第12話 茂上刑事の見解と、推理の過程

茂上刑事の見解と、推理の過程

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 刑事・茂上啓三は釈然としない思いを抱えていた。

 19歳少年の犯行。衝動的に暴力団構成員の末端を一人殺して、近くの山へ運び、埋めた。どうして自分が、算六夜の事件にここまで疑問を持っているのか、うまく説明できないでいた。しかし、茂上自身、その説明できない部分、いわゆる直感を大事にしてここまで自らのキャリアを磨いて来た。どうしてそう思ったのか、その理由を求めて立ち止まるのではなく、ひとまず進みながら、どうしてそう思ったのか、その暗闇の先に進んで行こう、と自分の中で決めていた。

 その暗闇の先に何があるのか、つまりは、どうして算六夜の自供内容、及び事件全体に対して疑問を抱いているのか、具体的な正体を掴むには時間がかかるだろうなと思っていたが、その具体的な正体自体は案外すぐにわかった。

 神宮由岐と、一ノ瀬優貴の存在だ。そもそも、算六夜が警察に出頭した後、被害者の澤村元也についての身辺調査が行われた。とある暴力団が関係している闇金業者の使い走りもしていたようで、一ノ瀬優貴に付きまとっていただろうということが判明する。だろう、というのは直接的な証拠はないが、なかなか信頼性のある状況証拠があったということだ。そして、その状況証拠をもとに、一ノ瀬優貴の身辺調査もされた。調査、とはいっても実際に容疑者は逮捕されて、証拠も見つかっている。そのため、あまり熱心な調査ではなかった。何か怪しい点があれば報告するように、程度のものだった。その一ノ瀬優貴の身辺調査チームに配属したのが、茂上啓三だった。そして茂上は自らが指揮をふるって調査にあたった。その調査の過程で、茂上は一ノ瀬優貴に関するひとつの事実を掴んだ。それが、一ノ瀬優貴は澤村元也に付きまとわれているというものだった。この事実を直接耳にしたのは茂上だった。だからなのかわからないが、妙にこのひとつの事実が身体から離れないのだ。捜査会議では、未だに算六夜と澤村の間に個人的な繋がりがあったとは報告されていない。そして、澤村は神宮由岐に恋をしていて、その神宮由岐に付きまとっている澤村元也を見て疎ましく思い、犯行に及んだのだと言っている。たしかに、おかしくはない。おかしくはないが、自然ではない気がする。不自然、までは言わないまでも、別の、もっと自然な道があるような気がしてならないのだ。

 例えば、これはもちろん例えばの話だが、一ノ瀬優貴が澤村元也に付きまとわれた。おそらく、一ノ瀬優貴の両親の借金絡みの話だろう。どれぐらい酷かったかはわからないが、それなりに酷かったのではないかと思われる。どれほどのものか、どの程度のものだったのかは今となっては想像するしかないわけだが、決して愉快なものではなかったはずだ。大の大人でも闇金融の取り立てによって精神を病んでしまうのだ。どれほどの精神的苦痛が一ノ瀬優貴にあったのか、想像するのもおぞましい。そして、澤村元也がいなくなったことによって、一ノ瀬優貴がどれほど救われたのか。それを考えると、澤村元也に殺意を持っていたのは算六夜ではなく、一ノ瀬優貴なのではないか。そういう結論が容易に出る。しかし、そうなると話に無理が出てくる。澤村元也を一ノ瀬優貴が殺害したとして、どうして算六夜が逮捕されているのか。妄想から一旦目を話し、現実に目向けると、実際に澤村元也を殺したと自白して逮捕されているのは算六夜なのだ。

 一旦、一ノ瀬優貴を澤村元也殺害の犯人と仮定する。

 算六夜は普段、誰とも喋らず、孤立していたという報告が入っている。それは必然であるのかもしれない。彼は皆と年齢が違う。年齢が違うことは確実的な周知ではなかったが、それなりの噂は流れていたという。それは正しい噂ではあったが、周りに壁のひとつやふたつ、自然とできていたのかもしれない。唯一の話し相手が一ノ瀬優貴だったという情報も得ている。しかし、そんな唯一の話し相手だからといって、殺人の罪を被るほど仲が良かったとでも言うのか? それはさすがに無理があるだろう。そんなのは話し相手程度の関係ではなく、ただの宗教だ。教祖の命令に従順に従い、毒を撒き散らすなんて事件もあったが、それは一ノ瀬優貴と算六夜の間には当てはまらないだろう。そのような、一種の異常な関係を臭わすような証拠、証言はなにひとつないし、もし根拠もなくこの話を上司にぶちまけようものなら自分が怒鳴られてしまう。

