第003話 02月17日(水曜日)「使い魔、欲しいなー」

――座標軸・風見ナミ


 登校の前に、ナミは神矢邸へと顔を出した。


 既に、神矢家の家族3人は自宅に戻ってきていた。

 玄関先で神矢老人の妻であるリサの無事を見て、ナミは瞳に安堵の色を浮かべる。リサは姿勢もしゃんとしており、声もいつも通りの朗らかさだ。彼女も息子の悟朗も、現時点で何の不自由も無く、また後遺症の可能性もまず問題ないという。朝から女二人、無事の再会に声を弾ませた。

 尤も、息子の悟朗の方は、今日は大事を取って学校を休むということだ。どうやらまだ寝ているらしい。神矢家の人びとの無事を確かめると、ナミはリサへの簡単な挨拶だけで神矢家を後にした。


 学校へと向かう彼女は一人、長い坂道を上っていく。ふと、彼女は坂の下へと振り返った。もう少しでバス道へ合流するという場所まで道を上ってくると、西乃市の市街地が一望できる。彼女の青の瞳へ、その街が広く映し出されていた。

 ああ、昨日はあの街をあっちこっちと移動したんだっけ。まったく。優秀な使い魔が一体でもあれば、あんなに苦労をすることなかったのに。そろそろわたしも使い魔をキチンと準備しないといけないな。

 風景を見下ろしながら、彼女は昨日の己の行動をあれこれと思い出す。

「あー、使い魔、欲しいなー」

 気がつくとそう、小さく呟いていた。


 彼女のその願望は、ここ2、3年ほど、機会があれば思うことではあった。そして昨日の出来事は、その願望を更に大きく刺激したとも言える。

 使い魔さえいれば。昨日のように、誰かを探したり、あるいは完全に自分の助手のようなことをやらせたり、といったこともできる。


 ある程度の力を蓄えた魔力持ちは、大抵の場合、それぞれの力に応じた使い魔を使役する。力量のある魔力持ちであれば、カエルや猫といった生きものを。そこまで力を割く余裕のない者は、人形や小物といった無機物に力を込めて、それぞれ適度に使役する。

 魔力持ちの中では、それこそ10歳に満たない内からそうした使い魔を使いこなす者もいると、彼女は仲間の魔女から聞いていた。そして彼女自身の単純な魔力を考えれば、小動物くらいの使い魔を持つことはそう難しいことではない。人形のような無機物であれば、尚更だ。

 実際に、彼女の保護者衆の3人、内2人の魔力持ちは、いずれも当然のように使い魔を使役している。

 彼女が親しみを込めて思い浮かべる北の魔女は、小動物の使役ならお手のものだ。以前、北の魔女のコミュニティを訪問した際に見た愛らしい猫たちは、自らの意志を持ちながらも、呪文に従い、魔女の為に働いていた。14歳と11カ月の少女らしい単純さでもって、先ずはその見た目から、姉魔女あねまじょの魔法行使の巧みさに、彼女はうっとりと憧れる。

 それに北の魔女の魔力量からすると、それこそ人間を使役してもお釣りがくるだろう。

 とはいっても、この「人権」という単語の浸透した21世紀の和国で、「ヒト」を使い魔として使役するなど、冗談以外ではまずあり得ないこと。そんなことが当たり前になされていたのは、遠い昔、もう1世紀以上も前の話だ。

 もう一人の保護者役で魔力持ちの男は、その逆だ。よく顔を合わせる割には、基本的に双方ともどもウマが合わないことこの上ない。彼は、当人に似つかわしい無機物ばかりを効率良く使い回す。まさに、北の魔女とは対照的な使い手だ。この男も、確かに「男」というカテゴリーにしてみれば魔力は大きい方なのだが、所詮男は男。姐さまのあの見事な使役の様子とは比べようもないくらい、実務的で楽しみに欠ける使い方をしている。そう、彼女は判断を下している。

