第4話

 二回戦、三回戦と勝ち進んだところで、サマーコンペティションの一日目が終わった。


 にわかに俺の強さが話題になり始めている。


 最強はやはり最強だったという声がちらほら上がっていた。しかし、みんながみんな、俺を最強と認めるときは、俺がこの大会に優勝したときだろう。だから、まだ、油断はできない。


 一日目が終わったとはいえ、闘技場周辺にある出店はまだ賑わっていた。


 空はとっくに夜に染まって、月がその光を主張している。出店やらの光が強い所為か、星はあまり見えなかった。


 出店から漂ってくる様々な匂い。醤油が焦げた匂いとか、甘い匂いとか。


 だんだんと腹が減ってくる。まだ、晩飯を食っていないし、出店で何か買って食って、それを晩飯にしようかしら。


 俺は焼きそばの出店を見つけ、そこへ向かう。数人ほど並んでいたので、それに倣って俺も並ぶ。


「君も焼きそばを食べるのか?」


 と、言って俺の後ろに並んできたのは九条先輩だった。


「順調に勝ち進んでいるみたいだね」


「当然です」


「だけど、君、戦い方を変えたのかい?」


「え?」


「だって、君はあれだろ。あの流儀の後継者なんだろ。あの流儀は、勝ちを急ぐ戦い方はしない。でも、君は第一試合のとき、開始と同時に攻撃をしかけた」


 そう言われればそうかもしれない。俺は開始と同時に駈け出して、攻撃を仕掛けていった。


「君の流儀は神色自若しんしょくじじゃく流。いかなる場面においても冷静であることを真髄としている剣術の流儀。私は、そう聞いているが。違ったかな」


「いや、まあ、そうですけど」


 かつて、琵琶湖の渡し船で塚原卜伝と乗り合わせた若い剣士がいた。彼は、その乗り合わせた男が剣豪の卜伝だと知り、決闘を挑む。卜伝はその決闘を回避しようとするが、若い剣士は卜伝が臆病風に吹かれて決闘から逃げていると思い込み、調子に乗って卜伝を罵倒する。船上で決闘をすれば周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は、船を降りて小島で決闘を受けることを告げる。

 そして、小舟に乗り換えて、近くの小島に船を寄せる。若い剣士は血気にはやっていたので、船を飛び降りて真っ先に小島に上陸した。しかし、卜伝はそのまま何食わぬ調子で、櫂を漕いで小島から離れていく。

 結果的に、若い剣士は小島に取り残されてしまった。若い剣士は小島から離れていく卜伝を罵倒したが、当の卜伝は「戦わずにして勝つ。これが無手勝むてかつ流だ」と言って去っていったらしい。


 で、俺が扱う剣術の流儀、神色自若流は塚原卜伝の無手勝流に敗れ、小島に取り残された若い剣士が編み出した流儀だ。


 この剣士は、自分が血気にはやっていたことが敗北の原因と反省し、それを踏まえていついかなる場面でも冷静であることを真髄とする剣術の流儀――神色自若流を編み出した。血気にはやることは一番の愚行としているほどだ。


 いついかなる場面でも冷静であることで、相手に焦りを生ませ、そこに現れる一瞬の隙を的確に衝く。これが神色自若流。どんな場面でも冷静であるため、相手より先に攻撃を仕掛けるという動きをすることが極端に少ないのが特徴である。


 だから、俺が相手より先に攻撃を仕掛けたことを疑問に思うのも無理はない。とくに神色自若流のことを知っているのであれば。


 ていうか。


「ていうか、先輩、俺の剣術のこと知ってたんですか?」


「役職柄、生徒のプロフィールを閲覧する機会が多くてね。とくに君は最強と名高かった生徒だ。一応、プロフィールは見させてもらったことがあるんだよ」


 そんなものなのか。風紀委員長というのは。


「それで、君は戦い方を変えたのかい?」


「いや、俺は今でも神色自若流の使い手ですよ」


「では、なぜ?」


 なぜ、と訊かれても、なぜだ? 別に意識はしてなかった。ただ、全能感に満ちていた俺は絶対に負けない自信があったのだ。


「んー」と唸りながらなんて言おうか考えて、考えながら俺は言葉を紡ぐ。「強いて言うなら、あれですかね。初めの方が雑魚ばかりだったので、手っ取り早く闘いを済ませたかったんです」


