第六話 

 エレーナは唐突に眼を覚ました。どうやらドリーヌに膝枕されている様なのだが、いったいなぜ自分が寝てしまっているのか思い出せないでいた。

 目前の視界の半分以上を埋め尽くす巨大な胸を指先で突っつく。


「あ、眼が覚めた? 気分はどう?」


 ドリーヌが心配気に顔を覗き込んでくる。何時もなら胸をつつくと大仰おおぎょうに騒ぎ立てるのに、何かよそよそしい態度に不安感を覚える。


 起き上がって辺りを見回す。皆の好奇の視線が一斉に集中する。

 セシルが威嚇するように、皆を見回して牽制する。これが無かったらエレーナは一斉に取り囲まれていただろう。


 まだボーっとしている頭を軽く振り、現状を把握する為に気を失う前の事を思い出そうとする。


 使い魔召喚の儀式が、この聖堂で行われていた筈である。皆が各々の使い魔をかたわらに寄り添わしている。


 —— 私の使い魔は……。


 魔法陣の中に現れた男を思い出す。


「あっ……」


 全てを思い出すと同時に、顔から火が出るのではないかと思うほど赤面する。周りの視線が悪意ある蔑んだものに見えて、エレーナはドリーヌにしがみ付いた。


「わ、私……。とんでもないモノを呼び出してしまった」

「そうね。妖精竜よりインパクトがあったわよ」


 ドリーヌは、優しくエレーナを抱き締めて髪をでてやる。


「あの後ね、ジェレミーさんはモグラを、ロベリアさんが妖精竜を召喚したのよ。でも、エレーナの召喚した男の方が断然まれに見る使い魔に相応しいと思うわ」

「あんなモノ召喚しても嬉しくないわ」


 そこでようやく『あんなモノ』が見当たらない事に気付き辺りを見回す。


「あの男は何処に行ったの?」

「学院長と三人の先生方と奥の部屋で面談中よ」


 丁度その時、奥の部屋の扉が開き学院長と三人の教師、それと『あんなモノ』呼ばわりされている男が出てきた。


 レベッカとオリビエは、そのまま聖堂を出て行く。各担当の学年の教室へ帰って行くのだろう。


 男を見て、再び聖堂内にざわめきが起こる。


「皆さんお静かに! これから重大なお話があります」


 スベントレナは壇上だんしょうに立ち、全員をなだめる。


 重大な話とやらが、例の男に関係する事が分かりきっている一同は、すぐさま私語を止めて耳を傾ける。水を打ったような静けさが聖堂内を支配する。


 皆の視線が壇上だんじょうのスベントレナと、その横の男に集中する。


 エレーナは、男の豹変ぶりに困惑していた。確か何事にも動じない堂々とした態度だった筈だ。それが今は不安と恐怖に打ち震え、今にも消え入りそうなほど不安定な存在になっている。


「エレーナさんが召喚したこの御方は……」


 スベントレナは、竜也を全員に紹介するように手の平を指し伸ばす。


 より集中する視線にも竜也は無反応だった。焦点の定まらない視線を、ぼんやりと中空に彷徨さまよわせている。


「なんと勇者である事が判明いたしました」


 学生達の反応はイマイチだった。どうもピンと来ていないようだ。何故今時? という疑問符が、皆の顔に張り付いている。


 隣国との小競り合いはあるが、それは彼女達が生まれる前から続いているものであって彼女達にとって日常の出来事なのだ。おおむね平和であると言って良い。


 学生一同が、もどかしさを感じて歯痒はがゆい思いをしている中、エレーナは顔を青ざめさせていた。

 学院長が嘘を言っている事が分かるからだ。エレーナには、男の能力が平民並みしか無い事が分かるのだ。次いで特殊能力が無いという事に愕然がくぜんとさせられる。使い魔が居る意味がない。軽い殺意が芽生える。


 学院長が、何故こんな嘘を吐いているのかは見当が付く。学院長は自分をかばってくれているのだ。男を召喚したとなると何かと問題になる。それを軽減させようとしてくれているのだろう。


