猫で繋がるあちらとこちら

碧希レイン

はじまりは猫

第一話 丸飲みされて異世界へ

 日が翳り始めて、暑さが少した和らいだ夏の夕方。

 陸上部の練習終わりに、冬子に誘われて神社のお祭りに来たはいいけれど……あまりの人混みに眩暈がした。

 普段はお年寄りや猫が日向ぼっこしているだけの、ちょっと寂れた神社なのに。今日は大人も子供もぎゅうぎゅう詰めだ。一体どこからこれだけの人が沸いて出たのやら。


「ねぇ夏海、カキ氷食べようよ!」


 人の多さに圧倒されるわたしを余所に、冬子は意気揚々と境内に足を踏み入れる。ありがた迷惑なことに、がっちりとわたしの腕を掴んで。


「ちょ、待って冬子……!」


 背の高い冬子はまだましだろうけど、わたしの身長だと顔がもろ他人にぶつかる。知らないおじさんやら、香水のきついお姉さんやらに、四方八方からぎゅうぎゅう押されて、息が……苦し、い……!


「あ、焼きそばもいいよね! 部活の後でお腹空いてるし。さっきからお腹なっちゃってさぁ」


 そう言ってのん気に笑う冬子が、ちょっと憎い。呼吸出来るか出来ないかの瀬戸際にいるわたしには、参道の左右に立ち並ぶ出店を見る余裕なんてない!


「――あー生き返る~」


 どうにかこうにかお店に行き着いて手に入れたかき氷を、往来から反れた所で冬子と食べる。冬子はメロンで、わたしはイチゴ味だ。

 赤いシロップがしみた氷が口の中で解けるたび、心地よい甘さと冷たさが広がって……人酔いの気持ち悪さやじめじめした暑さが和らぐ。

 帰りにまた人混みを抜けなきゃいけないことは、今は考えない事にしよう。


「次は何食べる? チョコバナナ? お好み焼き?」


 ばくばくと緑色の氷を食べつつ、冬子があちこちの出店をストローで示す。


「ここから一番近い所」

「えー。夏海は体力ないよね」

「体力の問題じゃなくて、身長の問題。距離が長いほどわたしの生存率が下がる……!」

「大げさだなぁ。まぁ夏海ちっちゃいもんね」

「ちっちゃい言うなっ」


 何さ自分がちょっと背が……だいぶ背が高いからって! いつも高いところの物とって貰ってお世話になっているけども!

 不機嫌な振りで顔を反らすと、冬子は「ごめんごめん」と形だけ謝って、また食べ物の出店を物色し始めた。

 わたしだってお祭りは嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。暗闇に浮かぶ提灯の明かりや、楽しげなお囃子、腹掛けや股引きを着た人たち……ちょっとした非日常に、わくわくする。神社の影や暗闇に、人知れず妖怪が潜んでいるんじゃないか、なんて考えたり。

 ただ、この混雑はいただけない。もう少し人が少ないと良いんだけどなぁ……。溶けた氷をストローで吸いながら、拝殿の方へ顔を向けた時。建物の影に隠れるようにして立つ、男の人が目に入った。

 薄暗いし遠目で顔は良くわからないけど、かがり火に淡く照らし出された金色の髪は目立っている。地毛なのかな? 外国の人? ちょっと癖のある髪は、触ったら柔らかそう。

 思わず見惚れていると、その人がおもむろに視線を動かして――計ったみたいにかちりと、目が合った。


「わっ!?」


 じろじろ見てしまって申し訳ないやら、目が合って恥ずかしいやらで、わたわたしてしまう。


「どうしたの?」

「え。あ、いや。なんでも!」


 慌てるあまり、不審がられてしまったらしい。冬子は納得がいっていない顔をしている。


「何食べるか決まった?」


 話題をそらしつつ、火照った頬を押さえ拝殿の影に視線を戻す。そこに、さっきの金髪の男の人はいなかった。


(残念だなぁ。もうちょっと見ていたかったのに。……って、これじゃわたし、ストーカーみたいじゃない)


 自分は髪フェチではなかったはず。でも、さっきの事がきっかけで目覚めてしまったんだろうか? 髪より手の方が好きだけどな。


「夏海ー、置いていくよー」

「あ、うん。今行く!」


 ぼーっとしているうちに、冬子は人ごみの中へ再突入していた。目的地は斜向かいのたこ焼きのお店かな?

