047 [Bitter/Sweet][Kiss/Wish]
修二は――イスカが串刺しになる様を見て、強く歯軋りをした。
「それでも」
アポローンの左腕は、肩のあたりから跡形もなく吹き飛んでいた。
しかしそれだけ。
イスカの全力を、夏希は腕の一本を犠牲に受けきったのだ。
その剣の先でイスカはぐったりと項垂れている。夏希はそれを振り払った。
アスファルトを何度か跳ねて、赤金の髪は大地に広がった。
「私が、勝つ」
その刃先は、ぴたりと修二に向けられていた。
形勢は明らかに不利。夏希は左腕を失ったとはいえ、もう隠し玉は三つだけ。
夏希に唯一比肩しうるのは、修二の中ではイスカだけだ。
だからイスカが戦線離脱する状況は、最悪に近いパターンだった。
……世界には厳然と才能という格差があり、相性という要素があり、経験という壁がある。
セレネのコンバットハッキングは間違いなく才能の賜物で、夏希の超人的な能力は、この世にまたとないドミナントとしての力だ。
所詮凡人の自分では勝てなかったのだ。
そう諦めてしまえば、楽だった。
楽だったのだ。
「……だから」
決意の手には覚悟の剣を。
突き上げた拳を、ただ勝利のために。
そう決めた。もう二度と膝はつかないと――決めたのだから。
「どうした――ッ!」
夏希はいつだってそう胸を張った――。
イスカはいつだって、そう鼻で笑ってきた――。
相手がどれほど強くても、勝ち目が何処にもなかったとしても、自分の最善を常に選び続け、そこに疚しさの欠片も残さなかった。
あぁそうだ、俺は夏希に百万年かけても叶わないだろう。だからどうした。
だったら百一万年分の努力と情熱を、この一瞬に燃やし尽くせ。
今までの自分はひどく弱くて。
そんな自分じゃ、夏希の傍に立たされても苦しいだけで。
――強さの証明は、ただ勝利によってのみ成されるのだから。
弱い自分から脱するためには、勝たなければいけなかった。
だから修二は、夏希にだけは負けられない。
負けっぱなしは悔しくて。
自分が弱いだなんて認めたくなくて。
それでも、夏希を前にすると、どうしても俺は弱くて――それでも。
諦めるなと、この胸の奥で何百回も己を打ち据えた。
「俺が、勝つ」
姉さん。真冬。カーン。セレネ。
――イスカ。
――夏希。
「俺が、この先、お前と一緒にいるために」
だからここに置いていけ。普通であることに寄りかかるな。
無限の努力を燃料に、あらゆる壁を越えて行く。
沼から飛び立つ鳥に汚す跡などありはしない。
だから翔べ。遠くまで。汚れた自分など省みるな。
「俺が、自分自身を認めるために」
全ては勝利の先にある。
セレネが舞って。イスカが羽ばたき。
夏希が目指した、あの遠い遠い空の向こう側まで。
そしていつか、夏希が空から転げ落ちようとした時に。
――その手をとって行けるように。
「夏希、俺はお前を――超えていく」
「上等……! 超えてみせてよ、修二くん――!」
飛び上がってきた夏希に向けて、修二は最後の勝負を挑む。
一縷の望みに全てを賭けて、修二は砲棍を振りぬいた。
撃ちあう度に火花の代わりに爆音が響き、衝撃で機体が揺れる。
……五度の打ち合いを経て、二人はすれ違いざまに一撃を叩き込む。
修二の棍はアポローンのブースターを。
夏希の剣はビーク&タロンのバックパックを。
「……夏希」
「なぁに!」
――これで弾薬の補充は不可能。ダブレットピジョンズも、ストライクバックの砲弾も、爆薬も、全て
いつ気付かれたのか。いや、どうでもいい。
「俺じゃあ、お前を助けられないんだ」
再び打ち合いが始まる。
ブースターを失った夏希の歩みは、いつか見た軽く捉え所のないそれに変わる。
変幻自在の歩法が、確かな剣術を支え、そこに一つの完成形を生み出した。
それに必死に食らいつく。
