第3話 経験者は語る…

みゆきちゃんから電話を貰ってから、毎日土曜日が来るのが楽しみで、なんとなくワクワクしていた。パパに手を抜いていると怒られた翌日は異様に凝ったドライカレーを作ってみたりして、ちょっと反撃しつつも、それでも毎日、冷静さを保って専業主婦業を頑張っていた。

そしてついに土曜日。お昼をパパっとパスタで済ませて、リビングを掃除し、みゆきちゃんが来るのを待っていた。やっと、やっと受験について一歩目が出せる!そんな高まりを感じていた。一方の春樹は、南アフリカ戦の後にやっていた日本代表のドキュメンタリーの録画を、食い入るように見つめていたのだけれど。

そんな時だった。家の前に一台の、見知らぬ軽自動車が停まった。

「誰だろう…」

そのクリーム色の車は、一度停まった後、我が家の駐車場にバックで入って来た。誰だろう、こんな時に。今日はみゆきちゃんが来るのに、何の用なんだろう…。リビングから出て、玄関の前で呼び鈴が鳴るのを待っていた。

ピンポーンー…

間の抜けた音に、おっかなびっくり答える。

「はーい…」

そしてガチャリとドアが開いた。

「こんにちは、おばさん。」

「え!?みゆきちゃん!?」

「ちょ…何をそんなにびっくりしてるんですか?」

ケタケタと笑いながらみゆきちゃんが答えた。

「だ、だって、車、知らない人が来たのかと思って!」

「えー!もうわたし、大学生ですよ?夏休みに免許取りました。」

「そうなの…」

「家から駅までは車で行ってます。」

「え!?…ってこんなところで話すものアレよね。上がって!」

「おじゃましまーす!」


みゆきちゃんの姿を見て、春樹もテレビを消して、行儀よく座り直した。

「春樹くん、お久しぶり。」

「こんにちは。」

「これ、ケーキ買ってきたからみんなで食べよう!」

「うん!」

白い箱の中身を覗いて、どっちにしようかと悩んでいるようだ。袋からして、駅ビルに入っている、ちょっとお高いタルトのお店。流石、現役女子大生はオシャレなものを買ってくる。

「悪いわね、みゆきちゃん。いまお茶淹れるわ。紅茶とコーヒー、どっちがいい?」

「どっちでもいいですよ。」

「オレ紅茶―」

「春樹には聞いてないんだけどなっ!」

「じゃあ紅茶にしよっか。お願いします!」

「はーい。」

紅茶を用意して、ぱたぱたとリビングに向かう。春樹は苺のタルトをそのまま齧り付こうとしていた。

「ちょ!春樹待って!いまフォーク出すから!」

「待てなーい!」

「ごめんねぇみゆきちゃん。お行儀悪くて。」

「大丈夫です。うちの弟もこんな風ですから。流石に切ってないロールケーキに齧り付いた時には蹴り入れましたけど。」

箱にはあと3つのタルトが入っていた。季節のフルーツがたっぷりで、キラキラしている。

「パパのも買ってきてくれたのね…ごめんね。居なくて。」

「いえ!それなら春樹くん、もう一個たべちゃえ!」

「いぇい!」

「もう…ほんと、パパにも言ったんだけど逃げられちゃって。塾とか全部お前に任せるからって。」

「ははっ!仕方ないですよ。」


みゆきちゃんがフルーツタルトを取った後、モンブランを取って、食べながら話し始めた。

「…って感じで、春樹も中学受験、考えてるのよね。」

「なるほどー」

「でも、全く分からなくて…ほら、サッカーとお習字はやらせてるんだけど、どっちも教室自体が少ないじゃない?だからあまり迷わずに入会したんだけど、塾って色々あって…だから淑子ちゃんに泣きついたのよ…」

「そうなんですね。ちなみに、どんなところが良いか、おばさんの中では決まってるんですか?」

「一応…3つまで絞ってみたのよ。…ちょっと汚いけど。」

そう言いながらこの前調べたメモを取り出した。殴り書きにしていたことに後悔しつつも、おずおずとみゆきちゃんの前に差し出した。

「『カテキョーゼミナール』、『常進会』、『ハートサポート』かぁ…。」

「どうかしら…」

姪っ子の前だというのに、小学校の厳しい習字の先生の前に出た時の様に、小さくなって、みゆきちゃんの言葉を待った。

「うーん…ちょっと私のチョイスとは違うかもしれないです。」

「えっ!?」

「いや、あくまでも私の意見なんですけど…『カテゼミ』は規模も大きいし、『ハート』も丁寧な指導で良いと思うんですが、受験を考えると、やっぱりそれだけじゃ弱いとおもうんです。」