 残る一人の保護者的立場の者は神矢老人だが、彼は魔力無しなので、その頭数には入らない。入らないのだが、その神矢老人もまた多くの門下生に慕われており、ナミの目からはそれらの門下生をまるで使い魔のように酷使しているなあ、と思うこともしばしばだ。しかも門下生たちは、喜んで、進んで、老人の為に使役を買って出ている。あの老人は、魔力持ちではないというのに、拳道の力と長い人生で培ってきた人望でそれに近いことを行い、相応の目標達成を成し得てしまう希有な存在だ。

 とはいえ。これまでの彼女はというと、そうした習慣を持たなかったこと、また自分のことは自分で、という性格も手伝って、門柱の見張り程度を除いて使い魔やそれに類する魔力的な使役は殆どしてこなかった。

 そんな彼女とて、例外的にごく短期間だが無機質の使い魔を使っていた時期もあった。けれどもそれは結局、一時的な使役で終わった。きちんと継続使用をしていると言えるのは、玄関その他、監視用の簡単な置物くらいだ。

 けれども。一人前となるならば、魔女としてステップアップの頃合いでもあるだろう。

「あー、使い魔、欲しいなー」

 もう一度、小さく、口に出して言う。

 もう、次のステップに進もう。そう、彼女は自分に向けて強く言ってみる。自分の魔力量ならもう問題はない。あとは継続使用に足るきちんとした目的と、それにぴったりの適切な個体が必要だ。

「可愛くって素敵な、小さい猫とかいいなあ。お試しに、小さなトカゲでもいいなあ。イグアナとかカメでも、カッコいいかも」

 自身も気づかぬままに、己の子どもっぽい願望を、彼女はそのまま口にする。その音を耳にして、独り言が多いという自分の癖を改めて意識し、彼女は慌てて口を噤んだ。

 そして再び、彼女は思考を使い魔の使役へと戻す。

 聞いた話によると、爬虫類の方が何かと応用が利いていいらしいのだが、哺乳類の可愛さも捨てがたい。だが、扱いは遥かに大変だ。それに爬虫類であれ哺乳類であれ、飼育の手間もある。それこそどうせなら、鳥類はどうだろう。うむ、そっちも管理や飼育が大変だ。どうせ同じ大変さを経験するならば、やっぱり爬虫類か。あれはあれで慣れれば可愛いものなのだし……因みに、魔女としての嗜みで、彼女は家の小さな庭の一角に畳一畳程の小さな薬草畑を持っている。だから彼女は、害虫を食べてくれる爬虫類については、そのデザインはもとより機能的な面においても贔屓があった。

 そうやって彼女が一人で脳内の願望をあれこれと篩にかけていると。

「カザミン! ねえ、カザミンってば!」

 振り返ると、そこにはいつものようにほんわかとした笑顔を浮かべたサエちゃんが、学生鞄を両手に持ってナミとの距離を詰めてくる。

「ああ、サエちゃん、ごめん。おはよう」

「うん、おはよう。私、3回もカザミンのことを呼んだわよ」

 いつ聞こえるのよ、まったく。メガネの奥でその癒し系の瞳を細める可愛い友人の顔は、怒っているのではなくただ呆れているだけだ。

「そんなことだから、お間抜けなドジ踏むんだよ。カザミンは」

 普段はしっかりしてるのに、どうしてこう時折間が抜けてるんだろ。呆れた声色でそう続ける彼女は、しかしそれを咎める様子は皆無だ。

「サエちゃんのように冴えた女にならないといけないわね、わたし」

 と返すナミの逆の隣に、もう一人の少女がやってきていた。

「まー、あんたは口さえ開かなきゃ、そこそこいいとこのお嬢さんで通るんだから、いいんじゃない?」

 そんな失礼な物言いで、3人めの少女、カヤちゃんも合流する。

「あ、おはよう。カヤちゃん」

「うん、おはよう。サエちゃん、カザミン」

「おはよう」

 そうして、仲の良い3人の少女たちは、それぞれの笑顔を寄せ合いながら、楽しげに校門をくぐっていった。




――座標軸:風見ナミ


 授業中は授業に集中し、また休み時間には友だちとの語らいを楽しむ。時間はあっという間に経過して、学校からの帰り道、友人2人と手を振って別れると、いつもの下り坂にさしかかる。坂をのんびりと下りながら、彼女は昨日の外国人のことをふと思い出した。

