第17話 藤巻伝説 エピローグ

 ホワイトハウス。


「サァァァァァック! アキトに仲間だと!」


 大統領の叫び声が響き渡る。

 どの勢力にも与しない伊集院明人。

 アメリカ政府ですら持て余している彼に仲間が現れたというのだ。

 『サラマンダー』藤巻隆二。

 二輪車のスペシャリスト。

 拳銃の発射を見てからかわす超人的な男ともっぱらの噂だ。

 それなのに小さなモトクロスの大会の記録しか存在しない。

 完全にノーマークの存在だったのだ。


「ですが大統領。デルタからスペシャルエージェント、アニカ・ハンセンの救出に成功したとの報告がありました。同時にメキシコ国境沿いの人身売買組織もFBIにより壊滅。50名以上を救出いたしました。良いことずくめですな」


 大統領補佐官のその冷静な言葉に大統領はいらついた。

 アキトが動くたびに莫大な利益と引き替えに薄氷を踏むような政治的舵取りをするハメになる。

 今回も人身売買組織の壊滅で強い指導者を国内にアピールできるだろう。

 だが同時に事前の調査で判明していたことではあるが、外国人拉致被害者の存在。

 その処置は確実に国際問題になる事が予想されるのだ。

 これが自前のエージェントの仕業なら問題はない。

 どんな問題児だろうと指揮系統に入れて管理すればいいのだ。

 ところがアキトはまだどこにも所属していない。

 その中途半端な立場は各国政府が所有権を主張する事態にまでなっていた。

 そのアキトに仲間ができた。

 一般人であるはずがない。

 すぐに各国政府による争奪戦が始まると予想されるのだ。


「『サラマンダー』フジマキを調べ上げろ! 今すぐだ!」


 大統領の声は震えていた。

 半分はライアンの弟子への恐怖。

 半分はアメリカンヒーローを地で行く明人達への期待。

 そんな複雑な胸の内を抱えた大統領にトドメを刺すかのような言葉が補佐官から発せられた。


「それと大統領。あのライアンがアフリカの旧フランス植民地、現在内戦中のXX国へ入国いたしました。アキトとは違う男女を連れているとのことです。どうやら新たな弟子のようです」


 その言葉を聞いた瞬間、大統領の中で何かが切れた。

 視界が暗転し、口から泡が吹き出す。


「大統領? 大統領? 誰か! 誰か医者を呼べ! メディッーク!!!」


 補佐官の叫び声がホワイトハウスにこだました。



 幼い頃の花梨が藤巻隆二の目の前にいた。


「りゅうじ。だいすき!」


 あの頃は素直なヤツだった。

 実際のところ藤巻は花梨に感謝をしていた。

 幸せになって欲しいとも思う。

 明人ならそれもできるだろう。

 だが隆二にはその資格はない。

 いつも自分を心配してくれた幼なじみ。

 かつて花梨が自分に思いを寄せていたことも知っていた。

 花梨は本当に綺麗になった。

 だが心はときめかない。

 藤巻の心に常にあったのは義理の妹。

 水谷霞なのである。

 藤巻は実の母の再婚相手、義理の父親の養子になっていない。

 だが、兄妹というハードルをクリアしたとしても、ロリコンという修羅の道が後に続く。

 藤巻は深く悩み、苦しみ、いつしか考えるのをやめた。



 藤巻隆二は病院で目覚めた。

 目ぼけ眼で辺りを見回すと鬼のような表情をしたかつての父親の部下。

 筋肉ダルマという表現が一番しっくりくるだろう。

 今では義理の父親になった水谷聡司みずたにさとしである。

 血がつながってないはずの兄の隆史にそっくりである。

 元オートレースの選手で引退後は藤巻の実の父の右腕として会社を切り盛りしていた。

 今は母と結婚し、藤巻板金の社長でもある。

 正確は頑固一徹。

 そんな男が腕を組んで藤巻を見下ろしていた。


「隆二ぃぃぃッ! てめえ何しやがった!」


 冷や汗が吹き出す。

 隆二にはどうにもこの男が苦手なのだ。


「お、おじさん! 俺は悪いことなんかしてねえ! 犯罪者をつかまえただけだ!」


「あー、それは警察に聞いて知ってる! だがな……なんで米軍がうちのガレージにテメエ専用のバイクを発注して来やがるんだ? おう? 説明してみろ!!!」


 藤巻板金は今でこそ職人が去ってしまったせいで町の小さな板金屋になってしまっているが、藤巻の父が生きていた頃は各種カスタマイズも請け負っていた。

 だが米軍からの受注など一度も経験したことがない。

 もちろん藤巻にも身に覚えがないのだ。


「ば、バイクってなんのことだ!」


「テメエのだよ! 米軍の注文してきた公道用で200馬力以上、時速350キロ以上出るヤツってなんだテメエ! 派手な自殺でもするつもりか?」


 聡司が胸ぐらを掴む。

 いくら怒られても隆二には全く身に覚えがない。


「ほ、ホントに知らねえ! 知らねえよ!!!」


 情けない声を出す隆二。


「テメエ! まだ言わないか! 吐けコラァ!」


 顔を真っ赤にしてカンカンになった聡司が拳を振り上げた。

 そこにタイミング良く助け船がやって来た。

 それは若い男の声だった。


「水谷さん。私から説明しましょう」


 聡司は突然の来訪者に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。


「誰だ?」


「これは失礼。私は酒井と申します。埼玉県警の本部長を務めさせていただいてます。このたびは息子さんの活躍で無事犯人逮捕できました。ありがとうございます」


「お、おう」


「ついてはまずはこれを……」


 酒井は封筒を手渡した。

 聡司はそれをいぶかしみながら中に入っている紙を取り出す。

 それは小切手だった。

 その額面は5000万円。


「な、なんだこれは!」


 額面に驚愕する聡司。

 手が震えていた。


「隆二君の捕まえた犯人から芋づる式に何人も検挙されましてね。その中の何人かにアメリカ政府から懸賞金がかかっていたんです。実際の額面は5億円ほどでしょうかね……」


「ご、5億!!!」


「ところがアメリカさんの機密情報に触れているようで、さすがに5億全部現金でってわけにはいきませんでした。ですのでバイクの発注というカタチでまずは5000万。これには藤巻君とアメリカ、それと我が埼玉県警との契約金も入ってます。ぜひ隆二君のバイクの腕を正義のために貸していただきたい」


