危険はなさそうなので 着替えをします 1

 終った――。


 俺は人生の終了を覚悟した。

 誰だっていきなり見も知らぬ場所で目が覚めて、100を超える得体の知れない光る物体に取り囲まれたら、死を連想するはずだ。

 気が遠くなる俺の耳にきゃわきゃわと笑い声の様な音が何重奏にもなって入ってくる。

「……くん。依澄君」

 そこに耳慣れない先輩の低い声が混ざっているのに気付いて俺は瞬きを繰り返した。密集して壁の様になっている光の玉達から先輩に視線を移すと、こちらを見つめる顔が青褪めている。

「先輩……」

 先輩も怯えている。そう思った。

 ……でも、一瞬だけだ。

 なぜなら、

「ちょっとカバン取ってくるから、そこで待ってて」

 青褪めて見えたのは玉が発する蒼い光の反射によるもので、その表情には動揺も恐怖も微塵もなかったからだ。

「え、ちょっ、先輩。

 この光の玉とか玉とか玉に対するリアクション皆無ですか!?」

 思わず俺は、あちこちにいる光の玉をびしびし指さした。

「ん? ああ。青いね」

 それに合わせて辺りを見回した先輩は「何を当たり前なことを」と言いたげに、きょとんとした顔をする。

「それだけ!?」

「え、他に何かある?」

「襲われる心配とか、食われる心配とか、溶かされる心配とか!」

 体当たりしてくるとか、どこかにでっかい口と鋭い牙があるとか、強酸性で触れた部分を溶かすとか、そういう危険を想像しないのかこの先輩は!

「そんなのないよ、きっと」

 けど、光の玉に対する俺の危惧を先輩は笑いながら否定する。

 また根拠のない楽観的な推測かと思ったら、続いて先輩の口から物騒な言葉が飛び出した。

「そんなこと出来るならとっくに私たちは死んでるって」

「死っ……!?」

 息を飲む俺の目を笑顔のまま見据えて、先輩はそう考える根拠を述べる。

「だって私達はここで気絶してたんだよ?

 無抵抗の敵か餌がいたらさっさと殺すなり食べるなりするはずさ。

 それをしないということは、向こうには私たちを攻撃や捕食する気はないんだよ」

「そ、そうなんですかね」

 確かに先輩の言う事も一理あるかもしれないけど。と、俺の考えが傾きかけたところで先輩の次の言葉がすとんと心に落ちた。

「正直、さっき君が言っていたゲームの怪物のような生命体に囲まれているというより、幼稚園に放り込まれたといった方がしっくりするし」

「……確かに」

 ひっきりなしに響き渡る笑い声も集中して聞いてみると害意を感じない。小さな子供に取り囲まれたらこんな感じかと思うくらいだ。

「少なくともこっちから攻撃しなければ大丈夫だと思う。

 というわけで、まずは着替えだ着替え」

 言いながらぎこちなく立ち上がる先輩。

「はいはい、ちょっとごめんよ」

 右手で謝意を示しながら、光の玉を掻き分けていく。

 言葉が通じたのか先輩が近づいてきたからか、存外素直に壁の様だった蒼い光が左右に別れた。

「動きにくいなぁ」とぼやきながらも、カバンに向かう先輩。スカートだから歩くのに支障はなくとも、ブレザーがきつくて上半身を動かし辛いみたいだ。

 部活の後輩として、先輩が動いているのに自分は座り込んだままなのはまずい、と俺も慌てて膝に力を入れた。

 しかし、

「あっ、俺も手伝いま……っ!?」

 立ち上がりながら先輩にかけた声が途中で裏返る。

 ずるり、とゆるゆるになったズボンが重力に従ってずり落ちた所為だ。


 しかもパンツまで道連れにして。


「ひぎゃっ!?」

 濡れたズボンが足を這うように纏わりつきながらトランクスを道連れにしていく感触の気色悪さに、思わず喉の奥から間抜けな悲鳴が生まれる。太腿、膝、ふくらはぎと曝け出され、濡れた肌を外気に撫でられた。

「依澄君っ?」

「ダメです!」

 慌ててしゃがもうとするが時遅く、俺の声に振り返った先輩と視線が合ってしまう。

「あっ」

「ひっ……」

 そのまま先輩が気まずそうに視線をそらしたのを見て、俺の頭は真っ白になった。


 そのまま、時が止まる。


「……あ、その、俺」

 十数秒後。

 硬直した身体を何とか動かして俺は両手を下半身の前で重ねた。

 下手に動くと足首までずり落ちたズボンで転びそうになるから、内股になるぐらいしか下半身を隠す動作が出来ない。

 まさかここまで身体ウエストにも変化があるとは思ってもいなかった。その衝撃とまだ自分も『見ていない』のにいきなり先輩に『見られた』かもしれない現実に頭がまともに働かない。

 そんな俺に、先輩の優しい声が投げかけられた。

「……大丈夫だよ、無理しなくて。

 私が荷物取ってくるまでそこで待ってなさい。

 ――あと、シャツの裾で見えなかったから安心して」

「はい……」

 恥ずかしさと情けなさで顔が急激に熱くなる。

 だけど、先輩の言葉を信じるなら露出してしまった下半身は見られなかったみたいなので、それだけは不幸中の幸いだった。

 もうそう思うしかない。

 再び先輩がカバンに向かうのを見て、俺はずり落ちたズボンを持ち上げようと視線を下ろす。

 途端、目に入る山脈化した胸。

「なんなんだよ、ホントに……」

 何だか涙がこみあげてくる俺を嘲笑うかのように、ぶかぶかになったブレザーも右肩からずり落ちて、シャツ越しに透ける胸の自己主張を激しくした。



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