断髪と朝風呂と着替えと朝食 3

 急に話しかけられた驚きで変な息の吸い方をしてしまい、盛大にむせる。

 げっほげっほ咳き込むのと羞恥で跳ねまわる心臓の所為で、頭がクラクラしてきた。

「大丈夫? 背中擦ろうか?」

「大丈夫です!」

 それでも暖簾の向こう側からのとんでもない提案に無理やり咳を飲み込んで叫び返す。

 こっちは裸なのに何考えてるんだ先輩は。あっ、先輩は昨日まで女子だったから今の俺の身体見ても同性同士ってことになるのか?

 いやいやいや、だからって全裸はダメだろ。見せても上半身までだ。男の胸なら見せてもセーフだろ。あれ? でも今の俺は女子だからアウトになるのか?

 湯船に貼り付いて身体を隠しつつ混乱していると、再び先輩の声が暖簾の向こうから飛んできた。

「ならいいけど。

 そうそう、着替えとタオル借りてきたから脱衣所に入るよ。籠の隣に置いておくからね」

 言いながら入ってきたのか、声が近づいてごそごそと物音が聞こえてくる。

「げほっ、あ、りがとうございます」

 礼を返しながらも歌を聞かれた恥ずかしさで汗が吹き出てきた。

「あああの先輩、今のは夏奈にねだられた歌で決して俺の趣味じゃなくてですね」

「じゃあ外で待ってるよ。朝ごはんがもうすぐ出来るって言われたから一緒に行こう?」

「あっ、はい」

 どもりながらの弁解をあっさり遮られ、俺は拍子抜けしながらも湯船から立ち上がる。すると、ほぼ同時に天井近くにいた水精の姿が消えた。別に見られて困る身体じゃないのに。意外と紳士なのかもしれない。

 先輩が出て行ったのを見計らって暖簾をくぐると、籠の隣に折り畳まれた布の塊が複数置かれていた。

 早速タオルらしき一番大きな白地に紺の線が入った布を手に取って広げるみる。

「まるっ?」

 柔らかい手触りのそれは円形だった。しかも広げてわかったけど中心から放射状に濃紺の糸で複雑な模様が編み込まれていた。

 え、こんなキレイなの使っていいのか?

 躊躇いつつも、そう言えば寝台や床の敷物も円形だったな、と思いながら髪を拭く。吸水性の高いその布で続いて手と足、盛り上がった胸の谷間を拭いていると唐突にある懸念が湧き、俺は慌てて盛り上がりのなくなった足の間に布をあてた。けれど暫くあてがった布に変化はなく、ほっと息を吐く。

 慣れない女子の身体なのにお湯の中で身体を弛緩させてしまったのでお湯が入っていたらどうしよう、と今更ながら不安になったのだけど……不要な心配だったらしい。

 女子の身体の神秘に少し感動しつつ、俺は使い終わった布を肩にかける。

 そして棚に置かれた着替えらしき布の塊を見つめた。


 大きな塊が二つに小さな塊が二つ。


 それらに恐る恐る手を伸ばして、直前で止まってしまう。

「…………」

 大きな白色の布の上に、ちょこんと置かれているこれまた白い小さな布。

 一瞬手ぬぐいに見えた。でも、これがこの世界での下着らしい。思い切って手に取り広げてみる。

 とはいえ、

「わからん」

 パンツのウエスト部分に相当する大きさの輪っかを引っ張るとゴムみたいに伸び縮みする。そんな輪っかから伸びる長方形の長い布はふんどしを連想させた。褌ほど布は長くないけど。

 多分輪っかを履いて腰の位置まで上げて、垂れた布を股間に通して余りを輪っかに挟めばいいんだろう。

 履き方は何となく想像がつく。でも布のある方とない方どっちを前にして履けばいいんだ?

「前でも後ろでも好きな方でいいみたいだよ。トイレ行く時にはスパーンって布を引っ張って輪っかの横に挟んで下半身はオールフリーにするから、前とか後ろとかは好みだってさ」

 俺の困惑を見たかのようにタイミングよく先輩のアドバイスが外から投げかけられて、ビクッと肩が揺れた。

「私もわかんなくて昨夜エラン君に聞いたんだ」

「そ、そうですか」

 女子の先輩が男に下着の質問するのって、セクハラにならないか? あ、今は身体が男だからむしろミアナさんに質問したらセクハラになってしまうのか?

 また頭が混乱しそうになってきたので、とりあえず一度手にしたパンツ(?)を棚に置いてもう一つの小さい布を手に取る。

 と、

「うわっ!?」

 予想もしない感触に思わず取り落としそうになった。何だこれ。布なのにぶにょぶにょしている。

 液体を薄い布で包んだらこの布の触感に近い。いや、熱が出た時に額に貼るシートを巨大化させたらこんな感じか?

