第30話 30 遺暴言

 死の宣告を伝える相手を直視するのはつらかったが、最低限の誠意は見せるべきだろうと考え、晃は優希の目を見据えながら言った。

 視界の中で、泣くのをこらえていた優希の表情が歪んだ。

 そして、気の抜けた悲嘆の声がしぼり出される。


「ヒッ――ひぅうううううっ、うぁああああああああああぁああ」


 グシャリという音を空耳するほどに、優希の整った顔が別物へと崩れていく。

 そんな絶望を与えたのが自分である、という事実。

 想像を遥かに超える呵責かしゃくの重みに、晃は思わず目を逸らしてしまう。

 逸らした先で、慶太と目が合ってしまった。

 腫れた面相からは表情が読み取れないが、選択した結果を責めているだろう、との予想はつく。


「アキラ、ぉま……どうして」


 どうして自分を指名しなかったのか、と慶太は問いたいのだろう。

 理由を説明しても、慶太と優希に追い討ちをかけるだけだと判断した晃は、答えずにうつむいて強く長く息を吐いた。

 玲次と佳織がどんな顔をしているのかを確かめるのも怖くて、両手を膝についた姿勢のままでしばらく固まっていると、リョウがほがらかに声を上げる。


「あぁ、はいはい。そうか、そう来たかぁ……つまり君はユキちゃんを殺したい、この子が豚みたいに泣き喚きながらなぶり殺される姿が見たい、ってことなんだね」

「ち、違っ――」

「えぇ、違うのかい? じゃあ、別の奴を指名するのかい?」


 やけにイキイキとした感じでマスオさんっぽく訊いてくるリョウに、晃は否定の意味で首を素早く横に振る。

 弱者をいたぶる喜びにきらめいたリョウの相貌そうぼうは、控えめに言っても全力で殴り飛ばしたい厭らしさに満ち満ちていた。


「そんなイジメんなって。このアキラさんはな、自分が助かりたいからって、か弱い女の子を平然と生贄にできる超ゴイスな神経を持った男なんだぜ? もっとリスペクトしねえとバチ当たんよ。マージでアキラさんパネェ! 畜生すぎて直視できねぇ!」

「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! これがリアル『ぐうの音も出ない畜生』、略してぐう畜って奴かぁ。記念にサインとかコサインとか、もらっといた方がいいのか?」


 腐れ外道の二人が、自分らの同類にまで身を堕とした晃を嘲笑あざわらう。

 反論の余地はいくらでもあったが、今は何を言ってもリョウとクロに燃料を提供するだけだ。

 それに、自分ではなく優希の命を差し出したという点については、事実なので言い訳のしようがない。

 屈辱に塗れながら、晃は奥歯を砕けそうなほど食い縛って両手を握り締め、晒し者にされている状態が終わるのを待つ。


「おっ、おーおー、めっちゃプルプルしてるねぇ。悲しみに震えてます感、滲ませちゃってるねぇ。ホントは助けてあげたいんだけど、臆病でヘタレで何もできない無力なボクちゃんを許してね、っていうポーズなのかにゃー?」

「そこら辺の微妙な心理状態をバラすの、やめてさしあげろ。で、どうするよ? 今だったらまだ、チェンジも受け付けてるんだけど」


 リョウに話を戻され、晃は氷水をぶっかけられた気分になる。

 やっとの思いで結論を口にしたのに、もう一度あれをやれというのか。

 どう名付けていいのかわからない、混濁した感情を抱えつつリョウを睨むが、涼しいのを通り越して冷え冷えとした微笑に跳ね返されるだけだった。

 