 あの、真面目で律儀そうな男のことだ。チャンバラをリアルで体験できるものと、張り切って道場へとやってくることだろう。


 同時に彼女は、昨日の探索劇を思い出す。「ああ、やっぱり使い魔、いた方がいいな」と朝と同じ空想が彼女の頭を過る。そして朝の続きのように、他の主だった魔力持ち仲間の使い魔がどんなもか、彼女は指折りながら数えていった。

 同族の親しい仲間の中では一番気を使わなくて済む、カッコつけの須田のあんちゃん。コイツはどういうことかナミと志向が似て、使い魔を使役するといったことを、あまりよしとしない性格でもある。だからだろうか、彼が使い魔を使役しているところを見ることは殆ど無い。基本は器用な人間だから、きっとそれなりにこなすのではあろうが。

 加えてその女房の橘ハルカは、彼を上回る大きな魔力の持ち主だ。

 この夫婦コンビにかかれば、大掛かりな使い魔の使役は必要無い程である。もちろんそれは、2人揃って大雑把過ぎる性格である、という前提もあるのだが。日常的には、せいぜいがナミと同様に、玄関やその周囲に監視用の無機物を置いている程度ではなかろうか。

 そして。今日会うであろうあの「剣士」は……

「ダメだ。ソージ先生のことは、よく解んないや」

 そう。よく解らない。

 神矢の道場を週に半分借りて、剣道を通して周囲に笑顔を、地域の女性には昼メロ並みのよろめきをもたらすあの美男子は、本当によく解らない存在だ。

 須田と同様、女好きという共通項がある魔力持ちではあるのだが、何かしらナミと共通項目の多い須田とは違い、あまりにも方向性が違い過ぎるのだ。

「というか、あの女誑し、魔力どころか女からの情報網で、充分、魔力に匹敵する探索機能を得てるんじゃないの?」

 思わず、最後の考えをそのまま音にしてしまい、ナミは慌てて周囲を見渡す。大丈夫、誰も気に止めてはいない。近くに人は歩いていない。独り言の多い自分に改めて内心で駄目出しをして、彼女は肩を竦める。


 ソージ先生の通り名は「沖田ソージ」である。勿論、真名ではない。

 このふざけた通称は、親による命名ではなく、物心付いた頃の自身による選択の結果らしい。通り名で過ごすこと、それは魔力持ちの文化としては当然の義務なのだから、そうした選択もあることだろう。とはいえ、ここまでふざけた通称ともなると、もはやお笑い芸人の芸名の名付けの感覚に近い。

 そんな訳で、沖田ソージは、彼女の知る限り魔力持ちの男としてもかなりの変わり者だと言うことができる。

 昨日、彼女が一晩の宿を貸したあの外国人に、この魔力持ちとしては一風変わった男を引き合せようなどということを思いついたのは、彼の忘れ物を届ける為に考えを巡らせていた際の思いつきが発端だ。

 急造の使い魔使用が可能でないか。駄目ならば、近隣の仲間の助力が得られないか。そうやってその場であれこれ思い浮かべた顔ぶれの中で、一番適切な魔力行使ができると確信できたのが、剣道の師範でもある沖田ソージだった。

 ソージはなかなか面白い人物ではあるのだが、ナミにとっては扱いづらい相手でもある。好きか嫌いかで言えばかなり好きな人物なのだが、対応に得手不得手があるとしたら、その掴みどころの無さ故に得意な相手に分類することは難しい。

 剣道の師範としては尊敬もしている。魔力持ちとしては……今は、判断は保留だ。付き合いの長さでは須田よりも早くに知っているし、かなりの長さを持つはずなのだが。


「ただいま」

 誰もいない家でも、彼女は声を出す。ふと、初めての訪問にもかかわらず「おかえり」と返した、あの和語を巧みに使う外国人の顔を思い浮かべる。やはり、今日は顔を出しておいた方がいいだろうか。刹那、彼女は判断を迷う。

 自分の部屋へ上がり、制服のまま鞄を開け、簡単に今日の授業を整理する。宿題のチェックをする余裕はありそうだ。道場はもう開いているが、今の時間だと初級クラスの子どもたちが中心の時間帯だ。尤も、辛うじて教室に籍を置いている程度の彼女の実力では、そのクラスに混じったところで特に問題も無い。

