第14話 亜麻の糸

「だからそうじゃないってば。こーう」

「ぎーぃ」

「何やってんだ?」


 顔を寄せ合い、何やら微妙に険悪な雰囲気で言い合うナイとギィに、黒妖犬ヘルハウンドの皮を噛みしだきながらアレフは問うた。


「字を教えてるのよ。この子、喋れないの不便でしょ」


 木の板に尖った石で文字を書きながら、ナイ。なるほどなあ、とアレフは納得する。この迷宮に訪れてからすぐ、ずっとギィと行動を共にしてきた彼であったが、その発想はまったくなかった。そもそも、ギィと意思の疎通ができなくて困ったことがないからだ。


「ナイは誰に字を習ったんじゃ?」


 不思議に思って、ヘレヴは尋ねる。ナイは生まれたときから迷宮の中の森で暮らしていたと聞いた。ならば文字を……いや、よくよく考えてみれば言葉すら知っているのはおかしい。そもそも、赤子が一人で生きていけるわけがない。


「親代わりの人がいたのよ。もう死んじゃったけどね」


 ナイは何でもないかのように、そう答える。


「人間だったわ。灰の魔女と呼ばれてた。灰色繋がりで私のことを気に入って、拾ってくれたんだって」

「灰の魔女……まさか、灰の魔女オリアナか?」


 珍しく驚いた表情で、アレフが問う。


「わかんない。お婆ちゃんとしか呼んでなかったもの。あっちもあっちで、私に名前さえつけてくれなかったんだから。おいとか、お前とか、そんな風にしか呼ばなくってね。でも本当に……」


 ふ、と遠くを見るような表情で──


「本っ当に、性格の悪いクソババアだったわ。意地も悪けりゃ口も悪い。私も散々罵られたし、褒めてもらったことなんか一回もなかったし!」


 ナイは、育ての親を悪し様に罵った。


「最後の最後まで憎まれ口をきいて死んでいったからね! なーにが『そんな顔してたらただでさえブサイクな面がもっとブスになるだろ』よ!」


 忌々しげに言い放ち、ナイはぎりっと奥歯を噛みしめる。


「──でも……私を人として扱ってくれたのは、あの人だけだった」


 その頬に、すうと一筋、涙が伝った。


「ぎ……ぎぃ」


 ギィが木の板にガリガリと石で何かを書き、ナイに見せる。そこには、


『わかるよ』


 と書かれていた。


 白化個体アルビノ。老婆のような白い髪と、悪魔のような赤い瞳。


「そう言えば……謝ってなかったわね」


 それが滅びと災いを招く不吉の象徴であることを教えてくれたのもまた、育ての親である灰の魔女だった。


「あんたのこと、不吉だなんて言ってごめんね。あれ、嘘だから」


 ──そんなものが、何の根拠もない迷信であることも。


「ぎーぃ」


 ギィは胸を張って鳴き声をあげる。


「気にしてねえってさ」


 アレフに言われるまでもなく、その意味はわかった。


「……旦那様」


 ほんのりと暖かな空気が流れる中、不意に硬い声で尋ねたのは、ヘレヴであった。


「わしも、ナイも、恐らくギィも……このダンジョンで生まれ、このダンジョンで育ってきたものじゃ。じゃが、旦那様。あなたは、そうではないのじゃろう?」

「ああ、そうだな。俺がこのダンジョンに来たのはつい最近だ」


 彼女の問いに、アレフは頷く。


「外から来る人間は、極刑に処された者だと聞いたことがある。じゃが、わしには旦那様がそのような悪人とはとても思えん。旦那様は一体なぜ、この不帰の迷宮に降りてきたんじゃ?」