「おい、晃……」

「アキラくん……」


 玲次と佳織から、多数のニュアンスを含んだ呼びかけが届く。

 反射的に「うるせぇ! 俺にこれ以上どうしろって言うんだ!」と怒鳴りたくなる晃だったが、音声化する寸前に飲み下して溜息に変えた。

 そして、どんよりと澱んだ瞳を二人に向ける。


 言いたくなる気持ちは分かる。

 自分だって同じ立場なら、似たような態度をとったかも知れない。

 だが本当に、この状況でどうしろというのか。

 優希の代わりに、俺が死ねばいいのか。

 それとも、お前らを選んでもいいのか。

 無言でそう問い掛けてみるが、答えは返ってこない。


「アキラ……俺にしろ。元はと言えば、全部俺が……だから、それでいい」


 抑揚に欠ける口調で、慶太が言い募る。

 しかし、晃は頷くことができない。


「しょうがない……もう、しょうがないんだ」


 涙声になりかけた呟きで、晃は変更の意思がないのを表明する。

 直後、チューニングの狂った奇声が鳴り響いた。


「ふぁああああああああああああああああああああああっ!」


 発生源は、優希。

 小さな体が、獣じみた荒々しい気配を放っている。

 低くか細く泣いているだけだったのが、爛々とした双眸そうぼうを晃に向けていた。

 貼り付いているのは凄絶な泣き笑い――いや、これは感情のタガが外れてしまった、壊れた心の表出だ。


「ゆ、ユキ……落ち着いて」 

「落ち着いてられるかってんだよダァアアアアアアアアアアアアアアアホォ! 何が落ち着けだ! ふぅざっ! ふざけてんじゃああああないよっ! 馬鹿か! 馬鹿だろ!」


 佳織に向かって、優希が感情を爆発させた罵声を叩きつける。

 ちょっとボキャブラリーが足りない感じになっているのは、完全に頭に血が上ってしまっているからだろう。

 晃がそんな分析をしていると、息せき切った優希が吼えてくる。


「一番ふざけてんのはオマエだっ! だろうが、おい晃っ! 何が『しょうがない』だ! あぁ? 何が『しょうがない』んだよっ! 言えよ! 言ってみろよクソがっ! 殺されるのは私だぞ? 何がしょうがないんだよ、言ってみろって言ってんだよゥオラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ! っけんなよぉおおおおおおおっ!」


 これまでに経験したことのない、生々しい悪意と憤怒を真正面からぶつけられ、晃は何も言い返すことができない。

 いや、たとえ冷静に疑問を呈されたとしても、何も言うべきことは見つからないように思えるのだが。

 とにかくひたすらに圧倒され、優希の口から噴き出す罵詈雑言を黙って受け止め続けた。

 無秩序な暴言の連続が三分ほど続いた後、優希は不意に正気に戻ったように言葉を切り、眼の色に怯えを宿らせる。


「……ねぇ、何か言ってよ」

「ごめん……ホントに、ごめん」

「いやゴメンとか、そういうんじゃなくてさ……もっとこう何か、あるでしょ?」

「……ごめん」


 どう取り繕っても言い訳にしかならないのを自覚している晃は、シンプルな謝罪の言葉だけを繰り返す。

 やがて、自分の運命を変えられないと悟ったのか、糸が切れた人形みたいに優希の腰がストンと落ちた。


「マジ何なの……ありえないって……こんなのおかしいって……ねぇ」


 自分に降りかかろうとする理不尽を全身で拒絶しているのか、優希は獅子舞を連想させるダイナミックな動きで首を振る。


「やりたくもない肝試しに付き合わされて、散々ヒドい目に遭わされて、最後に死ぬ? 殺される? 何それ? ホントに意味わかんないから……だから、佳織」


 急に名前を呼ばれ、ビクンと肩を揺らして佳織が顔を上げる。

 上げるが、優希の方は見ようとしない。


「替わって……私と替わってよ! ねぇ! 自分でも言ってたけどさ、あんたの馬鹿カレシのせいじゃん、今日のこれ全部。なのに、どうして私なの! 替わってよ! くぁ、わぁ、れぇええええええええええええええええええええっ!」


 優希は高音で怒鳴り散らすが、佳織は答えようとしない。

 無言で涙を流し、激しくしゃくりあげている。


「泣いてんじゃないよ! そんな嘘泣きはいらねんだよこの腐れマンコっ! 替われって言ってんでしょ! ああああああっ! ……じゃあ、玲次くんでもいいや。馬鹿な兄貴の罪滅ぼしに、死んで。私じゃなくて、あんたが。馬鹿の遺伝子を持った代償にさ、サクッと死んじゃってよ」


 思考を停止させているのか、或いは既に優希を死人として認識しているのか、玲次は能面っぽい無表情のままダンマリを貫く。

 効果がないので諦めたか、優希は今度は慶太へと矛先を向けた。


「じゃあやっぱり、慶太さんにお願いするしかないじゃん。さっき、替わるって言ってたし、いいんでしょ? おかしいでしょ、私が選ばれるとか。悪いのはあんただし。あんたが馬鹿なこと考えなきゃ、こんなことになってないし。だから晃、私じゃなくて慶太さんにするって言って……言いなさい! 言えってってんでしょぉおおおおおおおおっが!」


 聞くに堪えない、絶叫に次ぐ絶叫。

 命が懸かっていると、人間はここまで豹変できるのか――そんなことを思える冷静さすら取り戻せるくらいの、激しく突き抜けた悪足掻わるあがきだった。

 ここまでの醜態を晒させてしまったことに心は痛むが、晃の決心は揺るがない。

 俺を選べ、と言いたげな慶太の視線を感じている晃だが、やはり小さく頭を振って拒絶のサインを示した。


「さて、ユキちゃんの熱烈なアピールタイムが終わったようだけど、答えは変わってないのかな?」


 リョウに訊かれ、晃は十数秒の間を置いてから頷く。

 これも別に迷ったわけではなく、迷わず即答したのが周囲にバレたくなかったからだ。

 こんな状況に至ってもまだ取り繕うとしている自分に、ちょっとどころじゃなくウンザリする。


「ファイナルアンサー?」

「ファ――」


 無駄に渋がった口調でクロに問われ、思わず乗っかりそうになる晃だが、ギリギリのところでしのいで首を上下に動かした。


「では霜山さん、お願いします」

「しまぁす」


 リョウとクロがそう言いながら、霜山の左右を固める位置に移動する。

 室内で進行する物事を黙って見物していた霜山は、ゆっくりとした動作で椅子から腰を上げた。

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