 簡単に予習復習のスケジュールを立て宿題だけを片づけると、彼女は制服から道着へと着替える。

 昨日よりも随分と寒かった今日の学校からの帰り道を思い出し、彼女はコートを手に取った。

「ああ、寒かったわね。今日は」

 そうであれば、昨日中にあの男に上着を返却できたのは良いことだったに違いない。

 彼のことを思い出し、あの大柄な外国人がそのサムライ・スピリットをあのソージ先生に対してどう発揮するのか、という単純な好奇心がむくむくと頭をもたげてくる。あの2人の対面は、何やかやで見物のはずだ。

 そんなわけで、彼女は純粋な興味からこの日の道場訪問を楽しみにしつつ、家を後にした。




――座標軸:風見ナミ


 ナミの剣道の腕は、拳道ほどではない。正確に言えば、全く大したことは無いとも言い切れる。辛うじて、嗜んでいる、と言ってぎりぎり通用するレベルだ。


 そういえば、事故に巻き込まれた幼なじみの少年、神矢悟朗は、どうしているだろう。あの単純な少年のことだ。体調に問題がなければそろそろ道場に顔を出しているかもしれないと、ナミは見当をつける。

 小学校に上がる頃には、同じ歳同士ということで親しくしていた悟朗。魔女と魔力無しという違いは大きいものの、付き合いの長さもあって、お互いの考えていることや趣味嗜好など、双方全てお見通しに近い。その意味では、彼女にとって悟朗は少々やりづらい相手でもあるのかもしれない。だが同時に、彼女にとっては気を遣わずに済む人物の一人でもある。


 そんな、空気のような存在である悟朗がここ数日不在だったこと、特に一昨日の事故の一件でナミの人生に波風を立てていたこともあり、道場で彼女は真っ先にその空気のような幼なじみを探した。剣道への情熱だけは突出している、けれどもそれ以外の面に関してはまるで平凡で目立たない少年を。

 今朝、彼女は実際に悟朗の無事を目にしたわけではない。だが、ここにいれば無事な姿の彼を見つけることができるだろう。


 そう思って道場の中に目をやると、その前に、最近よく目にするようになった大柄な男の姿が彼女の目に留まった。

 どこでどう調達したのか、剣道着を着ている。かなりやる気のようである。剣道着は大方、神矢老人が持っている予備の内から拝借したのだろうが、それでもよく彼の身体に合ったサイズがあったものだ。

「こんにちは、ナミ」

 しかし先に相手を見つけたのは、どうやら男の方だったらしい。彼女が道場の全体を軽く見渡している時点で、彼の低い声が聞こえてきたのだから。

「こんにちは。来たのね」

「ああ、もちろん」

 剣の道も実に奥深いものがあるだろうから、と武道者らしい感想を続けて、彼が返事を返してきた。彼女が生返事で周囲をまだ見回していることに気づいたのだろう。「オキタ先生かね? 先生は今、老師の所へ行っているだけで、すぐに戻ってくるよ」

「ありがとう」

 少し離れた場所にいた顔見知りの魔力持ちの門下生に目礼しながら、彼女は彼へと返事を返す。


 神矢の道場における拳道の門下生もその3分の1程が魔力持ちだが、指導者が魔力持ちである剣道の日にも、結構な人数の魔力持ちが集まる。

 実は、このことはとても珍しい。

 和国の人口において、魔力持ちが占める割合はどう推測しても最大で2%程度とみられている。

 更に言えば、諸外国においても、魔力持ちの人口比率は大方その前後の数字に収まる。

 国や地域によってはきちんとした統計が無い……魔力持ちのコミュニティによっては、政府からの調査そのものを拒否している村落も結構な数、存在する……ので、国連の人口に関する一番重要な組織であったとしても、その数字が把握されているわけではない。とはいえそうした背景から、どんなに多く見積もっても、魔女、魔力持ちが全人類に占める割合は3%に満たない程という見做しが国際的にも常識となっている。大きい数字で見積もっても2%を少し超えるか、あるいはそれよりも足りないか、といったものだ。