肩から放った最後のダブレットピジョンズは、何か効果を発揮する前にまとめて切り飛ばされてしまった。
「お前の病気も、立場も、実力も――ただの高校生には荷が重くて、俺は多分、無力さに泣いたり苦しめられたりするんだ」
夏希といればずっとそうなると、修二は分かっていた。
重い病気に苛まれ、親を早くに失い、テロリストから狙われる立場で、そのくせ世界最強を名乗れるだけの実力があって。
今もそうだ。
こうしてその剣を弾く一瞬、集中が途切れたその瞬間に負けると感じる。
その剣が更に加速していくのを見て。
修二は、その際限ない強さに蹂躙されそうになる。
「だけど」
何度も乗り込んで、何度も壊された、踊る羽。
その一枚一枚を摘み取ってこの心に織り込んできた。
踏み潰される訳にはいかない。もう、地べたを這いずるのはゴメンだから。
「――すぐ、追い抜くから」
もう翼は必要ない。空を飛ぶための翼は、この心にちゃんとある。
鋭い突きを躱しきれずに、脇腹に深い傷を負う。
それでもブースターが動いていれば問題ない。急速に後退して、距離を取る。
「私は、君よりずっと高い所にいるよ」
この現実は、希望を打ち砕くための無数の絶望に満ちていて。
修二はそれと一緒に踏み潰される小さな小さな一人でしかなくて。
「君の前には、きっと沢山の壁があって……今の私も、その一つだ。それでも、来れる?」
「いくさ。今から俺は、飛んで行く」
その小さな一人が。
その無数の絶望に向き合って。
もしも超えていけたなら――無限大の希望が、星空のように広がっている。
それだけを信じて生きてきた。
この世界は不平等であっても、可能性だけは平等だと。
「だってこれは、この機体は、今日の全ては……」
そう信じて、機体を前へ。
夏希のアポローンが放つ渾身の一撃に、両腕でストライクバックを叩きつける。爆発。これで爆薬は打ち止めだ。
「この先全ての障害を食い破り、その先にある勝利を掴み取るための――」
そうだ。全ては勝利のために。
そしてこの決意は、大地から空を見上げる俺に、翼を与えるために。
「――そのための、嘴と爪だからだ!」
誰の手にもならない、この手で織り上げた、鷲の翼。
鍔迫り合いから素早く後ろへ距離をとった夏希が、その剣でストライクバックを切り捨てた。それでも前へ飛び、機体を捻る。
錐揉み回転からの回し蹴りは、一歩下がったアポローンの顎を掠めた。
だがまだだ。本命は次。
錐揉み回転を振り上げる足で相殺し、そのまま足を閉じて膝を弛める。
ドロップキック。
彼女が回避をしかけた刹那に合わせて、両腕の最後の仕込みを起動する。
発声起動ではなくトリガー式。
残した三つの隠し札、その一つ――フックショットだ。
夏希の遥か後ろを狙ったワイヤーがアポローンの左右を狭めた。
「だったら、見せてみろ! 私に――届かせてみろ!」
左右後ろへの回避は許さない。鍔迫り合いの勢いに飲まれ、剣での切断は間に合わない。
上へ飛ぶ、その回避すら織り込み済み。
機体両腕が急激に前へ引かれる。モーメントの起点は腕だ。
体の向きが進行方向と一致していればドロップキックは前に飛んだが、上半身を斜め下に落とした上で、同じ力を加えられたらどうなるか。
不出来な逆上がりでもしたかのように上半身が勢いよく引かれて、脚部は空気抵抗に負けて上を向き、上半身はその下へ滑りこむ。
膝を伸ばせば、間一髪躱したはずのアポローンの腰辺りを、両踵がそっと押した。それだけだ。
間抜けに思うなら笑うがいい、そこから先が真骨頂だ。
「――『
脚部から変形して飛び出た猛禽の爪が、手錠にも似た動きで、アポローンの腰を万力のごとく締めあげた。
だが夏希の適応も早すぎる。振り上げられた剣は既に脚部を狙っている。想定外。けれど想定外を行くこと自体想定済み――!