 さて、話を戻すとそのような、なんというか普通、一般的とは言い難い状況を立証するには何かしらの証拠が必要だ。それが状況証拠であり、物的な証拠であり、証言あり、それはなんでもいい。言いがかりと周りから言われないためには、何はともあれ証拠が必要だ。人を、他人を、自分を納得させるには、証拠が必要なのだ。しかし、その証拠がない。

 その最中、一ノ瀬優貴が学校を休んでいたという情報を得た。学校から訊き出したもので、その情報を得るにも時間がかかった。私立S学園側が情報を出し渋ったのだ。そのあと、1、2日かかったが、なんとか訊き出すことができた。学校の事務が、「理事長の判断がないと、警察といえども個人情報の譲渡の要請に応じることはできない」と言ってきたのだ。もちろん、同じクラスの人物1人から、その日、一ノ瀬優貴は休んでいたという情報を得ていたが、公式的な情報が欲しかった。緘口令が敷かれているのかわからないが、一ノ瀬優貴の出欠情報についてクラスメイトの多くに当たってみたが、誰も教えてくれなかったのだ。たった1人だけ、人目を憚るようにこっそり教えてくれたのだ。その3日後、理事長の決定により、一ノ瀬優貴の出欠記録の公開がなされた。事前に他の生徒から訊き出した情報と合致した。しかし、驚いたのはその休みの日数だった。事件の翌日から、4日間、土日を含めれば、6日間、ほとんど1週間休んでいたのだ。なぜ、こんなに? 一ノ瀬優貴の今までの出欠状況を確認したが、4日以上丸々休んだことは、今の今まで一度もなかった。

 ピーン、と。何かが直感に訴えかけている。その予感を茂上は感じた。いや、これは何も、今までの経験だ、とかそういうことはないだろう。ほとんどの人間が、その予感を感じることができるはずだ。茂上はすぐさま私立S学園の事務室へと向かった。

 私立S学園の事務室は、綺麗さっぱりとしていた。煙草の臭いもしないし、清潔感で満ち溢れている。俺の行っていた高校の事務室はもっと殺伐としていた気がするんだがな、とまったく関係のないことを突然思い出してしまう。

 茂上が入った後、すぐに一人の女性が応対にきた。眼鏡をかけ、20代前半だ、と言われても通じそうな人だった。何度か事務室に来たことがあるが、この女性に応対されるのは初めてだった。

「どうなさいましたか」

「えっと、私こういう者なのですが」

 懐から警察手帳を取り出す。女性は何かを値踏みするかの表情をしながらじっと警察手帳を見た。

「以前、算六夜君の事件について、調べて行く内に、一ノ瀬優貴君の出欠表を見せていただいたのですが、本日はまた別の人物の出欠表を見せていただきたく思いまして」

「大変申し訳ありません。第三者の方に当学園の生徒の個人情報を公開する際は、理事長の許可を取らなくてはならないことになっております。または、裁判所の決定がありましたらそれには従います。えっと、大変失礼ですが、捜査令状か何か、お持ちでしょうか?」

 捜査令状を持っているか、と今までの事務員に聞かれたことはなかったので、少しばかり怯んでしまう。しかし、それを顔に出さないように努めてから、

「いえ、すみませんが、今日は捜査令状は持っていないんです。なので、お手数ですが、理事長に会って直にお話をさせてもらいたいのですが……」

 女性は露骨に表情を歪めた。内心ではどう思っているのか、考えるだけでも恐ろしい。

「……少々お待ちいただけますか」

 そう言うと、女性は奥の方へと引っ込んでいった。おそらく、自分のデスクへ向かったのだろう。女性がデスクで電話をかけているのが見える。理事長に予定を確認しているのだろうか?

 しばらくすると、女性がこちらに戻ってきた。なんとも言えぬ表情をしている。というか、先ほどとあまり変わらない表情だ。

「理事長室へご案内します」

 これまた気持ち悪いぐらい淡々とした口調だ。

 いや、それはどうでもいい。そんなことより、今はどちらかと言うと、理事長が会ってくれるということに茂上は驚いていた。まさか本当に会ってくれるとは。前回は、出かけていて、会うことはおろか、いつに会えるかも約束できないので一ノ瀬優貴の出欠表公開についての返事は追って伝えると跳ね返されたというのに。何か心変わりするような事柄でもあったのだろうか? 頭を巡らせてみたが、特に思い当たることもない。

