第9話 鉱精の王、ミョズヴィトニル

「警告する!」


 居丈高な銅鑼声が響いたのは、翌朝の事だった。


「即刻、この森から退去せよ! さすれば命までは取らぬという、陛下の思し召しである!」


 ずらりと並ぶのは、完全武装した鉱精ドワーフの兵団。数は十人程だが、横幅が広いせいか、それともその武威故にか、もっと多く見える。皆鎧兜に身を包み、大きな盾を構え、剣や鎚を手にしていた。


「ぎぃっ、ぎぃ!」


 怯えて震えるギィの頭をぽんぽんと撫でてやりながら、アレフは鉱精ドワーフたちを見やる。あれだけの重装備ではナイの矢も通じないだろうな、と判断した。


 鉱精ドワーフの背は低いが、その腕は地面に付きそうなほどに長い。つまりリーチの差は殆どないということだ。それどころか身体が小さな分、こちらからは攻撃を当てるのは難しくなる。なるほど、小さいとはいえ侮ることなどできようもない相手だ。


「アレフ……」

「ま、多分なんとかなるだろ」


 不安げなナイに笑いかけて、アレフは一人森の中から鉱精ドワーフたちの目の前にその姿を現した。


「よう、おはようさん。こんな朝から団体さんでご苦労なこったね」

「この土地は我らが王、ミョズヴィトニル様のものである。速やかに立ち去るが良い!」

鉱精ドワーフってのはどうにも口を噛みそうな名前だな」


 軽口に返ってきたのは、鮮やかな抜剣だった。居並んだ兵士たちは一糸乱れぬ動きで、一斉にアレフに剣を向ける。装備や身体能力だけでなく、兵としての練度も極めて優れている証だ。


「こういうのはどうだ? 俺があんたたちに勝ったら、あんたたちは引き上げて二度とここには手出しをしない。あんたたちが勝ったら、この森も湖も好きにしていい」

「我が軍を愚弄する気か」

「してないさ。あんたたちは、間違いなく強い」


 それは、心からの賞賛だった。

 同じ剣を取るものとして、アレフが心底鉱精ドワーフの強さを認めていることはその声色や視線から伝わってくる。


 ならば何事かの計り事か、と鉱精ドワーフの兵隊長は訝しむ。

 確かに鉱精ドワーフたちは精強だ。しかし、口の上手い方ではない。

 他の種族に煽てられた挙句に騙されたり引っ掛けられたり、というような話は神話の時代の昔からよくあることで、それは彼ら自身も重々承知していた。

 小賢しい知恵比べのような話になれば遅れを取ることもある。

 だがそんなものに付き合う義理はそもそもないのだ。

 切り捨て、叩きのめしてやればいい。


「だけど、俺の方がもっと強いってだけの話だ」


 そう思ったからこそ、鉱精ドワーフたちはアレフの不遜な態度に激高した。

 この男が、一人で自分たちを倒しうると本気で思っていることを察したからだ。


「はっはっはっは!」


 いきり立つ鉱精ドワーフたちの後ろから、まるで雷鳴のような笑い声が響いた。


「面白い男だな、貴様は」


 鉱精ドワーフの隊列が、中央から二つに割れる。奥から姿を現したのは、鉱精ドワーフとは思えぬほどの巨躯を持った男だった。


 背丈で言えばアレフより頭一つ二つは小さいが、横幅は倍近くもある。腹は鎧の上からでもわかるほどにでっぷりとふくらんだ見事な太鼓腹だが、分厚い鎧の重さを感じさせる様子もなく歩くその身がただの肥満であろうわけもない。