 驚きながら手にした布を広げると、短いタンクトップみたいな形状をしていた。胸までしか覆えないくらい短い。しかも背中部分を見ると、ほとんど布がなくて長い紐が両サイドから伸びていた。

 そこへまたも見たかのようなタイミングで先輩の声が暖簾の向こうから投げかけられる。

「ああ、もしかしてミアナさんから借りたブラを手にしたのかな?」

「ブラ!?」

「多分。さっきミアナさんに渡された時そう聞こえたし、この世界でのブラジャーなんじゃない? それ」

「ブラ……」

 まさかブラジャーと名の付くものを身に着ける羽目になるとは。

「つ、着けなきゃダメですかね」

 持っているのが恥ずかしくてブラジャー(?)を乱暴に棚の上に戻しながら問いかける。

 だって、これ、ミアナさんの下着だよな。同性に下着貸すのも嫌がる人はいそうなのに、男の俺に普段使っている下着を履かれたり着けられたりするのは嫌悪感しかないだろう。

 いくら今は女子の身体だからって、何も知らないミアナさんを騙しているようで用意された下着に手を伸ばすのを躊躇ってしまう。 

 けれど、

「さすがに今の依澄君の胸でノーブラはよくないかな。

 それにこの下着とかって未使用のをわざわざ用意してくれたみたいだから、ミアナさんに対して無用な罪悪感を抱かずにすむよ」

 淡々と正論を言われ、更には俺の思考が読まれて。俺の逃げ道は先輩に塞がれてしまう。

「わ、わかりました……」

 先輩に言葉を返し、まずはパンツ(?)に手を伸ばした。

 履いた輪っかから垂れる布を後ろから前に向かって股間に通して、余った布をヘソの下にある輪の部分に挟んだ。

 見た目ほぼ褌、履き心地はほぼパンツという視覚と触覚の齟齬に戸惑いつつも、次の着替えに視線を向ける。肩にかけた布を棚に置くと大きく深呼吸した。

「し、失礼しますっ」

 覚悟を決めて胸への装着を試みる。ブラジャーではなくタンクトップだと思い込みながら頭から被って、両脇から垂れた紐を胸の下に一周させると背中で結ぶ。この辺りの着方は適当だ。そう大きく間違ってはいないと信じたい。

「……冷たくはないけど、変な感じだな」

 胸にあたるぶにょっとした感触に慣れず、思わず両手で胸を押さえてしまう。

「わわっ」

 すると布は素直に胸の形に添って自らの形を変えた。しかもその形状を維持し続けているから、胸が一回り大きくなったような錯覚に陥る。

 同時に、胸を支えられたのか少しだけ肩が楽になった。

「! もしかして」

 期待に近い予想を抱きながら、両手を胸の下に移動させて持ち上げる。すると吸い付くように貼り付いた布が胸を支える。何度か下着の上から胸を揉むようにして馴染ませてから手を離すと、下着は俺の胸を支える状態を維持した。

「おおっ」

 楽だ。ものすごく。

 慣れない胸の重さから解放されて感動すら覚える。しかも試しに軽く飛んだり腕を回したりしたけど、胸を覆う変な感触の布は動きを阻害することもなく胸の揺れも押さえてくれる。

 女性用の下着を着ける恥ずかしさより、着けたことによる快適さが勝った。

 ブラジャーってすごいんだな。

 男のままだったら絶対に抱かない様な感想を胸に秘めながら、残りの着替えを掴む。

 楽になったとはいえ、女子の下着を装着している自分の身体を長々と見る気はない。

 それに結構先輩を待たせてしまった。もしかしたらシンやミアナさんも待たせているのかもしれない。

 着替えの速度を上げる為に、掴んだ布を勢いよく広げる。

「……よかった」

 広げた白色の布の正体は、ゆったりしたズボンとシャツだった。袖口や裾に青い糸で模様が縫い取られており、柔らかい感触で、軽くて、持ち上げただけで着心地の良さを保証してくれる。

 しっかし本当によかった。スカートとかワンピースじゃなかった。

 心も胸も軽くなった俺は、早速ズボンに足を入れた。シャツも頭から被る。多少大きいサイズだったけど着れない事はない。

 ようやく着替えを終えた俺はタオル代わりの布を畳んで持つと、籠を元の場所に戻して外へ通じる暖簾をくぐった。

「すみません。お待たせしました」

「いやいや。そんなに待ってないよ」

 先輩は出入り口のすぐ横の壁に腕を組んで寄り掛かっていた。

 イケメンのみに許される体勢だ。

 髪が短くなっているからか、更に男前度が上がっている。

「どうかした?」

「いえ、何でもないです」

 首を振ると先輩が眉を顰めた。

「こらこら、まだ髪濡れてるぞ」

 首を振った拍子に飛沫を先輩に当ててしまったらしい。

 毛先から滴り落ちる水滴を見咎められて、先輩が持っていたこれまた丸い布が頭に被せられる。

 わっしわっしと髪を掻き回され、思わず「あわわわわ」と声を漏らしてしまう。

「じっ、自分で出来ますから!」

 何とか先輩の手から抜け出す。

 赤くなった顔を隠す為、乱暴に手を動かして髪を拭く。そんな俺の挙動を特に気にせずに、先輩が話しかけてきた。

「じゃあ行こうか。

 朝ごはん、もう用意してくれてるはずだよ」


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