第20話 晴れ着目指して階段登り、成れよ大人に!

 ラスボスというものは、建物の最上階にいるものだ。

 そんな安易な理論に任せて、市庁舎内を駆け回っていた、ショートパンツに薄黒ストの女がいた。

 彼女の名は皆様ご存知、本編の主人公、月脚礼賛つきあし らいさん

 この市庁舎を乗っ取って、市政を、県政を、国政すらも我が物にしようと狙うあの脚長町あしながまち町長の居場所を目指し、美脚の戦場を登りつめているものだ。

 ところが彼女の相棒と言える少年、果轟丸はて ごうまるは数メートル先で、倒れ伏している。

 階段踊り場にて片耳押さえてうずくまり、垂れ行く血を眺めるしか出来ない有様だ。

 パートナーの危機を前に、礼賛は轟丸を助けに駆け寄ることが出来なかった。

 この薄黒ストの剣脚は、美しき脚を我らの前に大いに披露することかなわず、階段手すりを遮蔽として、身を隠していたのである。

 何故ならば、それはこの位置関係に理由があると言えよう。


 市庁舎六階の階段で、脚を潜めて様子をうかがうは、月脚礼賛。

 そこより数段登り、果轟丸が苦しむ踊り場を経由して。ぐるりと折り返した先を視線で登って行くと、七階には――。

 晴れ着女と着流し男の、男女二人が虎視眈々と、とおせんぼで待ち構えている。


「参ったもんさね……。年甲斐もなくこんな服を着て、戦場に戻ることになるなんてさ。ねえ、あンた?」


 芳しいほどの色香に風格、共にぷんぷん漂わせ、小粋に着こなす和装の襟からうなじを晒した大人の女。

 堂に入ったピストル捌きで、礼賛に狙いを澄ますその姿は、とてもカタギの者ではない。

 この者、名を、『鬼龍院唐紅きりゅういん からくれない』と言う!


「なぁに言ってんでさぁ、姐さん。似合ってやすぜ、剣脚としての――いや、侠脚きょうきゃくとしての晴れ姿。惚れ直しちまいやす」

「世辞を言ってる場合じゃないよ、マサ」

「その呼ばれ方も、久しぶりでさぁ」


 革ジャン着込んで情報屋として、延山刑事にネタを売りさばいていた、この男。

 今では着流し流し目にて、ドスを片手に臨戦態勢である。

 この者、名を、『若狭わかさマサ』と言う!


「関東小芥子こけし組、元組長。鬼龍院唐紅が、あンたをここから通しゃしないよ! 月脚礼賛!」

「町長と戦う前に、組長のお出ましか……。小芥子こけし組の唐紅と言えば、わたしが無頼の流れ者をやってた時にも聞いた名だ」

「あたいも知ってるよ礼賛、あンたのことは。うちの組のモンと一緒に、あンたを血眼になって探したもんさ」

「そうかい。わたしは『唐紅とはりあうな』って聞かされて、出くわさないように逃げ惑っていたぞ。それが今、ここで……か」

「これも浮世の渡世ってもんさね。渡る世間は脚ばかり、脚擦り合うも他生の縁ってねえ」

「まったく、厄介な中ボスが出てきたもんだ」


 ため息混じりに礼賛が様子をうかがおうとすると、銃声とともに一発二発と、飛び道具が撃ち込まれる。

 顔を出せばそこを狙われ、近づくこともままならず、まるで身動きがとれない格好となってしまった。

 この状況、踊り場を挟んで階段が折り返している関係上、進むのは骨が折れるが、戻ることは容易である。近づきにくいのはどちらも同じ、女組長が急いで追っても、礼賛はその健脚で即座に逃げおおせるだろう。

 しかし、この場を離れて別の道を向かおうにも、轟丸少年は既に踊り場で倒れている。彼を救わねば、これより先の戦いで勝ちを拾うことは難しい。


「どうやったってあの門番の、着物女と着流し男を突破しなきゃ、道はない。それはわかるが、どう攻略したものか……?」


 試しに礼賛、付け焼き刃の手裏剣を投げてみる。先程までタッグで戦っていた、黒タイツ眼鏡女子高生忍者の、見よう見まねである。

 「飛び道具には飛び道具」とばかりに投げつけた、三足千円ソックス手裏剣は、着流し男のドスさばきで簡単に受け流されてしまった。


「残念でやしたね、月脚礼賛。準備して待ち構えていたあっしらを相手にするのは、さぞお辛いはずだ……。わざわざ姐さんを呼び戻してまで、この場に配置した町長。えげつねぇ人だよ、あの人は」