「我こそが、鉱精ドワーフの王ミョズヴィトニルである」


 大して声を張っている風でもないのに、ミョズヴィトニルの声は朗々と響き渡る。


「だがその態度、ここに並ぶ兵だけでなく、我らが王国をも敵に回すことを知って――」

「くっだらねえな」


 己の言葉を遮り吐き捨てるアレフに、ミョズヴィトニルはその立派な髭をしごいて「ほう」と声を漏らす。


「お前がそいつらの中で一番偉くって、一番強いんだろう?」

「いかにも」


 鷹揚に頷くミョズヴィトニル。アレフは両拳をガツンと打ち合わせた。


「だったらグダグダ言ってないで、コイツで話をつけちまおう」

「ハッ」


 ミョズヴィトニルは笑った。嘲りの笑いだ。


「それが狙いか。我と一対一であれば勝てると、そう思っているのだな」


 挑発して王を引き出し、頭を打ち倒す事で自分の要求を飲ませようとする。

 小賢しく、つまらない策略だ。

 無論、ミョズヴィトニルにそんな要求に乗ってやるつもりなどない。


「いいや?」


 だが首を振るアレフに、彼は訝しげに眉根を寄せた。


「あんたたちに勝ったらって言っただろ? 来いよ、全員纏めて叩き潰してやるから」

「丸腰で良くもそこまで吠えたものよ」


 ミョズヴィトニルは激高を堪えながら、太い腕をアレフに向けて告げた。


「ゆけ」


 轟くような鬨の声が響き渡り、軍勢がアレフ一人に向かって突き進む。その足取りには油断も慢心も微塵もなく、楯を隙間なく並べて行軍する様はまるで壁が押し迫ってくるかのよう。王に仕える忠実な兵士たちは、まるでひとつの生き物のようにアレフに襲いかかり、


 ――――そして次の瞬間、弾け飛んだ。


「……な」

「そうら」


 一瞬にして瓦解し浮足立つ鉱精ドワーフたちに、アレフはその武器を振るう。


「もう一丁っ!」


 根っこから引き抜かれた巨木に薙ぎ払われて、鉱精ドワーフの一団が再び宙を舞った。


「何だとお!?」


 空を切る大質量の前には、長い腕も堅固な楯もまるで役には立たない。剣の届く遙か先から巨木が振るわれる度、鉱精ドワーフたちは数人纏めて吹き飛ばされていく。


 散開して別方向から攻撃を仕掛けようと試みても巨木を半円状に振り回されるだけで丸ごとなぎ倒され、近づくことも出来ない。


「第三隊、しがみつけ! 動きを止めるのだ!」


 兵隊長の号令とともに、数人の鉱精ドワーフが巨木をがしりと掴み、文字通り決死の思いでしがみつく。流石のアレフも武装した鉱精ドワーフたちに抑えられてなお自由自在に振り回すとはいかず、巨木がぴたりと動きを止める。


「今だ! 行け!」


 その隙を狙ってアレフに殺到する鉱精ドワーフたち。


「はい、お疲れさん」


 アレフは無造作に森に生えている木をもう一本抜くと、巨木を押さえているものごと鉱精ドワーフたちを薙ぎ払った。


「ありがとな、ナイ。生まれたての木ってのは抜きやすくていいな」

「それでも普通そんな雑草みたいに引き抜けるものじゃないんだけどね……」


 森の暗がりの中に声をかければ、ナイの呆れ声が帰ってきた。


「もう良い。ものども、退け」


 そのタイミングで、ミョズヴィトニルは重々しくそういった。

 闘いの空気は一瞬にして静まり返り、鉱精ドワーフの兵士たちは負傷したものを引き摺りながら王の命に従う。


「いいだろう、小僧。望み通り相手をしてやる」

「そうこなくちゃな」


 アレフはぺろりと唇を舐め、二本の巨木を両手で掴むと、それぞれを振り上げミョズヴィトニルに向けて一気に振り下ろした。


「ぬぅん!」


 裂帛の気合とともに、二振りの斧が振るわれる。それはまるで小枝のように巨木を切り裂き、跳ね飛んだ先端が兵士たちの只中に落ちて悲鳴が上がる。


 その頃には既に、アレフはミョズヴィトニルのすぐ側まで肉薄していた。

 兵士たちが落とした剣を掲げ持ち、鉱精ドワーフ王の鎧の隙目めがけて狙いすました突きを打つ。


「舐めるなっ!」


 しかしそれは軽く頭を下げたミョズヴィトニルの兜に弾かれ、空を滑った。同時に全てを斬り裂く斧の刃が、アレフの胴を目掛けて振るわれる。


 避けられない。そう悟ったアレフは、その勢いを引かないままミョズヴィトニルの顔に膝を入れる。ミョズヴィトニルはたまらず仰け反り、狙いの逸れた斧の柄がアレフの脇腹を強かに打った。


