワールドチャンピオンの武装をしていること。


「モモンガさん、……いえ、アインズさんとお呼びした方がいいんでしょうか?」

「やめてください。普通にモモンガでいいです」

「分かりました、モモンガさん。ところで、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは所持していないのですか? ギルド武器は強力ですから、ぜひ装備しておくべきですよ」

「ああ、あれは――すみません、どういうわけかまともに動かないんです。るし★ふぁーさんのいたずらのせいかもしれません」

「……そうでしたか。では、次の質問に移らせてもらいます。ペロロンチーノさんとの闘いでは、どの魔法やスキルを使いましたか」


 たっちは転移門を睨みながら、問う。


 あちらから仕掛けてくる可能性は低い。

 おそらくは第七階層で待ち受けている。

 だがその推測を逆手に取った作戦がないとは限らない。


 すでに第六階層に彼らがいないことは確認済みだ。

 周囲のどこから攻めてくるにしても、一番あり得なさそうな場所――ここから来るなんて真正直なやり方はすまいという常識的判断を逆手に取るならここしかないだろう場所を、あえてたっちは見据えている。


 そうしながら、ちらりと肩越しにアインズを振り返らずにはいられなかった。

 どういうわけかアインズは沈黙していたからだ。

 やがて彼は重いため息のようなものを発して、


「すみません。ペロロンチーノさんと闘わなければならないことに、逆上してしまって……後先を考えずに魔法やスキルを使ってしまいました」

「無理もありません。詳しくお聞かせ願えますか?」


 その説明は、たっちとしては『眉をひそめ』ずにいられないものだったが。

 眉、なんてものがあるかどうかという問題は別にして。


「分かりました」


 責めることは、しなかった。

 そんな資格はない。


 この地でモモンガが為してきたことに対して、これから為すであろうことに対して、今のたっちに何も言う資格がないのと同様に。

 共に在り、共に未来を目指すならば、言うべきことも、やるべきことも、止めるべきことも、責めるべきことも、あったけれど。


 今は、その全てを呑み込んで。


「気にしないでください、モモンガさん。私がフォローします。いえ、もしもモモンガさんがもう闘いたくないというのであれば、今この場で遠慮なくそう言ってください。ペロロンチーノさんには、あなたと闘って伝えたいメッセージがあった。だからご無理をお願いしたわけですが、この先まで付き合わせるのはあまりに酷でしょう。難しい局面ではありますが、どうにか私ひとりで対処する方策も考えています」


 それは正直、かなり危険な賭けではあった。

 だが同時に、たっちの力を限界まで引き出す背水の陣ともなり得た。


 負ければ、モモンガに闘いをいることになるだろうから。

 闘いたくないとモモンガが願うなら聞き入れて、彼を守ってやりたい。


 守らせてほしい。


 だからこそ。

 モモンガがここで「ではお願いします」と言ったなら――たっちの戦闘力は、理屈ではなく上昇したかもしれない。


 モモンガの支援と魔法火力が失われる損失をどこまで埋められるかなどと、計測することは出来ないが。


 場合によってはそれが致命的な欠落ともなりかねないにもかかわらず、しかしやはり理屈の通らぬところで、それがかえって決定的な勝因ともなりかねない。


 それがたっちの――『正義』たる彼の、本当の強さであることを。

 アインズは誰よりもよく知っていただろう。


「私もたっちさんと共に闘います。足手まといにならないといいんですけど」

謙遜けんそんが過ぎますよ、モモンガさん。でも、本当にいいんですか? 無理しないでくださいね」

「今さら言われても」


 苦笑するアインズに、たっちも笑みを返す。

 それから表情を引き締めて、


「敵はウルベルトさんと建御雷さんです。二人はそれぞれ、デミウルゴスとコキュートスを懐柔かいじゅうしようとする可能性があります。それから……ああ、いえ」


 たっちは口ごもる。


 パンドラズ・アクターがあちら側についていることを、言うべきか否か。


 あくまでゲームクリアの安全性を高めることを最優先にするならば、もちろんこの情報は伝えるべきだ。

 パンドラズ・アクターの能力についてはある程度たっちも知っているが、やはりアインズと情報のすり合わせがしたい。

 それになにより、闘うとなった場合にアインズが動揺することのないように前もって伝えておくことは重要だ。


 しかし、である。


 たっちからすれば、パンドラズ・アクターが『アインズはナザリックを破滅させることになっても、ギルメンたちと一緒にいたがっている』などと考えているのは勘違いもはなはだだしい。

 そしてそのことは、アインズがたっちの側についたことで誰の目にも明らかになったはずだ。


 ならば、パンドラズ・アクターはウルベルトの側に立って闘うことをやめるかもしれない。


 こちら側についてくれるなら望ましい。

 傍観というのも構わない。

 またもしかすると、自暴自棄かさらなる勘違いかで、やっぱりウルベルト側につくということもあり得ないではない。


 しかし、その最後の可能性のリスクを考慮してもなお――パンドラズ・アクターがどんな想いで『ナイトメア・カーニバル』を発動させたかということを、アインズには知らせたくなかった。


