第11話 新堀という男

十二年前のその日は夏だというのに、少しばかり肌寒さを感じる程だった。空には雲が次から次へとわき上がり止め処がなかった。横浜の外れにある早朝の学校は静まり返っていた。時計が六時を指すと守衛は門を開け、一日の始まりを宣言した。門が開いたのと同時に現れたのは二人の男子生徒だった。その少しあとにもう一人男子生徒が登校してきた。それから一時間は数人の先生が裏門から入っただけで人の出入りはなかった。午前七時、朝練で登校してきた女子生徒がいた。彼女はテニス部で近く市の大会に出る為、いつも通り誰よりも早く学校に来たつもりだった。しかし彼女よりも早い登校をした者がいた。それを彼女はこの数分後にまざまざと見せ付けられた。女子生徒は今日の空模様に心なしか不機嫌だった。練習中に雨でも降り出したら髪が濡れるから嫌だな。多分そんなことを考え、空を見上げたのだと思う。しかし次の瞬間、彼女に今まで自分が何を考えていたのかも忘れてしまう程のショッキングな映像が頭上より降って来た。それは屋上から垂れ下がった男子生徒の姿。そして彼の足先からポタポタと落っこちる水滴。突然の出来事に彼女はその場で気を失い、意識を取り戻した保健室では、幽霊を見たと叫び続けていたらしい。

その事件から遡って一週間は、速川征太にとっても高瀬孝次郎にとっても忙しい日々だった。それは彼らの周りで色々な人間模様が次から次へとわき上がっていたから。憎しみだったり、恨みだったり、妬みだったり、悲しみだったり、傷つけだったり、エゴだったり。だから征太は疲れ果てていた。この先どうしていいかもわからない程。そんなとき事件当日の朝に知らない人から言われた一言が彼の体から重荷を取り除いてくれた。正確には顔程度は知っている人物だった。

一週間前、授業中にどうしてもトイレに行きたくなった征太は、先生に許可を得たあとに用を足し教室へと戻ろうとしていた。そのとき下駄箱がある方からゴソゴソという音が聞こえた。遅刻して来た奴だろうとそれほど気に留めなかったのだが、余りにも長く物音が聞こえたから、彼はもしや下駄箱にラブレターでも入れている女子がいるのではないかと、聞き耳を立て、気が付けば音がする方へと歩み寄っていた。恋路の邪魔をするつもりはないのだから、出来るだけ身を低く相手に気付かれないように摺り足で近づいた。すると音がするのが自分たちのクラス辺りだったことに気が付き、妄想が膨らんだ彼はもっと近くまで寄り、そっと覗き込んだ。そこに居たのは、意外にも高瀬の母親だった。親がどうして、何をしているのだろうと興味が沸いたが、自分が彼女に嫌われていることも知っていた彼は、もしや自分の下駄箱に何かしているのではないかと疑った。出て行って注意してやろうとも考えた。それなのに彼女の目が血走り、口元だけが薄気味悪く笑っていたから、彼の体は自由を失ってしまった。結局何も言えないまま、彼女は走り去って行った。怖かった、今から自分の下駄箱を覗くことがどうしようもなく怖かった。それでもゆっくりと下駄箱まで近づくと、左から五番目上から三番目の自分の名前が書かれた下駄箱の扉を恐る恐る開けてみた。そこにあったモノ、それは朝彼が履き換えた黒い革のローファーだけが入っていた。何もされてない、良かったと安堵した瞬間、彼の恐怖は興味へと一変していた。じゃあ高瀬の母親はここで何をしていたのか。誰の下駄箱に何をしたのか。もしかしたら息子に頼まれたラブレターを、もう一度やり直したいとでも書いて亜紗美の所に入れたのか。予感は確信へと変わり、右手は既に彼女のそれを掴んでいた。そして扉をゆっくりと開けてみた。瞬間にした匂いが良いものなのか嫌なものなのかはさておき、そこも彼女が朝履き換えたであろう小さい茶色の革靴があるだけだった。頭を捻った彼が、考えもなく次から次へと下駄箱の扉をパンパンと調べ始めた。勢いよく次から次へと開けた。何か細工をしていてもちょっとやそっとじゃ気が付けない程だった。そんな勢いがピタリと止んだ。それはどこかの扉を開けたときにあり得ないモノが見えた気がしたから。見てはいけないモノ、それが何なのかは分からない。微かに見えただけでも見てはいけないモノだと直感で確信した。怖いモノ見たさが先行した彼はとうとうそれを見つけた。そこに入っていたのは真っ赤な死骸。小動物の死骸。それが入れられた下駄箱の扉に書かれていた名前は、高瀬孝次郎だった。

