019 イカロスは空を目指していた
夏希は、ああやってしまったと思いつつも、言葉を止めることができなかった。
「勝つためにやるのが勝負でしょ。私はいつでも全力だよ。だから楽しいんじゃん。勝たないならやる意味がないよ」
――やっぱり私はどこかおかしいんだなぁ。
勝つことが一番楽しいんだ。負けると嫌な気分になるんだ。だったら勝ち続けなければならない。それはどこかおかしいことらしいと、夏希は分からないなりに把握していた。
彼ならば分かってくれるような気がしていた。
頭痛がひどく、夏希は頭を抑えた。
「勝てなきゃやる意味がないって、じゃあなんで、V.E.S.S.なんか……」
勝った負けたを楽しむゲームだろう、これは。
修二のその言葉に、夏希は本当に理解し難いと、逆の側へ首を傾げた。
「楽しいからだよ?」
違うかな――その言葉に、修二は何か言おうと口をパクパクと動かして、結局黙ったままだった。
夏希も支離滅裂になりつつある思考をどうにかまとめようとして、少しめまいを起こした。
「……なんて言えばいいのかなぁ。多分、修二くんが思ってるようなことじゃないんだよ。勝負自体が楽しい、それは私もよく分かるし。ドローン動かすの好きだしね」
夏希は眉根を寄せて、再三首を傾げた。
苦手だ。思考を言葉にするのは苦手だ。動くのは簡単なのに。夏希は心の奥底で呻いていた。だから自分には勝ちしかないのだとも思った。
人とこうして何かをするでもない。誰かに何かを教えるのでもない。
積み重ねて何かを得ることは苦手だ。生きるか死ぬか、勝つか負けるか、そういう状況ならなんとでもなるけれど。
「でも、やるからには勝たなきゃ。出来ないと分かっててする、とか出来ないのにさせられる、とか。そういうのは現実だけで沢山」
勝利というのは麻薬なのだ。
夏希はもう、それにどっぷりと浸かってしまった。
「現実っていうのはとにかく窮屈で複雑で。でも、勝負をする一瞬……操縦桿を握ったその先にあるものは、シンプルで、美しい、たった二つ――勝ちと負け」
そのシンプルさが大好きだ。
人が積み重ねているあらゆる虚飾が、暴力の前に消え去る瞬間。
言い訳など存在しない。
結果は口では覆らない。
厳然たる勝利の栄光は、夏希を裏切らないただ一つのもの。
人は自分を理解してくれないだろう。今までもそうだった。けれどそれは夏希にとっての全てだった。
初めにセレネがいた。そして、「勝利」を知った。
それだけが、今ここにいる雛森夏希の全てなのだから。
「分かるかな。翼を持ったイカロスだよ」
その原動力は、『より高みへ』。
夏希は欄干から離れて、くるりと両手を広げて回った。
弧を描くポニーテールと、パーカーの裾。
広げた両手が、翼だったらいいのにと。
昔、そう考えていたのを思い出す――。
「――出たいんだ。私を幽閉するこの塔から。蝋の翼を広げて、目一杯に羽ばたき続ける――」
フライヤーが上空を飛び抜けていって、夏希の髪をなびかせた。
――それがたとえ、己を焼き尽くすとしても。
手を伸ばすことをやめられない、愚かで、狂った、哀れなケモノ――。
夏希は、自分をそう呼んだ恐ろしい目の師匠を思い出した。
的を射ていると思って、それ以来ずっと忘れていない。
夏希は自分を馬鹿だと自覚している。もしも賢いなら、今頃自分は然るべき場所で大人しくしているだろう。
けれど夏希はそうするのが嫌だった。嫌になった。
――勝つことを知ってしまったから。
頭痛がひどく、夏希は泣きそうなのを必死に押し殺した。
修二が怯えたように夏希を見ていて。夏希は嫌な鼓動の高鳴りに苦しめられていた。
怖い。苦しい。そんな目で見られたくない。
今まで一度もそんなことを思ったことはなかったのに、視線が苦しい。苦しい……どうして?
私が彼を苦しめている?
世界が太陽になったみたいに、真っ赤に染まる。
翼が溶ける音を、聞いた気がして。
「……なーんてね。かっこいいでしょ。ししょーに言われた決め台詞なのです」
夏希は最後にそうごまかして、笑った。
修二はもう見ていられなかった。修二にとってそれはまぶし過ぎて、己の卑小さを感じさせるのには十分だった。
雛森夏希は己の真理を信じて戦っている。極論じみた強者の哲学をだ。
修復が絶望的なほどに傲慢。
顰蹙を買うほどの貪欲。
そのくせ虚飾の一切はない。
彼女は真に、心から、自分は常に勝つと決めている。
それは決して弱者を顧みるものではない。
勝ちたいのはこっちも一緒だ。だけど勝てない。そういうやつはどうしたらいい。――どうすれば俺は飛べるんだ?
そう思っても、修二は否と言えない。
そこに至るまでの道筋はともかく、勝たなきゃつまらない――その気持ちだけは、修二もひしと感じていたから。
飽き性が鎌首をもたげて、そうだそうだと喚いている。
勝てないゲームはつまらない。つまらないゲームは続けたくない。
『ね? わかったでしょ。そもそもからして、こんな反社会的人格がふっつーの仕事に就けるワケないのよ。学校も会社も糞食らえって感じじゃない、言い分が』
セレネは困ったように溜息を吐いた。そのくせ、彼女は妙に誇らしげだった。
修二はイスカの顔を見た。イスカは瞑目したまま何も言わない。
相棒は、どう思っているのだろうか。
静かに己に仕えるこの従者は、果たして自分をどう思っているのだろうか。
修二には分からない。修二とイスカの付き合いは、実はそれほど長くない。修二はイスカに自分の飽き性を明かしていないし、イスカも修二に自分の過去を明かしてはいない。
修二には分からない。分からないことだらけだ。
目を背けていたことや、潜んでいたものや、突然現れたものまで。
様々な不明が沸き起こって、修二のことを押し潰そうとしている――そんな気がして、修二は所在なく立ち尽くしていた。
「……まぁ、義務教育の迷宮からは飛び立ったな、うん」
「あははは。その通りだね」
結局、修二も誤魔化して逃げることにした。
夏希はその言葉に苦笑して、ペンダントに触れた。
『あんたもめんどくさそーに宿題やってるんだったら、いっそやめちゃったらどうよ』
「一般人には荷が勝ちすぎてるよ、それは」
修二は苦笑いでセレネに手を振った。
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