(もしも私がモモンガさんなら、自分のせいでNPCが勘違いし暴走したならば、己を恥じ、申し訳なく思うだろう。モモンガさんにはそんな思いはさせたくない)


 それに。


 パンドラズ・アクターがシモベとして正しい在り方に、ナザリックを守るという立場に戻って来るのなら。

 もうたっちやアインズの邪魔をする気が失せているのなら。

 彼が不祥事ふしょうじの発端であることを、伏せておいてやりたかった。


 アインズのためにも。パンドラのためにも。


 ……ことほどさように。

 たっち・みーは人を気遣うのである。

 むしろかなり気を遣っているつもりである。

 彼は決して傍若無人で横柄な人物ではない。思慮が浅いわけでもない。


 むしろ彼は善、それも極善――いいや至善とさえ言えるかもしれないほどに、善良である。


 単に、気が利かないだけ、というか。

 気がつかないだけだ。感情のどろどろした部分や、歪んで醜いところに、彼の目は向かない。


 あるいはそれは、後天的な精神的特性だったのかもしれない。

 精神的耐性、と言うべきか。


 おぞましくも醜い現実世界リアルで、彼は警察官として多くの犯罪者と向き合ってきた。

 苛烈かれつに。容赦なく。法の番人で在り続けなければならなかった。

 幼い日に夢見た正義を、幾度も裏切られながらも。

 それでも――正義を求め続けるためには。


 犯罪者たちの歪みも、痛みも、悲しみも、苦悩も。

 意図的に切り捨てるには、彼はあまりに善良すぎて。

 意識して非情になるには、彼はあまりに優しすぎたのかもしれない。


 だから。


 あえて、気付かぬように。見ないまま。

 見ないことにさえ、気付かぬままに。

 その職務をこなしてきたのかもしれない。


 そうでなければ――彼は彼のままでいられなかったのかもしれない。


「いえ、私からは以上です。何か質問はありますか?」

「そう、ですね。一点だけ、……ああいえ、やっぱり何でもありません」

「何でも訊いてくださって結構ですよ」

「じゃあたっちさんの個人情報を何でもいいので一つ」

「はい?」

「NPCたちが喜ぶんですよ、ギルメンの話すると。健康診断の結果を聞くだけでも感涙ものらしくって。なのでよければセバスに土産話の一つでも」


 オリジナルから受け継いだ記憶がある。

 探せば一つ二つ、適したエピソードが見つかるだろう。


 けれどもそれをまがい物たる自分が口にして、モモンガがさもオリジナルから聞いたようにNPCに語るのには、抵抗があった。


 たっちは明後日の方向を見上げ、しばらく考え込んだ後。


「……では私の妻子の写真を」

「ちょっと今のところ人間種に過剰な肩入れが生まれそうな状況は避けたいんで遠慮します。あ、でも俺が見たいです」

「冗談です。持ってませんよ、ここじゃあ」

「冗談ならもっとそれっぽいの言ってください」


 












 などと、はぐらかしたわけだが。


 アインズは、アルベドのことを問おうとしたのだ。


 彼女と、その所有する世界級ワールドアイテムは戦力として強大である。

 あえてたっちが彼女を争いに巻き込まぬよう配慮する、などとは思わない。

 むしろ守護者統括としての責務を果たすべきだとか言いかねない。


 だが。


(召喚されたギルメンは五人……不明なのはあと一人。さっきたっちさんが口ごもったのは、その一人のことについてじゃないか? 敵じゃない、味方でもない……中立。傍観者。そういう立ち位置に、残る一人はいるんじゃないか。そして、あえてアルベドに言及しなかったことを考慮すれば――タブラさんか)


 ならばその選択を尊重しようと、アインズは心を決める。


(アルベドだって、創造主と水入らずでゆっくりしたいだろうし)


 そんな和やかな、終幕までのひとときを過ごすのもいいだろう。

 いや、アインズだってそうしたいくらいなのだ。このままのんびりと、たっちやウルベルトや建御雷と談笑でもしつつ、ナザリックが夢に閉ざされゲームオーバーになるのを待ち構えたい。


 ……叶わない願いだ。


 アインズはある程度まで、自分のこの願望がまったくナンセンスであると分かっている。


 分かっていないのは、『アルベドが創造主と水入らずでゆっくりする』なんてことがそもそもナンセンスだということくらいで。

 彼女がいかに創造主に対して抜き差しならない負の感情を抱いているかに気付いていないことくらいで。


 たっちは決して、ゲームオーバーを認めないだろう。

 正義の名のもとに、ナザリックを守るため闘うだろう。


 だからこそ。


 獅子身中しししんちゅうの虫として。

 あるいはトロイの木馬として。

 つまりは知られざる裏切り者として。

 アインズは立ち回らねばならない。


(……俺が正義の味方じゃないって、いつになったら学習してくれるんでしょうね。たっちさん)


 淋しいような、切ないような、

 罪悪感交じりの胸の痛みを、押し殺して。


 作戦を練り、打ち合わせを進め、

 そして彼らは第七階層へと向かうのだ。


 祝祭カーニバルの幕を引くために。

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