第3話 ブラックコーヒー

 俺はやっとのことで自分の家の前にたどり着いた。

 俺の家は池袋にある。家といってもマンションの一室だ。俺はここで一人暮らしをしていた。

 目を覚ました場所から家まではタクシーを使ったのでそう遠くはなかった。しかし、いまだに頭痛は治まっていなかったし、体中の痛みも抜けてはいなかった。

 ポケットから部屋の鍵を取り出し、鍵を開ける。ドアを開けると静寂が俺を迎えてくれた。

 俺は疲れた体を引きずり、部屋へと入るとソファーへ倒れこんだ。

 途端に、ドアの開く音がした。俺は顔だけドアの方へと向けた。

 そこには一人の男が立っていた。

「ようっ!」

 その男はさわやかな笑顔で俺に声を掛けた。俺は深いため息をついた。

「お前か……勝手に入ってくるなよ」

「俺とお前の仲だろ?気にするなよ!いい豆が手に入ったんだけど、コーヒー飲むだろ?」

「あぁ」

 俺はそれだけ答えると、体を起き上がらせた。あの男はいつもずかずかと俺の部屋に入ってくる。今までそんな男に出会ったことがないので新鮮は新鮮だった。

 俺の座っているソファーの前にはガラス製のテーブルがある。俺はテーブルの上のタバコの箱に手を伸ばした。が、チラッとキッチンを見るとテーブルの上に戻した。

 俺は普段二種類のタバコを吸っている。メインは今もシャツの胸ポケットに入っている、NATURAL AMERICAN SPIRITのメンソールライト。略してアメスピだ。

 そして、主に家の中だけで吸うのがテーブルに置いてあるGUDANG GARAMのメンソールだ。

 なぜ、家の中だけで吸うのかというと匂いがきついからだ。GARAMガラムはココナッツのような匂いがするのだが、この匂いが結構きつい。

 吸っている自分には気にならないのだが、他人にはかなり気になる匂いらしい。ある店では、GARAMを吸っている奴は出入り禁止になっているぐらいだ。昔、サーファーが波を待つ間に吸っていたのでサーファータバコとして流行ったらしい。

 GARAMは火をつけたり、吸うとなぜかバチバチ音がする。他のタバコと比べて煙が以上に濃い。それもそのはずだ。GARAMはタール32mg、ニコチン1.2mg。アメスピメンソールがタール9mg、ニコチン1.0mgだからいかにGARAMが濃いかわかってもらえるだろう。

 タバコなんだから体にいいわけはないのだが、普通のタバコよりもより体に悪いだろう。俺はあまり長生きしたくないから気にしないで吸っている。というか、俺は普段からいつ死んでもいいと思っていた。

 GARAMを口に咥えるとなぜか唇が甘くなる。匂いもきらいじゃないので俺は気に入って吸っているのだが、キッチンでコーヒーを作っている男はこの匂いが苦手なのだ。以前、あいつの前でGARAMを吸ったら

「そのタバコ、宗教臭い!」

 と言われたことがあった。宗教の匂いがどんなのかは分からないがそんな感じらしい。それ以来あいつの前では吸うのは控えるようにしていた。

 俺は仕方なくシャツの胸ポケットからアメスピとZIPPOジッポを取り出し、火を点けた。

 俺はコーヒーができる間にもう一度、昨日のことを思い出してみた。女とホテルへ行き、部屋を入った時点で心臓の鼓動が早くなり気分が悪くなった気がする。

 やはり、その程度しか思い出せなかった。今、言えることは昨日の赤い新作ドラッグは失敗作だったってことだ。天才の俺でも、たまには失敗はする。弘法も筆の誤り、猿も木から落ちるってやつだ。

 俺はキッチンにいる男を見た。まだコーヒーはできないらしい。いい物はなんでも時間がかかるのだ。コーヒーができる間に俺のことを少し教えよう。

 俺の名は片桐かたぎりりょう。二十一歳。自分で言うのもなんだが、頭脳明晰ずのうめいせき容姿端麗ようしたんれいだ。成績は常にトップだったし、顔も整っている。そのため、黙っていても女は寄ってくる。芸能プロダクションからのスカウトも一度や二度ではなかった。

 その分、男からは嫌われて生きてきた。妬まれていたのだ。俺は高校まで男の友達なんていなかったし、欲しいとも思わなかった。俺に近寄ってくる男は裏があったからだ。俺の家が裕福なため、みな金目当てで近寄ってきたのだ。

