007 痴女天使セレネ



 夢か嘘でありますように。

 この期に及んでその可能性に縋っていた修二だったが、ついぞ望みは打ち砕かれた。


「待ってたよ、修二くん」


 昨日修二を瞬殺した雛森夏希の、ひらひらと振った手によって。


「ああ……その、うぃっす」

『修二様』

「あぁいや、えーと、待たせてすみません」


 イスカの小さな溜息は、修二の右肩から背中当たりをひやりとさせた。


「あはは。いーよいーよ気にしなくて。それとも何か疚しい理由?」

「いや、そういうわけじゃ……」


 冷たい相棒と違って、彼女のなんと温かいことか。

 悪戯っぽく微笑む夏希の顔を直視出来ず、修二は彼女の後ろで揺れるポニーテールに意識を向けた。


「今日からよろしくね!」

「あー、うん。よろしく……お願いします」

「敬語やめようよー」

「えーと、その、よろしくな」


 イスカの溜息の冷たいこと冷たいこと。修二は眉根を寄せた。


 別に修二はオタク(死語だ)ではない。頻繁に告白されるような男らしさはないが、愛情まで行かない程度の好意を向けられることは多い。女子の扱いが苦手というわけではないし、今どき初心というわけでもない。

 それでもこんなに怯えた対応になる理由は様々あったが、今この時修二の胸を占めているのは、昨日の惨敗であった。


 昨日の全国大会みなとみらい地方予選、負けたと思っていた修二の所に、四位での突破通知が来た。運が良かったこともあるし、彼の想定よりも全体のスコアが低かったこともある。

 それもこれも、目の前の少女が原因だ。


 予選一位は雛森夏希。

 二位とは大差も大差、トリプルスコアをつけての優勝。スコアの大半は撃墜数キルポイント

 ――その数、参加プレイヤーの八割。


 予選フィールドは広い。全国大会と同じく、十キロ四方ほどの大規模フィールドで行われる。参加者は百名前後。ドローンとオートマトン合わせて二百五十近い数の敵がいた。

 対して殲滅までの所要時間はわずか十分。撃破総数は合わせて二百と二つ。


 六秒につき一ペア。三秒で一体の撃破ペース。


 ネットでは始め集計のバグを疑われ、戦闘記録の公開と共にそれが事実であると誰もが理解した。

 接敵から撃破までに一秒もかからない、鮮やかな一閃。どうしているのかも分からない索敵から最短距離を駆け抜け、罠も伏兵キャンパーも正面から捻り潰し、集団へと飛び込んでは跡形もなく食いつくす。