「同情してくれるのか、着流し男? だったらそこを通してくれ」

「……いいでやすよ。ねぇ、姐さん」

「そうだね、マサ。あたいらは所詮時間稼ぎ。時が来れば、別にあンたを通してやったっていいんだよ。ただしそれまでは、嫌って言うほど穴熊戦法で骨の髄まで足止めしてあげる。覚悟しいや!」


 時間稼ぎに付き合わされているであろうことは、月脚礼賛にもわかっていた。

 相手は完全な待ち状態、有利を取っても一切こちらに攻め込んでこないのである。今までの刺脚とは傾向が違う。タイムアップ上等の構えだ。

 足止めをして何の企みがあるのかはわからない。それよりも目下の重大事は、果轟丸の容態であった。顔面蒼白になっている。

 銃撃を受けたとはいえ、当たったのは片耳程度。失血も意識を失うほどのものではない。なのにどうして、ああも轟丸少年は、紅顔を青に染めてしまったのか。


 気にするべき点はもう一つある。あのピストル使いの着物女の、戦いのネタがわからないのだ。

 脚を見せつけてくる剣脚は今までいくらも見てきたが、長い着物の裾で脚線美すら覆い隠したあの女に、不用意に近づこうものなら、どんな方法で切り返してくるか見当がつかない。

 履いているのは足袋である。時折見えるくるぶしは、肌色のようではあった。

 帯から紐から草履から、着衣はいずれも、遠目に見てもわかるほどの一級品。若干、足を開きやすいように仕立てられているようではあるが、だからと言って自慢の美脚エモノを晒す様子もない。


「当然そうした隠しネタまで織り込み済みで、脚を見せずにいるんだろう……。焦らされて飛び込めば思う壺、待ってましたと言わんばかりにぶった切られるのがオチ。とは言えゴーマルの傷も気になる。ネタが割れるまで待っている、余裕もない……」

「オ、オレは見たぜ、礼賛……!」


 声変わりもしていない男の声に驚いて、月脚礼賛は踊り場に視線を戻した。

 苦しそうに片膝ついて立ち上がろうとしている轟丸少年が、そこにいるではないか。


「ゴーマル……! 無理をするな!」

「うるせえっ、良いから聞けよ礼賛……! オレは足手まといになるのは嫌なんだ。役に立つ情報、ちゃんとこの目で見てるんだから……っ!」


 語りを続ける轟丸を見て、着流しのマサは、階段を降りて少年に近づく仕草を一瞬見せた。

 しかし、唐紅の姐さんに制されて、階下への歩みをぴたりと止める。


「言わせてやりな、マサ。元はといえばあんな子供を巻き込んじゃあいけなかったんだ。流れ弾とは言え、あれはあたいのミスだからね」

「へい、姐さん」


 侠客きょうかく侠脚きょうきゃくのやり取りをよそに、果轟丸は礼賛へ、息も絶え絶えに伝えた。

 鍛え上げられたその目で垣間見た、女の着物の下で起きてる秘め事を!


「あのオバハンの銃撃は、フェイクだ、礼賛……! 銃声で注意を引きつけて、その一瞬にすげえスピードで、脚を振るってる……っ! そっから何かが出てるんだ……!」

「なんだと……!」


 衝撃の事実に驚いたのは月脚礼賛である。

 着物姐さんの鬼龍院唐紅も、同時に「なんだと」とつぶやいたが、それはおそらく突然のオバハン扱いが想定外だったのであろう。

 まあそのなんだ、仕方のない歳の差ではあるがナイーブな問題なので、この件は一旦置いておく。


「速すぎて、オレも殆ど見えなかった……けどよ……! 横のオッサンは多分、それを見逃してないんだと……思うぜ……? 足袋もおそらくメイン武器じゃない、オレを撃ちぬいたのは、あの……脚の、下の……何か……!」