 俺の親父は病院の院長をしている。それもかなりの規模の病院だ。そこら辺の大学病院と比べても見劣りしないぐらいの大病院だ。病室も千近くはあるだろうし、医師の数も百人近くはいるはずだ。その他にも、親父の経営する病院が複数存在する。俺はそんな環境で育ったのだ。今まで欲しい物は全て手に入った。

 そんな俺に近寄ってくる男はみな金が目当てだった。それでも小学生の頃は男の友達が欲しかった。しかし、俺もバカじゃない。何度も同じ目にあえば諦めもする。中学に入る前には男の友達なんて欲しいとも思わなくなっていた。

 これが俺がドラッグを作っている理由だ。人間が嫌いだから、どんな人間でも苦しめてやりたい。親父も嫌いだった。

 だから、親父の仕事である医療で人を苦しめるのだ。親父が医療で人を救うなら、俺は医療で人を滅ぼしたい。そう思っていた。実際の所は親父は人を救いたくて医者をしているのか、金儲けのことしか考えてかは分からなかったが。


 今は俺は表向きは大学生だ。とある医大に通っている。成績はもちろんトップクラス。

 しかし、今年はゆっくりしようと思いサボりぎみだった。

 元々、大学に入ったのは自分の時間が自由になるからだ。裏の顔はドラッグの売人兼、製造者だ。自分でドラッグを調合して作っている。

 このために時間を作りたかったからだ。ドラッグを売るのも俺だ。しかし、最近はドラッグを売りさばく奴をやとい、そいつに売らせていた。俺が自分で売りに出ることは久しくなかった。

 そして、キッチンでコーヒーを入れている男は武藤むとう広希ひろき(むとうひろき)。俺の親友だ。

 武藤とは大学で知り合った。大学に入って俺に初めての親友ができたのだ。

 始めはいつものごとく金目当てだと思っていた。だから相手にしなかった。しかし、武藤は違った。

 俺を金持ちの息子とは見てはいなかったのだ。それがだんだん分かってくると俺は武藤に対して自然と心を開いていた。

 俺は常にどんな人間の心にも闇があると思っていた。しかし、武藤だけは別かもしれない。武藤には心の中に闇を感じないのだ。どんな人間にも妬みや嫉妬などはあると思うが、武藤にはそれが感じられなかった。

 武藤がさわやかな人間だからかもしれない。常に笑顔だし、容姿も俺には少し劣るが悪くはなかった。

 身長も高いほうで、大学で俺とのコンビは有名だった。もし、俺が女なら武藤に惚れていたかもしれない。俺にそんなけは全くないが。

 武藤がキッチンからマグカップを二つ持ってやってきた。

「ブラックでよかったよな?」

 武藤はそう言いながら俺にカップを手渡した。俺はカップを受け取りながら

「あぁ、お前のはまた砂糖いっぱいだろ?」

 と、苦笑いをした。俺と武藤は正反対ぐらい好みが違うのだ。お互いの好みはもう承知していた。

 武藤はテーブルをはさんだ向かい側に座り、コーヒーをすすった。俺も武藤を真似てコーヒーをすすった。確かにいい豆らしく、うまいコーヒーだった。

 武藤は俺の様子を伺い、ニヤッと笑いながら言った。

「うまいだろ?」

「あぁ、どうしたんだ、これ?」

「知り合いからもらったんだよ、ところでお前昨日は何してたんだ?」

 武藤は眉をしかめながら、俺の顔を見る。

「ん?なんでだ?」

「なんか朝から疲れてるみたいだからよ」

 俺はコーヒーを飲みながら、昨日起こったことを覚えていることだけ話して聞かせた。

 武藤は俺がドラッグの売人などをやっていることも知っていた。俺は話しながら、PINKピンク BUTTERFLYバタフライの実験をもう一度し直さなくてはと考えていた。どうせ、実験台の女なんか道を歩けばすぐにつかまるはずだ。

「それで、体は大丈夫なのかよ?」

「なんとかな、まだ頭痛がするけど……」

 俺はそう言いながら頭を押さえた。

「お前いい加減にしとかないと、本当に死ぬぞ」

 武藤はいつも俺にドラッグの売人を辞めるように言う。俺はいつも軽く受け流していた。

 俺の体を気遣ってくれているのだろうが、俺にも目的があるからだ。

「そういえば、お前は今日何しに来たんだ?」

 俺はずっと疑問に思っていたことを聞いた。

「別に、暇だからさ」

「そっか、じゃでかけるか!」

「どこへ?」

「さあな」

 そして、俺たちは真夏の街へとくりだした。

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