 冬子を追って、急流を渡るような覚悟で足を踏み出す。と、


「な~ぅ」


 足元で、猫の鳴き声がした。


「ん?」


 いつからそこにいたのか、バクみたいな柄をした白黒の猫がちょこんと座って、わたしを見上げている。身体が大きいから大人の猫だと思うけど、首輪はしていない。野良なのかな?

 でもいくら往来から少し離れているとはいえ、この人混みのなかに猫がいるのは危ない。下手をしたら蹴られたり踏まれたりしてしまうだろうし。


「おいで」


 人の少ない所に連れていこうと、身をかがめて猫に手をのばす。


「……あれ?」


 瞬きした合間に、猫が二倍の大きさになっていた。見間違いかと思えども、猫はどんどん巨大化して行き……ついには出店をぷちっと踏み潰せるくらいの大きさになる。


(なにこれ、なにこれ!?)


 有り得ない事が起こっているのに、周りは誰一人騒ぎ出さない。スマホのカメラのシャッター音もしない。それに猫の身体が出店を壊しそうなものだけど、全く被害は出ていなかった。


(もしかして、幽霊!? わたしにしか見えていないの?)


 中腰の状態で遥か上方にある猫の顔を仰ぐけど、もふもふした毛や顎の下が見えるばかり。……しかしこの毛並み、飛びついたらふかふかで気持ち良さそうだな。実は中がバスになってたりして、と、昔見た映画が頭を過った。


「なぁ~う」


 いやに低い声で鳴いた巨大な猫は、口を開けたままわたしに覆いかぶさってくる。

 ちょ、待って! これはまさか、わたしを食べる気じゃ!? 何がどうなっているの、これは夢? 恐い……どうしてこんなことが!?


「冬……っ」


 パニックになりながら、冬子を呼ぼうと振り返った、次の瞬間。目の前が真っ暗になった。全身が生暖かな感触に包まれ、足元で「ばくん」と何かが閉じるような音がする。

 限界を超えたわたしの意識は、まるで強力な掃除機に吸い取られるみたいに、どこかへ奪われていった。


---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---


 ざわざわと誰かの声が聞こえる。

 何を話しているのかまではわからないけど、男の人や女の人の声の他に、犬猫や牛、鶏の鳴き声も混ざっていた。両親の声じゃないし、家に動物はいないから、テレビで動物番組でもやっているんだろう。テレビを付けたまま寝ちゃった事がお母さんにばれたら、また「電気代がもったいない!」って怒られるなぁ。どうかばれませんように。

 とりあえず今が何時なのか確かめようと、夢と現をぼんやり行き来しながら手探りでスマホを探す。


(……ん?)


 手のひらから伝わる感触がいやに冷たい。その上硬い。自分のベッドとも、リビングのソファとも違う触り心地だ。もしかして床で寝てしまったんだろうか。いくら熱帯夜続きだからって、そんな所で寝たいと思った事はないけど。寝相が悪くて落ちたとも思いたくない。

 油断すると閉じてしまいそうな瞼をこじ開けると、曇りの日みたいな弱い光に照らされた土色つちいろの地面が見えた。――土? なんで!?

 眠気は一気に吹き飛んで、視界と頭がクリアになる。勢いよく身体を起こし手のひらを払うと、乾いた土がぱらぱら落ちた。半袖のブラウスや夏用の薄いプリーツスカートも所々汚れてしまっている。

 一体全体、なぜわたしは制服のまま外で寝ているのか。何かやらかしたのか、それとも事件にでも巻き込まれたのか……。寝る前の記憶を思い出せない事に慄きながら顔を上げると、


「おお!」


 周囲で大きなどよめきが起こった。


「え……うわぁ!」


 目の前には、縦方向にハイブリッドされた半魚人や、全身の至るところから大小さまざまな角が生えた人、ゆうに三メートルはありそうな一つ目の巨人、お相撲さんみたいな体型をした二足歩行の牡牛などなど。小説やゲームの中でしかお目にかかったことのない魑魅魍魎が、ずらりと並んでいる。


(なななにこの人たち!?)