「…」

いつになく真剣に、みゆきちゃんの言葉に耳を傾けた。

「塾でバイトしてると、やっぱり私立中学の問題って難しいなって思うんです。難しいというか、きちんとそれ相応の準備をしていないと解けないっていうか…。ほら、基本的に小学校の宿題って、音読とか計算ドリルとか、その程度じゃないですか。でも、受験って、そのレベルじゃなくて、国語算数理科社会、そしてその中でも、例えば地理と歴史、とか文法と読解、とかどうしても学校では触れないところも聞かれてくるから、学校の勉強についていけるよってレベルでは間に合わなくて。」

「…」

「6年の冬期講習とかになると、やっぱり居るんです。学校では頭が良いレベルにいるからって受験させてみようって来る人が。でも、計算が早い、とか都道府県の県庁所在地全部言えます、ってレベルだと、論理的な思考とか情報処理能力を求めて来る問題を落として失敗しちゃうんです。」

背中を嫌な汗が伝う。みゆきちゃんの言葉がずっしりと重くて、目の前が暗くなった。図星だった。春樹は通信簿では真面目だと評価されていて、意図的に教育的な本や図鑑を買い与えて知識も豊富だったから、心のどこかで受験も何とかなるだろう、そういう気持ちがママの中にはあったのだ。でも実際は、そういう問題では無い、というのがどんどんみゆきちゃんの言葉から分かって来た。

「でも、春樹くんはまだ5年生でしょう?十分時間はありますよ!」

「…でも、すごく心配になっちゃった。」

「だって、これ、親御さんを本気にさせるためのセールストークですもん。」

「…へ!?」

「わたしは講師のバイトですけど、社員の先生とか、親御さんとの面談でこういうこと話してて。それを真似してみました!」

ニコッと笑うみゆきちゃんにつられて笑おうとしたのに、上手く笑顔が作れなかった。

「だから…ちょっとおばさんのチョイスとは違うんですが、私はおばさんも選んだ『常進会』か、水戸にある『灯台舎』のどちらかが良いと思ってます。」

みゆきちゃんは鞄からパンフレットを取り出して、中身を開きながら見せてくれた。

「へぇ…」

「『常進会』は私が昔通ってて、で、今バイトしてるとこなんですけど、やっぱり生徒も多くてレベルが高いし、何よりベテランの先生も多いので授業も楽しいですよ。」

「なるほど…」

「で、『灯台舎』は元々都内にしかなかったのが、ここ何年かに水戸にもできて。ここもかなり雰囲気が良いんです。東京から来たから、受験ノウハウが沢山あるらしくって。」

「へぇ…」

完全にタルトを食べる手が止まり、パンフレットに釘付けになった。

「まぁ一長一短というか、『常進会』は県内だと老舗感あって、水戸の教育大付属とかには強いんですが、春樹くんの目指す県南地区の茗荷谷学園の対策が出来る先生どれだけいるのかなってのはあります。『灯台舎』は、基本が首都圏入試を元に作っているので、テストとか難しいんですよね。一応、中学受験コースのTゼミってクラスは少人数コースで県内レベルに合わせているみたいですけど。」

