太くて長くて薄くて

たなちゅう

デブに告られた

第1話


 一年付き合った彼氏に振られた。

 別れの言葉はありきたりで、心当たりも自覚もある。

 それでも「私たちだけは」と、根拠もなく本気で大丈夫だと思っていた。会えない時間があっても、気持ちが冷めることもない。喧嘩だってしない。

 よく言えば落ち着ける。悪く言えば空気みたい。

 いずれにせよ私には心地が良かった。

 なのに、

「お互い仕事に打ち込もう」

 仕事は好きだ。今やっている仕事(バイトだけど)にも誇りを持っている。

 一生懸命仕事をして、へとへとになって家へ帰る。会えなくてもあいつからの「おつかれ」というメールを見れば疲れなんて一気に吹き飛んだ。

「続いて横ステップいくよー!」

 間接照明のムーディなスタジオに檄が木霊する。

「もういっかいー!」

 リズミカルな音楽が気持ちを煽る。掛け声と共に全身から汗が散り、雑念を振り払う。

 鏡張りの正面を見ると、私と同じ動きをする人の群れが同じように汗を滴らせていた。

「ラストー! もっと大きくー! 一キロカロリーを絞っていくよー!」

 戦場に赴く武士のごとく「おぉぉ!」と雄叫びが飛び交う。

 四〇分の燃焼系のエクササイズ。

 彼氏に振られた翌日も、私はいつもと変わらず汗を流して、働いていた。

 次の日も、その次の日も。

仕事ばっかりしてて振られたのに、もっと仕事に打ち込む。忙しくしていたい。暇になった途端に思い出す。

 休みなんていらない。

 意識の高いことを考えても、残念ながら私の職場は週七で働かせるほどブラックではない。健全に週休が二日もらえる。

 否が応でもこの瞬間が訪れる。

 寂しい。

 せっかくの休日にベッドで仰向けになり、天井を見つめると勝手に涙腺が緩む。どこか遊びにいこうと思うのに、体がなまりみたいに重く感じた。

 ピンポーン。

ささやかながら気を紛らわせてくれる日常。

 どうせ新聞かインターネットの勧誘。アナログだろうがデジタルだろうが興味はない。普段なら絶対に居留守を使うのだが、今は勧誘だろうと気が紛らわせるのであれば何でも良かった。重かった体を起こして階段を降りる。

 せめてイケメンの男性が立っていたら少しは気分も上がるだろう。どうでも良い期待を抱きながら玄関のドアを開ける。

「どなたですか?」

「マチちゃんのことが好きです……。えっと、マチちゃんと付き合いたいな」

 別れの言葉よりも唐突に、出会いの言葉は告げられた。

 玄関の前に立っていたのは確かに男。虫も殺さぬような柔らかな声が私に向けられる。

 細く垂れた目は悪さをしても全てを受け入れてくれそう。張りのある頬がほのかに紅潮し、女の子みたいにふくよかな体をくねらせる。

 ぽんと出たお腹。ジーンズにくっきりとラインが浮き出る太もも。

「なんでお前なのさ……」

 昔から仲は良かった。家にもよくお邪魔して大好きなクロワッサンをおやつに出してもらった。

 久しぶりに実家へ帰ってきたらしい。

 一緒にゲームをするといつも私が負ける。腹いせに外で鬼ごっこをして一生捕まらないように逃げ回った。

 なんだかんだ中・高も同じ学校。

 高校を卒業して腐れ縁は気付かぬまま氷が溶けるみたいに少しずつ、小さく、そして無くなっていった。

 別にそれが悲しいこととも思わなかった。環境が変わって会う機会がなくなった。それだけ。なのに、

「マチちゃんと別々の進路になって気づいたんだ。僕はやっぱりマチちゃんのことが好きだって」

「まず痩せてから出直してこい。デブ」

 私が即答すると「でべだよ~」と目の前の幼じみは情けない声を出して私にすがりついた。

「幼じみだからってワンチャンあると思ったら大間違いだ。私はもう恋人は……」

 言いかけたところで鼻の奥がつんとした。目頭が熱くなり、この一年の思い出が一瞬にして脳内を駆け巡る。

 初めてのデートで映画館にいったこと。暗がりの館内で初めて手をつないだこと。初めて……キスしたこと。

 全て本当に幸せだと思っていた思い出がどうして今頃になって姿を変えるのだろう。

「忘れさせてよ……」

「え……?」

「付き合う。デブと」

 出部はいつもの「でべだよ~」というツッコミも忘れて「ホント?」と目を丸くした。かき消えそうな声で「うん」と答えると、万歳をして喜ぶ。服の上からでも分かる弛んだ二の腕。太い手首。あかちゃんみたいな手のひらがゆさゆさと揺れる。

 やたらと長く感じた冬の終わりを告げ、春一番が玄関先を抜けていく。強風など物ともしない出部の体。

 昔となんら変わらない。子供みたいにはしゃいでいた。見ているだけで我慢ならない。

「じゃあ早速いこ?」

「え? どこに? ひょっとしてもうデート? そんないきなりなんてマチちゃんは大胆だなぁ。僕がドキドキしちゃうよ~」

「ジム」

「へ?」

「私が働いてるフィットネスジム。彼氏がデブとか超恥ずかしい。だからあんたを理想的な男に鍛え上げる。覚悟しておけ」

「え……ええ⁈」

 出部は情けない悲鳴をまだ肌寒い春の空へ響かせた。一秒でも早く過去を良い思い出にしたい。

 自分勝手な一心で私は出部というデブの幼なじみと付き合うことになった。

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