「どうして?」気分が悪くなった征太はその日、早退した。

次の日通学してきた征太を待ち受けていたのは、昨日孝次郎の下駄箱の中にあったはずの小動物の真っ赤な死骸。それがその日は征太の上履きの上に乗っていた。扉を開けた瞬間に現れた惨状にその場で腰を抜かした。彼は赤く染まった上履きに履き替えることは出来ず、土足のまま教室へと向かった。完全に頭に血がのぼった征太は、教室にあった孝次郎の顔を見つけるなり、殴り掛かった。孝次郎も負けてはおらず、すぐに反撃に出た。お互いが数発殴り合ったところで、周りで最初は煽っていた男子たちが流石に止めに入った。それからだいぶ落ち着きを取り戻したところで、

「やっぱりお前だったんだな」孝次郎が睨んで来た。

「俺じゃない」だか本当のことを言っていても真実は言えないもどかしさを、征太はこの時初めて知った。その悔しさったらなかった。グッと堪える征太、昨日それを入れたのはおまえの母親なんだよ、と心の中だけで何度も叫んだ。モヤモヤしたまま二人の関係は完全に決裂してしまった。

その次の日、和夫は廊下を歩いていた征太の腕をいきなり引っ張った。

「何だよ?」少しばかり強い口調になったことで彼は怯えていた。だから出来るだけ優し目で呼び止めた理由を聞いてみると、

「今日の朝、僕孝次郎に呼び出されて、征太の鞄にこれを入れろって言われたんだけど、どうすればいい?」それを直接本人に聞いてきたことには呆れたが、それ以上に和夫が持っていたビニールに入れられたモノに驚愕した。それは解剖された蛙。彼は言った。

「ねぇ、征太。孝次郎と君はどっちが強いの?僕は強い方の言うことを聞くことにした。だから戦ってみてよ。それでどっちが強いのかを教えて」そのときは無視した。次の休み時間、それは鞄の中に入っていた。一瞬怯んだ彼に歯茎を見せていたのは、勿論孝次郎。その後ろで教室のカーテンに包まって見ていたのが和夫だった。二人を交互に睨め付けると、孝次郎が椅子から立ち上がり近づいてきた。だから征太も立ち向かうと、

「おまえが散々俺にやって来たことだろうが」その言葉に征太はやはり何も言い返せなかった。その時、散々という言葉が征太の頭の中でグルグルと回った。あの母親は我が子に何をしているんだ。それも何度も何度も。青ざめた彼に次に近づいてきたのは和夫だった。

「孝次郎の方が強いんだね。だから僕は孝次郎の言うことを聞くよ。これから僕が君にすることに、文句があるときは孝次郎に勝ってからにしてよね」全く勝手なことを言う奴だとは、そのときの征太に考える余裕などなかった。 

次の日は孝次郎の目に余る行動はなかったが、ロッカーに入れたはずの体操着袋がなくなっていた。だからホームルームで叫んだ。僕の体操着袋を返して下さいと。犯人はわかっていた。一日中ずっと僕のことを見ていた奴。一秒として心が休まることはなかった。そして体操着袋だけを取った彼の真意がわからず、これから何をしようとしているのか恐れた。その恐怖を少しでもみんなと分かち合いたくて、征太はホームルームでなくなったことを訴えたのだ。

次の日に、それは度を超えていた。力なく登校した征太の前に待っていたモノ、机の上に置かれた段ボール箱。恐る恐るそれを開けた。嫌だったから顔は出来るだけそむけた。それでも箱の中の白いビニール袋が赤くなっていてその中に入っていたのが猫の生首だと確認してしまった。言葉などでなかった。周りで誰かが見ているかも確認することも出来なかった。まだ夏なのにブルブルと震えた。周りの誰もが見て見ぬふりだったから、仕方なく彼は箱ごと校舎の裏庭へと埋めた。呪わないでねと祈りながら。一人手を合わせていたら、涙が流れ出し止めることが出来なかった。放課後、忘れ物をしてしまった征太は恐る恐る教室を覗いた。もう誰もいなかったが、カーテンが閉められていて、教室内は薄暗かった。不安に駆られ、急いで忘れたモノを机から取り出すと、ふと一点で目が止まった。それは白いカーテンの隙間から僅かに見えた赤いモノ。それが何なのか知りたくはなかったのに、気が付くと窓の近くに立っていた。カーテンに隠れて室内からはほとんど見えなかったもの、それは真っ赤な生き物。それは鍵を掛けられ閉じ込められた状態で何故か全裸で、全身を真っ赤に塗られて立っていた。顔まで真っ赤に塗られていた。もう何が何だか意味がわからなかった。征太を見付けた途端、泣き出した高田が、

