第17話 17 玉砕戦法

「がゎぼねぁ――」


 激しい衝突音と耳慣れない奇声を残し、玲次の姿がライトの有効範囲から消えた。

 足が止まり切らなかった晃は、何の備えもなく男の眼前に飛び出してしまう。

 硬質ゴムの凹凸おうとつで覆われたブーツの足の裏が、晃の胸板へと伸びてくる。

 しかしそれは晃を蹴り飛ばすのではなく、フワッと押し返しただけだった。

 とは言え、バランスを崩された晃は盛大に尻餅をついてから、仰向けに倒れ込むハメになったのだが。


「元気ハツラツボーイ達だな、まったくもう」


 腰と背中を打った痛みをこらえながら身を起こしていると、おどけた口調の筋肉男が手を差し伸べてくる。

 晃はそれを無視して大急ぎでずり下がり、男と距離を作ってから立ち上がった。


「玲次っ、玲次! 大丈夫かっ!」


 優希の盾になるような位置に移動しつつ、大声で無事を確認する。

 しかし、玲次からの反応は返ってこない。

 お呼びじゃないのに、筋肉男は右手親指をグッと立ててウインクしてくる。

 まさか死んではいないだろうが、気絶した玲次を見捨ててこの場を逃げるわけにもいかない。


「――チッ」


 明らかに悪化した状況と、それを招いた玲次の軽率な行動に、晃は大きく舌打ちする。

 ライトからの照明は、さっきよりも揺れが酷くなっていた。

 目の前で行使された暴力によって、優希は完全にすくみ上がっている。

 こんな有様では、逃がそうにもまともに歩けるかどうかすら覚束おぼつかない。


「あのさ、どうしてそんな喧嘩腰なのよ、なぁ? 折角こんなとこで会ったんだし、一緒に遊ばないかって誘ってるだけ、なんだがな」


 男の言葉は、どこまでも暢気のんきなものだった。

 だが、その口調に含まれた酷薄さは、語り手の情緒に深刻な欠落が存在しているのを予感させた。


 こいつはやっぱり、ヤバい。


 見た目の時点で危険性は丸出しだが、中身はもっと厄介なねじれ方をしている。

 そんな確信が晃の心を支配し、掌と背中からは粘ついた厭な汗を噴き出しているのに、口腔からは猛スピードで水分が失われていく。


「で、どうすんの。やんの? やれんの? やっちゃえんの?」


 大男が薄笑いで挑発的に訊ねてくる。

 やっても最終結果は見えているが、大人しく従っても絶望一直線な状況に変化はないだろう。

 何せ相手は、既に人を殺している――多分、だが。

 ともあれ、まずは玲次が意識を回復するまでの時間を稼がなければ。


「げぅあっ、ふぁ」


 砂袋を鉄パイプで叩いたような鈍い音に、叫びと喘ぎが続いた。

 ライトが明後日の方向を照らしているせいでよく見えなかったが、男が玲次の腹を蹴り上げたらしい。


「うぅうぅう……うぇ、うっ、ふぅぅう……うぇっ、え」


 優希の神経も限界が近いのか、背後からはすすり泣きとしゃくり上げをミックスした音が、断続的に聞こえてくる。

 彼女に任せたライトは、無意味に天井を照らしている。

 どうやら、時間稼ぎをしている余裕はなさそうだ。


「あぁ、そうそう、そこのお姉ちゃんね。言っとくけど、あんた一人で逃げたら……お友達が面白いことになるよ」

「もぁっ――」


 指を差して男に告げられ、優希が不思議な音を立てて呼吸を寸断させる。

 運動神経にはそれなりに自信あるが、喧嘩となると慶太や玲次に敵わないと自覚している晃は、姑息な手段を駆使して大男に挑もうと覚悟を決めた。

 身長で二十センチ以上、体重では四、五十キロの差がありそうだ。

 だが、それならそれで戦いようはある――はずだ。


「フンッ!」


 晃は強く息を吐くと、身を低くして男に向かう。

 かつて慶太に教わった必勝法『体格差がありすぎる奴とやる時は、金玉か目玉を狙え』を実践じっせんするしかない。

 玲次のスピードにも、余裕綽々で反応した相手だ。

 いくらフェイントに成功した上で、偶然と幸運が幾つか重ならなければ、有効打は与えられないだろう。

 だとしても、今ここで自分が動かなければ、何もかもが終わる。


 男は相変わらず、身構えもせずに突っ立っているだけ。

 なのに、まともな攻撃は当たりそうもない。

 それならば、と晃は足をわざともつれさせて転び、予期せぬ軌道で男の股間へとダイビングを試みる。

 それでもって、ラッキーパンチならぬラッキーヘッドバットでタマを砕く――つもりだったのだが、予想外に硬い何かが晃の額を迎え撃った。


「うぁがっ――かっ」


 鋭い痛みが弾け、情けないうめきが漏れる。

 不規則な動きでもって飛び込んだつもりが、シッカリと反応されて膝を入れられたらしい。

 脳が揺れて起き上がれない晃の首を掴むと、細身とは言え六十キロはあるその体を男は高々と持ち上げた。


「あっは、うぅうっ――ひぁあああああああああああああああっ!」


 追い詰められた感情をそのまま音声化したような、生々しい悲鳴が鼓膜に刺さる。

 それは優希の発した絶叫だったが、意識の薄れかけていた晃は、全てを他人事のように聞き流す。

 理不尽な苦痛に紛れて、無数の疑問が湧き上がっている気がする。

 だが、その内容を確かめる間もなく、晃の視界は真っ白になっていった。

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