 そうした事情を考えれば、この道場に来ている魔力持ちの比率はかなり高い。和国に於いては地方都市に過ぎない西乃市の、更に住宅街である中野町ということを思えば、更に強くそれは頷けるものである。拳道の道場で3割、剣道でも1割強は魔力持ちの門下生なのだから。

 かつて。10年前の冬の初め、突如引き起こされた魔女狩人ウイッチハンターたちによる「戦争」で失われた、中野町の魔女コミュニティ。その跡地に立つ道場だからこそ、両者の共生は大切なのだ、と神矢老人は小さなナミに語りかけてくれた。そう言って、老人は「戦後」間もない時期に、この道場を再開した。そうして、ここは魔力無しと魔力持ち、その両者の交流の場としても、存在を続けている。武道を柱に、和気藹々と。

 道場の主である神矢老人は魔力無しだが、彼の存在はまさにこの両者の橋渡しをしてくれていると言える。集まってくる魔力持ちの中には、ナミのように拳道と剣道の両方の日を選ぶ者も多い。


「おや。ナミ、久しぶり」

 流れるような動作。良く通る流麗な声。魔力持ちらしい矜持をもって、美しく伸ばされた髪。加えて、目元のすっきりした、美麗な顔立ち。ナミの後ろに、音も立てずに沖田ソージが立っていた。

「先生、こんにちは。よろしくお願いします」

 目の前の外国人も無視して考えに耽っていたら、剣道の師匠に後ろに立たれていることに気がつかなかった。武道者らしからぬ自分の油断に、これはいけない、と彼女は気を引き締める。

「先生、悟朗は?」

「ああ、擦り傷程度だったね。もう暫くしたらやって来るんじゃないかな」

 話からすると、ソージ先生は既に悟朗の様子を見てきているようだ。

 親しみの籠った笑顔で礼を取ると、彼女は一旦ソージのもとを離れる。この日の門下生が、主に女性たちを中心に次々とソージのもとへと挨拶にやってくる。あと少しで稽古が始まるから、門下生たちが挨拶をしてそれぞれの準備を始めるにはいいタイミングだ。

 それにしてもあの流し目。挨拶をする女性門下生たち、その中に何人かは確実に勘違いをするであろうこと間違いなし、といった色っぽい目線だ。イロコイに疎い14歳と11カ月の少女である彼女には、感覚的に解らない話であるのだが。

「凄い人気だな」

 いつの間にか、赤銅色の大男が彼女の左に音もなく並んでいた。まあ、この道場内で今の彼の知り合いにあたる人間は彼女だけだから、彼がそこにいるのは自然なことなのだろう。

「本当に。魔力持ち無しを問わず、女の人の吸引力が凄いのよ」

 でもね。彼女は続ける。

「むしろ、本当にすごいのは、剣道の腕前なんだけれども」

 しかし、魔力的にはまだちょっとよくわからない面もあるけど。ということばは、音にしなかった。魔力持ちでもない、一介の旅行者にしか過ぎない男に、西乃市の魔力持ち個人の事情について説明をする意味はない。魔女の矜持として、そうした言いふらしに加担することはあり得ない。

