第15話 思い出の森

 こんな夢を見た。


 美しい秋の森の中にいた。風は少し冷たいが、とても心地が良い。黄色や赤の暖かい色をした見たこともない形の葉が、地面に降り積もり、それでいて頭上を覆っている。冬、乾いてしまった葉を踏んで、さくさくと音を立てるのは好きだけど、秋のまだ水分を含んでいる葉を踏んで、柔らかい感触をえるのも好きだった。

 下草はちゃんと刈り取られているようで、森は開けていて、木々が生い茂る中でも明るかった。本当に素晴らしい森を歩いている。

 ふと耳に何かの囁き声が聞こえた。ほんの一言、二言のはっきりしない囁きだったのに、その内容が長く、詳細であるのが理解できた。その囁き声は、私自身が忘れているような、古い記憶を語っていた。


 まだ幼稚園だった頃、ブラウン管テレビの画面に偶然磁石を近づけたことがあった。テレビの画面は、磁石が近付くと画像を歪ませる。どういう原理か分からないが、それが楽しくて、画面に磁石をくっつけては離して遊んでいた。それが原因で、そのテレビは故障した。


 誰がそんな思い出を囁いたのだろう。そんなことを知ってるのは、家族の中でも、私の両親しかいないはずだ。もしかして、父か母かが森の中にいて、隠れているのだろうか?

 近くの木々の裏を確認していると、また囁き声が聞こえた。一言だけの響きで、長い長い思い出が蘇る。


 小学校中学年の頃、高学年の従姉妹の提案でゼリーを作ったことがあった。従姉妹がゼリーにはジュースが一番いいというので、当時、これこそもっとも美味しいジュースだと思っていた、ファンタのグレープを買い、そこにゼラチンを入れてみた。従姉妹は得意げにしていたが、出来上がったゼリーは固まっていないし、味も全然美味しくなかった。従姉妹の家で作っていたのだけど、この失敗ゼリーをそのまま捨てると、親にバレて怒られると従姉妹が言い出した。

 仕方ないので、ビニール袋に入れて、公園のゴミ箱に捨てた。私は食べ物を粗末にするなとキツく躾けられていたので、とても思い出に残っている。が、ずっと忘れていた。あまりいい思い出ではないと思っている。


 なんとなく、ここの森の木々が私の記憶を漁っているのではないか、と気づいた。歩くたびに、いわれてみれば、そういうことがあった、と思い出す程度の記憶が語られる。嫌でも頭に入り込んでくる。よく思い出話に花を咲かせることがあるけど、あれは語るときに自分で良い思い出だけを選別して、語っているから気分がいいのだと理解できた。記憶を持つ私の許可なく、勝手に過去を穿り返させることが、なんと気分の悪いことか。


 先ほど話した従姉妹は中学生の頃、詩で何かの賞を貰った。その詩が記載されている文集のようなものを、叔母が持ってきた。よほど嬉しかったんだろうと思う。だけどその横で従姉妹は浮かない顔だった。

 文集を読んで見た。小学校高学年の私でも知ってるような、とても有名な詩が、従姉妹の名前で掲載されている。私はそのまま、従姉妹に、「アンタこれ、盗作じゃん」と指摘する。従姉妹はすごい勢いで怒りだした。先生がいいっていうから、いいんだと。従姉妹は有名な詩の一部を少し変化させて、提出した。中学校の国語の教師は、誰でも知ってるような詩の盗作だというのに気が付かず、そのままコンテストに出した。そして、選考した大人たちも、有名な詩の盗作と見抜けずに、そのまま通過してしまったのだ。

 「お母さんに言わないで!!」

 すまないが、そのまま盗作であることを大人たちに伝えた。誰がどう見ても盗作でしかなかった。だけど、騙された大人たちは、そのまま曖昧にして、私の発言は無視された。曖昧にしてそのままにしていたほうが、労力が掛からないからだろう。大きなコンテストではなかったし、私の正しい意見は、有名な詩も知らない分際で詩のコンテストの審査員をしてる男たちになかったことにされた。

 悔しくて、悔しくて、心の奥底にしまいこんでいたものまで、この森に掘り出されてしまった。気分が悪い。不快だ。


 森を出ようと足を早めるが、森の出口がわからない。気を抜けば、私を取り囲んでいる木々のどれかが、私の忘れていた思い出を引きずり出してくる。


 幼稚園の時に、お手伝いしようと思いつき、母の靴を磨こうとして、黒い靴墨をつけてしまったこと。


 子猫が捨てられているのを見つけただけなのに、捨てたのはお前だろうと知らない大人に罵られたこと。


 花火をしている友達が、遊び終わった花火の後片付けをしないから、暗闇の中で花火の燃えカスを1人拾い集めていたとき、誤って火がついていたほうを握ってしまい、指にひどい火傷をおった。そのとき、火傷して泣いている私に向かって、引率の大人たちが大笑いしたこと。


 夏祭りの日、珍しく私に引率して父が来てくれたが、彼はビールを呑むのに夢中で、私が変質者に追い回されて、とうとう高い遊具のうえに追い詰められて泣いているのに、それを見て無視してビールを飲み続けたこと。その後、必死に変質者のことを訴えたのに、まったく理解してくれなかったこと。


 その日の怒りと哀しみと、匂い、音、感覚の全てが、この森の木々のかすかな一言で襲い掛かってくる。きっと、これ以上この森にいれば、私は命を断つかもしれない。世界が嫌いになってくる。この世が憎たらしくなってくる。

 火だ。

 火が必要だ。思い出や過去が消えないのであれば、せめて、こんな森は燃やすべきだろう。森の癖に。ただの森の癖に。

 ポケットをまさぐって手に触れたのは、真っ黒く塗りつぶされたマッチの箱だった。中には数本のマッチ棒が入っている。私はマッチ棒を擦るのがとても下手で、未だに上手に灯すことができない。だけどやるんだ、マッチに火をつけて、この森を全て灰にしよう。


 一本目は失敗した。

 二本目は綺麗に灯すことが出来た、そっと屈んで、降り積もった枯葉の間に差し込む。白い煙が上がり始めて、少しずつ量を増していく。重なる葉の隙間に、息を吹き込み続けると、やがて葉の上にまで火が伸び始めた。

 地面に積もる葉をかき集め、大きな山にして、またマッチの火を差し込む。最初の炎は、近くの木の幹に乗り移っている。息を吹きすぎて、酸欠でくらくらしてきたが、やめなかった。炎が大きくなるのを見届け、森のあちこちに火を起こす。気づけば、森の端まできていて、そこから見える森は紅葉どころではない、紅蓮の炎に包まれていた。木々は寡黙に、パチパチと爆ぜながら燃え上がっている。


 やがて、森は全て燃え尽きて灰となった。私はそれを黙って見続けていた。灰の中に、緑の若葉が芽吹いているのを見る。不愉快な森の木々の灰から、また不愉快な木が育とうとしているようだ。力任せに引き抜いたけど、気づけばあたり一面に若葉が芽吹き始めていた。

 思い出も過去も消そうとは思わない。けど、思い出したくないものを、無理に思い出させようとするこの森には、二度と訪れたくない。訪れたくないが、語られたことは、全て、私の今を作るパーツの一部なのだった。

 逃げることは、できない。

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