 角が生えた人は羽織袴。一つ目の巨人は襟シャツにベストとズボン。犬みたいな耳と鼻をした女の人は藤の花が描かれた小袖と、装いは和洋入り混じっている。人垣の向こうにちらほら見える家も、白い壁に瓦屋根だったり、木造の長屋だったりが多いものの、異人館みたいな西洋風の建物もあった。

 まるで教科書で見た文明開化の頃みたいだけど、ここはどこなんだろう? どうして妖怪みたいな人たちばかりなの? 誰かに聞いてみたいけど……声をかけるのは戸惑われる。なんだかすっごく凝視されているし。見つめられ過ぎて穴が開きそう。


(この中に人間の方はいらっしゃいませんかー?)


 お医者様を探すアナウンスよろしく、心の中で問いかけてみる。でも右を見ても左を見ても、後ろを振り返っても。人間はいない。なかには人間に近い姿形をした人もいたけど、顔がなかったり、よく見ると鱗やエラがあったり、触手めいた尻尾が生えていたりした。

 ふと四面楚歌という言葉が頭に浮かんで、心臓がばくばくとすごいスピードで動き始める。部活で全力疾走した時みたいだ。少し、呼吸がしづらい。

 これはもしかしなくても、ピンチなんじゃ……。


「生身の動く人間なんて、久しぶりに見たぜ。こりゃ是非とも欲しいな」

「ひひ、ニンギョウ屋へ持っていけば高く売れるに違いない」

「食ったら美味そうだなぁ~」

「っ!?」


 あちらこちらで舌なめずりしていそうな発言がされるたび、わたしを囲む人の輪が小さくなる。どこからか唾を飲み込む音まで聞こえてきた。


(売れるとか食べるとか、不穏過ぎる……!)


 冗談じゃない! 食べられてたまるもんですか! と心の中では思っているけど、実際には喉が閉まってしまったみたいに声が出ない。身体もがたがた震えて、歯の根が合わない。


「おい、こいつは俺が食うんだ!」

「馬鹿言うな、こっちが先に見つけたんだぞ!」


 怯えるわたしを余所に、牛頭のお相撲さんと、角だらけの人が揉め始める。それをきっかけに、いろんな所でいさかいが起こった。

 逃げるなら、今だ――!

 言う事を聞かない足を叱責して、よろよろと立ち上がる。補欠とはいえ、これでも陸上部だ。走りには自信がある。走り出してしまえば、きっと大丈夫。逃げきれる! 自分で自分を励まして、上体を屈め、ぐっと地面を蹴った。


「人間が逃げたぞ!」

「この際山分けでもいい、捕まえろ!」


 一つ目の巨人の足元をすり抜け、三六〇度いろんな方向から伸びてくる手やら蹄やらを必死に交わす。制服が破れても、むき出しの腕を引っ掻かれて血が出ても、髪の毛を引っ掴まれても、触手みたいなモノにまとわりつかれそうになっても。足を止めるわけにはいかない。


(いやだいやだいやだ! なんでわたしがこんな目に!)


 恐怖や嫌悪、理不尽さへの怒り、痛みなどで頭のなかはぐちゃぐちゃ。滲んだ涙で目の前がぐにゃりと歪む。


(お父さん、お母さん、冬子……!)


 ぼろぼろになりながらもようやく人垣の終わりが見えて、少しの希望が湧いてくる。が、


「ぶふっ!?」


 目の前が開けたと思った瞬間、緑色の壁にぶち当たった。


「な、なに……」


 思い切りぶつけた鼻を押さえ、壁の正体を辿って行くと――無精ひげを生やした、金髪のおじさんと目があった。緑の壁はどうやら、羽織の間から覗く彼の長着だったらしい。

 歳は三十前半くらいだろうか。少し長めの髪は緩く癖がついていて、目は陽の光が降り注ぐ草原を思わせる綺麗な翠色をしている。彫りが深く目鼻立ちのはっきりした、渋めの大人の男の人だ。外国の俳優さんだと言われても遜色がない。

 ただおじさんとわたしとでは頭一つ分強くらい身長差があるから、見上げていると首の後ろが痛くなる。


「クスリ屋だ!」

「もしかして、あいつの”拾いモノ”か?」

「ちくしょう……あと少しだったってのに!」


 背後で妖怪たちが口々にぼやいている。そこには悔しさや妬みの他に、微かな距離感が含まれているようった。あまりこのおじさんとは関わり合いたくないんだろうか?


