第43話 43 やつらの足音のハザード
足を踏み入れると、ゴミ捨て場にこびりついた生臭さに似た、不快な空気が鼻を刺した。
晃はカンテラを高く掲げて、処置室の内部を照らす。
先程から変わっている点は、特に見当たらない。
床に死体が転がり、アチコチに血や尿がシミを作り、手術用具が散乱している。
ただそれだけだ。
部屋の隅には、無線機が電源入れっぱなしの状態で置かれている。
それを拾い上げた晃は、ランタンと一緒に手術台の上に乗せて、音声を拾いやすいようにセッティング。
それから、身振り手振りでもって「これから連中に聞かせる芝居を始める」と優希に伝える。
すぐに意図を理解したらしい優希が頷き、罠のための下準備は開始された。
「クソッ! クソが……クロの野郎、佳織さんまでっ……」
「ぉ、落ち着いて、落ち着いてよ、晃くん」
晃のやや大袈裟な演技に、優希もそれに合わせたテンションで応じてくる。
佳織が殺されたという設定を入れたのは、完全にポンコツ化してしまった彼女を安全圏に置きたいが故だ。
あいつらが聞いてなかったら空回りにも限度がある無駄骨だが、そんな考えを意識から追い払って晃は続ける。
重要な情報を連続で入れると怪しまれそうだ、との判断が働いたので、ノイズでしかない無駄な会話も挟み込みつつ。
「とにかく、とにかく、だ。これでコッチは二人、向こうも二人だ。あのデブとマッチョは俺らが逃げたと思ってんだろ」
「でも、あの、クロってのが帰ってこなかったら、探しに来るんじゃ」
「だから、その前にやる。あいつらは、あの地下室だろ。上の建物が燃えたら、そのまま窒息だ」
「……た、確かにガソリンみたいなの、あったけど……燃やすってヤバくない」
「やべぇとかやばくねぇとか、もうそんなん言ってる場合じゃねぇから!」
上手く演技できている自信はなかったが、追い込まれて言動がおかしくなっている点については、もう素の精神状態に近い。
連中がこの無線を聞いていたら、本気で火をつけるつもりだと疑ってくれるんじゃなかろうか――と、そんな期待が湧き上がる。
とはいえ、詰めの甘さで仕掛けを見破られたら、逆に自分らがピンチになりかねない。
そんな危機感から、晃は自分が本気で放火に打って出ようとしていると信じ込ませるべく、基本は具体的でありながら重要な部分が曖昧な、ニセの放火計画を滔々と語る。
勘のいい優希はこの意図に気付いたようで、上手い具合に反応して晃の発言の信憑性を底上げする、そんな助演女優っぷりを発揮してくれた。
そろそろ頃合と見た晃は、無線機を指差して「壊すぞ」と視線で合図する。
「クロから訊くだけ訊いたら、次は――」
「待って……ちょっと、これって」
「うぅ? えっ、おっ、マジかよクソッ!」
慌てふためいたフリをしつつ、晃は無線機を壁に向かって放り投げ、跳ね返ってきたところを何度も何度も踏み潰す。
完全に壊れたのを確認してから、優希と顔を見合わせた。
「騙されてくれる、かな」
「どうだか。とりあえず、やるだけはやった。だから後は、あいつらの反応を待つしかない」
ランタンを回収した後、二人は佳織とダイスケが残っている浴室へと戻る。
フロアにはまだ、人の移動している気配はない。
無線を通しての会話を全部聞いてからやつらが動いたとすると、ここに来るまで早くて五分。
そう判断した晃は、その時間を基準にして行動方針を考えていく。
二階に移動しながら無線を聞かれていた場合、時間不足でかなり面倒なことになりそうだが、その危険性をどうにかできるアイデアは思いつかなかった。
「撒き餌はしてきた。そっちはどうだ」
「言われた通りに作ったけど……ホントにこんなんで大丈夫か」
「上出来だ。今やってるのは全部、やらないよりやった方がマシってだけのことだから、あんま深く考えるな」
不安を隠す気もないダイスケを
言葉とは裏腹に、雑な仕事ぶりに軽くイラッとしている晃だが、揉めても時間が無駄になるだけなので黙っておく。
佳織はまだ虚脱状態から立ち直っていないようで、頭を前後左右にフラフラさせていて何とも危なっかしい。
晃たちが今いる二階と、一階とをつなぐ階段は一箇所のみだ。
患者も関係者も、基本はエレベーターでの移動だったろうから、階段の扱いが雑なのは仕方ない。
そして、階段が一箇所しかないことが、メリットでもありデメリットでもある、という複雑な状態になっている。
「来るとしたら、確実にここからだ。予想外の先制攻撃を受ける危険は、限りなくゼロに近い」
「けど、玲次くんを盾にされたら」
「先頭切って乗り込んでくるのは、まず間違いなくリョウって奴だ。玲次を怪我させることになっても、それであのバケモノを仕留められるならお釣りが来る」
階段に近いトイレに移動し、そこで声を潜めながら優希と打ち合わせを行う。
全てを語っても不安が増すだけだろう、と判断した晃は自分の計画のメリットだけを挙げている。
ちなみにデメリットは、逃げ場もその階段しかないから奇襲に失敗したらバッドエンド不可避、という綱渡り具合な事実だ。
薄々それに気付いているのか、晃の話を聞きながら優希は渋い顔だ。
「奇襲が上手く行っても、一撃であいつを沈めるのは多分ムリだ。だから乱闘状態になったら……優希さんは佳織さんを連れて、とりあえず外に逃げてくれ」
「うん」
話が通じるか覚束ない佳織は、個室に押し込んで放置してある。
「それで、さっき腕が降ってきたあの辺、あそこでどっかに隠れて待機しておいてくれ。待機してから十分……は、計れないか。じゃあ、ゆっくり六百数えて、それで俺らが来なかったら、二人で
「……やってみる」
「奇襲が成功して、余裕を持ってそっちに行ける場合は、優希さん達に見えるようにライトを三回点滅させるのを繰り返す。これが見えたら、動かずに待ってて」
緊張の面持ちで優希が頷くと、階段の様子を見張っていたダイスケが戻ってくる。
こちらは緊張が続きすぎて慣れが出たのか、妙にダレた雰囲気をまとっていた。
「まだ、足音も話し声も聞こえない。ホントに来んのか?」
「もうしばらく待って来なけりゃ、次の手を考える。じゃあ優希さん、見張りを頼む」
「ん」
短い返事を残してトイレを出た優希を見送り、晃はダイスケと計画の細部を詰める。
複雑な指示を出してもこなせないだろうし、かと言って本人の
ダイスケには最低限の働きだけを期待することにして、晃は間違えようのないシンプルな指示を伝え、ついでに予想される展開をいくつか語りつつ、それぞれの場合の対処法も教えておく。
「――と、いう感じで動いてくれ。わかったか」
「まぁ、大体は」
たっぷりと不安を感じさせる、気の抜けた返事だった。
ダイスケの気を引き締させるために、マジ説教か全力ビンタでもカマしておくべきだろうか、と晃が検討し始めたところで、忍び足と急ぎ足を無理矢理に合成したような変な歩調で優希が戻ってくる。
「来てる。足音は……多分、二人」
「そうか……じゃあ、打ち合わせの通りに」
押し殺した声での優希の報告に、晃も小声でもって応じる。
その言葉を合図に、晃とダイスケと優希、それと優希に手を引かれた佳織は、各自が所定の位置で待機状態に入った。
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