「ゴーマル!」


 言いながら果轟丸は、その場に這いつくばった。

 ズルズルと踊り場を這い寄って階段に手をかけ、諦めきれずに上階を目指そうとするも、そこで動きを止めてしまう。


「そこまでわかればもういい、ゴーマル。よくやったぞ、休め!」

「へっ……。休んでらんねえよ、オレはお前を見届けるんだからな、礼賛……!」


 ゼエゼエ息を荒げる轟丸少年を気にかけつつ、しかし礼賛は、今の情報から一つの光明を見出すに至った。

 相手のネタが分かったのである。


「お前のお手柄だ、ゴーマル。見破ったぞ、これはつまり居合抜刀術だ!」


 賢明な諸氏には既に周知のことであろう。鞘に収めた刀を抜き打ち、一の太刀にて勝負を決める、抜刀術。

 またこれも賢明な諸氏には既に周知のことであろう。あえて見せずにいたものが、何かの拍子に白日のもとに晒されることで発動する、チラリズム。

 チラリズムの発祥は、剣劇芝居の大立ち回りで女優の太ももが垣間見えたことに、端を発するという。

 抜刀術とチラリズムはいつの間にやら別個の道を歩み、今ここに集約され、美脚居合として新生したのも自然の成り行きであると言えなくもない。


「言っとくけどね、あンた。それがわかったところで進展はないよ。太刀筋はマサにしか見えないんだ。あたいはこの技ひとつで、極道のおんなにまでなった。この居合はただの大道芸じゃあ、ないんだよ」

「……へい。今じゃあ姐さんの御御足おみあしは、あっしの鍛錬した流し目でしか、見えねえんでさ……」


 鬼龍院元組長の言うことは、もっともであった。

 居合で何かしらの脚を出して技を放っていることはわかったが、それが何なのかまではわからない。

 ピストルがネタ隠しの虚仮威こけおどしに過ぎなかったということは知れても、当たれば動きが封じられるような何かが脚から放たれていることには、変わりはないのだ。

 そしてそれを見届けられるのは、敵方の男のみである。ネタは知れても大ネタがわからぬ。


「……どうですかい、礼賛。お困りでやしょう。あっしにひとつ、提案がありやす」

「何だ? 降伏勧告か、着流し男」

「まさしくその通りでさぁ。これ以上抗うのはやめて、負けを認めたらどうです?」

「ふざけたことを。わたしはこの戦いでロクに傷も負わず、ピンピンしてるんだ。お前たちもわたしの戦う脚が見れずに、もったいないと思っているんだろう?」

「口が減らない子だねこの子は。どきな、マサ。あたいが言ってやるよ」

「おや、今度は元組長のお出ましか。そうやって上の階で入れかわり立ちかわりして気を引いて、わたしを手すりの遮蔽からおびき出す作戦か?」

「お黙り! いいかい、礼賛? どう頑張ったってね、誰も町長には勝てやしないんだ。だったらおとなしくここは引き下がって、その子を助けておやりよ」


 鬼龍院がピストルで指して示すは、倒れたままの果轟丸である。

 寝そべる姿に多少の違和感はあったが、それが一体何なのか、この時点で気づくものは少なかった。


「あたいの一発にやられたその子は、今連れて帰れば助かるんだ。でもこれ以上時間をかけたら、手遅れになるかもしれない。あたいはこう見えて、義理人情の唐紅菩薩からくれないぼさつで通ってる。子供の命は救ってやりたいってえ話だよ」

「はっはっは、菩薩か。間の抜けた冗談だな、極道女?」

「……笑って余裕ぶるのはおよし、小娘! この状況であンたもう、詰んでるんだよ。せめてこれ以上の人死にを出さないようにしなって言ってんのさ。勝てない勝負だと素直に認めて、敗北宣言をすりゃあいいんだ!」

「ほう? これはまた、存外だな。『覚悟しいや』とか言っておきながら、覚悟が足りなかったのはお前のほうだったようだな、唐紅」

「……何だって?」

「とは言っても、まあ、そうだな。わたしだってそんなことは思わなかったさ。わたしにだって、そこまでの覚悟はまだなかった。一番覚悟が出来ていたのが、まさかの“そいつ”だったと言うわけよ!」