 事務室を出て、別の校舎へと向かう。少し離れたところに、本校舎があり、その1階にある理事長室へと向かう。

 扉の前に来て、事務員の女性が扉を叩く。

「理事長、お客様です」

「どうぞ」

 深く、ほんの少ししわがれた声が扉の向こうから聞こえてきた。

「失礼します」と言うと、女性が部屋の中に入った。茂上も中に入る。

 理事長室は、落ちついている、と印象を茂上は持った。茶を基調とした壁、机で、調度品のようなものは一切ない。部屋の真ん中には薄茶色のソファがと透明のテーブルがあった。ソファは一気に4人ほど座れそうなほどの大きさだった。

「はじめまして。ささ、お座りください」と言うと、真ん中のソファを手で示した。

 「はぁ、ありがとうございます」と言うと、茂上はソファに座った。ソファは柔らかく、ちょっぴり体が沈みこんだ。

「さてさて、私に何か用がある、とまでは聞いたのですが」

 と言ったところで、先ほどの事務員の女性が紅茶を持ってきた。「あ、どうもすみません」と一言返す。

「ええ。前回は一ノ瀬優貴君の出欠表を見せて頂き、ありがとうございました。それで、ついでと言ってはあれなのですが、神宮由岐さんの出欠表も見せていただきたく……」

「また、ですか」

 溜息混じりの一言だった。

「大変申し訳ありません。これも、捜査の一環でして」

「たしか、逮捕されたのは算君でしたよね?」

 鋭い一言だった。事実確認をしようという一言ではなく、押し付けるような一言だった。

「はい、たしかにその通りです」

「では、なぜ神宮君の出欠表を見せなくてはいけないのでしょう? 前回、そちらの要望に応じたのは、算君が一ノ瀬君の友人であったため、警察が良からぬ勘違いをしないようにと、こちらが配慮したからです。神宮君は残念ながら、算君と何も関係がない。関係がないと判断できますな」

「申し訳ありませんが、関係があるかないかはこちらが判断します」

「……ほう、そう来るかね。こちらとしても、国を相手取って戦うつもりなど毛頭ありません。もちろん、できる限りの捜査協力もさせていただきたい。しかし、それはこちらが納得した上での話となる。それを承知で、こちらの意思を無視して捜査をしたいというなら、捜査令状を持ってくるがいい」

 茂上は心の中で舌打ちをした。捜査令状は取れない。捜査令状と取るためには、神宮由岐が殺人に、もしくは何でもいいから何かしらの犯罪に関わっている証拠を提示し裁判官を納得させなければならないが、今回の案件にはそんな証拠は何ひとつない。それをたしかめるための出欠表の公開を求めているのだ。捜査本部の意向関係なく、自分だけの意思で、だ。それに、前回一ノ瀬優貴の出欠表が取れたのだから、理事長に話が通ればなんとかなるのではないかとどこかで考えていた、というのもある。

「いえね、こちらもただひとりの出欠表を見せていただくためだけに捜査令状をとるってのもなかなかホネなんです。もしかしたら令状を取ったらマスコミだってどっからか聞きつけて騒ぎになるかもしれません。こんなこと言いたかないですがね、これは平和的に物事を進めるための措置なんです。この上さらにマスコミに変な勘繰り入れられて評判は下げたくはないでしょう? それは学校に通う生徒さんのためにもなりません」

「つまり、それは……、こちらを脅している、と。そういうことでしょうかな?」

 ギラリと鋭い一瞥を茂上に向けながら理事長は言った。

「いえいえ、まさかまさか。そんなことはではありません」愛想笑いを満面に浮かべながらやんわりと言った。

「しかし、そういった想いがある、ということだけをお含みいただけるとありがたいです」

「まぁ、いいでしょう。しかし、残念ながら、生徒の個人情報に関わるものは、学校が、つまるところ、私が公開する必要あり、と判断したものをお渡しいたします。または、裁判所から公開する命令が出されたら、こちらももちろん、出さなくてはならなくなるでしょうな」

「では、どうすればあなたを納得させることができるでしょうか」

 臆面なくそう聞いた。中途半端なところではいまさら引けないという思いがあった。

「例えば……彼女が今回の殺人事件に関わっているのでは、と、具体的な物的証拠を示した上で、私に説明をして頂けるならば、出欠表はもちろんのこと、その他捜査に必要な協力をさせていただきます。いや、具体的な物的証拠でなくてもいい。ある程度の、私を納得させられる程度の状況証拠でもあれば、それでもいいです。なんにせよ、このまま何もしない状態で、ポンと、彼女の出欠表をお渡しすることはできない、ということです。我々は、つまりは学校側ということですが、学校側は神宮由岐君は今回の殺人、殺人及びその他以外のどんな犯罪にも手を染めていない、どこにでもいる一般人であるという統一見解を持っているからです。一般人にはプライバシーの権利というものがあります。そもそも、警察が神宮由岐君を犯人だと本当に思うのであれば、証拠を示し、裁判所の許可を取り付けてまたここにくればいい。そうした然るべき流れというものが今の日本には存在するのだから、警察もその流れに従うべきだと思われる」