「そうか。まあ、確かに君の闘いは短い時間で終わってるな」


 九条先輩とそんな話をしているうちに順番がやって来た。俺は「焼きそば一つ」と出店のお兄さんに言う。お兄さんは慣れた手つきで容器に焼きそばを入れ、それを袋に詰め、俺に渡す。俺は焼きそば代をお兄さんに渡した。


 そのとき、不意に眩暈がして、足元がふらつく。倒れはしなかったが、傍から見てもわかるくらいにぐらっと身体が傾いた。


「おっと。大丈夫?」と九条先輩が心配そうにこちらを見る。


「ええ、大丈夫です」


「疲れているのかな。早く帰って休んだ方がいい。何なら、私が家まで送っていってあげようか」


「いえ、一人で大丈夫です」


「そうか。なら、気を付けて帰りなさいよ」


「はい」


 先輩と軽く手を振り合って、俺は帰途につく。歩く度に倦怠感が増幅していく感覚が俺を襲う。



 ♢  ♢  ♢



 やばい。怠い。


 早く寮に帰って《デウス》を取り込まないといけない。身体が《デウス》を欲している。


 頭の中でぼぅっと雑音が響いているみたいだ。何も考えられなくて、ただ寮へ向かって歩いているだけの塊みたいに自分が思えてくる。


「――」


 頭の中の雑音に混じり、何か鈴の音に近い綺麗な音が聞こえる。それが何なのか俺にはわからない。


 わからない。


 俺は何を聞いていて、俺は何を見ているのだ。寮へ向かっているのだけど、それしか俺はわからない。


「――」


 鈴の音は時折聞こえる。これは何だ?


「無視をするなーっ!」


 ドン! と、俺は尻に衝撃を受け、はっと我に返る。


 尻を蹴られたのか何なのか、俺は前へつんのめる。身体は怠いが、そこは踏ん張り転倒は防ぐ。


「な、なんだ?」


 何が起こった。なぜ、尻を蹴られる。てか、蹴られたの? 蹴られたとしたら誰が?


「まったく、ずっと名前を呼んでいるのに、なぜ無視をするかな。あれですか? 最弱は存在すら視認しないとかいう、あれですか?」


 声がする方を振り返ってみると、そこには――


「天之原奈月……」


 ――天之原奈月がいた。


「なんだよ、何の用だよ?」と不機嫌に俺は言う。


「いや、別にとくに用とかはないよ。ただ、見かけたから声を掛けただけ。そういえば、戌井くん、順調に勝ち進んでいるみたいじゃない。サマーコンペティション」


「まったく、誰の所為でこんなにも俺が頑張っていると思ってんだ」


「わたしの所為だというの?」と天之原は可愛らしく頬を膨らませる。


「いや、そうだろ。それ以外に何がある」


 俺はお前に負けたから。だから、サマーコンペティションで再起をかけることになったのだ。


「だから言ってるじゃない。運が悪かったんだよ、あなたは」


 俺の敗北を運が悪いの一言で済ませられるのはいやだ。運も実力のうちなわけだし、結局、少なくとも俺は一学期末実技試験の二回戦のときは最弱より弱かったということだ。


「それにしても」なんて言って、天之原はこちらに顔を近づける。「どうしたの? 体調でも悪いの? 顔色悪いよ。さっきも、わたしのこと無視してたわけだし」


「別に、何もない」身体を逸らせながら、俺は言う。「ただ、疲れているだけだ」


「そう」と納得しているのか怪しい表情を彼女はする。「なら、寮まで送っていってあげようか?」


 九条先輩といい、天之原といい。


 なんだ、そんなに俺は疲弊しているのか。


 いや、そんなはずはない。俺はこの大会で優勝する/すべき男なのだ。こんな疲弊しているごときで他人の手は借りていられない。


「一人で帰れる。だから、そんなことはせんでいい」


「ほんとに?」


「大丈夫だ」


 そう言って、俺は一人、歩を進める。


「あ、じゃあねー」


 背後から、天之原の声が聞こえた。

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