016 ヴィンター&アドレー



「やぁ、カーン君。予選突破おめでとう」

「……なんや、あんた」

「うん、人の顔くらい見た方がいいと思うよ。久しぶりだね」

「あ? ……あ? な、な、えっ」

「うんうん、驚いてくれてお姉さんは嬉しい」

「どっ、ど、どないしたんすか、いきなりっ」

「君を探してたのさ。ついておいで、少年」

「……ついてって、そないなこと突然言われても困りますわ。第一どこへ」

「アリーナだよ。ちょっと遠い所……うーん、ファイブスターがいいかな」

「なにをせえっちゅうんですか、いったい。ランカーの貴方が、俺なんかに……」

「修行さ」


 彼女は振り返って、その粒子の体を波打たせた。


「――修二に、言いたいことがあるんだろう?」





 結局、昼食を取った後はお開きということになった。


「別に手の内を明かす必要もないしね」

『本心は?』

「強い人がいないならやる意味なーし」


 修二の想像通り、夏希は外――セカンドからの入居者らしかった。

 セカンドは確か公式アリーナは一つあるのみで、非公式の仮想アリーナも少数しかない。

 居住性が高く衣食住に優れる反面、本格的な娯楽や医療は外へ出るしかないのがセカンドの実情だ。


 夏希は主にファーストの方へ出入りしていたようで、修二の耳には入ってこないのも分からないでもないといった所だった。


「それで修二くん、どこに行くの?」


 修二は勇気を振り絞り、夏希に案内を申し出た。

 夏希は目を丸くして、すぐに快諾した。


 自分でも突然すぎてノープランだったが、丁度アテがあった。

 というより修二自身の用事のついでだけれど。


「セレネとかアポローンって、どこで調整してる?」

「うん? うちの弟がそっち志望だからやってもらってる。細かい調整は、まぁ、弟もプロに手伝ってもらってるみたいだけど」

「てことは贔屓の店はないのか?」

「そーだね」


 修二はよしと頷いた。


「んじゃあまずは、俺のよく行く技術屋サイバーエンジニアの所とかどうだ?」

「あ、いいね。どこにあるの?」


 夏希が食いついてきたことにもう一度頷いて、修二はフルダイブ施設を指さした。


「地下」




 ――仮想空間への全感覚没入フルダイブは既に一昔前の技術だ。

 というよりも、電子の感覚が持つ危険性が表出化した頃にナノマシンが登場して、諸々の議論ごとその存在が有耶無耶になった、というのが正しい。


 仮想の食事は満腹中枢を破壊し拒食症・過食症に繋がり、また行き過ぎた仮想快楽は過度の依存を呼び起こし、挙句ぽっと出現した仮想ドラッグは人を廃人にしてしまった。

 昔に蔓延した、フルダイブを介して感染するメモリキューブ破壊性ウィルスソフトウェアは多くのアンドロイドを殺し、『アンドロイドの黒死病』などと恐れられた。


 一方で、三種のヒトが共通の感覚を獲得できる唯一の世界でもある。

 アンドロイドが食事をし、シリコノイドが睡眠をし、人間が空を飛び姿を変化させる――体がアバターに統一されることで、そういった未知を知ることができる。


 問題と有用性が綯い交ぜになったまま、より汎用性の高いデバイスが普及したことで、議論の余地なく文化の隅の隅に定着したカテゴリ。


 NANが世界中を覆い尽くした現在におけるフルダイブとは、一般にアバター――オートマトンと同じ電子体――を使って遠隔地へ遠出するためのシステムとして認知されている。

 あるいは、アバターでしか進入出来ないエリアへの移動手段としても。


 オートマトン斡旋所、『ヴィンター&アドレー』。

 それは合法非合法を問わない混沌の坩堝、実体進入禁止のサード地下区画、サイバーアンダーグラウンドに居を構えている。


『っていうか、アンダータウン自体がサードの名物なんだよ』


 修二と夏希は、生身そのままの姿をしたアバターに潜り込んで、サイバースペース用の転移ポータルから降りた。

 サード・アクアポリスの地下階層である。


 フルダイブにおける安全性の確保及び犯罪抑止のために、ダイブインする場合は自宅以上のセキュリティレベルを持つ個室から、公的な認可を受けたサーバーをプロキシにして接続する必要がある。そのため、アバターの応答は肉体よりワンテンポ以上も重い。