「どうにかしてよ、助けてよ、征太。僕もう耐えられない。あの男をやっつけてくれたら、僕、一生征太のしもべになるから。だからお願いだよ、征太しかいないんだ」彼の駆除を懇願してきた。

次の日は土曜日だったが、征太は息子にあんなことをした母親の心理を知りたいという衝動に駆られ、高瀬家の近くまで来ていた。次の角を曲がれば、鬱蒼とした木々が生い茂っている家があり、それがあの親子の家だ。もしかしたら木が鬱蒼となどしていなかったかもしれない。高瀬親子に対する恐怖が、家やその周辺までも恐ろしいモノに見えてしまっていたのだろう。角を曲がりいよいよだというときに多分あった鬱蒼とした木々の間から人影が出てきた。ビクッとして体を出来るだけ壁に擦り当てた。しかしそれは孝次郎の弟だった。

「行ってきます」脳天気にも感じた彼の行動に、今彼の家で起こっている現実を知らしめたかった。それから少しだけ壁と同化した。その日は空一面真っ白で、日が当らないから影が飛び出てたりしないから隠れるには丁度いい気がした。心を決める為に深呼吸を数回してから、彼は鬱蒼とした木々の間から中を覗いた。すると運が良いのか、孝次郎の母親が一人外で何かをしていた。今は確かに中華料理屋は営業時間ではなかったが。彼女がそこに居ることが丁度いいのに怖かった。今しかないと思いながらも、今回も足がピクリとも動かなくなった。それは孝次郎の母親の見開いた目がギラギラと光っていたから、半開きの口が裂けんばかり釣り上がっていたから。それをまざまざと見せ付けられ彼は固まってしまった。彼女がそこで何をしているのかはわからなかったが、知りたくもなかった。やはり何も聞かずに戻ろうと目を彼女から外し、体を反転させようとしたとき、感じた気配が真横にあった。ギラギラの目が、裂けんばかりに釣りあがった口が、逃がさないといった表情でニンマリと。次の瞬間、目の前が暗くなり何も見えなくなった。彼は顔に何かを被せられていたのだ。そして暗闇の中ただクスクスと笑い声のようなモノが聞こえたあとに、生温かな息が耳元に微かに掛かった。

「大丈夫だよ。あなたのこと世界で一番愛しているから。だから今は我慢して。いつか私があなたを助けるから」その言葉の真意はわからなくても、何も見えない世界に、微かな温かみに、何より理解出来ない状況が彼を窮地へと追い込み、それが体全体に震えとなって現れた。そして首に感じた圧迫感、彼女は間違いなく首を絞めていることを彼は悟ったが、息苦しくても彼女に殺す気はないことはわかった。彼が布の袋を外すことが出来た時には、すでに征太の前に人一人の姿もなくなっていた。そして彼女がたった今征太に被せてきた袋こそ、二日前になくなった征太の体操着袋だった。

そんなことで日曜日は家から一歩も出なかった。それは孝次郎にも咲枝にも会いたくなかったから、怖かったから。明日も学校に行くことが怖くて、一日命が伸びただけで結局生きた心地がしなかった。月曜日に何をされるのか、このまま行ったらもしかしたら殺されるんじゃないだろうか。そんな恐怖を感じる程、征太の精神は不安定だった。昼間から家は彼一人だった。だから久しぶりに居間でのんびりしていた。勿論心の中はそうはいかなかったが。極力何も考えないように努め、テレビに集中した。それでも集中力は散漫で、部屋中を見渡していた。そして彼の目は箪笥で止まった。その中にあるであろう預金通帳数冊を持って旅に出ようと考えた。本気だったかは定かではないが、無性に箪笥の、観音開きの扉を開けたくなった。開けてみるとカネや通帳みたいなものは見つからず、代わりに母親の仕事の資料が雪崩のように彼の前に崩れて来た。

「整理しろよ」ブツブツ言いながらそれを重ねていった。その中にあったある名前で征太は止まった。そこに書かれていたのは高瀬孝次郎、そして咲枝だった。取り憑いたようにその紙に見入る征太が、ある事実を突き止めた。

