第3話 小鬼のギィ

「ギィ」

「ぎぃ?」


 アレフが呼ぶと、小鬼ゴブリンの少女は角兎アルミラージの丸焼きから口を離して、パチパチと目を瞬かせた。


「そう、お前の名前だ。いつまでもお前とか、おいとか呼ぶのも面倒だろ。ぎいぎい言ってるから、ギィだ」

「ぎぃ」


 少女――ギィは良いのか悪いのか判然としない感じで鳴いて答え、食事に戻る。


「しっかし小さいくせによく食うなあ、お前は」


 焚き火を囲んで向かい合い、ギィは既に四匹目の角兎アルミラージに取り掛かっている。アレフは二匹食べただけだ。


 更に上に吊るしてある肉に伸ばされるギィの手を、アレフはピシリと叩いた。


「そっちは駄目だ」


 小鬼ゴブリンから手に入れたナイフで、何とか角兎アルミラージくらいなら解体できるようになった。剣では大きすぎて難しい。内臓を取り除き、丁寧に切り開いた肉を、焚き火の火があたらないギリギリに吊るして干し肉を作る。このやり方では大して長持ちしないが、生のまま持ち歩くよりはいくらかマシだ。


「ぎぃー……」

「そんな声を出しても駄目」


 眉を下げた情けない表情で見上げてくるギィの視線を、アレフはピシャリと跳ね除ける。腹も膨れた……とは言いがたいが、ともかく多少は胃の中にものが入って人心地付き、アレフは固い地面にごろりと転がった。


「ちょっと横になるけど、敵が来たら起こしてくれるか?」

「ぎぃ」


 ものは試しとそう頼んでみれば、ギィはあっさりと頷いた。

 アレフはちらりと、作っている途中の干し肉に視線を向ける。


「あれは、食べちゃ駄目だからな」

「ぎっ!」


 釘を刺すと、ギィはわかっているとでも言いたげに鋭い声で頷く。まあ、食べられたらその時はその時か、とアレフは剣を枕元に置いてまぶたを閉じた。


 彼女がどこまで頼りになるかはわからないが、もし見張りに使えるようだったら僥倖だ。こんな迷宮の中では睡眠中がもっとも危険だが、とらないわけにもいかない。


 体力だけは有り余っているつもりだったが、疲れも溜まっていたのだろう。目をとじるとすぐに、意識は闇の中に沈んだ。






 炎が爆ぜる。ぱちぱちと音を立て、赤く赤く舐めるように燃え上がる。


「お母様!」


 どこかで、子供の悲痛な叫び声が聞こえた。


「お母様! お母様! お母様!」


 子供は何度も何度も母を呼ぶ。救いを求めるように。だが、そんな物はあるはずがない。祈っても、叫んでも、救いなどあるわけはないのだ。彼の母は死に、父はとうに殺され、見知った者は全て首を刎ねられた。


 これから彼が味わうのは鉄の冷たさだけ。剣と枷の感触だけだ。


「お母様……お父様!」


 そんな事も知らず、子供はただ叫び続ける。館を焼く炎が、じりじりと肌を焼く。


「暑いっていうのに、泣くんじゃない」


 悪態が思わず口をつく。その声が思いがけず近くから聞こえて、彼は驚いた。振り向く少年の瞳と、彼の意識が重なる。


 ああ。


 叫んでいたのは、俺か――


 それを自覚したところで、アレフは意識を覚醒させた。


「……道理で暑いわけだ」


 自分の胸の上ですうすうと寝息を立てるギィを見て、アレフは溜め息を付いた。

 半分は、こんなに密着されても起きなかった自分への呆れだった。疲れていたのか、それとも油断しているのか。どちらにせよ、ギィが悪意を持っていれば二度と目が覚めないところだった。


 しかしギィには全くそんな様子もなく、むしろ安心しきった表情で眠り込んでいる。

 随分、懐かれたものだ。叩き起こしてやろうかとも思ったが、アレフの胸板の上でほっぺたをだらしなく歪ませて、無防備に寝転ける彼女の顔を見るとそんな気も失せた。


 起きあがることも出来ず、アレフは何となくさらりと彼女の髪を撫でる。ギィはきゅっと肩を竦ませ、何やらムニャムニャと口の中で呟いた。


 顔立ちは整ってるが、その小さな背と言い凹凸のない体つきと言い、まるきり子供にしか見えない。密着されても妙な気一つ起きないというのは、良かったのやら悪かったのやら、とアレフは考えた。


 天井を仰ぎ見るアレフの視界に、ある物が目に入る。……というより正確には、あるべきものが目に入らなかった。


「あー……やっぱりか」


 天井に吊してあったはずの肉が、丸々無くなっていたのだ。


「おいギィ、起きろ」

「ぎぃ!?」


 ほっぺたを引っ張られ、ギィは跳ねるように起き上がった。剣幕な様子を見せるアレフからまろぶように逃げ出して、柱の陰に隠れる。


「あれほど喰うなと言っただろう?」


 実際怒っているかというと、実はそうでもない。アレフには念の為に食料を確保しておこうと思う程度の計画性はあったが、別に無くても何とかなるだろうと思う程度の楽観性も備わっていた。


 だが、子供の躾というのは厳しくしなければならないという意識があったため、アレフは殊更厳しい表情でギィを睨みつけた。


「ぎっ、ぎぃ!」


 威嚇のつもりで拳を振り上げるアレフに、ギィはさっと何かを差し出す。


「……なんだ?」


 それは、細い蔓で編まれた袋のようだった。互い違いに重ねられて作られたそれは軽いがしっかりとしていて、ちょっとやそっとでは壊れそうもない。そして、中には眠る前に作った干し肉が六枚、全部入っていた。


「これ、お前が作ったのか?」

「ぎぃ……」


 柱の陰からこわごわと頭だけを出しながら、ギィは頷く。


「……悪かった。早とちりしてた。ごめんな、怖がらせて」

「ぎー……」


 アレフが跪いて視線の高さを合わせ手を差し伸べると、ふるふると首を振り、とたたと駆け寄って、ギィは笑顔を見せる。


「よし、それじゃ進むぞ」

「ぎーっ!」


 ぽんとその頭を一つ撫でて立ち上がると、ギィは元気よく腕を振り上げた。

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