「ああ、それな」


 アレフはどこか気まずげに頬をかき。


「国家反逆罪だ」


 ちょっとした悪戯でも白状するかのように、そう言った。


「……一体何やらかしたのよ、あんた」

「なんだ、思ったより驚かないんだな」


 驚きよりも呆れの強いナイの反応に、アレフは拍子抜けする。


「なんかもう、慣れたわよ。あんたがメチャクチャなこと言い出すのには」

「それに、旦那様は実際鉱精ドワーフの国に殴り込んでおるしの」

「ぎぃ、ぎぃ」


 三人の反応に、流石のアレフも苦笑いした。


「まあ、聞いて面白い話でもないしな。それよりも、だ」


 彼は先程から噛み締めていた皮をナイに見せる。


「こんなもんでどうだ?」

「うん。このくらいでいいわ」


 唾液にまみれたそれを躊躇なく手にとって柔らかさを確かめ、ナイは頷く。


「これで服を作れるのか?」

「まだまだよ。この後木の実から抽出したなめし液に三日三晩漬けて、天日で乾燥させた後、またなめし液を塗って足で踏んで柔らかくするのを三、四回繰り返して、十分柔らかくなったら板に張って軽石で擦って厚さを均一にして、もう一回乾燥させたら終わり」


 ナイの説明を聞いて、アレフはうへえと呻く。


「随分手間がかかるんだなあ……」

「それでも木綿糸を紡いで布を編むよりはだいぶ楽よ。あれ、本当に信じられないほど時間がかかるんだから。はい、じゃあ残りもお願いね」


 そう言って、ナイはにっこりと笑って更に三枚の皮をアレフに手渡す。へいへい、と気のない返事をしながらも皮を噛みしだくアレフの顎は、流石に強靭だ。常人ならこれ一枚ほぐすのに一月はかかるだろうに、とナイはこっそり思った。


「ナイ、こっちはどうじゃろうか」

「うん。いいわね。太さもばっちり。強度としなやかさもいい感じ。完璧よ! 流石鉱精ドワーフね。手先が器用だわ」


 ヘレヴが手渡した麻糸を見つめ、ナイは満足げに頷く。麻を細かく切り裂き、取り出した繊維を撚り合わせて糸にする作業を麻糸みという。その糸はなめした皮を縫い合わせるのにも使えるし、織って布にすることもできる。


「じゃあ、そっちも残り、お願いね」

「先は長いの……」


 山のように積まれた麻に、ヘレヴも流石に辟易とした。糸車を用いて一日紡いでも、出来上がる糸はほんの僅かだ。ナイは木綿よりはマシと言うが、さほど大差があるようには思えなかった。


「ぎっ」


 ギィが『ナイ しない』と書かれた木の板をナイに突き出す。確かに、ナイは口を出しやり方を教えるばかりで、実際の作業はアレフとヘレヴに任せっきりであった。


「うるさいわね、私は教えてるんだからいいの! 師は弟子を教え導きはしても手は貸さないものなのよ」


 その物言いに、ナイが『灰の魔女』にどのような教育を受けて育ったのかを垣間見て、ヘレヴは笑みを漏らす。


「それにあんただって何もやってないじゃないの」

「ぎーっ!」


 とん、と胸元を指で突いてくるナイに、ギィは不満げな声をあげた。


「ぎいい……」


 そして木の板と石を手にするも、なんと書いていいのか思い浮かばなかったのだろう。彼女は板を持ったままギリギリと歯噛みする。


「ま、今のあんたの仕事は文字を完璧に覚えることね。はい、じゃあ続きやるわよ。アレフとヘレヴも」

「あいよ」

「うむ」


 ナイの合図とともに、アレフは再び黒妖犬ヘルハウンドの皮を噛む作業に戻る。ヘレヴはそもそも会話をしながらも手を一切止めていなかった。流石は鉱精ドワーフ、生まれついての職人ね、とナイは感心する。


 この分なら、一月もあれば全員の分を揃えられるかも知れない。

 その時のナイはそんな事を思っていた。



 だが、その予想は大きく裏切られることになる。


 ──ギィの、手によって。

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