「三日前だったんじゃん。孝次郎の保険の免責期間。つまりアイツが自殺すればあの母親には五千万円のカネが無条件で転がり込んでくるのか」これだ、だからあの人は、実の子を陰険に虐めていたんだ。そのことに気が付いた征太がほくそ笑んだ。夜もだいぶ更けた時刻。インターフォンが煩いぐらいに家中に鳴り響いた。母親は飲みにでも行っているらしくまだ帰っておらず、家には相変わらず彼しかいなかった。一瞬過ぎった不安。だから彼は玄関前で少し様子を見ることにした。出来ることならこのままいなくなって欲しいとも願ったが、インターフォンは止まなかった。しかしそのあとに、

「征太君」微かに聞こえた愛おしい声に彼は玄関の鍵を開け、ドアを開けた。そこには亜紗美が立っていた。

「どうしたの?」微かに香ったシャンプーの匂いに思春期の男は少し興奮を覚えたが、真剣な面持ちの彼女の顔に、不純な考えを持った自分を恥じた。すると彼女は少し云い辛そうに話し始めた。

「ごめんね。こんな遅くに。相談したいのは孝次郎君のことなんだけど、もう私たちの関係終わったはずなのに毎日話し掛けて来るし、毎晩ポケベル送って来るの。それも私が返事するまで、何度も何度も送って来るの。それがどんどんエスカレートしている気がして、怖いの。ごめんね、変なこと相談して、でも征太君にしかこんなこと話せなくて。もう我慢出来ない。怖いの、どうにかして!」そして彼女は走って帰って行った。その晩は眠ることが出来なかった。夜遅くにどうやら母親は帰って来たようだった。顔を合わせたわけじゃない。彼女なりのアピールをして来たのだ。征太には五つ上に姉がいるが、既に家を出ていて一人暮らしだった。父は離婚してもうこの家には居ない。母と二人きりの今の家は、お互いが干渉しないから結構居心地は良いが、週に一度ほどある何処からか聞こえる喘ぎ声だけは、耳に残って離れないから嫌だった。そしてその眠れない夜が丁度その日だった。布団をいくら被っても汗ばかりが溢れ出て、声が聞こえなくなることはなく、寧ろ真っ暗な布団の中でその声だけが大音量で響いていた。耳に何を詰めても耳鳴りのように声が止むことはなかった。

そしてあの日はやって来た。その日の朝は早く起き上がった。早くと言うよりも一睡もしてはいないのだが。いつものように母親と顔も合わせることなく、学校に向かう為に一階の玄関を目指した。そこには母よりも若い、存在だけは知っていた見知らぬ男が立っていた。夏だというのに黒いスーツで立っていた。言葉を持たない征太の代わりに、

「おはよう」彼の方から話し掛けてきた。悪びれた素振りなど微塵も感じさせなかった。それから彼は、チンプンカンプンなことを口にした。

「おまえはこの家の子じゃない。でもそんなことはどうでもいい。ただ人生はやった者勝ちだってことだ」それから彼は家を出たところで煙草を吸った。そして聞いてきた。

「吸うんだろ?」だから頷くと箱ごとくれた。その言葉に、大人なのに何の責任感も感じない男の煙草を吸う姿に、あれだけ嫌だった学校に行くことが、どうでもいいことのように感じた。そして朝知らない男が家に上がり込んでいたことをありありと見せ付けられた。それがどんなに凄いことだとしても、この一週間が彼には悪夢過ぎて、少し笑えるぐらいのことにしか感じなかった。“やった者勝ち”この言葉を頭の中で呪文のように唱えた。時刻は朝の六時。登校にはだいぶ早かったが、彼は悪魔が待ち受ける学校へと向かった。その時間に高瀬は高田を虐めることを知っていたから。

彼の中に二重螺旋トリックなどというオコガマシイ思い付きはなかった。今の状況から救われたい一心だった。勿論友人も彼女も救ってやりたいとも考えてはいた。ただ孝次郎の保険の件は好都合だとは思っていた。今彼が死んでも、自殺を装えばいい、それが駄目でも五千万もの保険金に警察は飛び付く。だから彼は実行に移す決意をした。孝次郎に殺られる前に、咲枝に殺られる前に、こっちから殺るしかないのだと。