「ふん。なかなかやるな」


 距離を取るアレフに、ミョズヴィトニルはさして堪えた様子もなく言った。アレフの渾身の蹴りも、兜に阻まれ大したダメージは受けていない。

 一方で、アレフの膝は酷く痛み、脇腹も骨が一本、二本折れているだろうという感覚があった。この程度で動けないわけではないが、圧倒的に不利なのは確かなことだ。


 流石は鉱精ドワーフの鍛えた武具。数打ちであろう拾った剣も先日までアレフが使っていたのとは比べ物にならないほどの名剣だが、ミョズヴィトニルの身につけたものはその比ではない。


 兜はアレフの剛力で繰り出した一撃をやすやすと防ぎ、それどころか剣の刃先の方が欠けるほどの強靭さ。斧の鋭さといったら、まともに受ければアレフの鍛え込まれた肉体でも簡単に両断されるだろうという確信があった。


 つまりこちらの攻撃は通じず、あちらの攻撃は当たれば即死。


「参ったな」


 アレフは呟いて髪を掻き毟り。



 心の底から湧き上がる衝動を隠しきれずに、笑みを浮かべた。



「……?」


 ミョズヴィトニルはアレフの笑みに、怪訝な表情を浮かべる。

 自暴自棄の笑みでも、裏を持つ笑みでもなく、それは純粋な歓喜の表情だった。


「何を、笑っておる」

「おっとごめん。悪い癖だな」


 慌てて口元を手で押さえ、アレフは剣を構え直す。

 全身を鎧で覆ったミョズヴィトニルに傷をつけられるとすれば兜の隙間。目元か喉しかない。どちらにせよ、生きたまま倒すなどという器用な事ができる場所ではなく、生き死にの戦いになる。そんな時に笑うというのは無作法だ。


「いくぞ」


 恐らく剣はもう一度打ち込めば砕け散るだろう。

 一息に間合いを詰めるアレフを、ミョズヴィトニルは両斧を振るって迎え撃つ。

 長い腕に振るわれるそれは力任せに動く鉄の塊ではなく、正確に刃筋を立てた破壊のための一撃。全てを粉々にする意思持つ嵐のようなものだ。だが、鉱精ドワーフ用に作られた短い剣を届かせるには、その内側に入らねばならない。


 突き出した剣先は斧の刃を逸らすほどの力もなく、ただその腹を掠めて向きを限定する。そこに現れた僅かな隙間に身体を潜りこませれば、飛んで来るのはもう一方の刃だ。


「ふっ」


 アレフは鋭く息を吐き、横薙ぎの斧を指で挟む。

 百度に一度出来るかどうかというタイミング、しかし彼はそれを成し遂げた。


 吸い込まれるかのように伸びる剣の刃に、ミョズヴィトニルはぐっと胸を張る。それだけで刃は滑り鎧の分厚い胸元にあたって折れるはずだった。


 しかし、実際に彼の喉元を捕らえたのは冷たい鋼の刃ではなく、血の通った太い指。咄嗟に剣を手放したアレフは、そのままミョズヴィトニルを空中高くに放り投げた。


 空中を舞いながらも、ミョズヴィトニルは斧を振り上げ体勢を整える。それを迎え撃とうとするアレフは、地面の剣が既に砕けているのに気がついた。斧の平に触れた時点で、限界を迎えていたのだ。


「これを使うんじゃ!」


 鈴を転がすような声とともに飛んできたそれを、アレフは反射的に掴む。


 手に馴染んだ柄の感触。

 しかしその先に伸びる刃は、今まで目にした中でもっとも美しい鋼だった。


 迷宮に降りるときに奪った剣よりも、鉱精ドワーフの兵士の剣よりも……そして、ミョズヴィトニルの振るう斧よりも、明らかな輝きを持つ剣。


 アレフはそれに導かれるように、剣を振るった。


 鈍い音を立て、ミョズヴィトニルの両斧が地面に突き刺さる。


「……見事だ」


 喉元に突きつけられた剣を睨むようにしながら、ミョズヴィトニルは柄だけが残った斧を投げ捨てた。

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