「学院長……」


 皆が当惑気味の最中さなか毅然きぜんと立ち上がった人物がいた。ジェレミーだった。


「勇者様が召喚された理由は、いったい何なのでしょう」


 ジェレミーは、エレーナを睨め付けながら質問をする。

 頭の良い人物なら、エレーナをかばって学院長が嘘を言っていると察しが付くのだ。


 エレーナは首をすくめる。言い逃れは出来そうにない。


 しかしスベントレナは、少し困ったというように小首を傾げるだけだ。


「それはその……。王家の姫君との密約を、お話しする訳にはいきません」


 皆の視線が、ロベリアに集中する。急に話の矛先を向けられたロベリアは眉根を寄せてスベントレナを睨め付けた。


 スベントレナは涼しい顔で、それを受け流していた。


 滅多に表情を変えないロベリアが怒りを露にしている。それだけで勇者が現れた事の真相が、何かしらあると思わせるには十分だった。


 ジェレミーも、渋々ながら席に座り直す。


「とはいえ勇者様は、まだ勇者の卵でしかありません。この学院で真の勇者となる為に鍛錬をしてもらいますが、呉々くれぐれも外部の者には秘密にお願い致します」

「それでは、これで使い魔召喚の儀式を終わります。昼までは使い魔との親睦を深めながら特殊能力のテストなどを行って下さい」


 スベントレナが退出すると、サバティーが指揮を執る。


 数人の者がロベリアに勇者が召喚された理由を聞きたそうにしていたが、不機嫌さを隠そうとしないその態度から、とても聞ける雰囲気ではなかった。


「気分が悪いので早退します」


 ロベリアが席を立ち聖堂を出て行く。いつもの事だ。卒業出来る最低限の出席日数と、成績を維持する為だけに学院に来ているような物なのだからだ。


「エレーナさん、ちょっと良いですか?」


 サバティーが、エレーナに仕草で此方こちらへ来るようにと合図を送る。


「ドリーヌさん、勇者様は召喚されたばかりで、いささかお疲れの様子なので応接室で休ませてあげて下さい」


 ドリーヌが、馴れ馴れしくも勇者様と腕組みをしながら聖堂を出て行く姿に一抹の不安を覚え、視線でセシルに御目付け役を命ずる。


 セシルがドリーヌの後を追って聖堂を出て行くのを確認し、エレーナを連れ立って聖堂の奥にある控室に入っていく。


「気分はどう?」


 サバティーは、エレーナを身近な席に座らせ、顔色をうかがいながら問い掛ける。気を失って倒れた影響か、顔色はまだ優れない。


「最悪です」


 エレーナは素直に現在の心境を吐露する。その様子はいつもの優等生、皆のお手本という仮面を脱ぎ去っていた。


「何故あんな男が勇者だと、嘘の発表をしたのですか?」

「嘘ではありません」

「私には、あの男のステータスが読めるのですよ。明確な数値までは分かりませんが、平民並みの能力値しか無い事は確かです。しかも特殊能力が無いのですよ」


 再び殺意がこみ上げて来るのを、辛うじて封じ込める。


「ロベリアさんとの密約の為、詳細はお話しできませんが、彼が勇者である事は間違いありません」


 彼女には、あの男を勇者として認識して接してもらった方が何かと都合が良い。その為には、スベントレナ学院長が遂行したように、ロベリアとの密約をも逆に利用する積もりだった。


 エレーナは、納得がいかないという顔をしている。


「これから、あの男をどうする意向ですか?」

「それは貴女次第です。立派な勇者に育て上げるもよし、貴女の好みが、ああいう可愛い系なら彼氏にするのも良いです」


 見る見るエレーナの顔が紅潮する。


「痩せても枯れても、私は伯爵家令嬢です。そのような不埒ふらちな真似は致しません」


 エレーナは立ち上がり、毅然きぜんと言い放つ。


「サバティー先生。確か『使い魔召喚の書』には、不慮の事故で使い魔を亡くした時の事が書かれてある項目がありましたよね? 確か一度死んだ個体は二度と還らない筈……」

「エレーナさん!」


 サバティーは、険しい顔付きでエレーナの言葉を遮った。


「そのような事を考えてはいけません。使い魔とは、生涯を共に過ごす伴侶と言っても過言ではないしもべです。主人マスターとその使い魔は、お互い思惟しいがダイレクトに伝わります。そのような考えは貴女自身をも不幸にします」