 修二は慣れているが、夏希はしきりに体を動かしては違和感に渋い顔をしていた。


『セカンドの地下は電子商店街だったんだけど、ここはなんでこうなっちゃったの?』


 薄暗い照明しんらいせい。狭い通路ストリーム。崩れかけの壁面ファイアウォール。サード地下の中でも、サイバースラムはそういうもので構成される。

 比喩だけではなく、ナノマシンが描き出す構造体として、それらはそういう姿をしている。


 空間連結体ネットワークは、基本的に名と体が本質を表すと言っていい。セキュリティの強固な情報構造体はその外見も強固にならざるを得ず、逆も然りだ。

 そのため、同じ座標にいても現実とNAN内部では世界の見え方は微妙に違う。


 サイバースラムの情報攻撃耐性は、一見して脆弱もいいところ。

 先の見通せない通路は野生フェラルウィルスのような脅威の存在を暗示させる。


『まぁ、需要ある所に供給ありって感じかな』

『ここの見た目は全てカモフラージュなのです、夏希様』


 暗闇は詳細を容易に悟らせぬため、狭い通路は大規模データの送信を阻むため、薄く脆弱な防壁は、その裏に張り巡らせた多重攻性防壁MRBで不正アクセス者を焼き殺すため。

 そしてそれら全ては、この空間が完全に管理されているという事実を隠匿するため。


『サードは娯楽の集う海上都市。それを利用するべく集まる不健全な物を一箇所で管理するために、そして必要悪たる社会の暗部を納めるために、公的に建造された表向きの非合法空間――』