 すると。

「失礼します」

 後ろから、彼女の耳に聞き慣れた少年の声が響いた。振り向くと、平凡な男子中学生の丸い顔。神矢悟朗がそこにいた。

「悟朗!」

 事情を知るだけに、流石にナミも声が上がった。

「ああ、風見。ただいま」

「ただいまじゃないわよ」

「大丈夫だよ、風見。俺と母さんは平気の平左。てか、母さんには会ってくれたんだっけ、風見は。ま、俺は一応大事を取って、今日はこっちのクラスに参加するよ」

「というか、大会終ってもすぐに休まず練習って。偉いわね」

「いや、休まずって言っても、昨日は病院で半日寝かされてたようなもんだし」

 あと、試合結果も芳しくなかったしなー。やや幼さの残る少年の声が、残念そうに響く。

 結果のことはもう聞いている。彼らの属するこの地域、西乃市中野町の属するブロックは、初戦敗退とのことだった。

「俺なんかよー、全然大した怪我なかったのによー。でも、頭を打った可能性のある人は全員半日ベッド、検査結果が出るまで動くの厳禁、ってさ。まったく……」

「悟朗も一度大きくぶつけておいた方が、逆に頭の回転が良くなって良かったかもしれないわね」

 無事を確認して、彼女は少しきつめの憎まれ口を叩き込む。

「そうそう、サキが心配していたわよ。今日、学校で。よろしくって」

「ああ。でも俺、明日は普通に登校するよ」


 サキとは、ナミとは別のクラスの友人で、悟朗が属する中学剣道部の部長だ。

 悟朗は学校でも剣道部に所属しており、その腕前だけならば、今しがた話題に出た部長よりも上回っている。けれども、「悟朗は考えなしだからねー」という部員全員、いや神矢悟朗の友人知人全ての人間からの評価の通り、人望はともかく人を統率するような思考回路を一切持たない彼は、平の部員のままである。結果、人望も思慮もある葉山サキが剣道部の部長として皆を引っ張っている。

 この葉山サキは、ナミにとってはとても親しい友人である。かけがえの無い存在、と言ってもいい。

 今年こそクラスは違ったものの、1年時には同じクラスで、同じ武道者ということもあってか、大層ウマが合った。そうした出会いがあったという幸運に、彼女は心から大きく感謝をしたものだ。

 彼女が中野町の住人でないのは残念だ。もしもそうであれば、彼女もきっとこの道場に通ってくれただろうに。中学の学区は広い。彼女は自身の住む隣町の道場でも練習を積んでいるとのことである。しかし部長を務める程なので、学校の部活が主軸のようだが。

「後で葉山にもメールしとかないとな」

「そうねー。他の部員にもしておいたら? みんな心配していたわよ。ってか、先にしておきなさいってば。相変わらず、のんびりしてるわね」

 間抜けなりに愛されている悟朗の立ち位置を思い、ナミは少しお姉さんっぽく振る舞って「余計なひと言」ぎりぎりの助言を言う。実際の誕生日は悟朗の方が先で、彼はとっくに15歳、ナミはまだ15歳を数えるまであと3日ばかり間があるのだが。

「わたしも後でサキとメールしよーっと」

 ひとしきり悟朗と近況報告をすると、ナミの反対の隣にずっと音もなく立っていた大男が2人を見下ろしていることに、彼女は気がついた。

「レイジさんは、風見とはもうお知り合いなんですか?」

 無表情なレイジの顔に臆することなく、少年は大柄な彼を見上げて、今気付いたとばかりに話しかける。この様子からすると既に2人の顔合わせは済んでいるのだろう。時間的にもそうだろうと納得し、同時に仲介の手間が省けて助かったと、ナミは左右2人の男子の様子を交互に見遣る。

「ああ」

 素っ気無い大男の様子は、ナミには少々意外に思えた。まあ、もう挨拶も済んでいるのだろうから、別に2人がどうこうすることもないのかもしれないが。何より、悟朗は根本的に「抜けている」奴だ。そう彼女がぼんやりと思っていると。

「今日は見学だけなんですか」

「いや」

 悟朗にしては珍しく、会話が続く。いや、恐らくは相手が外国人ということで興味を抱いているのだろう。ナミはそう見当をつけながら聞くともなしに2人の会話を耳にし続ける。

「では、練習にも参加をされるんですか」

「できれば」

 しかし対するレイジの素っ気無いこと。彼、もっと和語が上手なのに。恩人の息子なんだから、いつものようにあれこれと話せばいいのに。少しばかり不思議な気持ちで、彼女はそんな彼等の会話を見遣っていた。

 そうこうするうちに、悟朗もソージに挨拶に行き、すぐに稽古が始まった。




――座標軸:風見ナミ


 ……凄かった。何が凄かったかというと、レイジとソージの手合わせが、である。


 基礎練習の後、今日の面子の中で実力が突出している悟朗が、どうも飽きてきたらしい。戦いの勘はいいが頭の空っぽな悟朗は、何も考えずに、ハイペースでガンガンと練習相手を追い詰めてしまっていた。だから自分のクラスに参加すればよかったのに、とナミが毒づいている内に、ソージの采配で、それまで見学だけだったレイジに悟朗が手ほどきをするということになった。