「そうですね。すみません……」


 エレーナは素直に謝った。


 この娘の本当に凄い所は、その並はずれた魔力だけではなく、素直で真面目に何事にも取り組める事だ。三年間も首席の座を維持し続けてきた勤勉さは本物だ。


 ジェレミーが凡才なのかというと、そうでは無い。公爵位の面子をかけて死に物狂いで勉学に励んできた彼女の魔力は王族の者に匹敵する。それを凌駕りょうがし続けてきた稀有けうの才能を、ここでダメにする訳にはいかなかった。


「でも、本当にどうしたら良いか分からないのです」


 エレーナが、途方に暮れたように呟く。


 その様子は、この娘の為なら何でも協力してあげたくなると思わせる魅惑があった。


「そうですね、前例がないので手探りで摸索していくしか無いのですが、一つアドバイスをするとすれば思考カットの方法ですね。使い魔にあまり知られたくない事柄等を行う時の方法ですが……」

「例えば?」


 いきなり鋭く突っ込まれてサバティーは言葉に詰まる。


「それはその……恋人に会いに行く時とか……」


 サバティーは、しどろもどろに答える。


「セント・ギルガラン騎士学校のスコッド先生ですよね?」

「な、何故知っているのです?」

「ドリーヌが、何度か見かけたそうですよ」


 スコッドとは、サラスナポスの町中で会った事は無い。私的に会うのは、何時もゴズの森にある地下迷宮ダンジョン探索の時に現地で直接会うか、ある場所だけなのだ。あんな場所でドリーヌは何をしているのか……。


 生徒指導の魂がメラメラと燃え上がりかけたが、あの場所での出来事が、おしゃべりなドリーヌに見られていたという事実に、サバティーは顔面を蒼白にさせた。


「その……。何処で会ったかとか詳しく聞いているのかしら……」

「いいえ。でも先生の今の態度から、おおよそ察しはつきます」


 エレーナが眼を輝かせて身を乗り出してくる。どうやら墓穴を掘ったようだった。


「知的でエレガントなサバティー先生と、どちらかというと粗野でがさつな……良いように言っても武骨なスコッド先生では釣り合いが取れないような気がしますが、あんな先生のどこが良いのですか?」


 この発言にはサバティーもカチンときた。


「貴女のように可愛い系の男の子が好みの方には、あの御方の魅力は分かりません」

「わ、私は別に可愛い系が好みでは……」


 あの男の顔が浮かんでくる。確かに可愛い顔立ちで、好みかもしれないという事実に顔が赤らむ。


「あ、あんな男の事なんて、何とも思っていません」


 しばし二人は睨み合う。相反する二人の嗜癖しへきには大きな隔たりがあるようだった。


「話を戻しましょう」

「そうですね……」

「思考カットの方法でしたっけ……?」


 エレーナが頷く。


「まず、意識して別の事を考えようとするのは逆効果です。用事を言い付けたりして遥か遠くに離れさせても駄目です。使い魔には自分の全てをさらけ出し、意思疎通を密にすれば、おのずと察してくれるようになります」

「それ、思考カットの方法になっていませんよ」


 思わず突っ込みを入れてしまう。


「ええ、そうです。そんな方法はありません。最初は、どうにか誤魔化そうと躍起やっきになるものなのですが、これを知らずに煩悶はんもんし続けると、信頼関係を築き上げる支障になるので早めに理解してもらおうと思ったのです」

「相手が高度な知性を持った人間となると、非常に難しいような気がしますが……」

「普通の使い魔でも一緒です。知性もあれば個性もあります。ただ、やはり同じ人間、それも異性となると障害は計り知れないものとなるでしょう。

 私があなたの激憤げきふんに触れると分かっていて『彼氏にすれば』と言ったのは、その為です。貴女なら立派に勇者様を制御、操作していけると私は信じています」


 エレーナは言い返す言葉が見つからず、不承不承頷く。


「相談ならいくらでも乗ります。この苦難を乗り越えた時、必ず貴女は学年首席に返り咲いている事でしょう」


 正直、学年首席なんて、どうでも良いように思えるくらいの厄介事を背負わされた気分だった。

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