佐久亜紗美が殺された事件が解決して間もなく、三ヶ月前に自宅近くの池から遺体で見つかった高橋司ちゃんの胃から、スナック菓子が検出されていたのだが、それが気が動転していた母親の勘違いで、司ちゃんはその日、スナック菓子を食べていなかったことが判明した。勿論彼が自らお金を出してそれを買い求めたことは考え辛かった。つまり、母親ではない第三者が司ちゃんにそれを食べさせ、巧みに家から誘い出したのではないかという仮説が挙がった。一度は事故としてほとんど捜査が打ち切られていた事件が、誘拐殺人という最も卑劣なモノへと変貌を遂げたことで、警察ばかりかマスコミがそして民衆が、その経緯を固唾を呑んで見守った。それから二ヶ月後、一度は民衆の後押しで捜査に熱が入っていた警察も何時からかそんな熱も冷め、捜査員は懸命に動き回っても余力で捜査が続いている感が否めなくなり出した頃、事件は思わぬところから綻び始めた。それは司ちゃんが住んでいた隣近所の燃えないゴミの収集日、午前七時に近所に住む飯塚多恵、七十二歳はいつものように出されたゴミの周りの履き掃除をしていた。今日は生ゴミじゃないんだからやる必要はないと近所の人たちに囁かれながらも彼女はホウキを履き続けた。そんな中、多分昨夜遅くに出されたであろう一番奥の袋に何か焦げたような物体を見つけた。実は彼女は掃除を装い、きちんと分別が守られているかを確かめる為、周りに誰もいなくなったことを確認しては中身のチェックをしていたのだ。

「今日は燃えないゴミの日よね。燃えたゴミ出してどうするのよ」ブツブツ言いながら彼女はその黒いモノをビニール袋から取り出した。そこへ丁度ゴミ収集車はやって来た。

「何時もごく労様です」彼女は丁寧に挨拶を済ませると、さっきのひとり言をゴミをトラックの荷台へと積んでいる男性に訴えた。最初は彼自身半分を聞き逃がしていたが、それが真っ黒に焦げた小さな靴だったことで不気味さを覚えた。そこに遅れてゴミを持ってきた同じ近所の小川康代、五十五歳がゴミ収集の男性が持っていた靴を見て疑問を感じた。

「その靴何故燃されているの?」首を傾げる二人。それから彼女は、

「あっ」あることを思い出したのだ。

「隣近所の男の子が誘拐されて殺された事件、そういえば池から上がった子供の靴が一足だけ見つからないってテレビで騒いでたわよ。でもまさか、その靴じゃないでしょうけど」誰だって、自分が買った宝くじが当たらないと思っているのと同様に、自分の周りではそんな驚きの出来事が起こるなどと考えてはいない。それでも警察へは通報を入れておいた。それが何と五ヶ月前に誘拐され殺された高橋司ちゃんがいなくなる前に履いていた靴だと判明したのだ。すぐにその靴が入れられていたゴミから近所に住む小出弘、六十六歳の家から出されたモノだと判明した。警察はすぐに家宅捜索を敢行した。弘やその妻、美代は呆気にとられた表情を浮かべていたが、その家で同居していた長男・小出卓也、三十四歳の部屋から大量の幼児の靴や服が見つかったことで彼はその場で緊急逮捕された。男は司ちゃんの遺体が上がってから靴の処分にずっと困り果て考えた挙句燃やしてから捨てる方法を思い付いたと供述した。また司ちゃんの誘拐致死に関して、高橋家が引っ越しをして来た当初から目を付けていたこと。母親が目を離した隙にたくさんのお菓子で誘い出したこと。自分の両親が留守であることをいいことに証拠が残らない程度に悪戯をしたこと。しかし騒ぎ出したので、誰にもこのことを言わないことを条件にお家に帰してあげるからと司ちゃんと約束を交わしたのだが、事件発覚を恐れた卓也はみんなが寝静まるまで司ちゃんを監禁し、夜中に彼を連れ出し近所の公園へと行くと、池の畔で早くお家に帰してと懇願する司ちゃんの顔を池の水へと突っ込み、そのまま致死させたこと、全てを自供した。とっくに捜査からは外されていた真木野だったが、この事件の経過には目を見張っていた。事件の解決で彼は二つの思いを感じていた。一つは司ちゃんが生き返ることはなくても、犯人が捕まったことで、あの母親が少しは元気になれただろうこと。そして新堀の忠告通り、司法解剖の結果をもう一度検証し直したことでこの凶悪事件が明るみに出たこと。全てを知って彼は凍り付いていた、それは新堀が言った通りだったから。


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