 そうして2人が初歩の初歩を教授しはじめていたところまでは、ナミもおぼろげに視界の隅に入れていた。結構な時間、悟朗がレイジに稽古をつけた後、かなり様になってきていたのだろう。2人の様子を見て、ソージが2人に打ち合いを提案してきたのだ。

 一昨日の拳道でレイジと手合わせしたナミにしてみたら、彼の勘の良さは悟朗の比ではない、という読みもあった。拳道に限らず複数の武術を習得しているらしい彼。滑らかな動きに反応の速さ、そして対戦時の的確な読み。それに、悟朗はまだ中学生で、レイジとの体格差が大き過ぎる。


 そして。小・中学校のほぼ殆どの期間、剣道へ情熱を注いでいた少年は、1分とかからぬ間に、今日まで殆ど竹刀を握ってこなかったであろう大柄の外国人に、あっさり一本を決められてしまっていた。竹刀こそ今日が初めてに近いものだったらしいが、しかし長い物を使う武道に何かしら嗜みがあったことが、その動きから窺えた。ナミにも判る程、それは歴然としていた。

 更に。その後に少し時間があったことから、ソージがいつもの気まぐれを起こしたらしい。なぜか、ソージとレイジが手合わせという名の打ち合いを行うことになったのだ。

 審判は、技量の関係から悟朗が主審を、副審の一つをナミが買って出た。女性の門下生たちはソージの雄姿を見たいがために残る副審の役割を譲り合い、ナミ以外の男の門下生たちが四方に位置を占めた。

 模擬の打ち合いが始まった。沖田ソージは、例によってマイペース。いつもの、獰猛さを持ちつつもそれを隠した流麗な型で、様子を見る。対するレイジも我流なのか、しかし隙の無い、それこそ殺気に近い何かを放って様子を窺う。ものの一時間足らずとは思えない、かなりきちんとした剣道の構えや型が、既に身についている。やはり長物を使った武道の心得があることは間違いない。武道に対する理解と会得は長年の拳道への探求によって培われたのだとしても。その姿勢を見て、彼女は改めてそう確信する。

 そうしてそれぞれにしばらくお互いの隙を突こうとするが、なかなか大きな動きができない。小さく動いても、すぐにお互いの型へと収斂していく。どうも、打ちようがないようだ。

 先に大きく動いたのは、レイジだった。剣道ではあまり見ない、全く我流の動き。けれども、隙がない。何より、拳道での試合の時のように、あまりにも早すぎる。さして慣れていない筈の得物を早くに扱う、そのセンスにナミは目を見開く。ソージも速さが自慢だが、それを上回るかもしれない。加えてリーチに関しては、レイジの方が長い。身長であれば10センチ近く。腕の長さはそこまでの差はないだろうが、その数センチが経験というハンデを埋める。

 双方が、決め手を欠いて、打ち合い、流す。後ろに括ったソージの長い髪が、獣の尻尾のようにふわりと揺れる。と、その時。


 ビーッ


 魔力探査機の乾いた音が、道場に響いた。

「え?」

 道場の中にいた門下生全員が、驚いていた。

 この道場で、この音を聞くことは滅多に無い。魔力持ちがこれだけ集まってはいても、それでもこの道場の中でこの音が聞かれることは、少なくともこの数カ月の間は無かった筈だ。

 しかもこの場で魔力が発動するようなことをしているとあれば……その発生源はソージだとしか考えられない。

 しかしその音に驚いた全員を一切無視して、ソージはレイジから一本、取っていた。

 これは、魔力の発動が先か、それとも勝負が先か。勿論、ソージに肩入れをしたこの場にいる魔力持ちの誰かによる何らかの可能性も否定できない。

「ありがとうございました」

 落とされた竹刀を拾い、先に礼を取ったのはレイジだった。

「いや、私こそ……」

 ソージは、戸惑っている。土壇場の一瞬で、大きく技量に差のあった筈の2人が、その力の差を殆ど詰められてしまったのだ。ただ、ソージは終盤近くまでどこか遊びのような余裕を見せており、挑戦者たるレイジは竹刀を握った途端にそういった余裕も何もなく我武者羅に彼に向かっていった、という違いはあったが。