『――という流言が通説となっております』


 セレネがこけた。


『しまらないわね』

『実際スラムなんて言い方されてるけど、ただの地下街だよ。暗黙の了解で成り立つ社会なんてどこでもそうだろ……ほら』


 修二が指さした先で、警官がビルの一つを制圧していた。


『風営法の捩れなんてもう何年も言われ続けてるけど、それと同じで、図に乗るとああなる』

『あれは……電子娼館ですか。愚かなことです』


 イスカの淡々とした物言いに、夏希は眉を顰める。あまり女性に見せるべきものではなかったな、と修二は反省した。

 と、セレネが憎々しげな顔で舌打ちした。


『クソ共め。死ねばいいのに……』


 修二はぎょっとして振り返った。

 飄々としたセレネの口から具体的な殺意が漏れたことに驚かされた。


『……私たちを何だと思ってるのかしらね、あいつら』


 セレネは髪を掻き上げて、苛立たしげに吐き捨てた。


『弱者を食い物にする強者というのは、どこでも同じでしょう』

『そりゃあね。私らは人間様と違って人権もないらしいですから?』

『セレネ、ストップ』


 鋭い声で夏希が静止をかける。セレネは降参とばかりに両手を上げた。

 修二は眉根を寄せて、どう声をかけたものかと口をもごもごと動かすばかりだ。


 結局、目的地を指差して、誤魔化した。


『着いたぞ。そこだよ』


 見た目は小さな家屋のようだった。

 スラムらしい、おんぼろで目立たない外装。看板と呼べるようなものはなく、ドアに小さく『V&A』と彫り込まれているのみ。


『いかにもだね』

『怪しすぎだけど、大丈夫なのこれ』

『中も怪しいんだな、これが。まぁ、入ろう』


 イスカが静かにドアを開け(電脳空間内部では身分の低いものが未確認領域ドアやストレージを確かめる、という作法がある)、修二たちが中へ続く。

 外装に比べて、中は少なくとも見窄らしく塗装が剥落しているようなことはなかった。壁面には申し訳程度に展示品の武装が並べられている。

 奥にカウンターがあり、人影はなし。当然のように、他に客もいなかった。外と変わらず仄暗く、加えて埃っぽいような気にさせた。


『うわ、ほんとに怪しい』

『よくこんなとこ来たわね……』


 セレネは呆れたように呟いた。修二も全くだと思った。


『姉貴の紹介だったんだよ、V.E.S.S.始めるってときに』


 初見では、中に入るなりイスカと顔を見合わせて、帰ろうかという話になったくらいだ。

 それでも日本チャンプの勧めを断るわけにもいかず、実際に予想以上の凄腕だったのだから、ここに来て正解だったのだろう。


 イスカの強化アームド鎧骨格エグゾスケルトンは彼女本来のボディではなく、記憶領域ペイロードに搭載した一つの装備品だ。

 今やイスカの素肌と言える程馴染んでいると修二は思うけれど、その素体は人間ベースの耐久性しか持たない、オートマトンの中でも驚くほどの骨董品なのだ。

 少なくとも、素のイスカはV.E.S.S.の高速戦闘についてこれるような性能ではない。

 それを補う鎧を丸ごと作り上げたのがここだった。


『そうだね。キミが来た時は驚かされたよ』


 ――振り返ると、いつの間にかカウンターには人影があった。

 人影というのは、その本人の姿が判然としないからだ。


『あのヒトの紹介だけあって、難しい依頼だったね』


 フードのついたローブを被った何かなのだが、そのローブの裏にはなにもないような姿をしている。

 アバターにしても奇妙なその姿は非常に胡散臭く、近寄りがたい雰囲気があった。

 声さえも古びたボイスチェンジャーに掛けたような、ノイズ混じりの低い中性的な声だ。


『今でも覚えてるよ、キミの――あぁ、イスカくんの修理と改装までの全工程』

『ちょっと待ったその話は』


 修二は振り返った。興味津々の瞳と目が合った。


『……後にして欲しかった』

『あぁうん、ごめんよ。まぁでも、遅かれ早かれなんじゃあないかな?』


 フードの人影はそこまでいうと、そののっぺりした暗闇を夏希とセレネに向けた。


『初めまして。オートマトン斡旋所『ヴィンター&アドレー』店主の店にいるほう、ヴィンターです』

『雛森夏希です、よろしくね』


 夏希はそれだけ簡潔に言って、腕を組んで首をひねり、唸っていた。

 怪訝な顔で夏希を見る二人(イスカは静かに控えているのみだった)の前で、ふと夏希は顔を上げた。


『もしかしてどこかで会ってる?』


 そんな馬鹿な、と修二は思った。そこまで世界は狭くないはずだ、と。

 現実世界と違って、NANのハイパーリンクを利用できる電脳世界は世界中どこへ行くのも一瞬なのだ。実はこのフードの人物がブラジルから来ていると言われても驚かない。


『うーん……リアルの事は分からないな。こんなに綺麗な人なら忘れないと思うけど』

『あはは、そうかな? ……うーん、じゃあ気のせいかぁ』


 声音だけはそれっぽく悩ませつつ、店主はしれっと問いを躱してみせた。

 そして、ずいっと腕をイスカに突き出した。


『早速だけど、エアロランスのメンテナンスだろう?』


 イスカは驚いた顔で修二を伺い、修二は頷いた。


『姉貴のアドバイスだよ』

『得心しました。よく考えれば、修二様が私より武器に詳しいわけがありませんね』


 まさにその通りで、修二は黙って槍を検分する店主を見つめることにした。


『……うん、上手く使ってるね。イスカくんは武器の扱いが綺麗だ。エグゾスケルトンに関してはまだまだ僕の手は必要なさそうだね。流石に武芸者を名乗るだけはあるかな』

『お褒めに預かり光栄ですが、私などまだまだ若輩の身です』

『なんて、自分じゃ思ってないんでしょう? サイバーエンジニアを舐めない方がいい。電脳空間じゃ内心を読み取る方法だってあるんだよ』


 イスカは珍しく閉口させられていた。店主は槍を手に奥へ引っ込んでいった。

 夏希は未だに首を捻っていて、セレネはそんな夏希を眺めて神妙な顔をしている。夏希が違和感を覚えるというのが気になった。修二の中の夏希は直感で何でも見通すような超人なのだ。

 すぐに店主は戻ってきた。


『うん、あれなら二十分もくれれば新品同然にしてあげるよ』


 流石に腕がいい。普通のエンジニアなら、一日と言わずとも三時間はかかるだろう。

 鎧と違って、槍はあくまでイスカの私物なのだ。武装のコードを読み取る最低限の知識はあるはずの修二でも、それがどういう作りをしているのか全く何も分からなかったのだ。軍用装備と言われてもおかしくないほどに複雑で強固な暗号化が成されているのだ。


『……ところで、二人は追加装備とか欲しくない?』

『へ?』


 修二が間抜けな声を上げているうちに、店主はウィンドウを開いてよこした。

 注文書と上に書かれた、ただのテキストエディタだった。


『無償でとは言わないけれど、作ってあげるよ。無性に何か作りたい気分なんだけど、せっかくなら誰かに使って欲しいし』

『っても、そんな突然』

『適当に方向性を決めてくれればそれに合わせてあげる。それじゃ、修理完了までによろしく』


 一方的に言い残し、今度こそ店主は奥へ消えてしまった。


『修二様、どうなさいますか?』

『……ラッキー、って言うしかないんじゃねーの』


 修二は溜息を吐いた。

 二人を案内に来たはずなのに、これでは待たせてしまう。


 気にしないでと微笑む夏希を見て、修二は頭を掻いてテキストエディタに指を重ねた。

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