 礼賛は憎々しげに、しかし嬉しそうに、ないまぜの思いを込めて快哉を叫んだ。

 この月脚礼賛すらも、気づいたのはつい今し方であり、気づいた時には目を疑った。

 一体、何に気づいたのかといえば。

 倒れてのたうつ果轟丸が、話のさなかに少しずつ階段を這い、機を見て屹立しようとしていたのだ。

 着物女と着流し男がその事実を把握した時には、既に少年は怒りに我が身を奮い立たせ、啖呵を切って突っ込んでいた。


「黙って聞いてりゃ、このやろう……!!」


 真っ先に撃たれてダウンし、足手まといか人質か、礼賛の足枷としての役割を与えられていたかに思えた、果轟丸。

 いいや、違った! かの少年はこの膠着状態を突破する、千載一遇の機会を探っていたのである。

 ふらつく足取りなんのその、死力尽くして大人の階段、段飛ばしにぐんぐん駆け登る。

 戸惑う鬼龍院唐紅。その手のピストルを向けるが轟丸は止まらず、撃つことが出来ない。着物の裾を上げて脚を振るおうにも、そこにも迷いがある。

 用心棒として控えたマサが飛び出して、轟丸少年の両肩をがっしり受け止めることで、この捨て身の体当たりをなんとか終わらせたのであった。

 果轟丸、負傷の身で礼賛よりも一足早く、七階へとご到着である。


「ぼっちゃん……! 何してんだ、いけねえや。そんな体で……!」

「敵を……気遣ってんじゃ、ねえっ……! オッサン……!」

「口が減らねえなあ。いやしかし、ぼっちゃん。今の気迫、良かったぜ。手負いでそこまでやれるとあれば、あっしの舎弟に欲しいぐらいでさあ……!」

「褒めてる場合でも……ねえぞ! オレを……まだ……なめてやがるな……っ」


 そう。

 驚きはしたものの、ここまでだったらただ単に、怪我した子供が無理をして階段を登って行っただけのこと。

 だが、しかして。

 決死の覚悟で敵の懐に飛び込んだ果轟丸は、少年らしい小さく柔軟な体を活かし、着流し男の腕すら抜け出した。

 右手に握るは、ドスである。


「なっ! てめえ、いつの間にりやがった!!」


 そして轟丸、左手でしっかり掴んで全体重をかけたのは、鬼龍院唐紅の着物の腰回りだ。


「およしよこの子は……っ! あたいの服、お離しよ!」


 少年のかましたド根性に、ヤクザものたちの反応すら、一瞬遅れたようである。

 その隙に大見得切って、果轟丸曰く。


「わかってんだよ……。お前ら、オレを狙っちゃいけないんだろ……? 流れ弾はセーフでも、オレを直接やるってのは出来ないルールなんだよな……? オバハンが撃ってこないのも、オッサンがドスで刺して来ないのも、わかってたんだよ、オレは……! ここに今飛び込めるのは、オレ……しか……いねえ……」


 意識を失う轟丸少年。立つことはもう出来ないが、倒れることならまだ出来る。

 ぶっ倒れるついでにドスで着物に切れ込み入れて、自重でビリリと引き裂いた。

 このまま生死の境をさまようか、果轟丸?

 しかもそこは敵陣のど真ん中だ。愛しき剣脚は十数段のきざはしを挟み、近いようで遠くにいる。

 それでも彼女は、笑っている。少年の心意気を前に、高らかに笑っている。


「はっはっはっはっは! わたしがもう詰んでるって、そう言ったな? 着物女!」

「……言ったらどうしたってんだい、礼賛。あたいの一張羅、ガキがこんな傷物にしてくれてさあ……!」

「やれ詰むだの、詰まないのだの、将棋に例えて言うならば。お前の懐に飛び込んだゴーマルは、さしずめ『成り』というところだな。成金の大金星だ!」

「なんとでも……言うがいいさ。これが見えたって、あンたとあたいの距離も立ち位置も変わらない。あンたの不利は何も変わってないさ。この子を毒から早く救ってやらないと、手遅れになるっていうのも、変わってないんだよ」

「いいや、わたしにはもう充分だ。ゴーマルがここまで男を見せたんだ。後はわたしが勝てばいいだけ! 早々に決着をつけるとしようじゃあないか」


 裂け目が入りスリット状になった着物の足元から、開き直ったかのように、腿も脛もさらけ出して見せる、鬼龍院唐紅。

 円熟味を帯びた脚にまとわりつくは、牙剥き毒気を吐きかける、螺旋描いた一匹の大蛇おろちであった。

 次回、剣脚商売。

 対戦者、タトゥータイツ着物姐さん。

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