「今の判断は、一本ですか?」

 主審である悟朗に、ナミたち副審が集まってくる。

「ああ。音よりも先に、ソージ先生が打ちに出ていた。完全に一本だよ。先生の」

 ほーっと会場の空気が緩む。レイジの対応もその根拠を示すようなものだし、何より主審の悟朗は莫迦のつく正直者で決して嘘をつくような奴ではないということは、この場にいる誰もが認めることだ。

「ありがとうございました」

 と、彼とレイジが、それぞれ改めて礼を言い合う。そして、

「これは、私の負けに近いな。凄いですよ、レイジさん」

 と、ソージが嬉しそうにレイジの肩に手を置いて、にこやかに笑いかけた。

 あ、この人がこうして腹の底からの笑いを見せるのは、珍しい。ナミは小さな驚きを持って、2人を見遣る。それと、流石にソージくらいの身長になれば、レイジも見上げたり見下ろしたりという確度で話をしないのだな、と変なところにナミは意識が向いた。

「試合で思わず魔力を使わせられるとは。本当に何年ぶりのことか」

 どうやらソージは、打ち込みと同時に無意識のうちに対防御の魔力を敷いてしまったらしい。

「いやあ、大したものです、あなたは。それは、お国の剣技ですか?」

 と嬉しそうに、次々とレイジに話を浴びせる。

 沖田ソージは、初見の様子見こそ結構する方ではあるが、一度自身が気に入ってしまうと、それなりに気さくに打ち解けて懐を割って話すタイプでもあった。加えて、恐ろしく会話や趣味の範疇が広い。話題には事欠かず、見識はいくらでも枯れない井戸のように汲み上げてくる。

 全員が礼を言い合い、解散となった。ナミは、悟朗のことをサキに連絡したくて、急いで道場を後にしようとする。

「ナミ!」

 声をかけてきたのは、まだソージに捉まったままのレイジだ。

「頑張ったわね、凄かったじゃない」

 確かに凄かったのだが、かたちばかりのお世辞に聞こえるようにそっけなく、距離を置いたまま声を返す。

「じゃあ、さようなら」

「ああ……さようなら」

 ああなった一度ソージにつかまったら、なかなか離れられないだろう。逆に、ソージのファンの女性門下生たちが、その間に割り込めないかとやきもきして周囲をうろついている。

 悟朗がナミに近づいてくる。いや、単純に道場を後にするナミと同じように、今日はもうここを出るらしい。続けて次のクラスにも参加すると思っていたナミは少々不思議に思い、後ろの悟朗の顔を見ようと振り返る。その彼女の視線に、まだこちらを見ている赤毛の大男が視界に入る。

 何かを言っている訳ではない。もう挨拶は済んだのだから。それに、抑えた表情からは、彼が何を考えてこちらを見ているのかも分からない。ただ、こちらを視界の中に収めている。そんな感じだ。その男に、隣のソージが笑顔であれやこれやと話しかけている。

 彼のことを意識から追い出すと、ナミは悟朗へと声を掛ける。

「悟朗は次の自分のクラスでしょ?練習に参加しないの?」

「うん、腹減ったし。風見はもう帰るの?」

「ええ、明日の予習もしておきたいし」

「うわ、偉いなー。もう受験も終わったし、後は卒業まで適当に流せばいいのに」

 視界の隅に、まだこちらを見ている赤銅色の大男の姿が捉えられる。

 ソージと仲良く時代劇の話でもすればいいのに。最後、まるで遠くのレイジに念押しするかのように一目視線を送ると、彼女は後ろから隣へと並んだ悟朗の話題についていくべく頭を切り替えた。

「あんたこそ、今週は学校休んでるんだから。授業、ついていけないわよー」

「だってもう2月も末だぜー。いーじゃん、てきとーで」

 頭の悪そうなことを言うこの幼なじみの同級生に、適当に相槌を返しながら、彼女は道場を後にした。




(つづく)

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