第2話 未知との遭遇

 岩肌を伝って、コトリ、コトリという振動が聞こえる。ひづめか何かの頑丈な部位で、硬質な地面を叩く音だ。――どうやら今日の食事は、久しぶりの大物らしい。


 洞窟の外に広がるのは、無人の荒野だ。乾季には動くモノとて何もない、荒涼とした世界。けれども、そんな不毛な大地ですら、探せば何かしらの生物が見つかるのだから不思議なものだ。――まあ、自分もその一匹なのだけど。


 急峻きゅうしゅんな斜面を降れば、やがて干上がった川のほとりに辿り着く。雨季には滔々とうとうと水をたたえる大河も、今はひび割れた河床を晒すばかりだ。


 そこまで出掛けてようやく、飛び地の様に広がる色せた緑が、申しわけ程度に顔を出す。その残り少ない緑を巡って、有象無象うぞうむぞうの輩が、果てぬ争いを繰り返す。――まったくもって、元気なことだ。


 僕にはとても、そんな気力は無い。腹が減ったら、寝ていれば良い。無理に動き回って余計に腹を空かすのは、愚か者のすることだ。眠りながら、雨季が来るのを待てば良い。あるいは、何も知らない哀れな獲物が、罠に掛かるのを待てば良い。


 幸か不幸か、僕が住まう山裾やますその洞穴は、荒野の一等地だ。別段何もしなくても、洞窟の中の湿った空気と涼し気なかおりに誘われて、様々な生物が寄って来る。


 彼らを、待ち伏せて捕食する。暗闇の中に身をひそめ、獲物がもう安全だと気を抜いた瞬間、馳せ掛かって骨まで喰らう。弱った相手を仕留めるには、爪も牙も必要ない。ただ一撃、どこでも良いから傷を負わせて、体液どくを流し込めばそれで良い。


 コトリ、コトリという音が、先程よりもずっと近くで聞こえる。どうも、想像していた以上に大きな生物の様だ。獲物は羊か野山羊、場合によっては牡鹿ほどのサイズかも知れない。


 それにしても、妙だ。近付いて来る足音は、まるで振り子かなにかの様に、よどみなく正確なリズムを刻んでいる。洞窟の暗闇におののきながら進む、四足獣の足音ではない。これは、まるで戦士のような足音。一歩一歩慎重に、周囲の状況を確認しながら、制圧のために近付いて来る強者の足音。


 ――ひょっとして、逃げるべきだろうか?


 いや、相手の姿も見えない内から、弱気になるのはダメだ。第一、狭い洞窟の中だ。逃げ場なんてどこにも無い。隠れてやり過ごせる――とは、思わない方が良いだろう。慎重な相手に対して、不確かな幸運を期待するべきじゃない。


 もし、万が一発見されたら――すぐに、戦おう。この世界に生まれてからこの方、自分以上の強者に出会ったことはない。近付いて来るモノがいったい何なのかは知らないが、たとい戦うことになったとしても、負ける気はしない。


 それに、もし――。負けて自分が喰われたとしても、もう一度、最初からやり直しになるだけのこと。今生こんじょうに未練はないし、今の生活へのこだわりもない。


 要するに、負けて失うものがない。なら、覚悟を決めて戦うことにしよう。この体で過ごすのも、これが最後になるかも知れない。だから、精々この戦いを楽しもう。


 ――そんな決心が固まるのと、足音のぬしがようやく姿を現したのとは、ほぼ同時だった。一枚一枚の大きさが異なる、鱗状うろこじょうの甲殻。身体のほとんどが銀色でおおわれた、左右の形状が異なるいびつな生き物。


 けれども、釣り合いが取れぬその異形を慄然りつぜんとした思いで凝視したのも、ほんの一瞬のこと。僕は、すぐさま敵情の分析に入る。


 侵入者は、頻繁ひんぱんに左右を見渡している。どうやら、視力に頼っている様だ。けれども、僕が隠れている洞窟の天井は、光の当たらぬ死角になっている。視力に頼るだけでは、発見できない。相手は、こちらの存在に気付かない。


 胸が高鳴る。――勝てる。この勝負、確実に僕が先手を取れる。そして、初手さえ決めてしまえば、勝敗は決したも同然だ。


 あと七歩。まだ、この距離ではギリギリ触手が届かない。あと五歩。まだまだ、我慢の為所しどころだ。あと三歩。まだだ、まだ遠い。今仕掛けたら、攻撃する直前を視界に捉えられてしまう。あと二歩、あと一歩。よし、今なら――!!


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