「させるかぁッ!」
「させるかよぉッ!」
残る二つの隠し札、その一つ。
アポローンと同じ使い切りの高出力ブースターで全身を捻って、振りかぶられた腕を大地に叩きつけ、その剣を地に埋め込んだ。
「ぎっ、まだ――まだまだ、この程度ォ!」
最後の一つ。
敗北の羽を摘み取って織り上げた翼の名。
無数の敗北を、確かな勝利に変えるために。
無限の空を、夏希と共に行くために。
「――『グリュプス』」
反応は劇的だった。
世界はぐるりと反転し、そして絵から線へと変わった。
「ああ。だから、これで終わりだ」
両腕は伸長しながらフレーム部を露出しブースターを兼ねた翼に変じた。
人の脚部は折りたたまれ、膝から先が鳥の足となって、太ももは胴の一部となった。そして腰辺りからせり出したのは、獰猛な獅子の爪だった。
空陸両用・変形型ドローン『ビーク&タロン/グリュプス』――。
たった一つ、この手で作り上げた己の分身の、もう一つの姿。
気高き鷹と力強き獅子の間の子、グリフィン。
それは、空を飛び行くために。
いつか落ちてくる夏希を、その背で支えていくために。
そのために。
声もない夏希を爪で掴んで、獅子鷹は今飛び立っていた。
「そうだ」
越えて行け。ちっぽけなフィールドさえも。
擬似の星空にぶち当たり、霧散するそれらの向こうを見る。V.E.S.S.に高度制限はない。遠く、高く、アリーナの一番上から飛び立った鷹は――ただ遠く、高く。
「もっとだ――」
眼下に広がる夜の光の一粒一粒さえも置き去りに。
わだかまる雲を引き裂いて。大気の限り――。
「もっと高く――!」
ナノマシンの密度が減り、描画限界に達した時、ガクン、と機体が反転する。
その衝撃でアポローンは剣を取り落とした。
そして落ちていく。イカロスをその爪に掴んだまま。
いつか君を救うために、今日の君を打ち倒す。
矛盾していると笑ってもいい、この敗北に打ち震えろ。
嘘みたいな速度で迫り来る地表。砕け散ったビル。溶け落ちたアスファルト。
混沌とする戦場の渦中へと舞い戻る。
「すごいや」
俺は――夏希を超える。
「ほんとに、飛んじゃうんだね、君は――」
夏希は、力なく笑い声を上げた。
そうして衝突。
破壊したフィールドをもう一度貫き直して、大地にその機体を叩きつける。
衝撃でアポローンの後部はずたずた、脚部さえも崩壊した。
「――だけどッ!」
それでも、夏希はその右手を伸ばした。それがグリュプスの顔を掴み、握撃によって破壊せんとする。完全な不意打ち。
グリュプスもまた体を衝撃で硬直させていて、その攻撃を回避することは出来なかった。
「――『
グリフィンの嘴からエネルギーの刃が伸びる。
至近距離から突き刺さったその腕は、いとも容易く千切れ飛んだ。
これで詰み――だからどうしたと夏希が吼える。
「それでも、私たちのぉッ!」
その眼前へと、セレネが迫る。
握撃は完全なフェイント。視界を奪い、セレネの接近から逃がさないための。
翼はなく、右半身のほとんどを失って、それでもセレネは飛びかかった。
その手にナイフ。圧倒的な情報圧。CCHの兆候。
『私たちのォォォ――ッ!』
もう言い訳はしない。
俺は弱い。俺は強くなりたかった。
そして今、俺
「か……」
夏希のその声。
敗北を悟るその声が、聞きたかった。
『我が主の覇道を阻むことは』
擲たれた槍が、黒く尾を引く光の槍が。
イスカの乾坤一擲が、過たずセレネの腹を貫いた。
『何人たりとも、許しは……しません』
投げた負荷で下半身を失ったイスカは、溶けたアスファルトに転がった。
胴体を真っ二つに引き裂かれた天使が消滅するのを見送って、騎士もまた、崩れるように消え去った。
修二はそれをちゃんと見ていた。
「さいっこうのシチュエーションだろ?」
その嘴を、頭を、弓のように引き絞る。
眼前に聳え立った最強という壁を、ぶち破るために。
ブースターを、両腕を、足を、全て失ったアポローンに向けて、獅子鷹は粒子の嘴を鋭く閉じた。
「あはは……うん、そうだね」
――俺の勝ちだ、夏希。
嘴が、その頭部を貫いた。
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