 最後は二十を超える集団同士の戦闘に乱入、計五十五ペアを二分で殲滅し、向かってくる最後の一人を待ち受け、撃破。その戦闘記録において、直接の被弾はただの一度のみ。


 巨剣を操る小さく重厚な機体と、翼を持った妖艶な美女。

 前代未聞の殲滅者ラストスタンド

 不世出のモンスター。


 修二のスコアが高かったのは、あの勝負時点で修二以外の全員が撃破されていたために過ぎない。

 言ってしまえば、夏希に最後に出会ったという偶然のおかげだ。


 彼にとって夏希は想像もつかないレベルにいる化け物で、そんな彼女とチームを組むというのは、どこをとっても気が重くなる要素しかない。

 そもそもどう接していいか分からない。

 あれほど無残に敗北した相手で、自分を「勝たせてくれた」相手で、自分より遥かにレベルの高い相手だ。


 加えて恐るべき美少女で巨乳。

 ……パーカー越しに揺れる大きな胸に視線が言っていた事に気付き、修二は慌てて視線を逸らした。イスカの溜息は冷凍庫を開けた時のようだった。

 幸いにも夏希は気付く事なく、ペンダント型のウェアコンを起動してあれこれARディスプレイを弄っている。


「タッグチーム部門、もうすぐ始まるみたい。非公開エリアで練習くらいなら出来そうだけど、キュー入れちゃう?」

「あー」


 情けない間の取り方に冷や汗が垂れる。

 それでも、修二の中にはどうにか冷静な部分が残っていたらしい。


「そっすね、いや、そうだな。練習ってか、調整はしときたい、よな」

「おっけー決まりっ! ……わ、凄い人だねぇ。十分くらい掛かりそうかも。時間一杯やってギリギリかー」


 やはり大会前の最終調整に勤しむ者も多いのだろう。言われてみれば、アリーナはいつにもまして混んでいる気もする。

 嫌な予感がして、修二はちらりとイスカを見た。イスカは小さく頷いた。


『前日のソロ部門と比較して三割五分、平時とですと七割近く客足が増えています。多くはギャラリーでしょう。ネット観戦者に至っては把握しきれません』


 イスカは淀みなく口にした。


『SNSやBBSでの反応を調べた限り、皆様の目的は、夏希様のようです』

「わぁお……そりゃ、さいっこうだね」


 夏希はにっと笑ったが、修二の顔は青くなった。

 胃の当たりが重く痛んだ。これから彼女のペアとして共に注目を浴びなければならないらしい。

 無茶を言わないでくれ、と修二は喉奥で呻きを押し潰した。少女に比べて自分はあまりに分不相応で、弱すぎる。

 それは、それはあまりにも――。


「そうだそうだ。昨日紹介してなかったよね。私のパートナー」


 ふと夏希が手を打ったことで、修二の意識はそちらへ向いた。

 彼女のオートマトンと言えば、あの機械の翼をした白い天使か。


「えーと……あれ、セレネ?」


 と思ったのだが、夏希は何やら阿呆の顔で首を傾げていた。


「おーい、セレネー」

『あふ……んん。呼んだかしら?』


 欠伸を噛み殺しながら、彼女は虚空に現れた。


「うわ、うわあ」


 修二は思わず目を逸らした。


 空中にふわふわと浮かぶのは、真っ白な新人類オーガノイド型オートマトン。印象的なのは背中に生やした鋼鉄の翼、などではなかった。

 彼女は細長い布を纏っている。それだけなら、かぐや姫に出てくる天女の羽衣のようだ。

 いや、それだけなら、というのは語弊があった。なにせ本当にそれだけなのだから。


 彼女の出で立ちは、つまり全裸に布のみだ。


 布を体に巻いてすらいない。そも素肌に触れておらず、彼女同様宙に浮かんでいるのみ。

 彼女の身動ぎに合わせて揺れる薄い布は、外の視線から局部を遮る以上のことはしていなかった。


『出番? じゃないみたいね』

「や、出番だってば。呼んだら出てきてよね」

『普段恥ずかしいから隠れててって、貴女が言ったんじゃない』


 戦闘中は夏希のプレッシャーもあって全く意識していなかったが、こうして見ると完全に痴女だ。痴女としか言い様がない。レーティングもギリギリだし、見えないギリギリだ。攻めの姿勢にすぎる。

 当然、周りの視線を一挙に集めていた。


『セレネよ。よろしくね、童貞君』

「どっ、……ああ、よろしく」


 緩く足を組み、虚空に寝そべりながら、セレネはひらひらと手を振り、また欠伸を一つした。

 言い返そうにも直視出来ないし、童貞は事実である。修二の恋愛経験はとてもプラトニックなものだ。

 イスカがまた息を吐いた。


「まぁ、そういう反応が普通だよね」


 夏希は苦笑した。


「言っても聞かないんだよねぇ……。服くらい普通にして欲しいんだけどさ」

「え、あ、あんたもか……?」


 思わず声が上擦っていた。


「というと、ああなんだ、修二くんメイド趣味ってわけじゃないんだ?」

「ねぇよ……。あんたも露出趣味はねえだろ?」

「過激で済む域を超える趣味はないよ、そりゃ。女の子にあれこれって趣味でもない。でもそういう目で見られるんだよねー、結構困るんだよねぇ。分かるっしょ?」

「分かる!」


 修二は思わず彼女の手を取ってぶんぶん上下に振っていた。夏希も同調していた。


「マジで分かる! 別に俺はオートマトン性癖マリコンではねぇっつの!」

「おおっ同士よ! 世間の目が辛くても頑張っていこうね、チーム名は『相棒の服装がヤバい』だよこれは」


 名状しがたい感動に暫く震える修二だったが、ふと彼は思い立ってイスカの方を見た。


『どうかなさいましたでしょうか?』


 この状況で尚素知らぬふりをするイスカに、修二はだめだこりゃと肩を落とした。

 何を言っても聞かなかったのだから、多分これからもこのままだろう。


「でもセレネよりイスカちゃんの方がマシだと思うなー……似合うし」

「まぁ服着てるからな……俺が連れてたら通報もんだぞあれ」

『いいじゃない、見せちゃいけないとこは隠してるし。ヒト種認定されてなくたって、服装の自由くらいあるわ』

「や、だからセレネのそれは服じゃないってば」


 セレネは悪びれずにつんとそっぽを向き、羽衣を翻した。

 主以上に大きな胸が、物理演算に従ってふるりと地に引かれる。浮遊している割に物理演算は適用しているのだな、と修二は場違いな感想を抱き、凝視していたことに気付いて慌てて視線を逸らした。

 逸らした先では、彼の相棒が冷たい目で彼を見ていた。


『どうかなさいましたでしょうか』


 比べるのは論外というものだ。そんなことをして彼女を惨めにするわけにはいかない。

 と考えた所で、修二は相棒の目つきから関係崩壊の危機を読み取った。


『……何事もないようでしたら、女性へ不躾な視線を送ることはお控え下さい』


 修二の表情の変化を見て、イスカは溜息混じりにそう答えた。

 殺されるかと思った。修二は縮み上がった心臓をどうにかほぐした。


 イスカはこっそり自分の胸に手を当てて、もう一度息を吐いた。

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