(確かにこの風貌でクスリと聞くと、マフィアが思い浮かんじゃうなぁ……)


 透けないサングラスに黒スーツだったら完璧にそっちの人だ。ジュラルミンのケースを持っていたらなおさら完成度が高い。


「――邪魔だ」

「は?」


 わたしを見下ろしていた金髪のおじさんは、眉をしかめ至極面倒臭そうに言った。 冬の早朝なみに冷えた声に思わす呆けた返事をしてしまったせいで、おじさんの顔がますます険しくなる。う、迫力が半端じゃない……!


「邪魔だと言ったのが聞こえなかったか? それとも言葉が通じないのか?」

「いえ、聞こえているし、通じていますけど……」


 もそもそ受け応えると、「なら早くどけ」と言わんばかりに睨まれる。そんなにとげとげしい態度とらなくてもいいのに……。渋くて恰好良い人だな、と思ったのは即刻取り消そう。


「……あいつのじゃねぇのか」


 横にずれようと半歩動いた所で、妖怪の声がした。確信めいたその言葉にぞっと総毛立つ。


(まずい……どうしよう!?)


 人のモノには手を出さないのか、単にクスリ屋であるらしい金髪のおじさんが怖いのかはわからないけど、わたしとこの人とのやり取りを窺う気配を背中にひしひしと感じる。嫌な緊張のせいか、さっきつけられた傷がじくじくと痛んだ。

 藁にも縋る思いで、助けて下さい! とおじさんに目で訴えてみるも、一ミリたりとも視線を合わせてくれない。そりゃ他人であるわたしの事なんて、路傍の石みたいな存在かもしれない。面倒事に巻き込まれたくない気持ちもわかる。でもだからって、まるっと無視しなくたっていいじゃない!


「待って!」


 横を通り過ぎようとしていたおじさんの腕を、がしっと掴む。予想通り氷点下の眼差しに射抜かれたけど、ここで負けたら妖怪に食べられて人生終わっちゃう。これくらい、地理の先生に比べれば……怒鳴って来ないだけましだ!


「たす、たすけて下さい……」

「俺には関係ない」

「そこをなんとか! わたし、本当に困っているんです。ここがどこだかわからないし、なんで自分がこんなところにいるのかも、全然わからなくて」


 不安と心細さからだんだんと声が小さくなる。知らない場所でたった一人になる事が、こんなに怖いなんて知らなかった。

 しばらくわたしを見下ろしていたおじさんは、眉間にしわを寄せたまま腕を引き抜こうとする。必死で縋った希望が、裁たれてしまう。でも、簡単に諦めてたまるもんですか!


「わたしはこの人のものですから! 手を出したらただじゃ済まないですよ!!」


 おじさんの腕に両腕を絡めて、魑魅魍魎たちに高々と宣言する。


「おい、勝手な事を言うな」

「後でいくらでも謝りますから! 今は話を合わせてくださいお願いします神様仏様素敵なおじ様!」


 小声でおじさんとやりとりしつつも、疑いの目を向けてくる妖怪へのアピールは忘れない。ぐっと目元に力を込めて睨みつけているように見せたり、嘘だと悟られないために胸を張ってみたり。

 周囲の反応は半信半疑と言ったところだ。でもとりあえず、この場を凌げればいい。ひどい頭痛でも堪えるみたいにこめかみを押さえて溜息を吐くおじさんには、本当に申し訳ないと思うけど。


「それでは参りましょう、ご主人様」

「……誰が主人だ」


 疲れ切ったふうでもツッコミをいれてくれるあたり、おじさんは悪い人ではないと思う。強引なわたしに対して不機嫌になりはしても、怒鳴ったり手を出したりはしていないし。


(本当にごめんなさい。利用するような真似をしてしまって)


 後でちゃんと謝ろうと心に決めて、おじさんと腕を組んだまま歩き出す。わたしがぴったり身を寄せているせいでおじさんは歩きづらそうだったけど、少しでも離れたらまた妖怪たちの手が伸びてきて、寄ってたかって食べられてしまいそうで……ともすれば震えて崩れ落ちそうになる足を動かすのに、必死だった。

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