「では、なぜ一ノ瀬優貴君の出欠表は簡単に渡してくれたのですか」

「ですからね、刑事さん。先ほども言ったじゃないですか」

 ゆったりとした口調で理事長が言う。

「一之瀬優貴君の出欠表に関しては、私の判断で、公開させていただきました。その理由としては、こちらとしても、誰もかれもが警察に疑われてしまうのはよくない。中学ほどひどくはないとは言え、風評被害というのは侮れないものがあります。なので、現場の先生達と意見を交換した結果、一ノ瀬優貴の出欠記録は公開させてもらったのです」

「ですから、そこの部分がよくわからないんです」

「ほう、どこがでしょう?」

「なぜあなたが、いや、学校側が、警察に一ノ瀬君が疑われる、と思われたのですか?」

 と突っ込んでみた。

「不思議なことをおっしゃる。では聞き返すが、なぜ警察側は一ノ瀬優貴君の出欠表などを求めるのでしょうか? 疑ってもいないのに? 間接的にも、直接的にも、彼が何かしら今回の事件に関与しているのではないかと警察が判断したからこそ、彼の出欠表を求めたのではないですか? まぁ、違うなら違うでそれに越したことはありませんがね。現場の先生達から算君と一ノ瀬君はとても仲の良い友達同士であったという報告がありあした。第三者から見て、一ノ瀬君が算君の犯行に、その、加担した可能性がまったくないかと問われれば、それに対して100%あり得ないと断言することは出来ない。だから警察の要請に対応し、一ノ瀬優貴君の出欠記録を公開させていただきました。しかし、神宮由岐君と算君に関してはなんの報告も上がっていない。同じ部活というのは私も存じ上げているがその例の部活は幽霊部活のようなもので、同じ部活の部員だからと言って神宮由岐君が算君に対して何らかの犯行の加担をしたとはとてもじゃないが考えにくいと思っているからです。またそれは、本日に限っての話であって、もう一度今回の要請について現場の先生方との話し合いの機会を持って、検討させていただきます」

 茂上は心の中で万歳をした。ダメだこりゃ。いつものようにやっているだけじゃ、こいつから情報を引き出すことはできそうにない。こいつはどうも警察の取り扱いに慣れているようだ。

「わかりました。では、また何かありましたらよろしくお願いします。突然お邪魔してすみませんでした」

 慇懃そうな態度を見せて、立ちあがる。すると同時に理事長も立ちあがり、

「事件が無事に、そして、速やかに解決されることを願ってやみません。神宮君の出欠表ですが、また他の先生方と協議をしてお渡しするか決めたいと思います。もしよろしければ、刑事さんの携帯の番号を教えてもらいたいのですが」

「はぁ」

 もう一筋の光すら見せないのかと思いきや、こんな提案をしてきた。しかし、茂上もこれが決して良い方向へ繋がっているとは思っていなかった。この男は、おそらく一人で物事を決めるタイプの人間だ。これはただの勘ではあるが、警察に神宮由岐の情報を流さないというのはこの男の中で決定事項なのだろう。それが、現場の人間達を交えた職員会議で覆るとは茂上には到底考えられなかった。しかし、それならば、わざわざこんな連絡先交換なんて要らないはずだ。なぜ、この男は連絡先を交換しようとするのだろうか?

 かと言って、ここで連絡先を教えない訳にもいかない。もっともらしい理由を見つけることができなかった。ここで連絡先を教えなければ、万が一神宮由岐の情報を引き渡す気になった時に教えてくれなくなってしまうかもしれない。そんなかんやで、理事長に携帯電話の番号を教えた。

「ありがとうございます。では、できるだけ早めに連絡をしたいと思います」

 満面の笑みで理事長は返事をした。その笑顔が、茂上には純粋な笑顔には見えなかった。


 その後。

 茂上が退出した後の理事長室で。

 桜井は深い思索に耽っていた。この件は、自分の手に負えないものかもしれない。

 携帯電話を取り出し、ある電話番号を表示させる。

 できればあまり頼りたくない男ではあったが、味方につけてしまえば、これ以上ないほどに頼りになる男ではあった。


「こちら、富樫です」

 電話の向こうの男は、そう言った。

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