 全て嘘である。

 中身は賞金首逮捕の報酬だけ。

 しかもアメリカ政府から出た金ではない。

(かと言ってポケットマネーでは決してないあやしい金だ)

 アメリカ政府の懐柔工作もとりあえずはカスタムバイクの発注に収まっている。

 埼玉県警の契約も存在しない。


 嘘がばれれば信用をなくすだろう。

 だが仕方がない。

 伊集院明人と並ぶ存在が現れたのだ。

 囲い込んでかなければならない。

 もちろん酒井は明人や藤巻を組織に組み込むつもりは毛頭ない。

 むしろ彼らを日本やアメリカを含めた国家から守ろうと思っているのだ。

 彼らを縛ろうなんて神をも恐れぬ行為だ。

 ヒーローは好き放題暴れるべきなのだ。

 酒井は心の中だけでほくそ笑んだ。


「おじさん! これで会社の借金も!」


「うるせえ隆二黙ってろ!」


 一喝。

 隆二は不満げに押し黙った。


「おや。お気に召しませんでしたか?」


「おうよ。正義なんて耳障りに良いことを言ってやがるが、この金受け取ったら隆二はそういう世界の住人になるって事だ。大事なせがれを危険にさらしてまで金なんざいるか!」


「お父さん。それは隆二君が決めることです。隆二君、伊集院明人を知っているね。彼は埼玉県警のエージェントだ。彼と同じ場所に立ちたくはないかい?」


 酒井はさりげなく埼玉県警所属ということにしておいた。

 実際、伊集院明人の所属ほど説明するのが難しい事はない。

 今言わなくても、あとで嫌でも知ることになるだろう。


 隆二は下を向いて考えていた。

 腐っていた自分を救ってくれた男。

 その男に並ぶチャンスがやってきたのだ。

 これで借りを返すことができるかもしれない。

 それに別の理由も存在した。

 それには聡司を説得しなければならない。

 一瞬の間を置き隆二は顔を上げた。


親父…………俺はやる」


「隆二テメエ! って『親父』?」


「ああ親父。俺はやる。正直、モトクロスより魂が震えたんだ。今までほんの一瞬だけしか味わえなかったマシンと一体となったあの感覚。それが何分も続いたんだ。俺にはモトクロスの才能はなかった。もう伸びしろはなかったんだ。だけどあのとき俺は手に入れたんだ……望んでいた全てをだ」


 子供がある日逆上がりを覚える。

 自転車の乗り方を覚える。

 それは体で覚える。

 コツがわかると言われる。

 それは高度な身体操作においても存在する。

 藤巻は覚えてしまったのだ。

 極限の集中。

 その高揚感を。

 もう後戻りできない。

 それがもう一つの理由だった。


「だけどよ。だけどよ! 隆二!」


「親父もバイク乗りならわかんだろ。風になったとかそういうのじゃねえ。もっと形のない何か。一生到達できないはずの場所。そこに俺は到達できたんだ」


 藤巻が己の手を見る。

 あの出来事を思い出すと興奮して手が震えた。


「……クソッ!」


 それは悲鳴にも似た叫びだった。

 一瞬の沈黙を置いて聡司が言葉を発した。


「……わかった。藤巻さんのバイクを完成させる」


「親父……?」


「お前の親父さんの作ったバイクだ。と言っても改造品だがな。制作途中で藤巻さんが死んじまってな……完成させてやるよ」


 その目にはすでに怒りは存在しなかった。

 もう認めてやるしかない。

 男が自分の道を見つけてしまったのだから。


「親父……ありがとう」


「隆二、俺と約束しろ。絶対に死ぬな。霞が泣く。それと『藤巻』に泥は塗るな」


「ああ、誓うよ」


「あと高校は卒業しろ。……じゃねえと俺がぶっ殺す」


「……い、いえっさー!」


 思わずそう言うと、藤巻は全ての重荷が取り除かれたかのようなさわやかな顔で笑った。



「5000万円なんてどこから融通したんですか? まさか米軍じゃないですよね?」


 藤巻の病室を出た酒井に声がかけられた。

 それは今や酒井の秘書としてこき使われている中本だった。

 あらかじめ酒井から5000万円の事は聞いていた。

 だが、こんなに早く米軍が金を融通するはずがない。

 中本は確信していた。


「アメリカが関わっているのは仕事の発注までですよね? じゃあさっきの5000万円は? だいたい名義はどうなってるんですか!」


「警察の裏金に決まってるじゃない。具体的に言うとね。お上に言えない金を共済年金基金で資金洗浄した……」


「あー! あー! あー! 聞こえない! 世の中のダークサイドは聞こえない! つうかアンタいつか消されますよ!」


「はっはっはっは! 大丈夫。誰も明人君の担当にも埼玉県の本部長にもなんかなりたくないってさ。それに外務省には評判良いのよボク」


 中本は自身のこめかみから、ずきずきとした痛みが全身に伝わるのを感じた。


「まあ、見ててよ。文句言うヤツ全員に5000万円が安かったって言えるようにするからさ」


 酒井という名の外道は最高の笑顔でそう言った。

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