「な、なるほど…。ど、どうかな?春樹は。」

何にも返せる言葉が無くて、取りあえず春樹に話を振ってみた。

「ここってTってでっかく書いてある塾?」

「そうだよー。」

「多分、敦が行ってるのここだ…なんか、Tって書いてある紙袋持ってた!」

「へぇ…」

「春樹くん、冬期講習って知ってる?」

「うん。冬休みの学校の代わりに塾行くんだよね?」

「そう!でも塾に行くとね、変な先生とかいっぱいいるよ?」

「マジ!?楽しい?」

「だって、学校じゃやらないこと、やるんだよ?塾の教科書、見せてあげようか?」

「見る見る!」

みゆきちゃんが鞄から『小6 社会』と書かれたテキストを取り出して、春樹の前に広げた。

「ここ見て?語呂合わせで載ってるんだよ。」

「なにこれ!イチゴパンツって!」

微妙なネタが小5男子のツボに刺さる。テキストとみゆきちゃんの顔を交互に見ながらゲラゲラ笑う。

「ひみつ!」

「えーっ!?」

「塾行ったら教えてもらえるよ?」

「ほんと?」

「難しい問題も出て来るし、学校の2倍は宿題出るけど!」

「えーっ!」

「100倍よりマシじゃん。学校の2倍でラグビーできる学校に行けるんだから!」

「そっか…」

そう妙に納得しながら、春樹はみゆきちゃんのテキストを読み始めた。真剣な眼差しなのに、時々ふふっと笑いが漏れていて、なんだか奇妙に思えた。

「おばさん、他に何かありますか?」

「そうねぇ…えーっと、そう、集団授業と個別授業の違いも知りたかったんだ!」

「そうですね…どんな勉強がしたいかの違いです。例えば、他の教科は問題ないのに英語だけができない中2の子がいるとしますよね。その場合、集団授業だと英語のどこでつまずいているか分からないまま進んじゃうから、どんどん開いちゃう。そういうときに個別だと、中1のレベルからやり直してくれるのでつまづきが解消できます。」

「へぇ…」

「一方で受験って、客観的な評価が重要なんです。どんなに自分が満足していても、その学校に入れるだけの学力が無いとだめ。で、周りの子がどれだけ、どんな勉強をしてるのかを知らないと、自分のレベルもわからない。そういう客観性を持った勉強がしたい時は集団授業がいいんです。だからいまでも進学塾は集団が多いのかなって思います。」

「なるほど…」

「あくまで、わたしが思う違いですけどね!」

さらっと、疑問を解消してくれて、プロとして受験に向けて勉強を教えてくれる、そんな存在の人たちがいる。それを知っただけでも、ママとしては心強かった。

「みゆきちゃん、ありがとうね…私、受験って、勉強から授業料やら何やら、全部私が責任をもってやらなきゃいけないって、思ってたの。でも、プロの先生たちの力があって、春樹本人を頑張らせて…もちろん、本人がやらなきゃ、何にもならないんだけど。」

「でも、春樹くん本人がやる気なんだから、心配ないですよ。」

「そうね…」

「楽しみだなぁ…私も結構ミーハーで、太郎丸フィーバーに乗って、大学のラグビーの試合見に行ったんです。」

「そうなの?」

「ルールとかよくわかんなくて、でもすごいかっこいいスポーツだなって!スピーディで、命懸けで!」

「春樹くん、今度、私の大学のラグビー部の試合見に行かない?」

「え!?ラグビー?」

テキストを齧り付くように見ていた春樹が反応する。

「そう!太郎丸の稲田大学とも試合するよ。」

「えーっ!」

ばっと立ち上がって叫んだ。うるさいとこちらが言っても、もうラグビー一直線だった。

「今もあのえんじ色のユニで戦うの?稲田大って。」

「そうだよ。」

「マジ?日本代表に選ばれてる松平も!?」

「出るかは分からないけどね。」

「行きてーっ!!」

「じゃ、春休みにでも。その代わり春樹くん、勉強頑張るんだよ?」

「うぉーっ!」

ソファの上で、ぴょんぴょんと跳ねる。

「ちょっと!春樹やめて!行儀悪い!」

格好良く、塾の事や受験の事をすらすらと教えてくれるみゆきちゃん。その目の前でバタバタ騒ぐ我が息子が、とても恥ずかしかった。


そうこうしているうちに今日はお開きとなって、みゆきちゃんはクリーム色の車に乗って帰って行った。この後は友達とごはんを食べに行くらしい。改めて、去っていくみゆきちゃんの姿が頼もしいと思った。元々しっかりしたお嬢さんっていう感じで…まぁ淑子お姉ちゃんが育てればそりゃそうなるけど…頼もしい子だったけれど、やはり経験が大きく変えた様にも思える。中学受験、高校受験、そして大学受験。彼女にとって、それはひとつひとつが大きな戦いだったのだろう。選び取り、勝ち取ったもの。そんな言葉からそんな雰囲気が感じられた。春樹にも、こういう良い経験をさせてあげたいなと、こっそり期待した。


その時スマホが着信を知らせた。

「パパだ…もしもし?」

『もしもし。まだみゆきちゃんいる?』

「もう帰ったわよ。」

『ご飯の用意しちゃった?』

「まだだけど。」

『今から帰るから待ってて。今日は外で食べよう。エオンにラグビー用品売ってたからさ。買い物しつつご飯食べちゃおうよ。』

「わかった。」

『じゃ、あと少し待ってて。』

「はーい。」

電話を切って、パパが今日は外で食べようって言ってたと春樹に伝えると、ヨッシャ!とガッツポーズをしてテレビをつけた。

「行くまで、さっきの続きの太郎丸見てていい?」

「いいわよ…」

さっきまで、テキストに向けていた眼差しを、再び太郎丸選手に向けていた。切り替えの早さに呆れながらも、ティーセット類を片付けてパパの帰りを待った。


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